当たり前ですが、昭和の時代に〝昭和〟などという言葉はなく、当たり前ですがその時代は「昭和」が最先端でした。
天皇の在位期間でくくられる年号で時代を語ることに、どこまで意味があるのかわかりません。実際、「明治」「昭和」という時代には定型化の輪郭が見えますが、「平成」の輪郭は見えているでしょうか?
「令和」は次の年号が深まったときに定型化されているようには思えません。〝いま〟の令和は、次の年号から迎える未来の中で、平成と同じように埋もれてゆくだけかもしれません。
そして、定型化された「明治」と「昭和」も、次に続く時代の目線では「時代遅れで頑固」という非常に近似した輪郭を持っていました。
「遠くになりにけり」時代を「時代遅れで頑固」と振り返るのは当然なのかもしれませんが、平成や令和がそんなふうに見られる未来はない気もします。
そして、この「時代遅れで頑固」は、「明治」においては畏怖も含めたポジティブに、「昭和」においては軽蔑も混ざったネガティブにとらえられることが多いと感じます。
村田兆治の「昭和生まれの明治男」は、畏怖を込めたポジティブな表現でした。
そして、阿部慎之助に向けられていた「ド昭和」という言葉は、時代遅れの軽蔑が多分に含まれているように聞こえます。
ーーーーー長女が児童相談所へ連絡したのは、友だちにこぼす愚痴ような気分だったのかもしれませんが、DVにおいて児相や警察は加害者は保身、被害者は恐怖にために嘘をつく最悪のケースを想定して、法廷とは違う「疑わしきはクロ」で両者を離すことを優先して動きます。
今回の「現行犯逮捕」は警察が暴行現場を押さえたはずはなく、父親が「児相から報告のあったのは事実か?」と警察が読み上げるのを聞いて「事実です」と答えての逮捕だったのでしょう。
仲の良い親子関係であっても、父親がカッとなって手を出してしまった、そして有名人の娘もまたカッとなってしまい時間帯もあって生成AIに相談して教えられた児相に電話。児相が「深刻な状況だと判断しましたので、警察に通報する」と伝えるわけはなく(被害者が報復を恐れて「警察はやめて」と言いかねない)、事態は誰もが望まない最悪の形で一気に進んでしまったのでしょう。
父は娘を庇い、娘は父を慮る。結局のところ、被害者がどこにも存在しない奇妙で異様な事件。
昭和の時代なら、母親が「お酒を飲んで娘に手を挙げるなんて、父親失格。謝って」「お父さんがどれほど大変な仕事をしてるのか、あなたはよくわかってたじゃない。あんな口答えしちゃいけません」と両成敗で収まっていたかもしれません。
本当の加害者がいるとしたら、それは生成AIだというのはおかしいでしょうか?
有名人の家庭でなければ時間が笑い話にしてしまうことでしょう。18歳の少女が「大好きなお父さんのキャリアを自分がダメにしてしまった」と苦しみながら、一生を過ごさなければならないとしたら、今の社会って何なのですか?彼女はそれほど重大な過ちを犯したのですか?
あるいは、こんな悲劇を引き起こす可能性を孕む、未完成の恐ろしい凶器を野放しにしている社会が悪い、そういったら言い過ぎでしょうか?
犯行はChatGPTによるもの。そういうと、あまりのも阿部親娘を擁護しすぎでしょうか?
もちろん、そんな決着をこの狭量な時代が認めるわけはなく、凶悪な加害者などいなかった家族が、凶悪事件に巻き込まれたレベルで引き返すことのできない大きな不幸に見舞われたのだとしたら、やりきれない思いにひたすら悲しいです。
天皇の在位期間でくくられる年号で時代を語ることに、どこまで意味があるのかわかりません。実際、「明治」「昭和」という時代には定型化の輪郭が見えますが、「平成」の輪郭は見えているでしょうか?
「令和」は次の年号が深まったときに定型化されているようには思えません。〝いま〟の令和は、次の年号から迎える未来の中で、平成と同じように埋もれてゆくだけかもしれません。
そして、定型化された「明治」と「昭和」も、次に続く時代の目線では「時代遅れで頑固」という非常に近似した輪郭を持っていました。
「遠くになりにけり」時代を「時代遅れで頑固」と振り返るのは当然なのかもしれませんが、平成や令和がそんなふうに見られる未来はない気もします。
そして、この「時代遅れで頑固」は、「明治」においては畏怖も含めたポジティブに、「昭和」においては軽蔑も混ざったネガティブにとらえられることが多いと感じます。
村田兆治の「昭和生まれの明治男」は、畏怖を込めたポジティブな表現でした。
そして、阿部慎之助に向けられていた「ド昭和」という言葉は、時代遅れの軽蔑が多分に含まれているように聞こえます。
ーーーーー長女が児童相談所へ連絡したのは、友だちにこぼす愚痴ような気分だったのかもしれませんが、DVにおいて児相や警察は加害者は保身、被害者は恐怖にために嘘をつく最悪のケースを想定して、法廷とは違う「疑わしきはクロ」で両者を離すことを優先して動きます。
今回の「現行犯逮捕」は警察が暴行現場を押さえたはずはなく、父親が「児相から報告のあったのは事実か?」と警察が読み上げるのを聞いて「事実です」と答えての逮捕だったのでしょう。
仲の良い親子関係であっても、父親がカッとなって手を出してしまった、そして有名人の娘もまたカッとなってしまい時間帯もあって生成AIに相談して教えられた児相に電話。児相が「深刻な状況だと判断しましたので、警察に通報する」と伝えるわけはなく(被害者が報復を恐れて「警察はやめて」と言いかねない)、事態は誰もが望まない最悪の形で一気に進んでしまったのでしょう。
父は娘を庇い、娘は父を慮る。結局のところ、被害者がどこにも存在しない奇妙で異様な事件。
昭和の時代なら、母親が「お酒を飲んで娘に手を挙げるなんて、父親失格。謝って」「お父さんがどれほど大変な仕事をしてるのか、あなたはよくわかってたじゃない。あんな口答えしちゃいけません」と両成敗で収まっていたかもしれません。
本当の加害者がいるとしたら、それは生成AIだというのはおかしいでしょうか?
有名人の家庭でなければ時間が笑い話にしてしまうことでしょう。18歳の少女が「大好きなお父さんのキャリアを自分がダメにしてしまった」と苦しみながら、一生を過ごさなければならないとしたら、今の社会って何なのですか?彼女はそれほど重大な過ちを犯したのですか?
あるいは、こんな悲劇を引き起こす可能性を孕む、未完成の恐ろしい凶器を野放しにしている社会が悪い、そういったら言い過ぎでしょうか?
犯行はChatGPTによるもの。そういうと、あまりのも阿部親娘を擁護しすぎでしょうか?
もちろん、そんな決着をこの狭量な時代が認めるわけはなく、凶悪な加害者などいなかった家族が、凶悪事件に巻き込まれたレベルで引き返すことのできない大きな不幸に見舞われたのだとしたら、やりきれない思いにひたすら悲しいです。
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フシ穴の眼
が
しました
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