パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は元日本赤軍の岡本公三容疑者(78歳)がレバノンの首都ベイルート南郊で死亡したと発表しました。
これを受けて、朝日新聞は「岡本公三容疑者がレバノンで死亡 ロッド空港乱射事件の実行犯」、読売新聞は「日本赤軍の岡本公三容疑者がベイルートで死亡、78歳…イスラエルの空港で無差別テロ」と、それぞれデジタル版で〝速報〟。
朝日と読売で岡本公三に対する微妙な温度差が感じられますが、ニュースソースのPFLPのニュアンスは鮮明です。
「ロッド空港の聖戦の英雄たちの不朽の物語 偉大な革命同志であり国際主義の闘士である岡本公三(アフメド・アル=ヤバニ)の死を悼む」とヘッドライン。
「栄光と誇りに満ちた生涯 最果ての極東からパレスチナへ」として「1947年12月7日、熊本県の中流家庭で7人兄弟の末っ子として生まれた」岡本を植物学に精通し、英語、アラビア語、ヘブライ語、中国語、ロシア語を驚くべき短期間で習得「並外れた知性の持ち主」と最大級の賞賛。
岡本がレバノンがアラブ世界で英雄視されているのは1972年5月30日、イスラエル・ロッド空港で銃を乱射、約100人を死傷させた凶悪なテロの実行犯だったからです。
岡本は事件直後にイスラエルに拘束され、終身刑を科せられますが、1985年に捕虜交換で釈放された後はレバノンを拠点に伝説の英雄として生活。
しかし、1997年に今度はレバノンで他のメンバー4人とともに旅券偽造容疑で逮捕され、有罪判決を受けます。2000年に刑期を終え、4人は日本に強制送還、岡本はレバノンへの政治亡命が認められていました。
〝英雄〟追悼の最後の文章は「PFLPは、岡本公三同志の遺志と国際主義闘争の歴史に誓いを立て、エルサレムを首都とするパレスチナ全土、すなわちその川から海までをも解放するまで、正義の剣と旗を掲げ、盟約に忠実であり続けることをあらためて宣言する。 彼の死を、帝国主義とグローバル・シオニズムに立ち向かう国際革命の結束をより強靭にする転換点としようではないか。 偉大な闘士の魂に、そしてすべての自由の闘士に栄光あれ。囚われの身にある者たちに自由を。我々は疑いなく勝利する。」と結ばれています。
極東の何につけ曖昧な島国はアラブの英雄と、ユダヤの恩人(杉原千畝)という真逆のベクトルで動いた人物を生み出した、世界的に非常に理解し難い国、民族でもあります。
苦境に追い込まれた弱者に対して、岡本は一般の生活者が利用する銃の乱射で狂気の義憤を示し、杉原は命のパスポートを発行することで正義を貫きました。
若い大学生を中心に構成されたことから、日本赤軍など過激派と比較されることもあるオウム真理教は、ほとんど共感を呼ぶことなく、小さな隠れ部屋に札束まみれで恐怖に怯えながら隠れていた教祖が逮捕、極刑に処せられました。
一方で、いまなお多くの支援者を集める重信房子は先月出版された「獄に暮らせば 21年7カ月の獄中日記から」が多くのメディアで〝好意的〟な書評を集めています。
「いちご白書をもう一度」を聞くまでもなく、岡本らを産み落とした学生運動の振れ幅は非常に大きく激しいものでした。
オウム真理教の拠点に機動隊が突入したとき、私は「たぶん大丈夫だろう」と思いながらも、一抹の不安に駆られていました。
もし、教祖が正々堂々と姿を現し、十字架でも背負いながら「信者には一切手を出すな!」と自ら投降したら…もちろん、あの卑劣で無様な男がそんな大芝居を打てるわけがありませんでしたが。
私が大学に進学した頃は、もう学生運動はとうの昔に過ぎ去った過去で、全く実態のない残滓のようなサークルがその存在も知られないまま、ひっそりと活動、世の中はバブル景気に踊っていました。
これを受けて、朝日新聞は「岡本公三容疑者がレバノンで死亡 ロッド空港乱射事件の実行犯」、読売新聞は「日本赤軍の岡本公三容疑者がベイルートで死亡、78歳…イスラエルの空港で無差別テロ」と、それぞれデジタル版で〝速報〟。
朝日と読売で岡本公三に対する微妙な温度差が感じられますが、ニュースソースのPFLPのニュアンスは鮮明です。
「ロッド空港の聖戦の英雄たちの不朽の物語 偉大な革命同志であり国際主義の闘士である岡本公三(アフメド・アル=ヤバニ)の死を悼む」とヘッドライン。
「栄光と誇りに満ちた生涯 最果ての極東からパレスチナへ」として「1947年12月7日、熊本県の中流家庭で7人兄弟の末っ子として生まれた」岡本を植物学に精通し、英語、アラビア語、ヘブライ語、中国語、ロシア語を驚くべき短期間で習得「並外れた知性の持ち主」と最大級の賞賛。
岡本がレバノンがアラブ世界で英雄視されているのは1972年5月30日、イスラエル・ロッド空港で銃を乱射、約100人を死傷させた凶悪なテロの実行犯だったからです。
岡本は事件直後にイスラエルに拘束され、終身刑を科せられますが、1985年に捕虜交換で釈放された後はレバノンを拠点に伝説の英雄として生活。
しかし、1997年に今度はレバノンで他のメンバー4人とともに旅券偽造容疑で逮捕され、有罪判決を受けます。2000年に刑期を終え、4人は日本に強制送還、岡本はレバノンへの政治亡命が認められていました。
〝英雄〟追悼の最後の文章は「PFLPは、岡本公三同志の遺志と国際主義闘争の歴史に誓いを立て、エルサレムを首都とするパレスチナ全土、すなわちその川から海までをも解放するまで、正義の剣と旗を掲げ、盟約に忠実であり続けることをあらためて宣言する。 彼の死を、帝国主義とグローバル・シオニズムに立ち向かう国際革命の結束をより強靭にする転換点としようではないか。 偉大な闘士の魂に、そしてすべての自由の闘士に栄光あれ。囚われの身にある者たちに自由を。我々は疑いなく勝利する。」と結ばれています。
極東の何につけ曖昧な島国はアラブの英雄と、ユダヤの恩人(杉原千畝)という真逆のベクトルで動いた人物を生み出した、世界的に非常に理解し難い国、民族でもあります。
苦境に追い込まれた弱者に対して、岡本は一般の生活者が利用する銃の乱射で狂気の義憤を示し、杉原は命のパスポートを発行することで正義を貫きました。
若い大学生を中心に構成されたことから、日本赤軍など過激派と比較されることもあるオウム真理教は、ほとんど共感を呼ぶことなく、小さな隠れ部屋に札束まみれで恐怖に怯えながら隠れていた教祖が逮捕、極刑に処せられました。
一方で、いまなお多くの支援者を集める重信房子は先月出版された「獄に暮らせば 21年7カ月の獄中日記から」が多くのメディアで〝好意的〟な書評を集めています。
「いちご白書をもう一度」を聞くまでもなく、岡本らを産み落とした学生運動の振れ幅は非常に大きく激しいものでした。
オウム真理教の拠点に機動隊が突入したとき、私は「たぶん大丈夫だろう」と思いながらも、一抹の不安に駆られていました。
もし、教祖が正々堂々と姿を現し、十字架でも背負いながら「信者には一切手を出すな!」と自ら投降したら…もちろん、あの卑劣で無様な男がそんな大芝居を打てるわけがありませんでしたが。
私が大学に進学した頃は、もう学生運動はとうの昔に過ぎ去った過去で、全く実態のない残滓のようなサークルがその存在も知られないまま、ひっそりと活動、世の中はバブル景気に踊っていました。
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