4月から、大阪に転勤。会社までドア・トゥ・ドアで30分足らずの交通至便な社宅住まいです。

そして、このあたりは生まれ育った地域です。

4月、子どもよりも若い後輩たちから連絡を受けて、通っていた阪神地区の高校に久しぶりに訪れました。卒業したのは約40年前、校舎やグランドは当時の外観のままでしたが、中は綺麗にリフォームされて、教室なども廊下と仕切る壁を取っ払って、今風に開放的になっていました。

そして、グラウンド脇にあった野球部と陸上競技部、サッカー部、ラグビー部などの屋外競技の部室群が建て替えられるということで「先輩たちの残したものがあるから、廃棄して良いかどうかを確認して欲しい」というのが主な用事でした。

先輩たちといっても、野球と陸上を兼部していた私と、陸上と柔道の1つ上の先輩の2人だけなんですが、その先輩の残したものはだいたい想像がついたのですが、自分のものは全く心当たりがなく…。

先輩の残したものは、予想通り。高校の最寄駅や校門に掲げられた10以上もある横断幕です。「祝 石川優子さん 柔道 高校総体県大会 優勝」「祝 石川優子さん  陸上競技 高校総体近畿大会 優勝」…。

私(が関わっていた)駅伝の横断幕も一枚だけありました。「祝 阪神高校 対校戦 優勝 陸上競技部 駅伝チーム」。しかし、後輩たちは「これ、去年の秋も使って来年も再来年も使いたいんです」とのことで、処分の対象ではないそうで、確かに年度と大会の数字がバツされて昨年のものに手書きで更新されていました。

「新しいヤツ、作ってもらえよ」と言うと、「先輩たちを乗り越えたのがよくわかるから、新しいのは作らないで、このスタイルにしました」と、ちょっと嬉しいことを言ってくれるのでした。

可愛い後輩たちである。

石川先輩は自分の横断幕を見て「まだ、こんなん現存しとったんなー。このなん、2度と使われることがないから全部廃棄してぇ」。

…ちょっと待てよ?あの横断幕は廃棄対象でないとすると、俺の残しものはないやないか?と思ってると、「先輩のこれ、です」と、①ミルキーの缶と、②模擬試験やら夏期講習で成績優秀者となったときのメダルやトロフィー類。

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在籍高校や名前が思いっきり刻印してるので、ぼかしてスマヌ。


①の缶の中身は、スパイクのピンやピン回し。俺の名前がないのにどうして俺のものだとわかったのは、先輩➡︎先輩の先輩➡︎先輩の先輩の先輩…とたどって「ミルキーの缶はあの人だけ」という仮説が徐々に強化されていったそうです。

全く覚えていませんが、自分のような気がします…。しかし、名前が書かれた栄光の横断幕ならまだしも、こんなもんとっとと捨てろよ、と複雑な気分になっていると、石川のボケがまたどうでもいいことをほざくわけです。

②は、たぶん同輩や後輩から「見せて」と言われて渡したものの一部です。

石川先輩は「なんで?こんなどーでもエエもん、相談せんと捨てたらエエのに?あ?当てつけ?可哀想に後輩からまでバカにされて」と笑い転げるのです。それを聞いて、後輩たちは恐縮しまくりながらも「お2人とお会いしたくて、三島先輩(俺)を呼んだら、石川先輩も来てくれるんじゃないかと思って」と、もっと言い方あるやろ?ということを吐き出して、俺は嫌な気分に…。

じゃあ、俺、いらんかったんやん?石川だけ呼んどけ!!!

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ーーー前置きが長くなりました。

「高校」という限定された空間・舞台の中で石川先輩や後輩たちと交流するのは私にとって問題ないのですが、そうではない場合、いろいろ居心地が悪いというか、気まずいと言うか、なんというか、そういうことってないでしょうか?

例えば、私は…

【家庭】弟と妹は全国レベルの進学校に進学した「学年で2番になった記憶がない」という秀才、私は運動(野球)しか出来ない勉強落ちこぼれ。…それでも「家庭」という空間・舞台の中で両親や弟妹との中で、出来が悪いとはいえ、ポジションがある。なぜか超優秀な弟妹は「兄ちゃんは別格」と、全く根拠のない尊敬を小さい頃から示し続けてくれている。

【高校】勉強だけでなく、ついに野球でも落ちこぼれて不登校。ほんの一部の先生や友だちを除くと、周囲からは「変な奴」「気色悪い奴」「早く学校からいなくなれ」と言われてたツマハジキ者。…卒業してしまうとツマハジキにされた人とは付き合うこともないから〝ほんの一部の人〟との間にポジションがある。

【大学時代】大阪を離れたこともあって「落ちこぼれ」「ツマハジキ者」から完全にリセット。「はしゃいて生きる青春は俺にはないと思ってた」(転がる石:石川さゆり)のにどういうわけだか、女子にもモテる今までにないおかしな状況になった。…「家庭」とも「高校」とも全く違うポジションが出来てしまう。

【社会人時代】「家庭」「高校」「大学」を足して3で割ったようなキャラクター(人格)で見てもらえるようになるが、自分の本質が「家庭」と「高校」にあって、実はそこが一番居心地がいいことに気づく。


ーーー泥酔しながら書いてるので、うまく伝わらないかもしれませんが、私は極端かもしれませんが、誰にでもいろんなキャラクターを使い分けていると思います。

上記では、時系列で区切っていますが、例えば「大学時代」でも「クラスや部活の私」と「家庭教師先の私」では全く違う人格だった気がします。

いろんな人格があるのは誰にでも自然だと思うのですが、不自然なことが起きてしまうことがあります。

つまり「家庭」と「高校」「大学」「社会人」の人格での友だちが同席してしまうケースです。

そんなときは、「俺はどの人格を演じたらいいんだ?!」と、ちょっとしたパニックに陥ってしまいます。

これが、結婚式のようなオフィシャルに均質化された人格が許される時間限定の場面なら良いのですが、そうではないケースもままあります。

4月からの大阪勤務で、そんな不自然なパニックなケースが何度かありました。

今日も、チュニジア戦を観戦したのは個室的な空間のスポーツバーで「家庭」(弟)、「高校」(野球部と陸上部の先輩)、「大学」(他の学校の運動部の友だち=陸上部の先輩と知り合い)、「社会人」(他の大学の運動部の友だちと同級生=陸上部の先輩の知り合い)という絡みあって、こんがらがって、全員知っていてもどこがどうなってるのかわからない乱交状態でした。

誰であっても1対1で飲むなら、その相手仕様の人格で良いのでなんの問題もありませんが、ここまで乱交、混雑してしまうと、例えば東京で知り合い、東京でしか会っていない社会人の友だち相手でも、いつもは話さない完全バージョンの阪神弁で話したりするのです。

言葉の乱交・混雑は誰にでもあるかもしれませんが、人格はどうでしょうか?

「この飲み会、もうアカンて、俺、頭おかしくなるわ」と嘆くと、陸上部の先輩は「コウモリみたいに裏表のある言動繰り返してるから、こうなるんとちゃうの?この二重人格の分裂症男め!」と、汚れたお手拭きをわたにし向かって「シュートーっ!!!」と投げつけ、「それハンド!」と小さく抗議する私を一番よく知る弟が「兄ちゃんは好きなようにしててええよ。別格やから」と、優しく笑うのでした。


すでに、この手の集まりが何度かあって、そのたびに気疲れしています。

思い直すと、ここまでの乱交は経験がありませんでした。



こういうことって、大なり小なり、他の人にもあると思うのですが、どうなんでしょうか…?