Breez is Nice!

日曜日に行こなわれる予定だったWBAフェザー級タイトルマッチは、前日計量で王者ブランドン・フィゲロアが体重超過のため王座剥奪。さらに体調不良を理由に挑戦者・亀田和毅との試合が当日中止となってしまいました。

全くお粗末な結果で、残り時間が少ない35歳の和毅には同情しかありません。

 WBAは「チャンピオンシップ委員会は10月19日に会議を開き、亀田の状況はランキング上位選手の権利と共に、最優先事項として審議される予定」とプレスリリースを出しましたが、会議の内容は21日現在、まだ発表されていません。そもそも会議を開いているのかどうかも疑わしい…。

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きょうの本題は和毅の発言(以下)と、減量の本質について、です。


「ここまで自分がやってきたこと、犠牲にしてきたこと、全てのトレーニングに、10キロ以上の減量。そういうものを僕らは抱えている。そもそもボクサーはみんな減量をすれば、体調は悪くなる。僕だって100%の状態じゃない」。


ーーー階級制の格闘技選手には付き物の減量ですが、対戦相手や自身のコンディションによって体重をデザインするヘビー級の選手は、過酷な減量とは無縁です。ヘビー級の選手は常に最強の自分を作り上げてリングに上がります。

リカルド・ロペスやフリオ・セサール・チャベス、フロイド・メイウェザー、日本でも内山高志のように、普段から厳しく節制して規定の体重から大きく逸脱せず、ナチュラルに近い体重で戦うファイターも存在します。

1日6〜8食・8,000kcal以上の食事を摂って人気階級のウエルター級の肉体を作り上げたマニー・パッキャオは極めて異例で、特にライト級以下のほぼ全てのファイターは減量で身を削ります。

減量は「より弱い相手と戦うために自分も弱体化する行為」に他なりません。

自分が弱体化すればするほど、より弱い相手と戦えるのです。あまりにも弱体化しすぎて前日計量で倒れて救急搬送される、減量の消耗で動きが鈍り負けてしまう、なんて本末転倒な喜劇はよく目にする光景です。

ほとんど全ての軽量級選手は、計量を済ますと病人食のような常温の水や暖かいスープを飲んで消耗した肉体を回復させます。

和毅が言うように、試合前日の計量前が最悪のコンディションーーーそれが、ボクシング軽量級の世界です。

多くのアスリートは体脂肪を削り筋肉量を増やして、肉体を鍛錬します。その結果、免疫力が落ちて感染症に弱くなるなど、けして健康的とは言えない側面もあります。

より軽い体重と強い血液を求めて、脂肪を限界まで削ぎ落とし、高校生でも鉄分注射まで使用することが最近まであった女子長距離選手は生理がなくなるなど、到底健康的とは言えません。

それはけして褒められたことではありませんが「より遅い相手を求めて自分も遅くなる」という倒錯的な行為ではなく、アスリートとして当然の「絶対的な速さ、最速の自分を求める」目的に迫るための手段です。

ところが、ボクシングの軽量級は違うのです。

より弱い相手を求めて、自分も弱体化するーーーそんな馬鹿げたことは、普通のアスリートならありえません。


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アントニオ・マルガリートとのジュニアミドル級タイトルマッチでは151ポンドのキャッチウエイトも作れず、ウエルター級リミット(147ポンド)も大きく下回る144.5ポンドで計量したパックマン。


もちろん「勝つ」自分が最強という見方もあります。パッキャオは理想ですが、ジュニアフライ級の選手が過酷な減量をやめてライト級の肉体を作り上げても相手が強すぎて負けてしまうなら、スポーツの目的である「勝つ」ことから離れてしまいます。

「俺も減量が苦しいけど、あいつも頑張ってる。負けてたまるか」(ファイティング原田)という思いは尊く聞こえます。原田をモデルに減量を描いた「あしたのジョー」の力石徹を「より弱い相手と戦うために自分も弱体化した」と単純に切り捨てることはできません。



とはいえ…。

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〝キックの神童〟那須川天心は58kg(武尊戦)前後、ボクシングならジュニアライト級(130ポンド)周辺で戦っていましたが、下半身に過剰な筋肉が要らないボクシングは122ポンドでデビュー。

プロ4戦目のジョナサン・ロドリゲス戦は120ポンド契約。か細くやつれて計量会場東京のエスカレーターで左右のベルトを弱々しく掴み「ああ、きつぅ…」と呻いた神童は、病人にしか見えませんでした。過酷な減量は〝骨肉〟を削るだけでなく声帯にまで大きなダメージを与え、声まで別人でした。

天心も「(ボクシングに転向してから試合のたびに体重を落としていって)今回は過去最軽量。ここから回復します」と、体調が最悪であると吐露していました。


過酷な減量は和毅と天心に限った話ではなく、日本の軽量級では当たり前の光景です。

より弱い相手と、弱体化した自分。その究極のバランスを求めるのが減量です。

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ストーブをガンガン焚いた部屋で分厚い毛布にくるまって、身体中から水分を搾り取る井上尚弥。カサカサの皮膚、コケた頬、尖った顎…見るからにやつれきった計量前のモンスターの〝作り方(レシピ)〟です。


井上尚弥はジュニアフライ級(108ポンド)でデビューしましたが、プロテストはジュニアフェザー級(122ポンド)。もちろん、でっぷり脇腹に脂肪をまとってリングに上がったわけではありません。

将来の複数階級制覇で一つでも多くのクラスでタイトルを獲ろうという目論見から「長居は出来ない」大前提で、過酷な減量に耐え自らを弱体化させたのでした。

その後の井上の活躍を見ても、ジュニアフライ級というゾーンは「より弱い相手」と「自分の弱体化」のバランスが良くなかったといえるでしょう。

では、井上の2012年デビューがジュニアフェザー級だったなら?

2012〜2014年頃のジュニアフェザー級はWBA /WBOでは「技術だけなら全階級でNo.1」と言われたPFPファイターのギレルモ・リゴンドーが最強候補と見られ、井上陣営が拙速にアタックしたとは考えられません。

また、WBCは軽量級では稀有な人気者、レオ・サンタクルスとアブネル・マレスのやはりPFPファイターがビッグファイトを繰り広げ、こちらはこちらで対戦に漕ぎ着けるのはリゴンドー以上に難しい2人でした。

最も障壁が低かったIBFでも英国が興行権を支配、フェザー級でサンタクルスとのビッグファイトを控えたカール・フランプトン(未来のPFPファイターでFighter Of The Year)がベルトを掴んでいました。

常識的に考えて、井上がタイトルアタックするのに当時のジュニアフェザー級は敗北リスクはもちろん、契約成立まで様々なコストがあまりにも大きすぎました。

しかし、本当に価値のある世界一ならコスパ最高なんてありえません。ところが、多くのケースで最高のコスパで選り取り見取りで相手を選べるのが日本にとってのボクシング軽量級なのです。

絶対的な強さの追求とナチュラルな強さを放棄。相対的な強さを希求して、ときには命を落とすほど健康を害して弱体化する。

健康を害するまで肉体を萎ませてたのに、計量が終わると一転。今度は明日の試合までにやはり不健康にリバウンドして対戦相手よりも大きな体になることを目指す…。

そんなの、アスリートではありません。本来なら階級制にすべき相撲では、どの力士も「最強の自分」を目指します。より弱い相手を求めようにも悲しいかな、そこには細分化された超軽量級がありません。

大相撲ジュニアフェザー級の横綱が大相撲PFPキング、なんてロジックがあれば良いのですが…。

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喉の渇きを感じる前に水分補給するーーーアスリートどころか、今では普通の人ですら理解している当たり前の常識からも逸脱してでも自分を弱体化させ、ときには命まで落とす危険に直面する、それが減量です。


もちろん、あらゆる減量を否定するわけではありません。

しかし、多くの減量が「より弱い相手を求めて自分も弱体化させる」行為であることは、誰1人として否定できないでしょう。


「(ファイティング原田らは)減量がきつい、きついなんて人前でべらべらしゃべったらアカン。減量なんて自慢にならんからね。そんなに辛かったら、ライト級でもウエルター級でも辛くない階級で戦ったらええねん。なんでそうせぇへんの?って話や」(渡辺二郎)。




別のシリーズでも書いていますが、回復の時間が長いがゆえに、より過酷な減量の余地が大きいだけでなく、当日体重で不公平な危険が生じる前日計量は深刻すぎる問題を孕んでいます。

硬膜下血腫を引き起こしやすいことが証明されている水抜き減量も、前日から当日にかけての回復時間が必要とされます。

「当日計量では減量による甚大な消耗から回復しないままリングに上がることになるから前日計量が導入されたが、どちらが危険かはもはや明らか」(VADA創始者 マーガレット・グッドマン)ーーーボクシングの計量も、前日一発ではなく、ハイドレーションテストの実施・当日計量での大幅な増量の禁止を含めた〝2段階認証〟〝3段階認証〟が必要でしょう。

もちろん、ローカル団体が統括するという歪な構造のプロボクシングでは「前日計量・尿比重検査・当日計量」の全てで超過しても試合決行することも無くなりません。

現代では計量の意味は無くなっているケースもあります。

それどころか、認定団体はオシャキー・フォスターvsスティーブン・フルトンのような「体重超過なら上のクラスのタイトルマッチに変更!」なんて〝犯罪行為〟にまで手を染めています。彼らが最も恐れるのは、メディアやファンの非難ではありません。認定料を取りっぱぐれることです。




和毅は「契約違反をしたんだから、世界共通の罰則や契約を守った選手への救済措置が必要」と、まるでボクシングがスポーツであるかのように訴えていますが、この競技には世界の統括団体は存在しません。

そして、スターシステムがこの世界の絶対法則なので、理不尽で不条理なことはいくらでも起き続けます。あなたのご家族がよくご存知のように。

その意味では「カネロの方が遥かに報酬が高いなんて契約は受け入れられない」と、正論を展開したゲンナジー・ゴロフキンも言いたかっただけで改善されるとは思っていなかったでしょうが、スターのご機嫌を損ねたのは大間違いでした。

欧米にファンベースがなく人気階級としては商品価値が低すぎるカザフスタン人のGGGが、フォーブスのスポーツ長者番付に名前が刻まれたのは、カネロと戦ったときだけなのですから…。


井上尚弥がルールを破って「相手陣営がいないのに試合用のグローブを開封した」と怒りをぶちまけたノニト・ドネアも大馬鹿者です。自分が完全Bサイドであることをわきまえているのでしょうか?

米国で全く人気がなくボブ・アラムに不良債権扱いされたドネアが大興行でメインを張れる、大勢の観客から応援されるなんて花舞台を経験できて、キャリア最高の報酬まで手に入るのは日本だけなのですから…。


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⬆︎これが長蛇の列に並んで買うほど美味いのかどうか?上野のポップアップショップは3時間待ち…もし、東京のデパ地下でも当たり前に買えたら新大阪の大行列は消えるのか?一方で、お土産にもかかわらず、地元民があまりにも普通に食べている…深すぎるテーマです。お!順番が来ました。(本文とは少しだけ関係があります)


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シャクール・スティーブンソンが7月9日にサインしたばかりのズッファ・ボクシングとの契約を解消、わずか3ヶ月、1試合もしないという異例の形でサウジアラビア系プロモーションえなうを離脱することになりました。

デビン・ヘイニーとの対戦交渉がキャッチウエイトなどをめぐって不調に終わったことが表向きの原因ですが、マニー・パッキャオの名前もあがって噂されていた12月11日のタイソン・フューリーvsアンソニー・ジョシュアのアンダーカードでの登場も消滅。

シャクールはリオデジャネイロ2016五輪のバンタム級決勝でロベイシ・ラミレスに敗北、トップランクと契約してプロデビューしたエリートアマ。しかし、ラミレス戦でケチのついた消極的な安全運転スタイルは、プロでも相変わらず。

人気のない軽量級という以前に見ていて面白くないシャクールでしたが「(自身の不人気は)トップランクのプロモートに問題がある」と、契約満期の2024年に更新せず、マッチルームと複数試合契約を結びます。

米国市場に触手を伸ばしていたマッチルームにはトップランクから引き抜いたという意識もあったでしょうが、ボブ・アラムは「あいつは自分をパッキャオとでも思ってるのか?貧乏神を放出できて良かった」。

テレンス・クロフォードの弟分のようなポジションで、サウジアラビアの寵愛も受けるようになり、WBCや既存のプロモーターに攻撃的な発言を繰り返し、今年7月に念願のズッファと契約。

ファンが喜ばないスタイルに貧相、いつも言い訳ばかりのシャクールは当たり前に不人気で、アラムが言うまでもなくプロモーターにとってはクロフォードと同じ「貧乏神」。

サウジアラビアとしてはリングの中では強豪を攻略し、リングの外では認定団体や既存のプロモーターを攻撃しズッファを礼賛する代弁者という一石二鳥の手駒でしたが、商売度外視の体制から緊縮に転換、ボクシング市場からの撤退まで視野に入れている現状では〝自分の商品価値を勘違いしている貧乏神〟はまさに〝燃えないゴミ〟です。

ズッファ側がスティーブンソンを契約不履行で訴える立場ですが「1試合も契約をこなさないスティーブンソンの主張が認められた」ことになっています。

内実は、期待していたような報酬が提示されないことに不満を見せたスティーブンソンをズッファ側が「現状ではあなたの商品価値に見合った金額しか用意できない」と納得させたのでしょう。

アラムにもエディ・ハーンにも指摘され続けた「あなたの商品価値」。

2年前には「私の価値をわからないクズどもばかりだ」と引退宣言もしています。

Not mad at anyone.understands this is the business of boxing.

スティーブンソンの「誰も恨んじゃいない。俺でもわかることさ。これがボクシングビジネスってことだ」という言葉が全てです。

既存のプロモーターとの関係がギクシャクしているシャクールは「自分でプロモート会社を立ち上げ、配信会社も見つける。1、2年あれば人気階級のウェルター級にも届くはずだ」とし、多くのメディアでNo.1に評価される井上尚弥を抜いてPFPキングになって「自分の商品価値を上げる」としていますが…。

「面白くないやつ」。その烙印を最初に捺したロベイシもトップランクの不採算選手整理(井上尚弥や中谷潤人もリストラされています)にあっています。

「不人気階級の軽量級は要らない」というよりも「米国市場で商品価値のない選手は要らない」ということでしょう。身の程をわきまえた軽量級のタイトルホルダーなら、これまで通りにビッグイベントの前座の需要があります。

人気階級の中でも頭抜けた人気を誇るカネロ・アルバレスもゲンナジー・ゴロフキン戦をめぐって、かつてWBCを辛辣に非難しましたが、あのときは身勝手な物言いのカネロにWBCが謝罪しました。

しかし、いまや身の置き場の少ない黒人ボクサーで軽量級、しかも試合が面白くないシャクールはサウジの後ろ盾がなくなれば、既存勢力にとっては小物中の小物です。

カネロに勝って身に余る大金を手にして引退したクロフォードのような未来を描いていたかもしれませんが、サウジの時代は足早に去ってしまいました。

「私の才能を認めてくれている人たち、期待は裏切らないぜ」。

For the people that trust and believe in my talent, I will not let y’all down

そもそもファンが少ないシャクール。戦い方を変えない限り、彼が望む未来は永遠に訪れません。

今更それが出来るなら、生涯最高の舞台、星条旗を胸にした五輪決勝であんなヘタレっぷりは見せていないでしょう。



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令和8年10月17日。クライマックスシリーズ、セ・リーグ最終ステージ第4戦。甲子園に詰めかけたのは、4万2,648人。

阪神はこの試合に負けて、日本シリーズ進出が消滅してしまいました。

同じような大一番が、いまから53年前の昭和48年、10月22日にもありました。運命の舞台は、やはり甲子園。観客は4万8,000人(主催者発表=当時は実数発表ではなく、かなり盛られた数字でした)。

53年前の相手は横浜ではなく、巨人。首位の阪神が64勝58敗7分、2位の巨人が65勝60敗4分、ゲーム差0.5。両チームとも残り試合はこの1試合。阪神は勝つか引き分けで優勝。巨人は勝つしかありませんでしたが…。

巨人打線が5回まで毎回得点で8点を積み上げ、高橋一三は阪神を完封。0−9の惨敗を喫してしまいます。

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そして、怒り狂った阪神ファンがグラウンドに乱入、巨人ベンチを襲うという暴挙を働くのです。下駄や靴を投げつけ、選手の道具を奪う狂虎(タイガー・ジェット・シンではありません)たち。今朝の産経新聞・産経抄によると王貞治のファーストミットまで奪ったというのです。

53年後のタイガースファンは横浜ベンチを襲撃、牧秀悟にスニーカーを投げつけバットを奪うとかはしないで、勝者に暖かい拍手を送るのでした。

人格者、王貞治は「しばらくすると(道具類は)返ってきました。確かに暴動は良くないけど、あの頃のファンは良心的な部分も持っていましたね。あとで『カッとなって申し訳ないことをした』という気持ちになったんじゃないでしょうか」と、どこまでも寛容に振り返っています。

「あの頃のファンは良心的な部分も持っていましたね」…グラウンドに素顔を晒して怒鳴りながら巨人ベンチに襲いかかったファンは、53年後はSNSの闇から監督や選手に罵詈雑言の毒矢を放つ卑劣な暴徒と化しました。

なんというか、まあ、時代です。警備が厳しくなった現在、グラウンドに降りても相手ベンチまで辿り着くのは至難の業です。万一、ベンチに乱入して狼藉を働くと威力業務妨害罪や暴行罪、窃盗罪などの重罰を科されます。

横浜の選手にも阪神の選手にも暖かい拍手を送るファンのいる今の方が素晴らしいに決まっています。選手にとっても、王や長嶋でなければヘタなタイトルホルダーよりも上場企業の役員の方がはるかに年収が高く、MLBなど夢ですらなかった時代です。

学校でも会社でもハラスメントなんてもんじゃない暴力が横行、男尊女卑も今とは別次元。

私が少年時代を過ごしたのは、そんな時代の残滓みたいな頃で、ハラスメントもコンプライアンスもジェンダーも大谷翔平も存在しませんでした。

小学校高学年〜高校の7年あまりを生活した南大阪や阪神エリアは、暴力が当たり前にある理不尽と不条理がぐるぐる渦を巻いてる環境でした。

まー、考えられないほど無茶苦茶でしたわ。大学時代に完全滅菌室で育ったような同級生らから「嘘ついちゃダメ。日本にそんな町ないから」と言われたこともありました。

それでも、自分が10代に呼吸していた時代です。

「今とどっちが良い時代?」と聞かれたら、迷わず「今に決まってるやろ!なに言わすんじゃボケ!」とパワハラ寸前に威圧するかもしれませんが、「今とどっちが好き?」と聞かれると、答えに困りますね…。

あの頃は、なんだかんだ言っても、みんな良心的な部分も持っていましたし…あ!俺も王貞治クラスの人格者なのかもしれん!!!





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1990年代。ボクシングがメジャー競技かというと、すでに非常に微妙な時代になっていました。

辰吉丈一郎はカジュアルなスポーツファンからも注目される存在でしたが、大橋秀行や川島敦志、ピューマ渡久地、鬼塚勝也、畑中清詞、レパード玉熊らはボクシングファン限定のビッグネームにとどまっていました。

難関階級を攻略した平仲明信や竹原慎二も一般的な注目を集めるには至らず、日本のジム所属でリング誌PFPに初めて数えられたユーリ・アルバチャコフや、フリオ・せサール・チャベスの陣営が対戦を渋ったオルズベック・ナザロフはマニアが評価する存在に甘んじていました。

竹原や飯田覚士は、バラエティ番組でより多くの人に知られたボクサーです。

それでも、辰吉や畑山隆則、高橋直人らは日本タイトルマッチが注目される(地上波生中継される)最後のファイターでした。

1990年代とは、世界王者になるだけでは一般には認知されないことが当たり前になる〝終わりの始まり〟でした。

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そして、1995年に野茂英雄がMLBで活躍したことで〝終わりの終わり〟を迎えます。最高峰の舞台で戦うということは、彼らの活躍が逆輸入で報道されるということです。

野球を超えてスポーツ・イラストレイテッド誌どころか、タイム誌の表紙まで飾った野茂の姿を見て、少なくない日本人が「世界で大活躍するとはどういうことか」を具体的に知ることになりました。

具志堅用高らがハワイなどにご褒美バカンスに行っても「多くのファンに囲まれて騒然となった」という話は聞いたことがありません。

最近でも、井上尚弥が2023年のファイター・オブ・ザ・イヤーの表彰式でニューヨークを訪問、マディソン・スクエア・ガーデンの興行に姿を現したときも、ほとんどのファンは認知していませんでした。

ファンが群がったのは人気階級のエドガー・ベルランガ。「井上は世界的には全く無名」と〝連呼〟していたESPNの解説者ティモシー・ブラッドリーも「(世界的には)軽量級はコアなファンが見るものだから、ローマン・ゴンサレスも井上もみんな知らない」と伝えていました。

当然ながら、コアなボクシングマニアしか知らない井上やロマゴンがスポーツ・イラストレイテッドの表紙を飾ったことは一度もありません。ましてや、タイム誌なんて論外です。

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もちろん、1990年代以降は人気階級のスーパースターでもボクサーがタイム誌の表紙を飾るのは母国で国会議員をつとめながらラスベガスのメガファイトに登場するマニー・パッキャオや、2016年に逝去したモハメド・アリといった〝超特殊案件〟だけになります。

フロイド・メイウェザーやカネロ・アルバレスですら「ボクシングファン限定のスーパースター」なのです。

そんな〝終わりの終わり〟が深まる1990年代末の「IN OUR TIME(我らの時代)」にスポーツ推薦で野球強豪校に進みながら1年生で中退、世界チャンピオンを目指した青年が、世間的には小さな小さな輝きを放ちます。

彼は同じ1977年生まれで「シュガー・レイ・レナードの再来」と自称したメイウェザーとは対極の恐れ知らずのファイターでした。

そして、ボクシング没落の時代を敏感に察知したマネーとは違い、彼はそのファイトスタイルそのままに不器用な生き様を貫きました。

石井広三が灯した、哀しくも魅力的な光を見直します。


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いつから、ボクシングの世界チャンピオンがスポーツ界を代表する有名人ではなくなったのでしょうか?

現在、ボクシングファンの中でも飛び抜けて存在感の大きい井上尚弥でも、一般的な生活者レベルでは彼を知らない、試合を見たことがない人は少なくありません。


白井義男(フライ級:1952ー54)、ファイテング原田(フライ級:1962ー63/バンタム級:1965−1968)、海老原博幸(フライ級:1963−1964、WBA1969)、藤猛(ジュニアウエルター級:1967−1968)、沼田義明(ジュニアライト級:1967、WBC1970−1971)、小林弘(WBAジュニアライト級:1967−1971)、西城正三(WBAフェザー:1968−1971)、大場政夫(WBAフライ級:1970−1973)、柴田国明(WBCフェザー級:1970−1972/WBAジュニアライト級:1973/WBCジュニアライト級:1974−1975)、輪島功一(ジュニアミドル級:1971−1974、1975、WBA1976)、ガッツ石松(ライト級:1974−1976)…1970年代中盤までの、この11人は当時を知らなくても最も有名なスポーツ選手の1人で、対抗できるのは大相撲の横綱やプロ野球の長嶋や王くらいだったでしょう。

12人目の大熊正二、花形進、ロイヤル小林は日本を代表するスポーツ選手とはいえなかったかもしれません。


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そして、最後の国民的英雄、具志堅用高(ジュニアフライ級:1976−1981)。1980年代以降は、渡辺二郎や浜田剛史、辰吉丈一郎、亀田興毅、井上尚弥らが高い関心を集めましたが〝最初の11人〟と具志堅のようなポジションを獲得するファイターは現れていません。

井上尚弥が語った「辰吉丈一郎さんだったり、畑山隆則さんだったり、あの沸かした時代を取り戻したい」。


日本人30人目の王者・辰吉はWBCバンタム級で、暫定を含めて3期(1991−1992/1993(暫定)/1997−1998)にわたって王座に就きました。40人目の畑山はWBAジュニアライト級(1998−1999)、WBAライト級(2000)でタイトルホルダー。

ボクシングの世界戦は地上波生中継が基本でしたが「世界チャンピオンの名前はみんな知っている」という黄金時代は、とうの昔に過ぎ去っていました。


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そして、1993年生まれの井上は辰吉や畑山をリアルタイムでは覚えていないのではないでしょうか。

つまり「辰吉丈一郎さんだったり、畑山隆則さんだったり、あの沸かした時代」は、黄金時代ではありませんでしたが、24歳でボクシングを始めた井上真吾トレーナーがこのスポーツへの情熱を膨らませた時期です。

父親から「(今は亀田一家が汚してしまったが)昔は沸いていた」という話を聞き、一連の発言につながったのでしょう。

あの時代。それは私が上京して、後楽園ホールによく足を運んでいた頃でもあります。まさに、私にとってもIN OUR TIME(我らの時代)でした。

まだ、日本人が活躍する「世界」と名の付く舞台で最も身近だったのが、ボクシングのリングだった時代。

まだ、野茂英雄も中田英寿もいなかった〝世界革命前夜〟。

1990年代をまるっと飲み込んだ辰吉と畑山。

IN OUR TIMEを、思い出すままに、振り返ってゆきます。




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