Breez is Nice!

まず、最初に確認しておきたいことはBoxRecなどの「パンチスタッツは試合の実態を正確に映し出す数字ではない」ということです。

1985年に行われたレイ・マンシーニとリビングストン・ブランブルの再戦からCompuBoxが登場してから41年もの歳月が流れましたが、そのスペックはほとんど進化していません。サッカーや野球とは雲泥の差ですが、これもまた没落スポーツの悲哀です。

Landed(着弾)はクリーンヒットでなくても、ブロックされても体に当たればカウント。Thrown(手数)はそんなLanded はもちろん、空振りさせられたスイングも含めた数字になります。

さらに、Power Punches(パワーパンチ)は利き手、Jab(ジャブ)は利き手ではない前の手と明確に分けています。

オースドックスにチェンジしても、ハグラーの必殺の右フックは、あろうことかジャブにカウントされるのです。

フロイド・メイウェザーが手数では劣るもののクリーンヒットを許さず、左ジャブの煙幕を張りながらカネロ・アルバレスを空転させた3分1ラウンド。スタッツでは手数も着弾もカネロが上回っても、ゲームのコントローラーを誰が握っているのか、どちらを支持した採点にすべきかは明らかです。

また「ストレートのような強烈な左ジャブ」と表現されることのある、井上尚弥のリードも拳を返さない〝悪意〟を込めた強打は「ストレートのような」ではなく、まさしくストレートです。


ーーーシャカセツでしたが、それを踏まえて…


Sunday, 27 September 2026 - Toyota Arena Tokyo
Koto-Ku, Tokyo, Japan

commission:Japan Boxing Commission
promoter:Akihiko Honda (Teiken Promotions)
メディア:PRIME VIDEO BOXING 16

◾️WBCバンタム級12回戦◾️


まずは12ラウンド36分間トータルのパンチスタッツです。

拓真が420発中、121発着弾(そのうちボディショット25)で的中率28.8%。天心は498発中、99発着弾(ボディショット36)で的中率19.9%。

この数字からは精度の拓真、手数の天心という構図が思い浮かびますが、実際の試合にそこまでの差は認められません。

ボクシングは「各ラウンドを独立した単位で採点する」のが絶対条件ですから、トータルの数字を実際の判定と結びつけるのは無理があります。

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各ラウンドで見ても、スタッツ上で大きな差が認められるのは、拓真の第5ラウンド(手数44:着弾15=着弾率34.1%/天心 手数39発:着弾5発=12.8%)と、天心の第7ラウンド(手数65:着弾18=27.7%/拓真 手数27:着弾5=18.5%)。しかし、この数字も現実の印象から大きく乖離しているように見えます。

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各ラウンドのスタッツを見ても、オフィシャルとの妥協点を見失ってしまうような数字が並んでいます。

何度も繰り返してしまいますが、ジャッジには恐ろしく幅の広い10−9ではなく、どちらにも振れないラウンドに「10−10」を付ける勇気が求められています。

「〝基準〟となる初回を10−9とスコアするのは(その後に同じレベルかそれ以上に接近したラウンドがあると10−9を何度も付けなくてはならなくなるから)とんでもない覚悟が必要になる」と反論したジャッジもいましたが、プロのジャッジでしょう?

そんな覚悟を裏付ける審査眼を持たないでどうするのですか?


https://fushiananome.superknova.org/archives/4855436.html



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階級が上の絶対王者に、アンダードッグが挑戦する。


歴史上、最も注目されたのは1985年9月21日に「ライトヘビー級王者はヘビー級王者になれない」というジンクスを打ち破り、ラリー・ホームズの〝ロッキー・マルシアノ越え〟を阻んだマイケル・スピンクスでしょう。

現代でも、クルーザー級から巨人狩りに成功したオレクサンデル・ウシクのように、ヘビー級を攻め落とすダビデにはいつもロマンティックな香りが漂っています。

また、1974年2月9日にホセ・ナポレスがカルロス・モンソンに挑戦してから数多くの名勝負を生み出してきた「ウエルター級vsミドル級」は、この物語の定番になっています。

しかし、それは欧米の人気階級だけではなくライト(軽量)級未満のクラスでも繰り広げられてきたことを、私たちはよく知っています。



Tuesday, 17 December 1991
Prefectural Gymnasium Osaka

commission:Japan Boxing Commission
promoter:Hiroaki Tsuda (Green Tsuda Promotions)

◾️WBAジュニアフライ級12回戦◾️

©︎柳明佑 vs 井岡弘樹


日本人が現役の(1990年にリング誌でスタートしたPFP10傑に入る)PFPファイターに勝利したことは、今年5月の井上尚弥が中谷潤人に勝利した試合を除くと、わずか一つのサンプルしかありません。

1990年以前もPFPがあったなら、ファイティング原田が2試合を戦ったエデル・ジョフレは初戦なら間違いなくPFP1位、再戦では原田が1位でジョフレが2位のワンツー決戦だった可能性もありますが、当時はPFPランキングはありませんでした。

リング誌のPFPランキングにどれほどの意味があるかはさておき、PFPに数えられる外国人ファイターに勝ったとなると、井岡弘樹の柳明佑だけなのです。

柳は、日本ではいまなおファイティング原田しかいないモダンクラスでのちに殿堂入りする専門家評価が頭抜けて高いコリアンファイターです。

「井岡に勝ち目はない」。誰もがそう考えていました…。


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柳明祐は、2021年にリング誌が振り返ったジュニアフライ級の歴代PFP⬆︎でトップ5は逃すも6位評価。それでも、過小評価です。マイケル・カルバハルとウンベルト・ゴンサレスが過大評価なのは、米国のリング誌ゆえに仕方なし?

当時の韓国はボクシング黄金時代。そして柳は36戦全勝14KO、タイトルを17連続防衛中のPFPファイター。あのときの柳はアジア最高のPFPファイターでした。

そして、日本人にとっては鬼門中の鬼門。喜友名朝博、小見山カツミ、大鵬健文、徳島尚と4人の日本人の挑戦はいずれもKOで撃破されてしまいました。

柳はキャリア初のアウエーのリングでしたが、韓国人ファイターにとって日本のエースを敵地で攻め落とすことは最高の栄光。彼がリングの中でやり残したことがあるとしたら、日本に乗り込んで井岡を破壊することだけでした。  ※「当時の日本のエースを一人選べ」となると辰吉丈一郎でしたが、井岡の人気はそれに次ぐものでした。あらためて考えると、大阪に人気者が二人もいたのです。

そして、それは素晴らしいキャリアを積み上げてきた偉大な柳にとって、ローリスク・ハイリターンの美味しいご褒美に見えました。

井岡は名匠エディ・タウンゼントとの〝少年と老人〟のコンビで快進撃。19歳9ヶ月と10日でWBCストロー級のストラップを勝ち獲り、ファイティング原田の最年少記録を更新。初防衛戦で李敬淵との激闘を最終回TKOで勝利、その報を聞いてエディが息を引き取るという伝説の主人公でした。

しかし、ナパ・キャットワンチャイとの再戦で初黒星を喫して王座から陥落。このナパとの初戦では最終回に大ピンチで〝30秒前の疑惑のゴング〟が打ち鳴らされてからは、汚れた英雄のイメージが増幅していました。そして、3戦目は無残なTKO負け。

後年の亀田ほどではありませんが、ボクシングへの不信感を募らせてしまった井岡に贖罪のチャンスがあるとしたら…誰もが認める強豪と戦い、勝つことしかありませんでした。

亀田興毅は口にも出しませんでしたが、もし同時代に同じバンタム級で戦っていたノニト・ドネアを選んでいたら、その結果にかかわらず彼を評価するファンは少なくなかったはずです。もし、勝利していたら…亀田家の評価は全く違う種類のものになっていたでしょう。


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井岡は柳より5歳若い、まだ22歳ながら凡庸なナパに惨敗した終わったボクサー。井岡は、多くの人からそう考えられていたのです。

戦前のボクシング・マガジンは「井岡vs柳」ではなく「辰吉丈一郎に〝26〟の質問」というバラエティ企画を大きく取り上げていました。

大方の予想は「井岡はスピードと強いハートで終盤まで耐えるだろう」。それは、勝利はあり得ないが頑張って欲しいという悲痛な願いにしか聞こえませんでした。

とはいえ、グリーンツダジムは出来る限りのサポートをやり尽くしていました。減量苦が伝えられる王者に対して、当時定着しつつあった前日計量ではなく、当日計量を押し切ったのはその最たる成果でした。



𝓣𝓱𝓮 𝓛𝓮𝓼𝓼𝓸𝓷 𝓪𝓫𝓸𝓾𝓽 𝓽𝓱𝓮𝓲𝓻 𝓛𝓮𝓪𝓹𝓼



ーーーあのときの柳と井岡は、いまの井上とバムに小さな近似も認められます。

PFPファイターで絶対王者と見られている井上は、当時の柳にオーバーラップします。

バムは下の階級から上の階級の絶対王者を狙う挑戦者ですが、初めてアウエーのリングに上がる点では柳と同じ。

下の階級から乗り込む井岡の方が体格で柳を上回ったように、バムと井上は体格こそほとんど変わらないものの、最初にタイトルを獲ったのは井上がジュニアフライ級でバムはジュニアバンタム級。


もちろん、大きな違いは「時代」だけではありません。

いまの井上は当時の柳よりも評価が高く、バムもまた井岡とは違いPFPファイターで無敗。そして、最も乖離しているのは、予想とオッズがはるかに拮抗するということです。







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「完全Bサイドから大番狂せでAサイドを何度も撃破したからマニー・パッキャオは偉大」「カネロ・アルバレスは一度もBサイドで戦ったことがない」「まともなスポーツではスターは生まれるものだが、ボクシングでは育てられる、もっと分かりやすく言うと作られる」…。

Aサイド、Bサイド、スターシステム…現在のプロボクシングでは当たり前に目にする言葉が、当たり前に飛び交うようになったのは1987年以降の話です。

1987年4月6日に行われた1試合がAサイドとBサイド、スターシステムという言葉の意味を、一つの要素ももらすことなく、誰にでも分かりやすく説明したのでした。


Monday, 6 April 1987
Caesars Palace, Outdoor Arena
Las Vegas, Nevada, USA

promoter:Bob Arum (Top Rank)
inspector:Harold Buck
doctor:Flip Homansky

referee:Richard Steele

⬇︎⬇︎⬇︎judge⬇︎⬇︎⬇︎
Lou Filippo
Jose Juan Guerra
Dave Moretti

◾️WBCミドル級12回戦◾️

©︎マービン・ハグラー
vs
シュガー・レイ・レナード

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トミー・ハーンズとのTHE FIGHT、レナードとのTHE SUPER FIGHT。世界のボクシングの中心に屹立していたのはマーベラスでした。



昨年、4年ぶりにリング復帰を果たしたマニー・パッキャオがいきなりWBCウエルター級王者マリオ・バリオスに挑戦した暴挙に驚いたボクシングファンがどれだけいたでしょうか?

今のファンはボクシングなんて何でもありだと達観しています。そんなことには慣れっこです。

しかし、1987年当時は5年あまりのブランクから電撃復帰、ミドル級のUndisputed champion マービン・ハグラーに挑戦したシュガー・レイ・レナードへの風当たりは強烈でした。

ランキングに入っていないレナードの挑戦は、まさしくスーパースターの特権でした。

それでも、当時世界で最も稼ぐボクサーだったハグラーを向こうに回して「ファイトマネーはレナードが上になる」と言われたのも、Aサイドだから当たり前。

ところが、レナードは報酬面で大きく譲歩するのです。もちろん、「王者の方が取り分が多いのは当たり前」という分別など、レナードにあるはずがありません。

レナードがカネと引き換えに手に入れたのは…もっと分かりやすく言うとレナードが買ったものは、①12ラウンド制、②大きなリング、③固いカンバス、④緩いロープでした。

スーパースターにはどんな特権が与えられているのか?Aサイドとは何なのか?…百科事典にも載っていないことが、わかりやすく説明された試合でした。

それは、ボクシングにおいては非スポーツ的な理不尽が当たり前に罷り通るということでした。

「1対1のリンチになる」とまで予想された試合は意外なクロスゲームにもつれ込みます。決定的なラウンドはハグラーの9ラウンドだけでした。

12ラウンドの戦いが終わり、レナードが力尽きてバドワイザーのロゴがプリントされたリングにひざまづいたとき、多くのファンはレナードの勇気を讃える拍手を送りました。

それは「(負けだけど)よく頑張った」という思いが込められた拍手でしたが、オフィシャルの採点が「スプリット・デジション」とアナウンスされると騒めきに変わり、「アンド・ニュー!」のコールで勝者がレナードだと知らされるとブーイングも沸き起こります。

あれから49年。毎年4月6日には歴史の残る議論を呼ぶ判定を回想する特集記事が発表されていますが「ハグラーは判定を盗まれた」という主旨から、時代が深まるにつれ「あの判定もあり」「レナードの3−0もあり」というものに変わってきています。

もちろん、118−110としたホセ・ファン・グエラの採点は受け入れ難い者でしたが、115−113はどちらに転ぶにせよ、十分納得できるスコアでした。

来年で50周年を迎えるあの試合では、見る者に「無敵の絶対王者ハグラー」と「Aサイドの特権を利用した狡猾なレナード」という二つのバイアスが重くのしかかっていたのです。


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さて、井上尚弥vsバム・ロドリゲス。

井上はAサイドですが、レナードほどのスターパワーは持ち合わせていません。また、バムはハグラーと同じ完全Bサイドですが、ハグラーと違い母国を離れて敵地に乗り込みます。

バムがバンタム級でもう1試合挟むのかどうかはわかりません。

しかし、ハグラーvsレナードを持ち出すまでもなく、調整試合無しでいきなり一つ上の階級に乗り込んで大勝負というのは歴史的にも珍しいことではなく、さらに「過酷な減量」というボクシングに付き物の言葉からかけ離れたバムの曲芸的キャリアを見ると大きな問題には思えません。

どんな試合、どんな結果になるのか、誰にも分かりません。

確かなことは二つだけです。

バムがキャリア初のアンダードッグとなること。

そして、井上のキャリアでも最もオッズが接近した大勝負になること。











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MLBで最も有名なファンサービスの一つが、ボブルヘッド人形の配布です。

ところが、8月11日、シカゴ・ホワイトソックスの本拠地レートフィールドでは来場するファンに奇妙なものが手渡されていました。

それは、中央に白い靴下が配されたローマ教皇の司教冠を模した帽子です。



少年時代からホワイトソックスの大ファンだったことでも知られているシカゴ出身のレオ14世は、2015年のワールドシリーズ初戦(vsヒューストン・アストロズ)にセクション140・19列目・シート2で生観戦。

昨年5月に第267代ローマ教皇に就くと、レートフィールドで祝福イベントも開催されました。

3年連続101敗以上を喫して歴史的弱小球団の落ちぶれていたホワイトソックスですが、村上宗隆の加入などで今季は快進撃。大盤狂わせでワイルドカードでのPS出場を決めました。

"God bless the White Sox!"

AP通信の記者から「昨年3月にあなたはホワイトソックスの帽子をかぶって"God bless the White Sox!"(ホワイトソックスに神の御加護を!)と祈りましたが、あなたがこの〝奇蹟〟をもたらしたのか?」とジョークのきいた質問を受けたレオ14世は満面の笑みを浮かべて「それは言えない。ノーコメントだ」とジョークで返しました。

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ボクシングでは、アルゼンチンでカルロス・モンソン以来のミドル級でLineal 王者となったセルヒオ・マルチネスが当時のローマ教皇フランシスコ(アルゼンチン人)に謁見したこともありました。

さて、今日未明にホワイトソックスはクリーブランド・ガーディアンズとの地区シリーズ初戦を村神様の先制ツーランで勝利!

もし、ワールドシリーズまで制するとバチカンへの表敬訪問はもちろん、レオ14世がレートフィールドに生観戦に訪れるかもしれません?




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THE RING MAGAZINE、リング誌。

極度の販売不振から1989年に廃刊に追い込まれたマイナースポーツの零細専門誌ですが、日本ではメディアのミスリードによって「権威がある」と枕詞を添えられることも多く、それを真に受けている「(自称)長年のボクシングファン」もいる摩訶不思議な媒体です。

「リング誌のPFPは価値がある」なんて、「どっちも価値なんてないわッ!」という戯言です。

1970年代には、現代のアルファベット団体もびっくりのリング誌ランキングの不正操作スキャンダルによって、信頼は崩壊。もともと誰からも信頼されていなかったので「信頼崩壊」という表現は間違いで「不信感が限界点を突破した」とするのが正しいかもしれません。

奇妙な専門誌です。

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1989年5月号⬆︎を最後に売場から退場を余儀なくされたリング誌でしたが、1990年1月号から復刊。

「日本やアジアのボクシングファンにも読んで欲しい」と、8階級を貫いてきたランキングを15階級まで拡大しましたが、軽量級の中でも日本人が最も好き勝手できるストロー級とジュニアフライ級をカット。「わかってないなぁ」は今にも繋がる、リング誌の伝統です。

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1990年1月号からスタートした「リング誌PFP」。年間表彰に組み入れられた「BEST FIGHTER POLL(年間PFP)」(2017年に廃止)とは異なるランキングです。

第1回のPFPからライト(軽量)級未満の軽量級贔屓は一貫していました。5位にフェザー級のアントニオ・エスパラゴサ、6位にジュニアライト級のアズマー・ネルソン、8位にバンタム級のラウル・ペレス、10位にジュニアバンタム級のヒルベルト・ローマンと4人がランクイン。

さんざん悪口を書き連ねましたが、私はサウジアラビアのトゥルキ・アルラシク長官に買収されてから、かつてほどの興味を失ってはいるとはいえ、長年の愛読者です。



リング誌とは何だったのか?

崩壊するリング誌(サウジに買収された時点で死んでましたが)に公私混同の思いをぶつけながら、哀悼してゆきます。



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