Breez is Nice!

現在、世界で最も大きなボクシング市場はどの国か?

トータルの市場規模ではやはり米国でしょうが、特別な1試合の市場規模、メガファイトの盛り上がり、観客の熱狂という尺度では英国です。

米国のビッグファイトの多くがカジノリゾートのショーと抱き合わせで集客するせいもあり、メインイベントが始まるまではカジノで賭けに興じたり、コンサートやマジックショーなどを楽しみに宿泊している人も多く、前座試合の客席はガラガラなんてことも普通にあるばかりか、メインイベントでも空席が目立つなんてことも珍しくありません。

一方、英国では純粋に贔屓のボクサーを応援する熱狂的なサポーターが多く駆けつけます。お目当てのスター選手が出て来るまでにも、前座の自国選手に声援を送り、そこで面白い試合を見せようものなら、次はその選手の試合も観戦に行くーーーまさに理想的な雪だるま式発展を続けているのです。

熱狂的なファンが増え、注目度と報酬が跳ね上がることで選手層も分厚くなり、レベルも上昇。軽量級からヘビー級まで人気選手を抱える英国の盛況ぶりは、外国人のライバルを見つけるだけでなく、同国人対決も厭わない姿勢にも支えられています。

現在、英国市場で外国人ライバルの筆頭が我らがホルヘ・リナレスです。

アンソニー・クロラに明白に2連勝、それでもこの階級には無敗の対抗王者テリー・フラナガン、地元ロンドン五輪金メダリストのルーク・キャンベルがウエイティングサークルに控えています。

キャンベルは先日のジョシュア対クリチコの前座でオーバーウェイトのダーレイス・ペレスに快勝、リナレスへの挑戦権を獲得しました。リナレス包囲網が出来上がっているのです。この辺りはマニー・パッキャオを巡るメキシコ三銃士の激闘を彷彿とさせます(この4人はPFPの上位を席巻していましたからレベルはかなり違いますが)。

日本でもアメリカでも満足のいく待遇、報酬を得られなかった(本人の躓きも原因ですが)リナレスは、熱狂する大会場のメインを張り、東京やベガスよりも遥かに高待遇で英国に受け入れられました。

流浪のベネズエラ人はついに安住の地を手に入れたのです。

さて、沸騰する英国市場を「バブル」と見る向きも少なくありませんが、今回のテーマ、メキシコのボクシング熱は英国以上です。

しかもその歴史も長く、深く、もはや完全に「文化」の領域なのです。
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【メキシコのボクサーにとって近接する米国は最も身近な憧れの国です。暗愚なドナルドが本当に壁を作ったとしても、そんなもの彼らは易々と乗り越えてゆくでしょう。しかし、トランプが大統領になるなんて…】

メキシコで最も人気があるスポーツはサッカー、ボクシングは2番手ですが「フットボーラーは女子供の歓声を浴び、ボクサーは男の尊敬を集める」のです。

これは60年代までの米国におけるヘビー級とMLB選手の関係にもよく似ています。

そんなディープな歴史を抱えるメキシコボクシングのオールタイムPFP10傑を数えていきます。

もちろんですが、カネロもジュニアもこの濃厚で深遠なランキングにはお呼びではありません(ここからはリング誌2012年12月号を参考にしました)。

▲第10位=ファン・マヌエル・マルケス=このランキング唯一の現役選手です。

メキセキューショナー(メキシコ人死刑執行人)に異名をとったマニー・パッキャオからエリック・モラレスに次いで二人目の勝利を、衝撃的なKOで母国にもたらした遅咲きのヒーロー。

アントニオ・マルコ・バレラ、モラレスと同時代に若くから才能を爆発させたグレートが存在したため、月見草の印象が強かったマルケスですが、最後の最後に太陽を掴み取りました。

殿堂入り、それも一発殿堂間違い無しです。

➡︎豆知識:
パッキャオとの3戦目までは全て判定。そのジャッジ、延べ9人のスコアを合計すると1024−1017。1試合1ジャッジあたりに換算すると、0.777…、なんと1ポイントの差もない超接戦を繰り広げていたのです。

このランキングはパッキャオをKOした第4戦を前にした特集で組まれたものなので、今のマルケスのランクはもっと上になりますね。

人気はNo.1ではありませんでしたが、全盛期のナジーム・ハメドが公然と対戦を忌避するなど、同業者からはその実力が高く認められていました。


▲第9位=ビセンテ・サルディバル=ルーベン・オリバレスもフリオ・セサール・チャベスも憧れのボクサーを聞かれて真っ先にその名前を挙げるメキシコ屈指の人気者。

1964年にシュガー・ラモスから奪った世界フェザー級タイトルの8度目の防衛に成功したアステカスタジアムのリング上で引退宣言したのは、まさかの24歳のとき。

「もう十分に稼いだし、若いうちに人生を楽しみたいんだ」。

多くのファンが涙を流して英雄の引退を惜しんだと伝えられています。

しかし、莫大な貯金は2年足らずで底を尽き、リングに舞い戻るとファイティング・原田が三階級制覇を阻まれたジョニー・ファメションを判定で下してWBCフェザー級王者に返り咲き。

初防衛戦で地元ティファナに柴田国明を迎えますが、これが大番狂わせのKO負け。

日本では「ティファナの歓喜」でしたが、当地では「ティファナの悲劇」。

ミドルネームに「シバタ」と付けるメキシコ人ボクサーが何人も現れたことからも、この試合の衝撃がいかに大きかったかを物語っています。

柴田に敗北した後、カムバックを果たし、あのエデル・ジョフレが持つ世界フェザー級王座に挑みますが4ラウンドKO負け。

サルディバルにしろ、ジョフレにしろ日本人に馴染み深いファイターが高い評価を受けているのを知ると嬉しくなりますね。もちろん、一発殿堂入り。

➡︎
1960年ローマ五輪に16歳の若さで出場、1回戦で敗退しています。


■第8位=リカルド・ロペス=敗北の味を知らないまま引退した永遠の王者。

超絶のテクニシャンでありながら、一打必倒のパワーも兼ね備えていました。フィニートの異名通り、完全無欠のファイターでしたが、メキシコファンの評価は意外なほど低いんです。

これがリング誌ではなく、メキシコのメディアのランキングなら10傑に入っていないかもしれません。

ウンベルト・ゴンザレスらとの対戦を頑なに拒んで、長らくミニマム級の小さな井戸の中にこもって最高技術を研鑽した姿勢は、泥臭い激闘を好むメキシコ人の目には逃亡に見えたのかもしれません。

ウンゴンがビッグファイトのメインを何度も張った一方で、フィニートはメキシコの不人気王者がそうであるように日本でも防衛戦を重ね、挙句は女子ボクサーの前座までつとめるなど、その実力を考えると待遇面では全く恵まれませんでした。

とはいえ国際的な評価は抜群、もちろん一発殿堂です。

➡︎
スラムの喧嘩自慢の少年からボクサーへ。そんな典型的なストーリーとは違い、父親が時計職人の中流家庭で育ちました。その父親も珍しくボクシングには興味がなく、知人から「ボクシングはものすごく危険なスポーツだけど、あんたの息子のボクシングだけは安心して見てられるぞ」と聞かされ、初めて試合会場に足を運んだと言われています。


【小熊に正確なブローを叩き込むカント。距離を取っても中に入ってもとにかく上手いボクサーでした。】
■第7位=ミゲール・カント=ロペスほどではありませんが、マエストロと呼ばれたスマートなテクニシャンでした。

小熊正二からタイトルを奪ったベツリオ・ゴンザレスを下して獲得したWBCフライ級王座を14度(当時のフライ級記録)も防衛。花形進、王者奪回を狙った小熊の挑戦も退けました。

カントが15度目の防衛を阻まれた朴賛希は、1980年に小熊から改名した大熊に戒厳令下のソウルで9ラウンドKO負けしてベルトを手放します。

この戒厳令が敷かれるきっかけになったのが、前年に世界を震撼させた朴正熙大統領(朴槿恵の父親ですね)暗殺事件でした。

➡︎
カントが師事したヘスス・リベロは後にオスカー・デラホーヤも指導。リベロがコーナーについた3試合(父チャベス第二戦、ミゲール・アンヘル・ゴンザレス/東京三太、パーネル・ウィテカー)は全勝、ゴールデンボーイの防御技術を格段に引き上げたと言われています。


♦第6位=エリック・モラレス=メキシコボクシング史に残るものすごい人気者です。

とにかく好戦的な強打者なのに鋼鉄のアゴを持っていました。高度な防御技術を持っているにもかかわらず、真正面からの打撃戦を厭わない生粋のファイター。

メキシコファンの理想を具現化したのがエル・テリブルです。

21歳の若さで同胞のテクニシャン、ダニエル・サラゴサを粉砕してWBC世界ジュニアフェザー級王者に登り詰めると、あとはもうスーパースターの道をまっしぐら。

全盛期を過ぎてからも「自殺行為」と言われたジュニアウェルター級随一の強打者マルコス・マイダナ戦では、あろうことか打撃戦に応じて互角に渡り合いました。

正式な引退宣言はしていないため、殿堂入りの資格がいつ発生するか不明ですが、一発殿堂確実です。

パッキャオ、バレラとラバーマッチまでもつれたトリオロジーを展開、世界中のボクシングファンも魅了しました。特に、覚醒直後のパックマンの猛攻を12ラウンドに渡って捌ききったパッキャオとの第1戦はメキシコファンの心を鷲掴みにしました。

➡︎二人の弟もプロボクサー。ディエゴは元WBO世界ジュニアバンタム級王者。イヴァンは元バンタム級の世界ランカー。


♦第5位=マルコ・アントニオ・バレラ=有り余る才能を打撃戦に特化したモラレスに対して、バレラは自らの才能を、若い頃は強打者、年齢を重ねてからは変幻自在のベテランに昇華させました。

ケネディ・マッキニーを挑戦者に迎えたWBO世界ジュニアフェザー級戦は、HBOのボクシング番組「 BOXING AFTER DARK」の初回メインイベントに起用され、その後も当時無敗のナジーム・ハメドに完勝するなど、ヒスパニック時代の象徴的なファイターでした。

一発殿堂で今年、カナストータの祭典に参列します。

ハメドに勝利を収めてからもエンリケ・サンチェス、モラレス、ジョニー・タピア、ケビン・ケリーと錚々たる相手から白星を重ねた実績が評価されて、ゴールデンボーイプロモーションと超大型契約を締結、その初っ端に「ボーナス」として用意されたのがパッキャオでした(今から考えると全然ボーナスなんかじゃない…)。

世紀の番狂わせで惨敗したこの試合は、GBPと大型契約を結んだボクサーは直後に負けるというジンクス「ゴールデンボーイの呪い」の始まりとなってしまいます(リナレスもこの呪いの犠牲者ですね)。

➡︎アマチュア時代は56勝4敗の好成績で、5つの国内タイトルを獲得しましたがこの60試合は15歳、日本なら中学生でプロ転向するまでに積み重ねられたものです。


♦第4位=カルロス・サラテ=「KOモンスター」「KOアーティスト」、強打を表現する大袈裟な表現が大安売りの昨今ですが、サラテこそは正真正銘の本物です。

生涯戦績66勝4敗、66勝のうち63がKO。

対戦相手もバンタムからジュニアフェザーの強豪がずらりと居並ぶ中での数字です。

アルフォンソ・サモラとの全勝全KO対決、今なおメキシコ対プエルトリコ、宿命のライバルのシンボリックなビッグファイト、ウィルフレド・ゴメス戦、議論を呼ぶ判定で王座を失ったルペ・ピントール戦…軽量級へのリスペクトが強い日本のファンにとっては伝説を通り越して神話の登場人物です。

もちろん一発殿堂。

軽量級にもかかわらず高額報酬が約束されたサラテは、日本に呼べない大物でした。

というか、あんな化け物、呼びません。自分のジムの有望な若手とは絶対に戦わせたくありませんから。

➡︎サラテの息子もライト級の有望株で、7割以上のKO率を誇っていましたが、父親が父親だけに「全然、パンチないじゃないか」と非難される始末。

父親のKO率と比べられるとゴロフキンやワイルダーでも色褪せてしまいます。


★★第3位=サルバドール・サンチェス=個人的に最も好きなファイターの一人です。

1980年、軽量級ながら米国で人気のダニー〝リトルレッド〟ロペスをTKOしてWBC世界フェザー級のベルトを腰に巻きました。

この時、サンチェスは弱冠20歳。メキシコ人好みの打ち合い上等の頑健な若きハードパンチャーは、あっという間にスターダムに駆け上がりました。

このタイトルはルーベン・カスティージョ、ファン・ラポルテ、若き日のアズマー・ネルソンら強豪相手に9連続防衛しましたが、出色は2階級制覇を狙ってフェザー級に上げて来たウィルフレド・ゴメスとのメガファイトです。

どんなに心拍数を上げても40秒もあれば平静時まで回復するという恐るべき心肺機能を持ったサンチェスにとって、1分間のインタバルは十分すぎる休息でした。

常にフレッシュな状態でラウンドを飛び出して、消耗・疲弊した相手を思う存分叩きのめしたのです。

ゴメス戦は1981年8月21日〝ベガスの心臓〟シーザースパレス。

メキシコからシーザースパレスに詰めかけたファンの目には、母国の英雄サラテを打ち砕いたゴメスの強打が焼き付いています。

シーザースパレスのオッズは6−5でゴメス有利。

大観衆が心配そうに見守る中で、第1ラウンドのゴングが打ち鳴らされます。

開始わずか40秒後にサンチェス得意の左フックでゴメスがダウン!ニュートラルコーナーに下がって、冷静にゴメスのダメージを測るメキシコ人の冷たい目、風格は到底22歳には見えません。

迎えた8ラウンド、サンチェスの残酷なコンビネーションにゴメスが前のめりに崩れ落ちたとき、メキシコの宿願であったリベンジがあっさり完遂されたのです。

この1ヶ月後にやはりシーザースパレスでボクシング史上最高傑作と賞賛されるレナード対ハーンズの第1戦が行われましたが、その年のリング誌・最高選手賞はサンチェスとレナードが分け合います。

当たり前ですが、そのことに異を唱えるファンは誰一人いませんでした。

翌年、のちに2階級制覇するガーナの〝プロフェッサー〟アズマー・ネルソンを14ラウンドで撃ち落とします。

試合後の会見で23歳の若者は「次はラポルテとの再戦(10度目の防衛戦)の予定だが、そのあとは(ジュニアライトを飛び越して)一気にライト級に上げる。評価の高いニカラグア人をぶっ倒す」。サンチェス対アレクシス・アルゲリョ…世界中のボクシングファンがよだれを流して喜ぶようなカードです。

しかし、ファンの夢はネルソン戦からわずか22日後に潰えてしまいます。

その悲報を聞いた世界中のボクシングファンが同じ言葉を発したでしょう。「嘘だろ!何かの間違いだろ?」。

もちろん一発殿堂入りしましたが、栄誉ある式典に本人が参加することは叶いませんでした。

あれから、純白のポルシェ928を見かけたことはありませんが、ポルシェが走るのを見るたびに、今でも感傷に浸ってしまいます。


★☆第2位=ルーベン・オリバレス=引退から四半世紀以上が経つというのにメキシコはもちろん、ロスアンゼルスのヒスパニックの多い通りでは彼は道をまっすぐに歩けないと言われています。

なぜそこまで人気があるのか?

簡単な話です、試合が面白いからです。デビューからの61試合を60勝1分で進撃した小さな巨人は、その後のビッグファイトにいつも勝利を収めたわけではありません。

しかし、彼のチケットを買った人には極上のスペクタクルが約束されていたのです。

金沢和良との死闘は有名です。

私が初めて見たのはYouTubeでしたが、精魂尽き果ててダウンした金沢が必死に立ち上がり「このやろー!!」と絶叫する有名なシーン。

あれをリアルタイムで観ることが出来た幸運な人の感動がいかほどだったか、PC画面からでも容易に想像出来ます。

➡︎怪物の来日に日本列島も大騒ぎで、オリバレスがいく先々でサインを求めるファンが大行列を作ったというエピソードからは、ボクシング全盛期の熱気が伝わってきます。

昨年、原宿にパッキャオジムをオープンする告知のために来日したパックマンが銀座のブランド店をハシゴして爆買いしてるところに遭遇しました。

メディアクルーがカメラを回しているのに気づいた通行人からは「あれ誰?誰なの?」「アメリカのプロボクサーだって」「有名人?」そんな声が聞こえました。パッキャオの知名度ってどの程度なんでしょうね。
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【カネロも人気だけならオリバレスにも引けは取らないかもしれませんが…】

☆☆☆第1位=フリオ・セサール・チャベス=好戦的で鉄のアゴを持つ男。

どんな強打者相手でも打撃戦に応じて、打ち勝って見せたアステカの〝JCスーパースター〟。

メキシコ人がオーダーメイドで作ったかのような、メキシカンスタイルの権化です。

何よりも規律を重んじ、過酷で単調な練習を黙々とこなし、絶え間なく試合を重ね、強豪をことごとく撃破しました。

父親と比べると何もしていないに等しいジュニアの人気ぶり、親の七光りの眩しさを見れば、チャベスがどれほどの存在であったか容易に想像できるでしょう。

…それにしても、ジュニアには父親の血は一滴も受け継がれなかったのでしょうか?

同胞との覇権争い、カマチョやロサリオらプエルトリコとのライバル対決だけでなく、ロジャー・メイウェザーやグレグ・ホーゲン、メルドリック・テーラーら米国人のビッグネームも撃ち落とし、PFP1位に長らく君臨したことでも母国の評価はまさに「JC≒Jesus Christ SuperStar」神の領域です。

➡︎豆知識:フランキー・ランドールに敗れるまで90連勝無敗。

数字に意味はありません、弱い相手と戦っていればいくらでも勝てますから。しかし、チャベスの場合は数え切れないほどの強豪とも戦ってるのに90連勝無敗です!

ところが、驚異的なレコードの初期に実は1敗しているのです。

1981年のミゲル・ルイス戦。1ラウンド終了のゴング後に放ったチャベスのパンチでルイスが昏倒、反則負けを宣告されます。

翌日、この記録は訂正、覆されますが、それまでの半日間、チャベスのキャリアには黒星が確かに付いていたのです。
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1988年11月7日、シーザースパレスのテニスコートと駐車場に特設された屋外スタジアムは1万3246人の観客で埋まっていました。

この夜のリングにはWBCの世界タイトルマッチが3試合(4試合?)も用意されていました。一つ目はヒルベルト・ローマンが元王者シュガー・ベビー・ロハスを返り討ちにしたジュニアバンタム級。

もう一つはロジャー・メイウェザーがビニー・パチエンザからダウンを奪って大差判定勝ちを収めたジュニアウェルター級。

ローマンは渡辺二郎から奪った第一次政権ではなく、第二次政権の3度目の防衛戦で、過去2度は内田好之と畑中清詞を子供扱いして王座を守りました。
ロジャーは浜田剛史からベルトを強奪したレネ・アルレドンドに圧勝したタイトルの4度目の防衛戦。

余談ですが、この夜のローマンの報酬は16万ドル(約1900万円)、ロハスは1万7000ドル(約210万円)。ローマンが日本人相手と同等の報酬を手にすることが出来たのは、このメガファイトの前座だからです。

同じ階級では、先日のゲンナディ・ゴロフキン対ダニエル・ジェイコブスの前座を務めたカルロス・クアドラスは10万ドル、ローマン・ゴンザレスはキャリアハイの55万ドルを稼ぎましたが、軽量級ではPFP1位でも55万ドル、約6200万円しか稼げないのが現実です。

ローマンの普段の報酬は10万ドルにも届かなかったにもかかわらず畑中、渡辺、内田と戦った日本のリングではいずれも2000〜2500万円を手にしました。

ロマゴンが日本人だったら、ファイトマネー1億円は間違いなく突破して、もっとリスペクトされていたでしょう。

ちなみに渡辺二郎の報酬はキャリア晩年で5000万円〜6500万円でした。軽量級の外国人選手が日本人と戦いたがるのは、今も昔も同じです。

もちろん、ローマンと同じメキシコ人でも人気が桁違いのウンベルト・ゴンザレスや、ソウル五輪で銀メダルを獲得した米国のマイケル・カルバハルは軽量級でも例外中の例外で「日本で戦いたい」とは思いもしない報酬を手にしていましたが、それでもこの二人が直接激突してやっと100万ドルというレベルでした。


【レナードの1試合で2階級タイトルマッチ。統括団体が存在せず拝金主義の承認団体がいくつも跋扈するボクシングの世界では汚辱にまみれた醜悪な試合がいくつもありましたが、その中でも最も腐臭を放つ試合の一つに数えられています。】

話を戻します。

このイベントで3つ目の世界戦、いいえ、正確には3つ目と4つ目が1試合でステイクされた奇天烈なリングに現れたのはWBCライトヘビー級王者、ドニー・ラロンデ。

彼の報酬はなんとライトヘビー級で当時史上最高となる500万ドル(約6億円)。

そしてスター選手によるキャッチウェイトの悪習を根付かせた悪の権化は最低保障で1500万ドル(約18億円)、最終的には2000万ドル近い大金を手に入れました。

金髪と端正なマスクを持つ、絵に描いたようなスタイリッシュな白人、ラロンデは重量級きっての人気者でした。

しかし、この夜だけは圧倒的なBサイド。175ポンドのライトヘビー級の世界戦にもかかわらず、契約体重は168ポンド、なんと7ポンドもの減量を強いられ、万一体重オーバーしたら1ポンド当たり100万ドルのペナルティまで課せられました。

168ポンドはスーパーミドル級リミットですから、ライトヘビーのタイトルを賭けること自体が正気の沙汰ではありません。だからというわけではないでしょうが、あろうことかこの試合にはスーパーミドル級のタイトルまでステイクされるのです。

これぞゲスの極みです。

スーパースターなら何をやってもいいのか?シュガー・レイ・レナードなら何をやっても許されるのか?

過酷な減量で骨と肉を削り衰弱したラロンデでしたが、悪魔たちが仕組んだ、どんなに理不尽な試合だとしても、勝てば人生が変わることをよく理解していました。

金髪の美青年は、母国カナダでは国技アイスホッケーの大試合でゲストに呼ばれるなどすでにヒーロー、アメリカでもそのルックスと豪快な試合から人気上昇中でした。


それでも今夜このリングで戦う相手は「ずっと、ずっと憧れていた存在。階級が違うから同じリングに上がれるなんて夢にも思わなかった」という図抜けたスーパースター、この男に勝てばボクサーとして何もかもが手に入るのです。

…もっというと、たとえ負けても30分あまりの試合で500万ドルが手に入るのです。

ラロンデの武器はゴールデンボンバー!と呼ばれた右ストレート。


この強力な大砲は破壊力だけでなく、精度も高く、全階級通じても最強の右との評価を得ていました。
一方で、少年時代にホッケー選手を断念するきっかけになった大怪我で太い針金が入ったままの左肩の影響から「ラロンデの左は流れるし、弱い」と、左のパンチは公認の欠点でした。

メガファイトをいくつも勝ち抜いてきたレナード相手に、まともな左リード無しで勝てるわけがありません。

ましてや不条理な減量を強いられ、干からびて衰弱した肉体です。


賢明なトレーナー、ケン・ホーソンはこの試合が好漢ラロンデにとって人生最大の大勝負であることを理解していました。


左肩の動きを滑らかにするためにいくつもの診療所を訪ね、独学でマッサージまで研究・習得し、壊れていた左に生命を吹き込みました。

さらに普段はヘビー級と行うこともあったスパーリングでも、ウェルター級の選手を呼び寄せ、スピード対策を徹底。

レナード相手の特化バージョンのラロンデを作り上げました。

初回、慎重にサークリングするレナードをラロンデは左ジャブを突いて追いかけます。

「こんなに速くて伸びる左を打てたのか!」余裕綽々でリングに上がったレナードの目に驚きの色が見えます。

しかし、不器用なカナダ人が一夜漬けで磨いた左ジャブよりも、はるかに上質なジャブを数え切れないほど見てきたレナードです。

「予想以上だが、ハーンズのジャブと比べたら豆鉄砲だ」。

早くも4ラウンドには金髪の美青年が繰り出す左ジャブを見切ると、攻勢に出ます。

しかし、一世一代の大勝負に挑んでいるラロンデが、傲慢なスターが見せた一瞬の油断を見逃すわけがありません。

ラロンデの左ジャブを意識したレナードの防御に、ほんの一瞬とはいえゴールデンボンバーを放つ軌道がはっきり開通したのです。

レナードの側頭部に、全階級通じて最強と称えられた右ストレートが打ち込まれました。


腰から崩れ落ちるレナード!

ネバダ砂漠に組み上げられた巨大な特設スタジアムが大番狂わせの予感に大揺れに揺れます。

この試合までにレナードがダウンしたのは、気まぐれでカムバックしたケビン・ハワード戦の一度だけ。

多くの専門家が「レナードに当たるわけがない」と断言していた右の大砲がついに炸裂したのです。

正義は必ず勝つ!

その期待が大きく膨らみます。

しかし、レナードはリング上で崖っぷちを切り抜けることに関しては史上屈指の天才です。

試合後のラロンデが「立ち上がってからのレナードの強さは信じられないくらいだった。倒れてから強くなるなんて、倒さない方が良かったかもしれない」と笑って呆れるほどでした。

ホーソンによって生命を吹き込まれた左はレナードを十分に幻惑し、乾坤一擲の右ストレートも炸裂させることが出来ました。

ホーソンとラロンデは不可能と思われたゲームプランを見事に完遂したのです。

それなのに、レナードはまだ目の前に立っていました。

ラロンデの武器を全て解析したレナードは恐るべきフェイントを駆使して、波状攻撃を仕掛けてきます。

スピード自慢のウェルター級のパートナーと練習を重ねてきたラロンデでしたが「スピード対策はやれるだけやったつもりだったが、次元が違った。パンチの出所が見えなかった」と八方塞がり。

【万策尽き果て、玉砕戦法の末に撃ち落とされた好漢ラロンデ。3分近くも上体を起こすことが出来ないほど深いダメージを負いました。】

それでも9ラウンド、ラロンデはフェイントに引っかかって鋭い連打を浴びても怯まず前進、力づくでレナードをロープに押し込み、右の大砲を連射します。

玉砕する覚悟でした。あわよくば刺し違えようと。

しかし…。

ロープ際の攻防においてもまた、レナードは史上屈指の天才です。

手品のように体を入れ替えると、そこからなんと20連発のコンビネーションをつないで、最後は渾身の左フックを打ち込みました。

墜落するような痛烈なダウンから、必死に立ち上がったラロンデでしたが、レナードがその天才性を最も発揮するのが詰め、フィニッシュです。

真面目一途に生きてきた金髪の青年には、レナードが繰り出す詰め将棋のパンチの嵐から逃れられる術はありませんでした。

ラロンデの巨体が再びキャンバスに落ちた瞬間に、主審はノーカウントで試合終了を告げました。

試合を裁いたのはストップが早いことで有名なリチャード・スティールでしたが、この夜は誰が主審でもカウントを取らずに試合を止めた、それほど強烈なダウンでした。

常識を逸脱した減量を強いられた上に、悲惨な敗北を喫したラロンデでしたがキャリアハイの報酬を得て、そして何よりもその名前をカナダ以外の世界中のボクシングファンに知らしめました。

もし、あの夜、レナードと戦うことがなかったら、30年以上も経った今でもドニー・ラロンデの名前を鮮烈に覚えている人なんていません。

熱心なボクシングファンでも、ラロンデを知る人が何人いたでしょうか?



カナダの田舎町で生まれたラロンデは幼い頃に両親が離婚、母の再婚相手の義父は体重100キロの大男で酷い家庭内暴力を受け続けました。

「あの時の恐怖に比べたらレナードなんてちっとも怖くないさ」と笑う表情が大きな共感を集めたのも、試合を煽るドキュメンタリー番組が制作されたからです。

引退後、児童虐待防止運動の活動に情熱を注ぐラロンデには多くの募金と支援の手が差し伸べられましたが、それも世界中に生中継されたこのメガファイトを勇敢に戦ったことと無関係ではないでしょう。

悪魔が仕組んだキャッチウェイトで二つの世界タイトルが1試合で賭けられたあの夜の出来事は、今でも厳しい非難を浴び続けています。

ボクシングの世界は芯から腐っています。健全なスポーツなら、あんな試合は無効です。

ボクシングでは多くの場合、ドーピングが判明しても試合結果が変わらないことまであります。まさに狂気の沙汰です。

レナードはあの夜を境に完全にヒールに転落しました。その意味で、レナードは勝者ではありません。


つまり、あの試合には勝者は存在しなかったのです。

卑劣なレナードが勝者であるわけがなく、骨と肉を削って弱った好青年を悪魔がメッタ打ちにする、そんな筋書き通りの残酷なショーを見せられたファンも敗者でした。


1988年11月7日、シーザースパレス特設リング。あの日のリングには勝者はいないはずでした…。

しかし、今なおチャリティー活動などでドニー・ラロンデの姿が報道されるのを目にするたびに、あの夜、確かな勝者がいたことを、強烈に思い知らされています。

ボクシング史上最も下劣な夜に、清々しい勝者が一人だけいたのです。


そうです。ドニー・ラロンデです。
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いよいよあと5日に迫ったカネロ・アルバレス対フリオ・セサール・チャベスJr.のメガファイト。

先日のアンソニー・ジョシュア対ウラジミール・クリチコには IBFとWBAの世界ヘビー級王座が賭けられた他、殿堂入り確実の元絶対王者と明日を担う若き才能の激突、などなど見逃せない要素がふんだんに盛り込まれていました。

一方で、カネロ対ジュニア。こちらはタイトルは何一つかかっておりません。
164.5ポンドというミドル級(160ポンド)でもスーパーミドル級(168ポンド)でもない、ナンセンスなキャッチウェイトで行われるからタイトルなんて賭けようがないのです。

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【カネロが唯一Bサイドに回った試合、メイウェザー戦でキャッチウェイトを突きつけらた時には「卑怯者の要求を飲んでやる」とカッコ良かったのですが、自らがAサイドになるや155ポンドのカネロ級を〝創設〟ミドル級では5ポンドも軽いカネロ級でしか戦ったことがありません。】

というか、ベストのカネロ級(155ポンド)以上で戦ったことがないカネロと、今やライトヘビー級(175ポンド)が適正のジュニア。

カネロにとっては重すぎる、ジュニアにとっては軽すぎる164.5ポンドは、両者ともにベストな状態が作れないウェイトであることは明らかです。
それでも、無理矢理でもなんでもいいから、とにかく人気者の二人を戦わせたい!という商業主義と色物主義を露骨に優先して成立したメガファイトです。

いやー、お下劣です!This is BOXINGです。

もちろん、世界王者、階級が乱造されている現在ではタイトルの意味は小さく、主要4団体といえどもアルファベットタイトルと揶揄されてしまう有様です。


拝金主義の承認団体が40〜50万円で売りつけるベルトは多宝塔みたいなもので、そんなものいくら買い漁っても今のボクシング界では大きな意味はありません。
高山勝成はローマン・ゴンザレスと12ラウンド36分間戦い抜いた素晴らしいボクサーですが、「4団体のベルトを集めたい」という動機には全く共感することはできません。

ベルトには、無名選手の箔付けの意味はあっても、カネロやジュニアのような名前だけで十分にテレビやスポンサーの支援を得られて、チケットも売れるボクサーにとって承認団体は、いつも媚びた目でまとわりついてくる薄汚い野良猫みたいなものでしょう。

90年代にはこの傾向は決定的になり、タイトルよりも誰が戦うのかが、興行的に最も重視されるようになりました。


ベルト売りの承認団体の権威が失墜するのは悪いことではありませんが、世界的な統括団体が存在しないから、今度は人気選手が好き放題やり始めます。
自分が勝てそうな相手を選ぶ、自分に有利な場所とスケジュールを組むのはまだいい方で、挙句は階級を無視して自分の最適ウェイトで相手をリングに上がらせることが日常茶飯事になります。

承認団体が水増し階級をいたずらに創設して王者はもちろん、階級の意味、価値までも貶めてきたことに人気選手が便乗したという醜い構図です。

カネロとジュニアはもちろん、オスカー・デラホーヤやフロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオ、ミゲール・コットらもスーパースターにだけ許された、スポーツの根幹である公平性を歪める、この悪魔の特権をためらうことなく利用してきました。

パッキャオ戦でキャッチウェイトを要求されたコットは「おかしな体重でタイトルをかけるわけにはいかない」と当初、タイトルマッチとすることを拒否しましたが、自分がAサイドの立場になるとアントニオ・マルガリートにもセルヒオ・マルチネスにも当たり前のようにキャッチウェイトを突きつけました。

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【時代が違うからといえばそれまでですが、偉大な父チャベスはキャッチウェイトを振り回すようなことはしませんでしたが、パックマンは悪魔のカードを回数券のように使いました。】

90年代以降にスター選手がパワハラ的に使うようになったキャッチウェイトですが、カルロス・サラテ対アルフォンソ・サモラ(1977年)もそうだったように過去のビッグファイトにも散見できます。

しかし、この不公平が大手を振って歩き始めたのは、1988年11月7日、スポーツの根幹を無視したキャッチウェイトであっても、世間が受け入れてしまうことを、ある男が証明したからです。

この時を境に、スーパースターになれば「何をしても良い」という免罪符が公然とばら撒かれることになるのです。

男が作ったビクトリー・プロモーションには、HBOが1000万ドル(当時の為替レートで約12億円)、会場のシーザースパレスから招致フィーとして750万ドル(約9億円)、世界各国のTV局から放映権として200万ドル(約2億4000万円)、ビール会社のクアーズから100万ドル(1億2000万円)が供出され、さらに最も大きな収益を生むクローズドサーキットの売り上げも独占しました。

タイトルを賭けなかったサラテ対サモラの時代は、まだ倫理観が残されていました(今ならWBCが世界スーパーバンタム級のダイアモンドベルトを用意してるでしょうが)。

メイウェザーやパッキャオもキャッチウェイトを行使しても一つのタイトルを賭けてましたから、まだ常識か良心のかけらはありました。

ところが、この男は倫理道徳も社会常識も、そんなものは一切持ち合わせていなかったのです。

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ウエルター級のカネロは1階級上げてスーパーウエルターへ進出した時には、チャベスは1階級上のミドル級へ。さらにジュニアがスーパーミドルも超えて最高172ポンド1/2まで体重を上げ、カネロがマックス155ポンドにとどまった時点では「マルチネスに負けてミドル級を離れてライトヘビー級で戦うジュニアを見た時にカネロとの決戦は消滅した」(ゴールデンボーイプロモーション=GBP=エリック・ゴメス)と誰もが思いました。

しかし、昨年12月にジュニアがドミニク・ブリッジと167.9ポンドで戦った時、運命の歯車は再び動き始めました。

両者には積年の因縁に加えて、戦う理由を新たに抱えていました。

カネロにとっては世界中からせっ突かれているゲンナディ・ゴロフキンとの決戦の前に、自分より大きな相手と戦うテストマッチとして。ジュニアはここ数年で失墜した評価をたった1試合で取り返すことの出来る贖罪として。

試合としては155ポンドが適正のカネロと、怠惰な自己管理の末に160ポンド(ミドル級)から逃亡したジュニアが、164.5ポンドのキャッチウェイトで戦います。カネロにとってはベストから約10ポンドも重い契約ですが「スーパーウエルター最強」のカネロと、「落ちこぼれのライトヘビー」のジュニアという両者の現在位置から歩み寄った妥協の産物です。

メキシコの人気を二分してきたスター同士の激突とはいえ、今回のリングではカネロがAサイド、ジュニアはBサイドに回ります。カネロにとって、ゴロフキン戦へのテストマッチの相手がジュニアしかいないわけではありません。もちろん、テストマッチとは試合の位置付けだけで、興行としてはゴロフキン戦よりもはるかに巨大になるという矛盾をはらんでいますが。


【ゴロフキンとの決戦を控えるカネロにとっても、転落人生を一気に浮上させるチャンスを得たジュニアにとっても、絶対に負けられない戦いになります。】

一方のジュニアは昨年9月に「もしアル・ヘイモンが名誉回復のビッグファイトを用意できないのなら引退する」と語るほどまで追い詰められていました。

現在の立場を反映してカネロの報酬が最低保障約500万ドルに対して、ジュニアは300万ドル。宿命のライバルの力関係はリング外でも大きく開いてしまいました。それでも、この試合に勝てば全てを取り戻すことが出来るのです。ゴロフキンをマネジメントするトム・ロフラーは「カネロが勝てば、9月に向けて交渉は最終段階に入る。負けてもカネロとの試合を優先的に考えるが、その時はチャベスも選択肢に入ってくる」と語っています。

先月のダニエル・ジェイコブス戦で大型選手への対応力に疑問符が付いただけでなく、2度目のPPVの売り上げも17万世帯と低迷(最初のPPVは2015年のデビッド・レミュー戦で15万3000世帯。対戦相手の知名度は上がったにもかかわらず売り上げの伸びは微々たるものでした)、米国人でもメキシカンでもプエルトリカンでもないゴロフキンの商品価値(人気)はこの辺りが限界と見られていることからも、チャベスはAサイドでリングに上がることができるでしょう。

マルチネスに敗れて以来、迷走を重ねてきたジュニアが今回、164.5ポンドを作ることが出来るのか?おそらく無理でしょう。というか、確信犯的に2ポンド前後を上積みしてくるのではないでしょうか。ファン・マヌエル・マルケス戦でフロイド・メイウェザーがあざとくキャッチウェイトをオーバーして罰金を払ったように。1ポンドオーバーにつき100万ドルの罰金が契約で定められていますが、この試合の意味を考えると大金を払う価値は十分にあります。

普通のスポーツなら、こんな〝法の抜け道〟みたいなことは本来、絶対に言っちゃいけないんですが、これはボクシングです。統括団体すら存在しない、ありえないスポーツ(そもそもこれはスポーツなのか?)です。魑魅魍魎が跋扈する、清濁併せ呑むなんて生ぬるい、濁々併せ呑む世界なのです。

チャベスのコンディショニングトレーナー、ミモ・エレディアも「ジュニアの減量は順調。彼は『減量に問題があると思っている奴らがいるようだが、大間違いだ』と言ってるよ。まさにその通り」と爽やかに語っていますが、意図的に契約体重に収めない可能性は否定出来ません。

メキシコの伝説、チャベスSr.も「これは息子のキャリアで最も重要な試合だ。他の誰に負けようが構わないが、カネロだけには絶対に負けてはいけないんだ。調整は信じられないくらいに順調だ。間違いなくキャリア最高の状態でリングに上がることが出来る」。確かに、心を入れ替えたジュニアがこの試合に強烈なモチベーションで臨んでいることは容易に想像できます。

このメキシカン同士の決戦は、サラテ対サモラ、バレラ対モラレス、バスケス対ラファエル・マルケスのような真の最強を決めるビッグファイトではありません。無理やり仕組んだ試合自体が持つ意味は大きくないのです。しかし、興行規模は過去のどんな偉大な試合も上回ることは確実です。

かつてチャベスSr.はグレグ・ホーゲン戦でアステカスタジアムを13万人の大観衆でフルハウスにしましたが、今回の対決もアステカの巨大な観客席でも一席残らず埋めることが出来たでしょう。T-モバイルアリーナに落ち着いたのは、ラスベガスのカジノマネーにテレビ放映、興行収入を優先してのことです。

大方の予想通りにカネロが勝てば、ゴロフキン戦へ駒を進めることことなりますが、ジュニアが健闘した場合、無傷でリングを降りることは難しいでしょう。そうなると、4ヶ月のスパンしかない9月のゴロフキン戦の雲行きが怪しくなります。

カネロ対ジュニア、このキャッチウェイトのノンタイトル戦の結果はもちろん、試合内容によっては、GBPが描いたミドル級戦線のシナリオを崩す最初のドミノになるかもしれません。

7月8日にはWBO王者のビリー・ジョー・サンダースがアブタンディル・クルティゼと防衛戦を行い、それに先立つ5月20日には村田諒太がアッサン・エンダムとWBA王座を賭けて拳を交えます。

村田にとってエンダムは厳しい相手でしょうが、快勝するようならミドル級の最前線に名乗りをあげることになります。もし日本のファンにとって最高の結果になれば、村田がトップランクの駒ということも重要な意味を持ちますね。極めて近い将来にメガファイトのリングに上がっても不思議ではない状況が出来上がります。

中量級のビッグファイトにアジア人が絡むなんて、パッキャオ以外では考えられなかったというのに。しかも日本人が!来月の有明コロシアムでは、スカッとした最高の五月晴れを是が非でも拝みたいものです!

けっぱれー!村田!

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メガファイトが立て続きます。

今度はカネロ・アルバレス対フリオ・セサール・チャベスJr.。舞台はラスベガスの新たな聖地、T-モバイルアリーナ。

164.5ポンドのキャッチウエイトで行われる12回戦で、タイトルこそかかっていませんが、二人は目に見えない大きなものを賭けて戦います。

アルバレスが勝てば、すでに水面下で進んでいる9月予定の待望のゲンナディ・ゴロフキンとの一戦の詰めの交渉が開始されます。そして、チャベスが番狂わせを起こせばエンスト状態で地に落ちた評価をひっくり返すことが出来ます。

この二人はの対決は、絶対に避けることの出来ないまさしく運命の激突でした。

本物のボクシング大国メキシコでは近隣階級に人気選手を二人抱えるようなことは、絶対に許しません。歴史的にも「どちらが強いのか」を必ず決めてきました。今の日本では山中慎介、井上尚弥、井岡一翔が近隣階級で人気を集めていますが、陣営はもちろん、なぜかファンも彼らの激突を希求しません。最も盛り上がるカードであることは誰もが分かっていても「日本人の世界王者が星を潰し合うことはない」という心理が働いているのでしょう。もちろん、負けた方はその輝きを一気に失いますが、勝った方は相手の輝きまで根こそぎ奪ってさらに大きな星になれるのです。


【A NATURAL RIVARY〜 CANERO ALVAREZ AND JULIO CESAR CHAVEZ JR. WERE DESTINED TO FIGHT ONE ANOTHER FROM THE BEGINNING〜 リング誌5月号】

さて、カネロとチャベスです。カネロが最初にチャベス戦を公言したのは2009年8月、今から8年も前の夏のことです。WBCウエルター級のユース王座決定戦でマラト・クゼエフを2ラウンドKOで屠った勝利インタビューでした。熱狂的なファンが詰めかけた超満員のリングで、前月に18歳になったばかりの少年は、メキシコ最大のスーパースターの血を受け継ぐチャベスJr.との対戦を強烈にアピールしたのです。

「チャベスと戦う準備は出来た。チャベスの階級(当時154ポンド=ジュニアミドル級)でやってやる。私より強いという人もいるようだから彼をテストしてやるよ」。

二人の立場は、いつでも非常によく似たものでした。ボクシング熱が最も高い国で、狂信的なファンを持つスーパースター候補である一方で「カネロは温室栽培のアイドル」、「ジュニアは過保護な親の七光り」という批判も常に付いて回っていました。そして二人ともに「もし勝っていたら世界中のボクシングファンが認める」という大試合(ジュニアはセルヒオ・マルチネス、カネロはフロイド・メイウエザー戦)を落としてしまいます。

また、時期は微妙にずれるものの、ゲンナディ・ゴロフキンとの対戦交渉を進めながら頓挫、二人ともファンからは「ゴロフキンから逃げた」と非難されました。

ゴロフキンとの交渉がもつれる以外はカネロはスーパースターの道を驀進します。マルチネスに勝ったミゲール・コットとの人気スター対決を制して2階級制覇。この時奪ったWBCのベルトは返上しましたが、今なおリング誌公認の世界ミドル級王者です。「カネロ級(155ポンドのキャッチウエイト)」と揶揄されながら、一度もミドル級の正規リミットで戦うことなく、ベスト体重と思われるジュニアミドルに戻りましたが、この階級では強豪をことごとくうち破り、マネー引退の今、文句無しの最強です。

片やジュニアはマルチネスに敗れたあたりから迷走します。薬物検査で大麻の陽性反応が出て9ヶ月の出場停止処分を食らったり、試合に向けて体重管理が出来ない怠慢も重なります。挙げ句の果てには約1年のブランクを作って臨んだアンドリュー・フォンフォラ戦ではキャリア初のダウンを奪われる劣勢の中、最後は試合を投げてしまいます。その後も、だらしない体重管理は改められず、二線級の相手と塩気の多い試合をこなしてきました。

英国ウィリアムヒルのオッズはカネロ勝利は1.15倍、ジュニアは5.5倍と開いています。体格差は大きいものの、ここ数年の二人の充実度は対照的で、それが反映された数字です。

カネロ有利は否めませんが、試合は簡単には終わりそうにありません。

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