Breez is Nice!

「記録は破られるためにある」。その通りです。

打ち立てられた新記録は、次の記録を生み出す強烈な動機付けとなり、理想的な素晴らしい新陳代謝が繰り返されます。

その一方で、アンタッチャブル、長い間書き換えられることのない、他の追随を許さない記録も確かに存在します。アンタッチャブルの記録には、大きく分けて①実際に文句無しの偉大な記録、②特異な環境・事情で生み出された記録、③競技レベルの低迷・低下によって更新されずに残る記録、の3種類があります。

「①実際に文句無しの偉大な記録」というのは現実にはほとんどありません。2009年ベルリン世界陸上でウサイン・ボルトが叩き出した100m9秒58は、そんな稀有な例の一つです。

女子100mの世界記録は1988年に10秒49で走り抜けたフローレンス・ジョイナーで、こちらも歴代2位以下に圧倒的な差をつけて30年以上も破られていないアンタッチャブルですが、この記録は「②特異な環境・事情で生み出された記録」で語るべきかもしれません。

そして「②得意な環境・事情で生み出された記録」にはいろいろなケースが考えられますが、①とは全く性格が違うものです。1968年メキシコ五輪の走り幅跳びで金メダルに輝いたボブ・ビーモンが跳んだ8m90㎝は、当時の世界記録を何と55㎝も更新、今なお世界歴代2位にランクされていますが「文句無しの偉大な記録」とは認められていません。公認限界の2mの追い風に乗ったこと、そして何より標高2400mと空気の薄い抵抗の低いピッチを走り跳んだからです。

1988年ソウル五輪でベン・ジョンソンが記録した9秒79は驚異的なタイムと、ライバルのカール・ルイスをまったく寄せ付けなかったことで世界に大きな衝撃を与えましたがドーピングで失格。ジョンソンの記録は抹消されましたが、検査をすり抜けて今も公認されている「悪魔の世界記録」があるかもしれないという疑惑の霧は晴れていません。旧東ドイツ選手や、中国の馬軍団の記録はドーピングによるものと多くの人が考えていますが、今から血液検査を行うわけにもいきません。

悪魔の記録もまた、特異な環境・事情から生み出された忌まわしい数字です。

そして3つ目が「競技レベルの低迷・低下によって更新されずに残る記録」です。プロスポーツはもちろん、アマチュアスポーツでも商業化が一気に進み、人気スポーツとそうでないスポーツの格差は大きく広がっています。前述のビーモンの8m90は、1991年東京世界陸上でマイク・パウエルによって更新されましたが、その後四半世紀以上も更新されていません。パウエルの記録は平地で出した大記録ですが、偉大な記録だからアンタッチャブルとは言い切れないでしょう。ソ連崩壊で社会主義国が総崩れになったことでも、スポーツにおける商業主義は加速、陸上競技という枠組の中でも人気のある100mなどトラック種目と、人気の無いフィールド種目の差は広がり、競技レベルの低迷を招いてしまっています。

【伊東浩司が1998年に10秒00で走り9秒台のドアノブに手をかけましたが、その扉は20年が経とうとする現在も開くことが出来ていません。「最強ランナーの法則」より】

さて、本題です。

日本では陸上競技はメジャースポーツとは言い切れませんが、100mやマラソンに限れば、野球やサッカーと比較しなければ十分注目されたスポーツです。

ところが、この恵まれた環境にあるはずの男子100mとマラソンで、15年以上も日本記録が更新されていないのです。

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4月8日に左大腿二頭筋の肉離れを起こして戦線離脱した大谷翔平が昨日、屋外トレーニングを再開しました。外野ポール間をゆっくり三往復するウォーキングだけでしたが、アメリカメディアも「日本の人間国宝」と評価する才能の復帰が待たれます。

大谷とMLBの交渉はどうなっているのか?何チームが接触しているのか?

日本では非常にデリケートな問題として大きく扱われることはありませんが、この日本メディアの対応は極めて正しいと思います。正式に決定するまでは、外野があることないこと騒ぐことにメリットはありません。日本スポーツ界の夢が最高の形でMLBに迎えられる環境をしっかり守るのは当然です。

この稀有な才能が太平洋を超える時期は、おそらく来季。すでに日本ハムは昨年12月、大谷が希望する時期でのポスティング移籍を容認しています。


【スポーツイラステレイテッド最新号でも大谷翔平を6ページにわたって大特集。「二刀流が来る!三振奪取率はクレイトン・カーショーを凌ぎ、本塁打率はマイク・トラウトを上回る。日本のベーブ・ルースはMLBでも二刀流を貫くつもりだ。〜22歳の大谷翔平が来年米国に上陸する。もしチームが「それ」を許せば、1919年に15試合に先発し29本塁打を放ったベーブ・ルース以来100年振りの二刀流選手となる。」】

米国CBSが4月9日に放送した大谷のドキュメンタリー番組の中で、本人も「協定によっていくらもらえるとか、もらえなくなるとかは気にしていない」と語り、3年待つつもりがないこと、それより早い段階でのメジャー挑戦の意思を示しています。

「協定」とはMLBが新たに制定した労使協定のことで「25歳未満でプロリーグ所属6年未満の外国選手が大リーグに移籍する場合は、上限が575万ドル(約6億円)のマイナー契約しか結べない」とするものです。

もし来年からMLBとなれば大谷はこの上限で契約するのは必至ですが、上限といっても田中将大がヤンキースと結んだ7年契約・総額1億5500万ドル(約161億円)と比較すると、わずか6億円、たったの6億円です。

ビジネスライクに考えれば、ビッグチームが札束合戦を繰り広げて田中以上の条件が約束されるとき、つまり25歳になる2019年オフまで待つべきでしょう。しかし、野望に燃えた22歳の侍には3年も待つことなど出来ません。

彼にとってはカネなどどうでも良いことなのです。いいえ、もしかしたら、栄光や名誉すらもどうでも良い他人の評価なのかもしれません。

新労使協定は「マイナー契約しか結べない」のですが、1年後にメジャー契約に更新されるのは間違いありません。そこで大型契約を結べばいいのです。もちろん所属チームは決まった段階ですから、競合による「札束合戦」は期待できませんから、純粋な実力だけで評価されるわけです。

さて、その実力は?大谷はMLBで通用するのでしょうか?

野茂英雄がMLBの扉を開いてから、100人以上の日本人選手がその後を追いかけています。NPBで傑出した成績を残したスター選手も数多く本場に挑戦しましたが、NPB時代と同レベルで活躍できたプレイヤーはほとんどいません。

それどころか日本では最高級の評価を得ていた松井稼頭央や西岡剛の守備が「高校生以下」と酷評される世界です。

日本のスター選手はスタメンを約束されたメジャー契約で海を渡ることも珍しくありません。これを潔しとしなかった中村紀洋はマイナーからの這い上がりに挑戦しますが、マイナーで打率2割4分9厘、22個のエラーというチームワースト記録を残した以外は何一つもできずに日本に逃げ帰ってきました。

MLBで成績を残せなかったどころかマイナー選手でもNPBで1年目からタイトルを獲ることは全く珍しくありませんが、逆のケース、日本の控えやましてや2軍選手がMLBでタイトルを獲るなんて考えられませんから(MLBで主要タイトルを獲ったのはイチローの首位打者2度だけ)、太平洋に隔てられた2つのリーグには大きなレベル差が存在します。

NPBで飛び抜けた超一流の中でも特に適応力に優れた一部の選手が、何とかかんとか、やっとこさで一流に近い成績を残すことが出来るのがMLBです。

では、大谷でもMLBの舞台ではスケールダウンを余儀なくされるのでしょうか?

そうはなりません。それどころか試合数が多い分、日本時代よりも勝利数や本塁打数は伸びるかもしれません。

一昨年のプレミア12での韓国戦。大谷のこれまでのキャリアハイのピッチングでした。

そして昨年11月13日、WBC強化試合で東京ドームの天井に突き刺した驚異の〝160m〟弾。

プレミア12で投げた脅威の軌跡でキャッチーミットに吸い込まれたボールと、天井が無ければ160mは飛んでいたと言われるボール。

まさにこの二つのボールこそが、大谷がMLBで間違いなく通用する証人です。

日本のボールよりも大きく、重く、縫い目も高い、ツルツルのボールです。

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4月29日ウエンブリースタジアム、IBF世界ヘビー級タイトルマッチ。アンソニー・ジョシュア(英国)対ウラジミール・クリチコ(ウクライナ)。いよいよその日が迫ってきました。

IBFの赤いベルトに加えて、タイソン・ヒューリーが空け渡したWBAの黒いベルトも、この試合でステイクされます。

18戦全勝全KOのジョシュアが、21世紀を支配し続けてきたクリチコに引導を渡すのか。その先にはデオンティ・ワイルダー(米国)とのヘビー級最強決定戦も見えています。

今回は実際の試合だけでなく、ボクシング興行の中心が米国から英国に移譲されるかもしれないという意味でも注目されています。

将来、歴史を振り返ったとき、このイベントがまさにそのターニングポイントにになっているかもしれないというのです。

遥か遠い昔、昔。19世紀のボクシングは英国が本場でした。その覇権が100年以上の時を経て母国に戻る…長らく米国と日本、メキシコが大きな興行が打てるボクシング3大国でしたが、ここ数年で英国が日本を上回る市場に急成長、それどころか「今や2番目ではない」、つまりアメリカも抜いたと見る専門家まで現れています。

確かに軽量級からヘビー級まで満遍なく世界王者、スター選手をちりばめていること、人気サッカークラブの重要な試合かと思うような熱気溢れる観客席を見ると、すでにこの国がボクシングの中心なのかもしれません。


【英国沸騰ー英国はもはや2番目のボクシング大国ではない リング誌2017年5月号より】

ジョシュア対クリチコ戦も巨大サッカースタジアムに用意された9万席の前売り券があっという間に完売。確かに今のアメリカではこんな規模の興行は打てません。超大興行で拳を交える二人が米国人でもメキシコ人でもプエルトリコ人でもないことに多少の違和感はありますが、今やこれが現実なのです。試合はアメリカでもSHOWTIMEが生中継するものの、視聴者の少ない夕方から寂しく放送されることになります。

ボクシングに限らずアメリカが主導権を握るビッグスポーツが海外で開催される場合、アメリカのゴールデンタイムに合わせるのが常ですが、今回は違うんです。

イニシアティブは米国ではなく英国、興行はマッチルームスポーツとクリチコ・マネジメント・グループが仕切り、トップランクもゴールデンボーイプロモーションも出る幕はありません。

SHOWTIMEに加えて、ライバルのHBOも当日夜に録画放送するので、レノックス・ルイス対マイク・タイソン(2002年)、フロイド・メイウエザー対マニー・パッキャオ(2015年)に続く史上3番目の〝事件〟ですが、ジョシュアもクリチコも米国での人気は低く、しかもゴールデン生放送でないためPPVには乗りません。一方、英国ではスカイ・ボックス・オフィスがPPVを販売します。アメリカにとっては、過去の2つの大戦とは色彩も温度も全く違うイベントになってしまうのです。

ジョシュアがクリチコを鮮烈に沈めるようなことがあれば、ヘビー級を頂点に軽量級までスター選手をフルラインで揃える英国の覇権は決定的になるでしょう。

期待されるワイルダーとの決戦も、ラスベガスやニューヨークの豊富な資金を持つ会場ですら英国の勢いには太刀打ちできない可能性もあります。

ミドル級の村田諒太も当初のターゲットは英国のビリー・ジョー・サンダースでした。しかし、電通とフジテレビがタッグを組んで準備したジャパンマネーを持ってしてもこの試合を日本のリングに引っ張り込むことが出来ませんでした。

それにしても、アメリカのヘビー級王者が招致合戦に敗れて、敵地(英国)で戦う…そんな時代が来るかもしれないなんて!

英国の繁栄と対照的にアメリカ国内でのボクシングの地位は下がる一方です。アメリカ史上最大のスポーツヒーロー(社会的にも巨大な影響力を及ぼしたモハメド・アリは除く)はベーブ・ルースでしょうが、ルースが活躍した1920年代のスポーツ選手人気番付はジャック・デンプシーが圧倒的に1位なんです。アメリカにとってボクシングのヘビー級王者は他のスポーツとは一線を画す、とにかく別格の扱いでした。


【1928年1月27日:アイオワ州のモイネス・レジスター新聞が全米で募った人気投票の結果を発表。67万1525票でデンプシーがダントツ1位。ベーブ・ルースの得票はデンプシーの半分にも満たず2位。3位にもボクサーのジーン・タニーがランクイン。今ではこんなことは考えられません。】

日本が本場の軽量級でもフェザー級のカール・フランプトンを呼ぶのはまず無理ですし、山中慎介が熱望する統一戦も対立王者がジェイミー・マクドネル、リー・ハスキンスという英国人であることも交渉のイニシアティブが取れない理由の一つでしょう。

個人的にはローマン・ゴンザレス陥落で失意の井上尚弥に、WBA王者のカリド・ヤファイとの無敗対決や、マクドネル、ハスキンスとの3階級制覇をかけた一戦に敵地英国へ乗り込んで欲しいですね。Bサイドの不利な条件でも彼の実力なら快挙達成出来るはずです。その舞台がジョシュア対ワイルダーのセミファイナル、9万人の大観衆で埋まったウエンブリーだったら最高ですね。

巨大スタジアムのど真ん中に特設されたリングに注がれる9万人の視線。カクテル光線が幾重にも照射される、その煌びやかなリングまで続く長い長い花道を、容赦のない大ブーイングを浴びながらゆっくり歩を進める井上尚弥…。

見てみたいですねー。そんな試合が決まったら、会社休んで絶対ロンドン行きます。

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大迫傑(25=ナイキ・オレゴンプロジェクト)が、ボストン・マラソンで2時間10分28秒の3位に入りました。

ボストンで日本人が表彰台に上がったのは87年に優勝した瀬古利彦以来、丁度30年ぶり。箱根駅伝のスター選手がマラソンで文句無しの〝一発回答〟を出したのは本当に久しぶりです。瀬古と同じ早稲田大学競走部出身のスピードランナー、日本のマラソン界で主流のスピード信者に取っても大迫は希望の星です。

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【1978年福岡国際マラソンでその名を日本中に知らしめた瀬古利彦はボストンとの相性も抜群でした。1979年(2位:2時間10分12秒)、1981年(優勝:2時間9分26秒=大会新記録)、1987年(優勝:2時間11分50秒)。大迫もボストンの優勝者にその名を刻んで欲しいものです。】

箱根駅伝への風当たりが強くなっている昨今、ほっと胸をなでおろしている関係者もいるかもしれません。童顔のスピードランナーは大学時代から箱根の先を見越し、日本の実業団を飛び出した〝異端者〟ではありますが。

ボストンマラソンはベルリンやシカゴなど記録を狙える平坦なコースを用意した新興大会ではなく、今回で121回を数える世界屈指の歴史を誇ります。そして、伝統のコースと開催日を頑固に守る大会であるがゆえに、記録を狙うランナーにとって過酷な環境が揃っています。

今回の記録、2時間10分28秒は世界のトップとはお世辞にも言えない時計です。凋落著しい、日本のレベルで見ても平凡なタイムですが、ボストンの特殊事情を考えなければなりません。

①まず、この大会には先導と風除けの役目をしてくれるペースメーカーが存在しません。25キロまでレースが動かないなんて予定調和がありません。ヨーイドンの瞬間からライバルたちとの抜け目のない戦い、駆け引きが始まるのです。

大迫は序盤からしっかり勝負に参加しました。「2時間12分くらいが目標」と語っていたことから、速い展開にならなかったのは幸運だったとも言えますが、初マラソンです。マラソンファンが大迫にリトマス紙を突き付けたように、大迫にとってもボストンは乾坤一擲の大勝負の舞台ではなく、テストマッチであったはずです。

「世界で戦えるのか?」を問うたリトマス紙は、レース後、はっきりと「YES」の色に変わりました。

②そして、ボストンマラソンが開催される「愛国者の日」、4月第三月曜日は、マラソンに適した気候になるとは限りません。今回もコース上は最高25度近くまで気温が上がったと言われています。20度を超えると、マラソンを走るパフォーマンスは、どんなに暑さに強いランナーでも大きく落ち込みます。

この気温ですからペースが上がらないのは仕方がないところでした。高速コースでエチオピアやケニア勢と互角に渡り合えるかというのは最終試験としても、東京五輪を見据えた場合、暑さへの耐性が証明されたことの意味は決して小さくありません。

③さらに、ボストンではマラソン最大の難所である30キロ過ぎからニュートンヒルの4つの坂がランナーを待ち受けているのです。ダメージが蓄積され、消耗しきったランナーが最後に挑む4つ目の坂こそが、あまりにも有名な「心臓破りの丘」です。

この30キロから35キロを15分30秒、35キロから40キロを15分07秒のスプリットを刻んで駆け上がったことは充分評価していいでしょう。同じスピードランナーの瀬古のような切れ味を見せることはできませんでしたが、初マラソンということを考慮すれば本人の言葉を待つまでもなく「マラソン適性はある」と認めて良いスプリットです。

オレゴンで大迫を指導するピート・ジュリアンも「マラソンで五輪に挑戦できることが今日はっきりとわかった。次は勝ちたい」とコメントしています。そうです、今度は勝つところ、記録も出して勝つところを是非見たいですね。やっぱり勝負事です、3位は負けなんです。大迫も時間が経って悔しさがこみ上げてきているはずです。

さあ、大迫がどこまでタイムを縮めることが出来るのか、非常に気になるところですが、今日は贔屓の引き倒しで、大迫にとって都合の良い「持久係数」をモノサシにしてその将来を予測してみます。

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【川内優輝の持久係数を大迫に当てはめると2時間02分02秒で走る潜在能力があることになりますが…1万メートルの世界記録はケネニサ・ベケレの26分17秒、ベケレに川内係数をはめ込むとマラソンを1時間56分で走っちゃうんです…困りますね】

マラソンのタイムを1万メートルのタイムで割った持久係数を見ると、4.72の大迫が大きなポテンシャルを秘めていることは一目瞭然です。

1万メートルの自己記録のペースでマラソンを走りきった時(そんなこと不可能ですが)の「持久係数4.2195」に近づけば近づくほど、肉体的限界点も近いということです。1万メートルの持ちタイムから、マラソンのタイムやどこまで記録が伸ばせるかを予測する一つの目安です。

反逆の公務員ランナー、川内優輝の持久係数が衝撃的です。4.42というのは、ほとんど限界点でしょう。自分をギリギリまで追い込むことが出来る、強靭な肉体と精神を持ち合わせているということの証明です。

この4.42 を大迫に単純に当てはめると、2時間02分02秒で走ることが出来ることになります。あくまで目安、机上の計算ですが、さらにスピードを磨けばそのゴールの時計はもっと速くなります。

もちろん、大迫と川内のマラソン潜在力は前者の方が大きいことは間違いないでしょうが、これを1万メートルで考えると川内の潜在力の方が大きいのも容易に想像できます。

大迫はもっと速くマラソンを走れるだろうし、それと同じように川内はもっと1万メートルが速いはずなんです。

持久係数は個人の特性も大きく、一種のまやかしですが、それでも久しぶりに次のレースが楽しみなマラソンランナーが現れてくれました。

12月の福岡国際には、2月の丸亀国際ハーフで大迫を振り切った神野大地もマラソンデビューします。

箱根で燃え尽きない、箱根をジャンピングボードにして世界に羽ばたくランナーがどんどん出てきてくれることを熱く熱く、期待しています!

けっぱれーー!
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PFPを決める7つ目の基準は「(いつの)誰に勝ったのか」です。

無敗時代のマイク・タイソンやウンベルト・ゴンサレスに勝ったバスター・ダグラスやローランド・パスクワは確かに難攻不落に思えた怪物を沈めましたが、次戦でKO負けを喫するなど不安定なキャリアからPFPの議論に乗ることはありません。

誰が考えても強い相手に勝って、なおかつその金星がフロックでなかったことを次戦以降で証明していかなければならないのです。

「誰が考えても強い相手」というのは結構難しい定義ですが、まず承認団体が一つしかなかった時代、階級も少なかった時代の正真正銘の世界王者は目安の一つです。

いわゆる1団体時代の世界王者に勝利してベルトを奪った日本人は白井義男(1952年フライ級)、ファイティング原田(1962年フライ級/1965年バンタム級)、海老原博幸(1963年フライ級)、沼田義明(1967年ジュニアライト級)、小林弘(1967年ジュニアライト級)、藤猛(1967年ジュニアウエルター級)の6人だけ、最後の完全統一王者(Undisputed Champion)はジュニアミドル級の輪島功一(1971年/1975年)で、日本では43年近くもUndisputed Championが産まれていません。

WBAからWBCが完全分離した1968年以降は、「1団体王者」は誕生することが出来ない構造になってしまったわけですから〝ポスト1968〟のボクサーを「一つの階級に何人もの王者がひしめく時代に粗製乱造された量産型王者の一人に過ぎない」と断じてしまうのは不公平です。

そうはいっても1団体時代、8階級時代の世界王者の価値が現在とは雲泥の差であることは否定しがたい事実です。また、時代背景とはいえ世界王者の注目度も、比較してしまうと今の王者たちがかわいそうになるくらいの大きな差がありました。


【ファイティング原田〜1団体時代に二階級制覇しただけでもとんでもない偉業なのですが…1965年5月18日愛知県体育館、そんな偉業ですら霞んでしまうほど大きな仕事をやってのけました】

「誰が考えても強い相手」を決める指標として「1団体時代」は明白でわかりやすいのですが、不公平です。時代を超えた指標としては「 International Boxing Hall of Fame:国際ボクシング名誉の殿堂」入りしたボクサーが最もわかりやすいモノサシになります。

殿堂は米国に偏ったボクシング記者の投票によって決まる恣意的なものなので「サラゴサ現象」(ダニエル・サラゴサやアーツロ・ガッティのような日本人からは到底納得できないボクサーも殿堂入りしてしまう)も、時には起きてしまいますが、多くの場合は納得できるボクサーが選ばれています。

そして殿堂入りした文字どおり〝神〟に勝って世界王者になった日本人は原田(エデル・ジョフレ)、沼田(フラッシュ・エロルデ)、柴田国明(ビセンテ・サルディバル)、井岡弘樹(柳明佑)、平仲明信(エドウィン・ロサリオ)、この5人だけです。

原田は1団体時代にフライ(初防衛戦に失敗)、バンタム(4度防衛)で二階級制覇した上で、リング誌がアリを差し置いて1960年代PFP1位にランクしたジョフレを下しました。

もちろん、原田自身も殿堂入り(それも事実上の一発殿堂=資格発生即殿堂入り)選手。最も名誉のあるモダン部門の殿堂入りは、日本人では今なお原田1人だけです。

前述のように殿堂には納得できない部分もありますが、ボクシングの世界で最も権威がある規格と言って差し支えないでしょう。そのHPで原田は「10階級しかなかった時代に、史上初のフライ、バンタムの二階級制覇を達成」「フェザー級のジョニー・ファメション戦は地元オーストラリアのファンが原田の勝ちだと言うほどの酷い地元判定で3階級制覇を不当に阻まれた」「間違いなく日本史上最高のボクサー」と紹介されています。

殿堂の意見をなぞるのは気持ちのいいものではありませんが、原田が日本歴代PFP1位であることには誰も異論を挟めないのではないでしょうか。


【エデル・ジョフレ。この男に勝ったことが原田の評価を決定的にしました。原田に負けた後、サーカスで異種格闘技戦を見せて南米を巡ってブランクを作りましたが、その後復帰、世界フェザー級王者になります。そんな空白を経て王者返り咲きなんてどれほど強いんでしょうか。そのジョフレが生涯負けたのは、ヘビー級のキックボクサーとも戦ったサーカスの異種格闘技戦を含めても原田に喫した2敗だけだったのです。】

では2位以下は?

個人的には白井を2位に推します。8階級時代に1団体王者になった価値は、10階級時代の原田以上です。白井が王座を失ってから8年間も世界王者が誕生しなかったことからも、当時の世界がどれほどレベルが高かったのかを見せつけてくれています。そのタイトルを4度も防衛しているのです。

3位はサルディバルを撃破した柴田です。1団体時代が終焉を迎えた直後と言っていい1970年に当時のPFPで5位にランクされていた超強豪サルディバルからタイトルを奪った白星は、原田のジョフレ戦に次ぐ日本の偉大な勝利です。しかも階級難易度が高いフェザー級ですからポイント高いですね。

4位は沼田。1団体時代に殿堂選手を破って世界王者になっているのですから、合わせ技一本です。別の機会に日本人PFPを考えたら、沼田のランキングは10傑は間違いなしですが、結構上下しそうです。

5位はガッツ石松。ライト級という堂々の難関階級で5度も防衛しとことは特筆ものです。あのケン・ブキャナンに勝った3度目の防衛戦は英国、アメリカにも大きな衝撃を与えました。引退、芸能界入りしてからのキャラから過小評価されがちですが、歴代PFPの俎上に乗せないわけにはいかないタレントです。

6位は渡辺二郎。事実上の統一王者で、底を見せないままリングを去りました。具志堅用高、長谷川穂積、内山高志、山中慎介、井岡一翔が世界戦で10勝以上を積み重ねていますが、彼らと比較しても渡辺の12連勝の価値の方が上でしょう。

7位は海老原博幸。10階級1団体時代に2度も世界王者になりましたが、いずれも初防衛戦で失敗。とはいえポーン・キングピッチを初回で葬ったカミソリパンチは今見ても、ものすごい切れ味です。

8位は永遠のチャンピオン、大場政夫。タイトルを獲得した1970年は2団体時代とはいえ、分裂直後、強い挑戦者を相手に熱狂的な試合を繰り広げました。ボクシング人気に陰りが見えた時代に咲いた逆転の大輪でした。

9位は藤猛。1団体時代とはいえ人気階級に挟まれた日陰のジュニアウエルター級でしたが、2度防衛。劣勢をひっくり返す一発の魅力は日本史上最強でしょう。ボクシングへのモチベーションが無くなる中でも、興業の都合からリングを去ることができず、最後は惨めな敗北を喫してしまったのは残念でした。

10位は川島郭志。ジュニアバンタム級で6度防衛というのは今では平凡な数字かもしれませんが、内容が安定していました。別の機会にPFPを考えたらランク外になってるかもしれません。

具志堅用高も長谷川穂積も井上尚弥もランク外のとんでもないPFPですが、心外な方も多いでしょうけど、笑って受け止めて下さい。

以上、独断と偏見のPFP10傑でした。
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