いよいよあと5日に迫ったカネロ・アルバレス対フリオ・セサール・チャベスJr.のメガファイト。

先日のアンソニー・ジョシュア対ウラジミール・クリチコには IBFとWBAの世界ヘビー級王座が賭けられた他、殿堂入り確実の元絶対王者と明日を担う若き才能の激突、などなど見逃せない要素がふんだんに盛り込まれていました。

一方で、カネロ対ジュニア。こちらはタイトルは何一つかかっておりません。
164.5ポンドというミドル級(160ポンド)でもスーパーミドル級(168ポンド)でもない、ナンセンスなキャッチウェイトで行われるからタイトルなんて賭けようがないのです。

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【カネロが唯一Bサイドに回った試合、メイウェザー戦でキャッチウェイトを突きつけらた時には「卑怯者の要求を飲んでやる」とカッコ良かったのですが、自らがAサイドになるや155ポンドのカネロ級を〝創設〟ミドル級では5ポンドも軽いカネロ級でしか戦ったことがありません。】

というか、ベストのカネロ級(155ポンド)以上で戦ったことがないカネロと、今やライトヘビー級(175ポンド)が適正のジュニア。

カネロにとっては重すぎる、ジュニアにとっては軽すぎる164.5ポンドは、両者ともにベストな状態が作れないウェイトであることは明らかです。
それでも、無理矢理でもなんでもいいから、とにかく人気者の二人を戦わせたい!という商業主義と色物主義を露骨に優先して成立したメガファイトです。

いやー、お下劣です!This is BOXINGです。

もちろん、世界王者、階級が乱造されている現在ではタイトルの意味は小さく、主要4団体といえどもアルファベットタイトルと揶揄されてしまう有様です。


拝金主義の承認団体が40〜50万円で売りつけるベルトは多宝塔みたいなもので、そんなものいくら買い漁っても今のボクシング界では大きな意味はありません。
高山勝成はローマン・ゴンザレスと12ラウンド36分間戦い抜いた素晴らしいボクサーですが、「4団体のベルトを集めたい」という動機には全く共感することはできません。

ベルトには、無名選手の箔付けの意味はあっても、カネロやジュニアのような名前だけで十分にテレビやスポンサーの支援を得られて、チケットも売れるボクサーにとって承認団体は、いつも媚びた目でまとわりついてくる薄汚い野良猫みたいなものでしょう。

90年代にはこの傾向は決定的になり、タイトルよりも誰が戦うのかが、興行的に最も重視されるようになりました。


ベルト売りの承認団体の権威が失墜するのは悪いことではありませんが、世界的な統括団体が存在しないから、今度は人気選手が好き放題やり始めます。
自分が勝てそうな相手を選ぶ、自分に有利な場所とスケジュールを組むのはまだいい方で、挙句は階級を無視して自分の最適ウェイトで相手をリングに上がらせることが日常茶飯事になります。

承認団体が水増し階級をいたずらに創設して王者はもちろん、階級の意味、価値までも貶めてきたことに人気選手が便乗したという醜い構図です。

カネロとジュニアはもちろん、オスカー・デラホーヤやフロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオ、ミゲール・コットらもスーパースターにだけ許された、スポーツの根幹である公平性を歪める、この悪魔の特権をためらうことなく利用してきました。

パッキャオ戦でキャッチウェイトを要求されたコットは「おかしな体重でタイトルをかけるわけにはいかない」と当初、タイトルマッチとすることを拒否しましたが、自分がAサイドの立場になるとアントニオ・マルガリートにもセルヒオ・マルチネスにも当たり前のようにキャッチウェイトを突きつけました。

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【時代が違うからといえばそれまでですが、偉大な父チャベスはキャッチウェイトを振り回すようなことはしませんでしたが、パックマンは悪魔のカードを回数券のように使いました。】

90年代以降にスター選手がパワハラ的に使うようになったキャッチウェイトですが、カルロス・サラテ対アルフォンソ・サモラ(1977年)もそうだったように過去のビッグファイトにも散見できます。

しかし、この不公平が大手を振って歩き始めたのは、1988年11月7日、スポーツの根幹を無視したキャッチウェイトであっても、世間が受け入れてしまうことを、ある男が証明したからです。

この時を境に、スーパースターになれば「何をしても良い」という免罪符が公然とばら撒かれることになるのです。

男が作ったビクトリー・プロモーションには、HBOが1000万ドル(当時の為替レートで約12億円)、会場のシーザースパレスから招致フィーとして750万ドル(約9億円)、世界各国のTV局から放映権として200万ドル(約2億4000万円)、ビール会社のクアーズから100万ドル(1億2000万円)が供出され、さらに最も大きな収益を生むクローズドサーキットの売り上げも独占しました。

タイトルを賭けなかったサラテ対サモラの時代は、まだ倫理観が残されていました(今ならWBCが世界スーパーバンタム級のダイアモンドベルトを用意してるでしょうが)。

メイウェザーやパッキャオもキャッチウェイトを行使しても一つのタイトルを賭けてましたから、まだ常識か良心のかけらはありました。

ところが、この男は倫理道徳も社会常識も、そんなものは一切持ち合わせていなかったのです。