カテゴリ: シネマパラダイス

オスカー・デラホーヤ、フロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオ…彼らがボブ・アラムと決別したのはファイトマネーの20%前後も搾取されていたことに我慢できなかったからでした。

ファイトマネーは通常、15%がプロモーター(日本ならジム)、15%がトレーナー、3%前後がコミッションへの認定料、アルファベット団体のタイトルマッチなら3%が認定団体に割譲され、税金を差し引くとボクサーの手元には半分程度しか残りません…。



ナジーム・ハメドは12歳(本人の主張なら11歳)のとき、ブレンダン・イングルとトレーナー兼マネージャーの契約にサインしました。

その内容はハメドが一定のファイトマネーを稼ぐスター選手になったとき、その収入の25%をイングルが受け取るというもの。

トレーナーとマネージャーを兼ねる役割に25%。この割合が多いのか少ないのかは、誰にもわかりません。

少年はスター選手になるだけでなく、スター選手になるまでの時間で大人になります。

そのとき「25%」の意味が、4000万ポンド稼ぐと1000万ポンドを差し出す契約であることに気づきました。

映画の前段でこの契約シーンが映し出され、そのあとの約1時間30分は1人の男と1人の少年が2人で力を合わせて世界王者を目指し、少年が1人の男になる頃にはその関係が醜く破綻している惨状を目の当たりにします。

かつて献身的で従順だった少年は傲慢で利己的になり、彼が成長したのは自分が手ほどきしたからだと信じている男にとって、彼が軽蔑してくるのを我慢することは到底できませんでした。

ナジーム・ハメドがリングの王子様になりえたのは、シェフィールドの境界を改造したユニークなウィンコバンクジムでイングルの薫陶を受けたからでしたが、ハメドの独創的なスタイルはハメドが編み出したものだったことも事実でした。

ムスリムのハメドが「この成功はアッラーの贈り物」と、神に感謝しているのもイングルの神経を逆撫でします。

そして、ハメドは彼の業績をさも自分が作り上げたように勘違いするばかりか、法外なマネジメント料を抜き取るイングルが許せませんでした。

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シェフィールドで道を踏み外しそうになっているストリートチルドレンをウィンコバンクジムに招き、正しい生き方と規律を教えていたイングルが金銭目的で若い才能に食指を伸ばしていたというのは、俄かに信じがたいものの、どんな人間も一面だけで語ることはできません。

キャリアが軌道に乗り始めると、多くのスター選手はハメドと同じ思考回路になります。

マネージャーやトレーナーがファイターを搾取する。ファイターがマネージャーやトレーナーに反旗を翻す。ボクシングのことを少しでも知っている人にとって、それは全く珍しいことでも、驚くべきことでもありません。

“It’s happening again.”  
“Same story, different actors.”


〜また、いつものことだ。役者が変わっただけで、全く同じことが繰り返されている。


アルマはイングルとその教え子たちだけでなく、ボクシング界ではそれが当たり前だと身に染みて思い知らされてきました。

かつて、あんなに目をキラキラさせながらイングルと練習に励んでいた少年が、横柄な態度で罵声を撒き散らしながらジムを出てゆく…。



2001年4月7日。恩知らずで傲慢なハメドを許せなかったイングルは妻アルマと、ジョンとドミニクの2人の息子とシェフィールドの自宅で、テレビの前に座っていました。

テレビ画面には大西洋の向こう側、ラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナでナジーム・ハメドとマルコ・アントニオ・バレラのメガファイトが始まっていました。

初めて迎える本物の強豪にハメドは萎縮し、メキシカンの強打に怯むたびにジョンとドミニクは手を叩いて歓声をあげていました。

イングルは小さな声で呟くだけでした。「どうしたんだ…どうしてそんなに自信がなさそうにしてるんだ…何を怖がっているんだ…逃げるな…前に出て打ち合え…」。

無様に打たれ続けるかつての愛弟子を見るに堪えなくなったイングルはソファから立ち上がり、リビングから出ていきます。

彼を慰めるように、アルマが後ろから寄り添いました。

リビングから2人の息子がバレラの勝利を祝う声が響いてきた。

ブレンダンは、映画「ゴッドファーザー」で長男ソニーの惨殺死体を見たドン・コルレオーネのような表情をしていた。

「見ろよ。俺の子をこんなにしやがって」。


“It’s happening again.”  
“Same story, different actors.”


〜また、いつものことだ。役者が変わっただけで、全く同じことが繰り返されている。

また、同じことの繰り返し。

イングルとハメド、役者が変わっただけで、その後も同じことが何度も繰り返されています。






https://fushiananome.superknova.org/archives/9524016.html
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“It’s happening again.” Then, when she is asked to specify exactly what is happening again by her son, John, Alma responds: “Same story, different actors.”

「また、いつもの繰り返し」。アルマ・イングルが溜息をつくと、彼女の息子ジョンが聞いてきた。「どういうことなの?」。

「同じことの繰り返し。出てくる役者が違うだけで 、もう見飽きたわ」。




ボクシングにおけるトレーナーとファイターの関係は、どこまでもドライです。

ゲンナジー・ゴロフキンとアベル・サンチェス、マニー・パッキャオとフレディ・ローチ。鉄の結束と思われた関係が、呆気なく崩れ去る光景を私たちはいくつも見てきました。

たとえ肉親であっても、フロイド・メイウェザーやノニト・ドネアたち、最近ならブライアン・ノーマンJr.の父親との決別を見れば、この関係がいかに脆弱かおわかりでしょう。

「井上」や「亀田」だけを見ると、無意識下に儒教精神が底通している日本は特別に見えますが「井岡」のような例も珍しくはありません。

鉄の結束が豆腐のように崩れる原因は、3つだけしかありません。カネの取り分や重要な試合での敗北、あるいはその両方。


ブレンダン・イングルとナジーム・ハメドの関係が後戻りできない段階まで悪化した頃、ハメドが「偉そうに御託を並べてるアンタはリングの中で何か出来るのか?」と、嘲笑するシーンがあります。

イングルはロープをくぐって、ハメドの挑発に乗ってスパーリングに応じます。ハメドは情け容赦のないボディブローをトレーナーの腹に突き刺しました。

苦痛にうずまるイングルを見下ろして、ハメドは「ファイターとトレーナー、どっちが偉いと思ってるんだ?」と浴びせかけます。



ーーーイングルは、まだ12歳だったハメドとトレーナー兼マネージャーの契約を結びました。

ハメドは「12歳じゃない、まだ11歳だったんだ!」と否定しますが、その1歳の差がどれほどの重さを持つのかは、誰にも理解できません。おそらく、ハメド自身ですら…。

しかし、そのたった1歳の違いに噛み付くほど、イングルに対するハメドの憎悪が煮えたぎって、激しく渦を巻いていたのだろうことは、理解できます。


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ジェームズ・ボンド、首相、トーマス・クラウン、ルイ14世…どんな役にもなりきってきたピアース・ブロスナンは感慨深く語る。

「ブレンダン・イングルを演じたことは喜び以外の何ものでもない」。

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ナジーム・ハメドは、シェフィールドのウィンコバンクにあるイングルが開いた伝説的なジムから生まれた最も有名なボクサーの1人だった。

イエメンをはじめ中東から破格のスポンサードを受けて米国にも進出したフェザー級チャンピオンは、イングルの自由と規律を両立させる離れ業で教える偉大なイングルの指導のもと、スターに登り詰めた。

しかし、2人の中は徐々に険悪になり、和解することなく、2018年にイングルは77歳で天国へと旅たってしまう。

2人の蜜月とその破綻は、この映画の核心。

ジョニー・ネルソンやケル・ブルックといった、後に世界チャンピオンとなったイングルの教え子たちについても触れられている。


しかし、90年代にイングルと短期間会ったことがあるにもかかわらず、ブロスナンはダブリン出身の彼がボクシング界に与えた影響については全く知りませんでした。

しかし、脚本を受け取った72歳のブロスナンは、同じアイルランド出身の彼に恋に落ちました。

「〝プリンス〟ナジーム・ハメドのことは知っていた」と、ロンドンのソーホーにあるホテルでブロスナンはリング誌のインタビューで話した。

「ニューヨークで彼がケビン・ケリーと対戦した時、私はリングサイドにいたんだよ。その後、彼に会ったんだ。当時は私がジェームズ・ボンドを演じていた頃で、ロッカールームにも入れてくれた」。

「あの夜、ブレンダンにも会ったが、実はそこまで印象に残っていなかった。この作品の脚本を読んで、彼がどんな人物なのかがわかったとき、神の啓示を受けたような美しい喜びに包まれた。恋に落ちた。この作品でブレンダンを演じる光栄に感動した」。





ブレンダン・イングルと同じアイルランド人のブロスナンにとって、これは血統の出会いでもあった。

さらに、ブロスナンのフルネームは、Pierce Brendan Brosnan。

そう、彼はまさしくブレンダンだった。

「どうすればブレンダン・イングルになりきれるのか?ボクシングファンや、映画館にきた人たちの目にも偉大なトレーナーを自然に演じることができるのか?を見せる信じられる人間にできるだろうか?彼の本質を見つけ出そうと必死になってインタビューを朝から晩まで聴いていた」。

「ジムで彼が座っているインタビューがある。何度も何度も繰り返し見たよ。脚本とキャラクターに惚れ込んでしまって、もう私がブレンダン・イングルになりきっていた」

2002年に引退、現在51歳のハメドを演じたのは、エジプト生まれのアミール・エル=マスリー。彼はこの役のためにわずか4週間で体を鍛え上げた。

「朝7時から夜7時まで、1日12時間ジムでトレーニングを続けた。そりゃきつかった。試合の場面では指を脱臼したこともあった」

「ハメドはずっと私のアイドルで、実は家には彼のサイン入りのチラシがあるんだ。彼を演じることができて本当に光栄だ」。


ハメドは映画の制作には関わっていないが、今週水曜日にロンドンで行われたプレミア上映に出席している。

「シェフィールドでウィンコバンクのジムに行った時のことを覚えています」とブロスナンは言います。「私、アミールにイングルの息子ドミニク、ジョン、みんなそこにいた。感動的な瞬間だ。あのジムはとてつもなく素晴らしい場所なんだ」。

「私たちの間には言葉にできないことがたくさんあった。私が彼らの父親を演じたこと、そして私が俳優としてやってきた仕事、そしてこの映画で築き上げられた新しいイメージ。イングルと彼を取り巻く人々は、とても幸せだったと思う」。

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映画の街・銀座ーーーいま、この街をそう呼ぶ人がどれだけいるでしょうか?

いまなら、「外国人観光客の街・銀座」?

そもそも「丸の内TOEI」のロケーションは銀座でも丸の内でもなく有楽町。

そういえば、有楽町は外国人観光客が比較的少ない気もします。

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鰻の成瀬を初体験。

普通である。ビールと日本酒も頼んで、全部で6000円超え。そこまで安くないぞ。


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今年10月のロンドン映画祭で、英国で最も有名なイスラム教アスリートの1人をテーマにした映画がプレミア上映されました。

「(米国ボクシング映画の代表作)ロッキーへの英国の答えだ」とヘッドラインされた「GIANT」。

伝説のトレーナー、ブレンダン・イングルと90年代に旋風を巻き起こしたナジーム・ハメドの絆を軸に繰り広げられるボクシング映画だそうです。

監督・脚本を手がけたインディのローワン・エイサーレは14歳で「ロッキー」を見て心を震わせ、現実のリングでもNazmania(ハメドの熱狂的なファン)になりました。

さらに、シルベスター・スタローンも製作に関わるなど話題性十分。

ハメドの成功の物語に終わらず、たった一度の敗北で神聖な快進撃から転落する姿も映されるようですが、どこまで事実と真実から離れずに作れるか?は難しい素材です。

エイサーレは「彼は普通のボクサーが成し遂げることを超えた業績を残したが、それは悲劇だった。なぜなら、彼ならもっと大きなことを成し遂げることが出来たはずだから」と静かに語ります。

ブレンダンの薫陶を受けた〝後輩〟アミール・カーンも「ムスリムのアスリートとしてナズは傑出した存在なんだ。見ればわかる。彼こそ人を惹きつける天才だ」と興奮しています。

「ある日、ジムにスペシャルオーダーの青いBMWが横付けされてた。あのデビッド・ベッカムがナズに会いに来たんだよ。ベッカムだぜ。あのベッカムを待たせるのが、ナズなんだ」(カーン)。


https://fushiananome.superknova.org/archives/9524016.html
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ブリジット・バルドーが91歳で旅立ちました。

1956年の「素直な悪女」で世界的なスターになったBB(べべ)はジャン・リュック・ゴダールやルイ・マルら巨匠の代表作に出演しますが全盛期の1973年に引退。

リアルタイムの彼女を、私は知りません。

しかし、べべは高校時代に通った小さな名画座でフランス映画の〝かたち〟を教えてくれた師の1人です。

べべ、ありがとう。


Macron pays tribute to 'legend of the century' Brigitte Bardot

マクロン大統領は「世紀のレジェンドの旅立ちを悼む」と表明しました。



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【シリコンバレー時事】米西部カリフォルニア州ロサンゼルスの住宅で14日、俳優で映画監督のロブ・ライナーさん(78)と妻が死亡しているのが発見された。

遺体には刃物による刺し傷があり、地元警察は殺人事件とみて捜査を進めている。

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ーーー私の映画体験のほとんどは、高校時代に入り浸った小さな古い名画座に集約されます。

大学に入ってからも映画はよく見た方ですが、その多くは友達と一緒に見たものでした。

高校時代の映画体験は一本の例外もなく、1人で見たものでした。

私にとって
「スタンド・バイ・ミー」(1986年)も「ミザリー」(1990年)も大学生になってから以降に見たものですが、だからといって思い入れがないかと言えばそんなことはありません。

「スタンド・バイ・ミー」は原作に、主題歌に、リバー・フェニックスにと若い私たちに大きな刺激を与えてくれた作品でした。




それにしても、なんという悲劇的な最期。

悲しいです。
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リング誌をはじめ数多くのメディアで、1992年から2001年までPFPをクルーズしたリカルド・ロペスをアンダーカードに従えた女性ボクサー、クリスティー・マーティン。

この事実から、私のような頑迷なボクシングファンが読み取ったのは「軽量級は米国では女子以下の偏見で見られるキワモノ」ということが一つ。

そして、もう一つがクリスティー・マーティンが米国リングで、軽量級のトップでは前座に回るしかないスターだということでした。

野球でもサッカーでも、そしてボクシングでも男性の陰に隠れ、ときには好奇の目で見られながら女子のプロスポーツ選手は存在してきました。

女子サッカーはメジャースポーツに激しくアプローチしている米国だけでなく、欧州でもすでにスター選手が誕生しています。

麗しきスターたちの系譜、その黎明に大きな爪痕を残したのがクリスティー・マーティンでした。



本日、米国で封切られる「Christy」は、彼女を主人公にしたボクシング・ロマンです。

デヴィッド・ミショッドが監督、主演はシドニー・スウィーニー。トロント国際映画祭でも好評価を得ていることからも、来年のアカデミー賞でもひと暴れしそうな作品に思えます(私はまだ見ていませんが)。



それにしても、ボクシングを題材にした映画の多さは、メジャースポーツの野球やサッカーと比べても全く引けをとりません。

リングの中と外のドラマは、クリエーターたちの想像力を刺激してやまないからでしょう。

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ちなみに、私はバカなので村上春樹は好きではありません。

なぜなら、全く面白くないからです。

もちろん、個人の感想です。


好きかどうかではなく、…明らかに嫌いかも?

すまぬー!ハルキストたちよーーー!

まあ、獲っちゃったら、毎年このジイ的なちょっとしたお祭りも出来なくなるからね。

良かったね、ハルキストさん。
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右投げ左打ちですが、右でも左でもありません。

なぜか右翼や左翼のお友だちは何人かいますが、右でも左でもありません。

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人の生き方なんて、生まれてから死ぬまで、それこそ何通りもある。

例えば、私でも諦めずに一生懸命練習していたら、プロ野球選手になれたかもしれない。

中学3年、名門校から声がかかったが、その条件はセレクションの中でも一番下の待遇だった。

私は「よし、這い上がってやる!」と奮い立つ代わりに「俺の評価はこんなに低いのか」とひねくれた。

両親から丈夫な体に産んでもらい、何不自由なく野球に打ち込めたのに、負け犬根性のカタマリだった。

野球部の顧問の先生には一度も褒められたことがなかったが、私をものすごく評価してくれているのはわかっていた。

そんな人が頭を下げて私を売り込んでくれた名門校を蹴って、近所の公立高校に進んだ。

そのとき、私は心の奥底で「これで厳しい練習から解放される」とほくそ笑んでいたような気がする。

そんなヤツがプロ野球選手になれるわけがない。



学校に馴染めず「自分は社会に居場所がない」と思っていた高校時代。

野球は好きだったから続けていたが、学校はとにかく嫌いでサボりがち。

ほとんどの先生からはバイキンかゴミを見るような目で見られた。

ところが、数は少ないものの、3年間、3人の担当をはじめ一握りの先生は私を妙に目にかけてくれた。

進級するには成績はもちろん、出席日数が全く足りなかったはずなのに、それを大目に見てくれた。

卒業式のとき「あー!手のかかるヤツやった!」と笑ってくれて「まさか大学に行ってまうとは思わんかったな」と、少し残念なトーンで言われた。

私も大学に行く気なんてなかった。授業に出ないで本を読んだり、映画を見たりしていたが、映写技師になりたいなと漠然と思っていた。

行きつけの古くて小さな映画館で、いつも話しかけてきたモギリのおばちゃんに「映写技師になるにはどうしたらいい?」みたいなことを聞いたことがあった。

おばちゃんは「やめとき、やめとき。儲からへんの、わかってるやん」と、とりつくしまもなかった。

確かに、学割の回数券だと8回入場て1000円、その1枚でオールナイト5本立ても観れた。

次に映画館に行くと、モギリのおばちゃんは60年配(高校生の人の年齢を見る目は不正確だから、本当はもっと若い人だったかもしれない)の映写技師の男性を呼んで会わせてくれた。

映画館で時々会う常連の綺麗なお姉さんは「私、しばらく地球を離れるから、期限が切れてしまうねん、もらってね」と回数券の余りをくれた。

そう、あのとき確かに「地球を離れる」と言った、ちょっと面白いお姉さんも、私は何歳なのかわからなかったが、彼女は何度も瓶コーラをおごってくれた。

あんなに優してくれる人たちに囲まれていたのに、私は何の挨拶もせずに地元を離れた。



いつも大切な人を裏切ってしまった。


つづく。






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