カテゴリ: FIGHT SONG

Friday 7, November 2025
  
RP Funding Center, Lakeland, Florida, USA
commission:Florida Athletic Commission

promoter:Garry Jonas (Pro Box Promotions),
     Sampson Lewkowicz (Sampson Boxing)

matchmaker:Ramiro Hernandez, Daniel Rubin

バンタム級10回戦



アストロラビオはギレルモ・リゴンドーに番狂せを起こし、ジェイソン・モロニーと空位のWBOバンタム級王座を争い惜敗、勝利昨年7月にはWBCバンタム級王者中谷潤人のボディ一発で初回KO負けと日本のボクシングファンにもお馴染みの118パウンダー。

そして、Katsuma Akitsugi(秋次克真)は日本のボクシングファンにはほとんど無名ながら和歌山県生まれ、ロス在住のサウスポー。戦績は13戦全勝3KOと無敗のテープをジリジリと伸ばしています。

アストン・パリクテ、ジョナス・サルタンに続きアストロラビオと3戦連続でフィリピン人と対決するカツマが狙うは、もちろんバンタム級のストラップ。

WBO9位に付けるアストロラビオを攻略すると、待望の世界戦への道筋が開けてきます。

El Cuete Japonecito(童顔の日本人)が13試合で稼いだファイトマネーは、約20,000ドル(1ドル150円計算で300万円)をやっと超えましたが、米国の軽量級には厳しい現実が横たわっています。

世界王者になっても、米国ではまともな報酬が得られず、注目もされません。

それでも、王者になって日本で日本人相手に防衛戦となれば、その1試合で生涯報酬に近い大金を手にすることができます。

オッズは無敗のカツマが4/11(1.36倍)。アストロラビオが21/10(3.1倍)。


https://fushiananome.superknova.org/archives/34758739.html



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二つの拳、それもナックルパートだけしか攻撃が許されない偏狭極まりない格闘技、ボクシング。

18世紀後半に英国で着手されたルール整備は、現代の総合格闘技以上に自由だったボクシングの攻撃手段をどんどん制限する方向で進められました。

そして生まれたのが、異種格闘技戦の舞台では最弱であるボクシングです。

しかし、偏狭の追求は、究極の研磨を意味しています。

あまたの格闘技の中で、いいえ、あらゆるスポーツの中で、ボクシングが最もドラマティックであることはそれがテーマに作られた小説や音楽、映画などの数が圧倒的であることからも誰にでも理解できるでしょう。

そして、やはりドラマティックなことに、そんな映画などを易々と超える現実のリングがいくつも存在してきました。

もしかしたら、小説や映画にも出来ないからこそ、作家や脚本家は現実を越えることが出来ないことを承知で、このスポーツをフィクションで表現することに敢えて挑戦し続けているのかもしれません。


前置きが長くなりました。



英国ボクシングニューズ誌から40 years on, Lee Roy Murphy recalls his astonishing double-knockdown fight をご紹介。

ドラマに溢れたボクシングの世界でも Double-knockdown は滅多に見ることができませんが、日本時間の今日、ちょうど40周年を迎えるこの試合はROCKY II IN REAL LIFE として記憶され続けてきました。


Saturday 19, October 1985
  
Stade Louis II, Fontvieille, Monaco
commission:Federation Monegasque de Boxe 
promoter:Roberto Sabbatini

IBFクルーザー級12回戦


©︎リー・ロイ・マーフィー
vs
チサンダ・ムッティー



序盤から激しいパンチを交換した両者は最終回にダブルノックダウン。

まるで、ロッキー・バルボアとアポロ・クリードのように。そして、日本のボクシングファンなら竹原慎二と李成天の第8ラウンドも思い出すでしょう。


It wasn’t no damn Rocky II fight – it was real, man. We did that for real. 

あれは映画のロッキー2なんかじゃなかった、いいかい、あれは映画ではなく、現実に起きたことなんだ。〜マーフィー



マーフィーはマービン・キャメルからタイトルを奪い、ドワイト・ムハマド・カウイらクルーザー級の強豪たちと拳を交え、イベンダー・ホリフィールドともニアミス。

そして、多くのクルーザー級王者と同様に「いつかヘビー級で王者になる」ことが夢でした。

身長179㎝のマーフィーは、キャリア終盤で夢の無差別級に身を投じました。

そして、同じシカゴ出身で、同じヘビー級への夢を見ていたクルーザー級のアルフォンソ・ラトリフ(マイク・タイソンの噛ませ犬)とイリノイ州ヘビー級タイトルを争ってベルトを勝ち獲るのです。

「些細な足跡かもしれないが、ヘビー級で戦ったアリバイを作れたかな」と、マーフィーは笑ってみせました。


オリバー・マッコールと互角以上のスパーリングを展開、レノックス・ルイスの練習パートナーもつとめたマーフィーは、アマチュア時代に遡ると幻のモスクワ五輪代表でした。

Even today, when I go out, when I get on the bus and folks recognise me, which they do from time to time, that’s the fight they want to ask me about. 


時代が少しだけ違えば…地上波生放送されていた当時、五輪でメダルを獲っていたなら、プロキャリアは全く違った環境でのスタートとなっていたはずです。

「五輪ボイコットがなかったらもっと有名になっていたかって?それは違うと思うな。ムッティーとの試合があったから、私はこうしてあなたたちメディアの取材を受けてるんだから」。

「いまでもバスに乗ったりすると、当時を知っている人からあの試合のことを聞かれることがある。五輪に出場してても、ムッティーとの試合がなければ、今でも私のことを覚えている人がどれだけいるだろうか?」。



ムッティーは1990年に38歳の若さで亡くなり、カウイも今年7月25日に72歳でこの世を去ってしまいました。

「彼らがいないのは本当に寂しい。だけど、今でも私たちの戦いを覚えてくれている人たちがいる。それはやっぱり、素晴らしいことなんだ」。



ボクシングには語り継がれるドラマが、確かにあります。




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Forever Young


2021年12月21日、その日本人はまたしても中華人民共和国で戦っていた。

彼は、約15億人の人口を抱える中国で最も有名な外国人ボクサーだ。

それはすなわち、地球上で最も有名な日本人ボクサーというとらえ方も出来るかもしれない。


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すでに内定済みの、中国で2度目の公式試合の練習とプロモーションも兼ねて用意された14オンスのグローブで行われるボクシングルールによるexhibitionのリングに上がった当時33歳の日本人は、すぐに不穏な空気を感じ取った。

事前にボクシングルールと聞かされていたが、内実はその男のネームバリューを利用しようと企んだ対戦相手のユーチューバーが視聴者数稼ぎを目当てに企画した〝詐欺〟に巻き込まれたのだった。

浅ましく卑劣なユーチューバーは日本人をボディスラムで頭からキャンバスに叩きつけるなどの危険行為を繰り返した。

日本ボクシングコミッション(JBC)はJBCルール第24条に抵触したとして、木村翔に戒告処分を出した。

これを受けて木村は中国・武漢で行ったスパーリングマッチについて謝罪と説明を行った。

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 リング誌から。



木村が中国に大きなインパクトを与えたのは2017年7月28日のことだから、もう8年も前になる。

当時WBOアジアパシフィック・フライ級王者だった木村は7月11日にクワンタイ・シッモーセンと初防衛戦を行う予定だったが、急遽舞い込んだWBO王者・鄒市明(ゾウ・シミン)からのオファーを選択する。

シミンは北京2008、ロンドン2012で金メダルを獲得した中国の国民的英雄。プロ入りに際してもトップランクがプロモート、トレーナーはフレディ・ローチと世界最高のチーム体制を組んだ。

軽量級ではまずお目にかかることが出来ないスターに上海で挑戦しないか?そのオファーを断る理由は、日本でも全く無名の存在だった木村には一つもなかった。

この興行はトップランクとローチを切り捨てて、プロモートからコーナーまでゾウ・シミンを中心にオール中国で立ち上げた初めの一歩。

中国の人気リアリティ番組「パパ、どこに行くの?」に4歳の息子と出演しているゾウは、リングを超えた英雄だ。

そんなゾウ・シミンを上海で倒すとどうなるか?誰にでもわかることだ。


Kimura (15-1-2, 8 KOs), whose job delivering beer crates didn't pay him enough to buy a good pair of ring shoes. But Kimura didn't need new shoes.

ビール配達が仕事の木村は新しいリングシューズを買うカネにも困っていた。

しかし、2度も五輪を制したプロの世界チャンピオンから圧倒的な勝利を収めるのには、シューズを新調する必要はなかった。

With his back on the canvas, Zou, 36, waved "no mas" to the crowd and referee, who ended it at 2:28 of the 11th. The gesture also might have been his goodbye to the sport.


木村の勝利は「完全敵地」「圧倒的不利の予想」を、文句のつけようがない形で跳ね返した偉大な勝利でした。

この勝利は、平仲明信と亀田和毅をスキップして「1981年の三原正以来」とされている。平仲はプエルトリカンの強豪王者エドウェン・ロサリオに対して「圧倒的不利予想」だったが、リングがセットされたのは中立国(アンチ・プエルトリコという点で平仲に追い風?)メキシコの闘牛場。

和毅に至っては穴王者のナミビア人(パウルス・アンブンダ)に対して明白に有利と見られ、さらに舞台は中立国のフィリピン。強豪相手でもアウエーでもなかった。



JBCの戒告を受けて開いた会見で、木村が語った言葉を最後に記しておく。

「今回、相手の反則行為は許しがたい事です。しかし、ゾウシミン戦以降、日本人である私に対して、私のことを知り、そして、応援してくれる中国にいる多くの方々を愛する気持ちは変わりません」。

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かつて、ジュニアライト級やジュニアウエルター級、ジュニアミドル級は水増し階級の一つに過ぎず、欧米ではほとんど注目されることがありませんでした。

それは日本にとって悪いことではなく、体格の良いボクサーの世界アタックへの道を広げてくれたのです。

特にジュニアミドル級は、輪島功一がUndisputed championとして切り拓き、2団体分裂後も特にWBAにおいて馴染み深いクラスであり続けできました。

WBAのストラップは輪島からホセ・デュラン、ミゲル・アンヘル・カステリーニ、エディ・ガソとリレーされて工藤政志の拳に渡ります。

レスリング出身という異色の経歴を持つ工藤が4度目の防衛戦で迎えたのは世界選手権ライトウエルター級金メダリストのアユブ・カルレ。

1979年10月24日、故郷の秋田県立体育館。不利の予想通りに15ラウンド、ボクシングのレッスンを受けることになり、王座陥落。

しかし、工藤は「カルレと戦えて光栄だった」と清々しく勝者を讃えました。

カルレは確かな技術をベースにした堅実なボクシングて勝利を重ね、5度目の防衛戦へ。



なんと、工藤がリスペクトしてやまなかった王者カルレが圧倒的不利の予想を立てられてしまいます。

それもそのはず、その挑戦者はシュガー・レイ・レナード。

トーマス・ハーンズとの大一番を控えたスーパースターが調整試合に選んだのが、カルレでした。

試合はレナードが手こずりながらも、9ラウンドでウガンダ人を仕留めます。

ウエルター級とジュニアミドル級の2階級制覇を達成したレナードですが、カルレが安定王者に君臨する水増し階級には用はないとばかりにタイトルを返上。

〝レナードの後釜〟として空位のWBAジュニアミドル級を争ったのが三原正とロッキー・フラットでした。

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1981年11月7日、ニューヨーク州ロチェスターのWar Memorial Auditoriumで快挙が達成されます。

「三原正がニューヨーク・ロチェスターでロッキー・フラットを判定で破ってWBAジュにミドル級王者に」。

海外でのタイトル奪取は三原が史上5人目、のべ6人目でした。

私がボクシングに興味を持ったばかりの頃、高校の図書室でリング誌を貪り読む前の中学校時代。三原の快挙は新聞のスポーツ欄で知った記憶があります。

ニューヨーク、ロチェスター、ロッキー・フラット…目に飛び込んできた全てのカタカナがカッコ良く見えました。

その当時は分かりませんでしたが、この試合を裁いた主審は、なんとなんとアーサー・マーカンテ。

高校に入ってリング誌を好きなだけ読める環境が整うと、バックナンバーでロッキー・フラットがRocky Flat ではなくFratto であったことが判明。全く意味もなく拍子抜けしたのを覚えています。

三原は初防衛戦でデイビー・ムーアに全くいいところなく6ラウンドKO負け、東京でタイトルを手放してしまいます。

それでも、復帰戦から連勝街道に乗った三原に、WBCジュニアミドル級王者トーマス・ハーンズへの挑戦試合が内定しますが、持病の腰痛のため引退。

ーーー工藤が子供扱いされたカルレがレナードの調整試合…三原を破壊したムーアがロベルト・デュランにタコ殴りされてKO負け…中量級の頂点がどれほど高いのか、それを考えると、日本のボクシングファンはため息をつくしかありませんでした。


【三原正のニューヨーク州ロチェスター】

・価値 ★★★★★
・衝撃度 ★★★★★



ーーーと、こんな感じで独断と偏見で、時系列を無視して敵地に乗り込む麗しきファイターを紹介してゆきます。

ご紹介させていただくのは「広く敵地で番狂せを起こしたファイターですが「敵地でタイトル奪取」したのべ6人は以下の通り。当然、この方々はふれないわけにはいきません。

①西城正三
②柴田国明
③柴田国明
④大熊正二
⑤上原康恒
⑥三原正





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日本のプロボクサーは幸運です。

特に、軽量級では王者として防衛する場合はもちろん、王者に挑戦するときでさえホーム開催となるのがデフォルトです。

営利団体でしかない認定団体が跋扈するタイトルマッチでは、どこでやればより大きな認定料を稼げるか?という力学だけが作用します。

日本で好き勝手出来てコスパが良く、コネクションも構築されている軽量級では、敵地に乗り込むのは極めてレアケースです。

それどころか、井上尚弥や西岡のように、日本開催の方がはるかに大きな興行となるにも関わらず「ラスベガスから招かれた」かのような奇怪な劣情のロジックを弄して海外に渡ることがありますが、これもまた特異なケース。

ビジネス的にもコンディション的にも、日本開催が良いに決まっていますが、さまざまな事情が絡んで敵地に向かわざるを得ないケースもあります。

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軽量級だけではなく、中量級でも敵地で貴重な勝利をあげた、triumph、大勝利の系譜を辿ってゆきます。

また、アルファベット団体のストラップにこだわらず、ノンタイトルであっても価値が高い、あるいは十分な衝撃を与えたという勝利も取り上げてゆきます。


あのファイターを忘れるな!なんて思いつく人はどしどしご意見寄せてください。
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1. 山田 2025年09月27日 12:53

ワタシの記憶が確かなら、ドネア対モンティエルの時に
「勝った方俺とヤレ!」
と、言っていたような…


▶︎▶︎▶︎亀田興毅ならそう聞かれたら、そう答えていたでしょうし、聞かれてないわけないから、そう言ったでしょうが、私は逆に記憶がありません。

ただ「ドネアvsモンティエル」(2011年2月19日)が行われたラスベガスのマンダレイベイ・イベンツセンターのリングサイドに亀田興毅の姿はありませんでした。

そして、当時の報道を振り返ってもWBA(セカンド)王者の興毅との対戦を期待するメディアは確認できず、多くの人が実力的にはもちろん、興毅本人が対戦に積極的であるはずがないと決めつけていました。

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興毅の3階級制覇はボクシング・ビート、ボクシング・マガジン、いずれの専門誌でも表紙を飾ることなく、小さな扱い。それどころか、記事の内容は非常に批判的でした。


ちなみに、日本のボクシングファンの間でも大きな話題となったこの試合、戦前は日本では「互角」と見られていましたが、米国では「ドネアのKO勝ち。問題はいつ倒すか」。

日本のファンの心情には「The Real 長谷川穂積からタイトルを強奪したモンティエルが強いに決まっている」という応援の気持ちが強かったのです。

2人はかつてのスパーリングパートナーでしたが、その内容はドネアがパワーで圧倒していたと伝えられ、この試合でも「2ラウンドKO」を予告する余裕ぶりだったことを報道する日本メディアはほとんどなかったはずです。

そして、日本では注目の試合でしたが、米国では誰も興味を持たない「外国人の軽量級対決」。WOWOWなどのメディアはモンティエルを「人気者」と表現していましたが、メキシカンとはいえモンティエルは全く人気がありません。

この試合でもドネアの生贄役で、メキシコ人は「弱いメキシカンが屠られるのを見たくない」という気持ち。

さらには、そもそもの注目度が低く、上階席は封鎖。当日のリングサイド席は100ドル台まで投げ売りされました。HBOの放送枠も二線級扱い。

日本の3000人レベルのアリーナでやれば、間違いなくフルハウスになってリングサイドが5万円でも完売したはずです。

そして、ボブ・アラムは「ドネアは不良債権」と名指しで非難、両者の関係は冷え切り、ゴールデンボーイ・プロモーションズへの移籍騒動に発展するのでした。

それでも、この試合はPFPファイター同士の対決。

勝利したドネアのランクを3位に引き上げたリング誌は「モンティエルごときに勝っただけで3位はない。同じ2ラウンドKOでも、ポール・ウィリアムスをもっと衝撃的に轟沈させたセルヒオ・マルチネスの方が上」とマニアや他のメディアから非難されるとドネアの評価を下げました。

コーナーに戻った長谷川穂積を「強い、過去最強や」と驚かせたモンティエルでしたが、ドネアからは予告KOが宣言できるほど「フェイントにすぐ引っかかるし、なによりもスピードがない」相手でした。

そんなモンティエルでも3階級制覇できるのが、4-Belt Eraという時代です。

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ちなみにーーー。

話はさかのぼって「亀田興毅vsアレクサンデル・ムニョス」のWBAセカンド王者決定戦(2010年12月26日)が行われた、さいたまスーパーアリーナ。

リングサイドにはドネアが座っていました。

目の前で見た興毅のボクシングについては関心を示さなかったドネアでしたが、大会場の熱気には「いつかぜひ、ここでやってみたい。私の試合でもこんなに盛り上がってくれるだろうか?」と感動していました。

その夢は、8年後と11年後、2度も実現するのですが、それはまた別の話…。

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Koki Kameda should've faced?

亀田興毅は誰と戦うべきだったのか?

…日本ではメディアもファンも優しい人ばかりなので、こんなことを言い出すのはレアケースですが、海外では普通に突っ付かれてしまいます。

フロイド・メイウェザーなんてダースで突き詰められていました。

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メイウェザーは強豪から逃げるな!「品性下劣な卑怯者なのに負けない」マネーはファンだけでなくメディアまで踊らされてしまいました。

全く面白くない試合なのに驚くべきPPVの数字と、ラスベガスに大きな恩恵をもたらし、巨万の富を手に入れたメイウェザー。

全てを計算づくで演じていたメイウェザーと、何も考えずにテレビに踊らされ、ファンの非難轟々に戸惑い狼狽える亀田とは、ボクシングのレベルは言うに及ばず、ヒールとしての自覚、矜持が全く異なりました。



さて、亀田興毅の3階級。

それは、軽量級で好き勝手している日本のボクシング界でもどうしようもない劣悪なものだったのでしょうか?

亀田がアルファベットのストラップを手にしたジュニアフライ級、フライ級、バンタム級は、認定団体の忖度と亀田側の思惑によって強豪を回避しながら作られた〝日本初〟だったのでしょうか?

では、亀田が戦うべき王者、強豪とは誰のことを指すのでしょうか?

※2013年までJBCが認可していなかったIBFとWBOの王者、強豪との対戦は基本的に想定しません。



【WBAジュニアフライ級】

2006年8月2日:vsファン・ランダエタ(決定戦/12R判定)
〜2007年1月18日:減量苦により返上。


ストロー級でWBAの地域タイトル、世界タイトルの実績があるランダエタがWBA決定戦に出場することには何の不自然さもありません。

また、ボクシングは「誰に勝ったのか」が全て。「決定戦だから評価できない」なんて理屈はありません。

とはいえ、ランダエタに議論を呼ぶ判定で勝ち獲ったタイトルをランダエタとの再戦で一度防衛しただけのジュニアフライ級での実績はゼロ評価するしかありません。

主要4団体ならどのタイトルにも価値がある、とか狂言・妄言を撒き散らさなければ、このタイトルには何の意味もありません。

強打のWBC王者ブライアン・ビロリア(2005年9月10日〜2006年8月10日)に勝利を収めていたなら、海外のマニア評価は急騰していたでしょうが、最初のタイトル挑戦で危険を排除するのは、大手ジムのホープにとっては常識です。

帝拳や大橋でも同じことに手を染めており、そこに決定的な差は認められません。





【WBCフライ級】

興毅が減量苦からジュニアフライ級のストラップを放擲した直後、軽量級シーンに超新星が誕生します。

2007年7月7日、ノニト・ドネアが多くのメディアでPFPに数えられていた階級最強王者のIBF /IBO王者のビック・ダルチニアンを〝後の先〟の左フック一閃、大番狂せに沈めたのです。

小さなレイジングブルは、世界戦と6度の防衛戦の7試合を全勝6KO。KOを逃した唯一の相手はドネアの兄グレンでしたが、試合は一方的で負傷判定に持ち込まれたもので、実質オールノクアウト。

誰もが「兄弟揃って可哀想に」とドネアの惨敗が決めつけられた試合でしたが…。

もし、興毅が「日本は住みにくいわ!(IBFに挑戦することで)JBCライセンスが剥奪されても階級最強のダルチニアンに挑戦する!」と勇躍、米国に乗り込んでいたならーーーボクシングファンは「見直した!」と拍手喝采したでしょうが、結果は無惨極まるものにしかならなかったでしょう。



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ボクシングの社会的地位が没落した21世紀に30%以上の視聴率を叩き出した亀田は「社会現象」と表現しても差し支えない存在でした。

2009年11月29日:vs内藤大助(12R判定)
〜 2010年3月27日:vsポンサクレック・ウォンジョンカム(12R判定)


3階級制覇の興毅が唯一、王者から奪ったストラップがWBCフライ級でした。この試合は、日本列島を刺激する国民的関心事となり、視聴率は42.1%。国民栄誉賞も検討された具志堅用高にコンマで迫りました。

もし、興毅が品性下劣で低俗・低脳でないベビーフェイスなら、ボクシング界で唯一の国民栄誉賞に選ばれていたでしょう。

初防衛戦は32歳のポンサクレック。23歳の興毅が圧倒的に有利と見られ、リング誌は「勝てばPFP入りも」と評価していました。しかし、結果は全盛期を過ぎたタイ人に完敗。ポンサクレックがPFPに。

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【WBAバンタム級】
2010年12月26日:vsアレクサンデル・ムニョス(決定戦/12R判定)
〜 2013年12月6日(返上)


ムニョスとの一戦は、PFPファイターのアンセルモ・モレノがスーパー王者に昇格したことによってセットされた決定戦。

日本では嫌悪感むき出しでも「3階級制覇」でしたが、海外の多くのメディアは同一団体・同一階級に複数の世界王者が存在することを認めていないため、これは真っ当な王者ではなくセカンドタイトル扱い。

ジュニアフライ級のランダエタと同じように、ムニョスもWBA事情を抱えるファイターで、亀田にタイトルホルダーになって欲しいWBAとしては当然の措置。


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 帝拳や大橋が同じことをしても絶賛するのに、悪意しかない記事…。


ただ、勝利者インタビューで「自分では3階級制覇とは思ってへん。バンタム級最強は誰?モレノでしょう。来年、WBC /WBO王者フェルナンド・モンティエルはドネアに負けるやろ。モレノとドネア、PFPファイターの2人を倒せば文句ないやろ!?」とぶち上げてたら、ボクシングファンは「見直した!」と拍手喝采していたでしょうが、そっちを選択するとモレノに玩具にされ、ドネアに木っ端微塵に破壊される未来しか待っていませんでした。

その代わりに、彼が大見栄を切ったのは「5階級制覇したら文句ないんやろ!」でした。

ーーー4-Belt Eraにおける数字には何の意味もないのです。興毅がマークした階級最強を倒さない3階級制覇、実質的には一つの階級でもNo.1になっていないのですから、0階級制覇です。

アルファベット団体のガラクタベルトを3つ集めただけのコレクター、それが亀田興毅でした。チャンピオンを「世界一強い男」と定義するなら、彼はその座に一度も就いていません。

彼はチャンピオンではなく、認定団体から愛され、ファンから唾棄された、ガラクタ集めが趣味の頭の悪いコレクターでした。




そしてーーーー。

井岡一翔の4階級にも〝瑕疵〟があるのか?

井上尚弥の〝5〟階級は「最強」を回避せずに到達したのか?

彼らは誰を避けて、誰を選んできたのか?…まだまだ続きます。




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2025/9/25  18:21 のコメント

ドシロウト

亀田に懐疑的なマニアは試合前に既に激昂してたんでしょうが、素人はダウンまで彼の弱さに気が付いてはいませんでした。

少なくとも世間全体の完全なアンチ化は試合開始までなかったと思います。

世間はストーリー性を好みます。

対戦者が出稼ぎのバイトや鎖に繋がれた犬でも金で世界ランキング一位に付けて、井上みたいにスカッと倒せる相手を用意できれば、少なくともドキュメンタリー番組「ZONE」や「バースデイ」から続く酩酊感のまま世間全体は推移したでしょうね。

コラボキャンペーン弁当を試合の次の日に打ち切ったローソンは当日まである程度の強さは信じていたんでしょう。

とにかく亀田に落ち度があるとしたら弱かったことだけでした。


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⬆︎リング誌さん、KOKIではなくDAIKIです。私たちが同じ犬種で同じ大きさ、同じ毛色だと区別がつかないように、外国人の目からは大毅も興毅も一緒に見えるのかも?


ベネズエラ大使館のへの励ましと、TBSへの抗議の電話殺到からも明らかなように、あの試合から亀田へのバッシングが社会現象と呼んでも差し支えないほどにエスカレートしました。

そして、多くの人が興毅が用意された生贄のランダエタに圧勝すると考えていました。


「とにかく亀田に落ち度があるとしたら弱かったことだけでした」ーーーその通りです。

そして、強ければ…間違いなく賛否両論が巻き起こっていたでしょう。

「悪いのはボクシングの構造だ」「プロだから強ければいい」ーーー江川や桑田がそうであったように。

下劣な言動を繰り返したフロイド・メイウェザーが、もし弱ければ、ボクサーとしても評価されず、セルフマーケティングの天才でなければ、とんでもない注目を集めることもなかったでしょう。

しかし、残念ながら、亀田は4団体時代の〝世界基準〟でも弱かった…。悲しいかな、弱かった。

メイウェザーのように周到なセルフマーケティングによって下劣な言動を繰り返していたのではなく、あまりにも知能の低い彼らはヒールではなくヒーローになれると思っていたフシまであるのですから、呆れ果てるしかありません。

試合前の下劣なトラッシュトーク、リングに上がると情けないボクシングしか出来ない、非力なのにグラスジョーという興毅はまさにピエロでしたが、そう見てくれる人はいませんでした。

亀田騒動とは、悲劇でも喜劇でもない、見るに耐えない弱いものイジメでした。

下劣だからといっていじめても良いーーーそんなわけがあるはずもないのに、JBCまでもがイジメに加担しました(その代償はあまりにも大きかったのですが)。




そして、亀田興毅が日本中を敵に回すことになった2006年から5年後に、同じ大阪から井岡一翔がプロデビューするのです。






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2006年8月2日の夜半過ぎから1週間ほど、ベネズエラ大使館の電話はひっきりなしに鳴り続けていた。

こういう事態が起きると、何かしら抗議の電話であるケースがほとんどだが、そうではなかった。

なんと、全ての電話が励ましと応援だった。

一方、TBSには翌日までのわずか半日ほどの間に5万件以上の電話がかかってきたが、こちらはほぼ全てが抗議の内容だった。

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2006年8月2日、横浜アリーナでWBAジュニアフライ級王者決定戦が行われて、TBSが生中継した。

オープニング・ラウンド。27歳のベネズエラ人が、まだ19歳の亀田興毅から痛烈なダウンを奪ったが、試合は判定までもつれ込んだ。

多くの人はファン・ランダエタが勝ったと見たが、オフィシャルはスプリット・デジションで亀田家の長男を支持していた。

115-113/114-113/112-115。3人のジャッジのスコアを合計すると141-141のイーブン。試合内容から大きく乖離した判定ではなかった。

多くの人が亀田の負けと思い込んだのは、初回のダウンの印象が強烈だったから、それだけの理由ではない。

TBSに煽られる形で、世間の感情を逆撫でする言動を繰り返していた亀田一家への賛否は、試合前には「否」が圧倒的多数派に膨れ上がっていたのだ。

そして、元ストロー級王者との王者決定戦。

JBCがまだIBFとWBOを認可していなかった2006年8月2日の〝世界情勢〟はWBAがロベルト・バスケスの返上で空位。WBC王者が当時無敗のブライアン・ビロリア。

〝ハワイアン・パンチ〟ビロリアは軽量級の世界で「大きなカネが動く」と海外でも名前が広まっていた亀田との対戦を熱望していたが、同年8月10日の2度目の防衛戦(vsオマール・ニーニョ)に敗れて御破算に。

WBAもWBCも軽量級としては破格の認定料が期待できる興毅を王者に取り込もうとしていたが、空位の王座と安全な対戦相手を先んじて決定戦を用意したWBAが〝勝利〟。

この政治的な一連の動きはボクシングファンの反感を買い、さらに試合前に来日したWBAのヒルベルト・メンドサJr.会長は亀田史郎を謁見、ミニチュアベルトを贈呈したことで「亀田がボクシングを冒涜している」という空気が決定的になった。

そして、初回ダウンの末の判定。

ニュースも新聞も「疑惑の判定」と騒ぎ立て、口の悪いファンは「亀田がジャッジを買収した」とまで中傷した。

Boxing is not a sport, it's a show.

ボクシングはスポーツではなく、サーカスと同じ興行。


世界的な統括団体が存在せず、営利だけ追求する認定団体が跋扈、〝世界タイトルマッチ〟はローカル・コミッションが統括、ローカル・ルールが適用される。

研修も免許の更新もないジャッジが物議を醸し出すのは亀田に限った話ではない。

WBAが用意した3人のジャッジが無意識のうちに忖度した可能性はあるが、亀田がジャッジを買収することはあり得ない。

メンドサ会長が父親に特製のミニチュアベルトを渡して予祝したことも、亀田側が働きかけたのではなく、逆だ。メンドサ会長から亀田に擦り寄ったのだ。

かつて、辰吉丈一郎はシリモンコン・ナコントンパークビューを大番狂せで下したリング上で「スライマン会長のおかげ。何度も何度もチャンスをくれた」と公然と口にし、長谷川穂積の所属するジムの会長は「WBCには恩義がある」とやはりテレビカメラの前で語っている。

こんなスポーツは他にはない。

「亀田がボクシングを冒涜している」…とんでもない理屈だ。

冒涜も何もボクシング界は亀田以前から腐っていて、亀田を絶好のカネヅルと見るや認定団体の方からすり寄ってきたのだ。

TBSに利用され、WBAの歓待を公然と受け入れた亀田家にも非はあるが、一番悪いのはTBSと腐ったボクシング界。

そこに目を向けないから、ボクシングはどんどん堕落してしまった。

亀田家は知能が低く、TBSに踊らされた挙句にハシゴを外された。ファンもメディアもJBCまでもが亀田を糾弾した。

江川卓や桑田真澄…日本中から非難轟々の弓矢を射られたヒールはこれまでにもいたが、亀田が最も憎まれたヒールだろう。

ヒール…本来は憎まれても強いのがヒールの定義。弱いヒールはヒールではない。

亀田は憎まれたが、けして強くはなかった。

その意味で、亀田はヒールにすらなれなかった。


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さて、待ち人来たるで、ここで失礼。

続きます。













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A Tale of The Three Patrilinealität〜三つの家族の物語


いつかどこかで書きかけだった亀田と井岡と井上の三つの父子の物語ですが、ちゃちゃっと探しても見つからないので、あらためてーーー「三家物語〜A Tale of The Three Families 」の始まりです。

史上初の3階級制覇を果たした亀田興毅。

史上初の4階級制覇を果たした井岡一翔。

史上初のFighter Of The Year を獲得した井上尚弥。

そして、日本中から唾棄されながらも一枚岩の結束を見せ続ける亀田家、日本中から愛されながら不動の信頼関係を築き上げた井上家に対して、マッチメイクへの不満から父と袂を分かった井岡一翔。

この3つのPatrilinealitätは、カジュアルなボクシングファンが抱くようなステレオタイプなイメージで語ることはできません。

※Patrilinealität:父が自らの夢、果たせなかった夢を、子供(たち)に託する、父系の大河ロマンのこと。←「Patrilinealitätの意味を説明しなさい」なんてテストに出ても良い子はこのまんま書いてはダメですよ。





父・史郎は興毅、大毅、和毅の「3人とも世界王者にする。3人でないと意味がない」と激白、2000年からTBSが亀田一家の過激な言動を強調する形で特集番組を制作、賛否両論(当時は「賛」の方が多かった)を巻き起こしました。


2003年、大阪のグリーンツダジムから亀田興毅がデビュー。大きな注目を集めたのは言うまでもありません。

TBSの〝亀田特番〟への注目度はさらに跳ね上がり、世間では一家の下品な言動への反発が少しずつ増えてゆきました。



やはり、中学1年のときからグリーンツダでボクシングを始めた井岡一翔は、大阪の興國高校から東京農業大学に進み、2008年の北京五輪を目指します。

しかし、全日本選手権で林田太郎に敗れ、北京への夢は絶たれてしまいます。

大学を中退、大阪に戻ると、2009年に井岡ボクシングジム(現・匠ボクシングシム)からプロデビュー。

ファイティング原田、柴田国明に続く史上3年目の2階級制覇を達成した叔父・井岡弘樹の血を引くことから、早くから「サラブレッド」と注目されていました。




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2012年、ロンドン五輪出場をかけた予選会を兼ねたアジア選手権で準優勝に終わり、五輪の夢が絶たれた井上尚弥は、井岡弘樹の現役時代にライバルと注目された大橋秀行の大橋ボクシングジムからプロデビュー。

「井岡一翔が持つプロ7戦目での最速世界王者の記録を更新する」と宣言。その後のインタビューなどで「デビュー当時のボクシング界が嫌いだった」と吐露し、「勝てる相手を選ぶ」「井上家では簡単に世界チャンピオンになりたいと言う言葉を発せられなかった」と、明らかに亀田一家に向けた嫌悪感を隠すことなく口にしました。





父と子のリングに賭けた物語、始まり始まり。





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