カテゴリ: FIGHT SONG

スティーブン・フルトンにまさかの2連敗。特に、第2戦での無策ぶり、覇気のなさは、浜田剛史に「どうしちゃったんでしょうかな」と呆れられるほどで、ブランドン・フィゲロアの評価は地に堕ちました。

ニック・ボールにも安牌と見られて、リバプールのリングに引っ張り上げられます。

キャリア初の完全アンダードッグ、完全敵地での試合。フルトンとの第2戦のような「勝ち方が問われる」重圧はありません。失うものも無い、29歳のテキサンはふっきれた心理状態でアウエーのリングを楽しめたのでしょう。

軽量級では十分なファンベースを持つテキサスのハートブレイカーに、サウジアラビア総合娯楽庁のトゥルキ・アル=シャイフ長官も早速、興味を示しています。

「ブランドンは敵地に乗り込む勇気と、KOするしかないアウエーの雰囲気の中で最終回にドラマを見せてくれた。彼のキャラクターがどれほど魅力的かをはっきりと示した。9月12日のリヤドのリングを用意している。世界一のスーパースター、カネロ・アルバレスの復帰戦をメインとする Mexico vs. The World(メキシコvs全世界)の、現在のボクシング界がセットできる最高で最大のメガイベントだ」。

メキシコの血脈を持つフィゲロアも「(ずっと米国でしか戦ってこなかったが)リバプールの次はリヤドってのも悪くはない、いや最高だ。フルトンとの再戦に負けたときはメディアからこき下ろされたが、英国で彼らが間違っていたことを証明できたのは最高の気分。マニー・パッキャオやカネロの大きなイベントでアンダーカードに出場したことがあるが、舞台がリヤドというのはまた最高」と、ご機嫌。



リヤドでお祭りを楽しんだあとは「フェザー級を統一したい」。

地味なフェザー級シーンにカラフルな男が帰ってきました。




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ボクシング黄金時代がいつだったのか?

ーーー過去記事を焼き直して、あらためて考えてみます。

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「日本プロ野球の黄金時代はいつか?」。

MLBで神がかり的な活躍を続ける大谷翔平を代表に、最高峰の舞台で通用するプレイヤーを輩出し続けている現代なのか?

それとも、日本列島の熱狂を独占した長嶋茂雄の時代なのか?

これが、ボクシングになると、さらに訳がわからなくなります。

「世界王者の数」というなら、4団体17階級、尚且つ、同一団体の同一階級に複数の王者を抱える環境の現代が〝黄金時代〟。

「タイトルの権威」なら、間違いなく1950〜60年代の1団体8階級時代が〝黄金時代〟で誰も異論はないでしょう。

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⬆︎ファイティング原田がバンタム級のUndisputed champion に君臨していた時代は、8ではなく10の階級が存在しました。

しかし、現在では六つに細分化・水増しされたジュニアフェザー級以下はフライ、バンタム級の二つだけ、オリジナル8のままでした。



2022年11月、自民党の議員連盟が「プロボクシングの発展を応援する国会議員の会」を立ち上げました。

競技人口の減少やジムの経営難、ファイトマネーの低下、引退後のセカンドキャリア構築の難しさといった難局に直面しているプロボクシングをなんとか盛り上げようと〝黄金時代〟を知るオールドファンの議員たちが立ち上がったムーブメントです。

少なくとも彼らの目からすると、プロボクシングの現状は黄金時代などには到底、映っていないということです。

会長をつとめる加藤勝信厚労相(当時)は「小さい頃はファイティング原田さんをテレビで見ていた。60%を超える視聴率で日本中がくぎ付けになって、夢を共有できた。最近は地上波で見る機会が少なくなり、ボクシングをされる方も少なくなって、ジムも減って経営も大変厳しくなっている」と〝黄金時代〟を懐かしみました。

加藤会長は1955年11月22日生まれの66歳(当時)。

原田が矢尾板貞雄のピンチヒッターとして、世界フライ級王者ポーン・キングピッチに挑戦、見事にタイトルを奪取した1962年には7歳、1965年にリング誌の回顧的PFPで60年代1位の世界バンタム級王者エデル・ジョフレを破ったときは10歳だったことになります。

1950年代の終わりから1960年代にかけて、NHKと民放各局は競い合うようにボクシング番組を作り、毎日ゴールデンタイムにボクシングがテレビ中継されていたそうです。 どっからどう見てもメジャースポーツでした。

そんなレギュラーなスポーツは、読売ジャイアンツのプロ野球の試合しかありませんでした。

そして〝世界〟で戦う日本人を応援できるのは、ボクシングのリングだだだのですから、世界タイトルマッチはあらゆるスポーツの中でも別格だったことは容易に想像できるでしょう。

加藤会長が幼かった頃、地球上に8人しか存在しない世界チャンピオンは、一人残らず本物でした。 サッカーW杯も、メジャーリーグも憧れの舞台ですらなかった時代。 プロボクシングだけが、日本人が活躍できる国際試合だったのです。


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1954年(昭和29年)11月26日、後楽園球場をホームとする世界フライ級王者・白井義男がパスカル・ペレスに敗れて5度目の防衛に失敗。

再び日本に世界タイトルがもたらされるのは1962年(昭和37年)10月10日。ファイティング原田が白井が失った世界フライ級のタイトルをポーン・キングピッチから奪還しました。

白井から原田まで、なんと約8年間も世界タイトルは日本から遠ざかっていたのです。

オリジナル8の時代に世界王者になった白井から、原田の時代は10階級になっていましたが、それでも認定団体はNBA一つだけ。世界王者は地球上に10人しかいない、PFPのような妄想がつけ入る隙の無い時代でした。

「世界王者の数」を〝黄金時代〟のモノサシにすると、王者不在の8年間は、日本ボクシング史における大暗黒時代だったかというと、あながちそうとは言い切れません。

パスカル・ペレスのフライ級には米倉健志、矢尾板貞雄が挑み、ホセ・べセラのバンタム級にはやはり米倉が、さらにはフェザー級の歴史的強豪王者デイビー・ムーアには高山一夫が2度挑戦。

そして、ペレスからタイトルを奪ったキングピッチには関光徳、野口恭がチャレンジ。

8年間で5人の日本人が7度、世界の頂点にアタックを試みたのでした。

4団体17階級時代、地域タイトルも溢れている現代では想像もできませんが、世界と名の付くタイトルマッチは一大イベントであり、国民的関心事。

毎日のようにゴールデンタイムで中継されるボクシングの試合は、東洋はもちろん日本タイトルマッチ、新人戦までながされていたというのですから、この5人は東洋レベルで圧倒的な強さを見せつけ、世界に挑戦しました。

今のMLBや欧州リーグに挑戦する、日本を代表する野球やサッカー選手よりも、彼らの方が認知され、人気があったかもしれません。

八尾板は世界王者にはなれなかったものの「現役時代はボクシングというジャンルを超えて日本中に知られた存在だった」(前田衷)なんて、もはや私には想像できません。

ノンタイトル戦でペレスに勝利した矢尾板が「日本の切り札」として1959年(昭和34年)11月5日、殿堂入りのアルゼンチン人に挑戦した試合は視聴率90%超え、リングが特設された大阪の扇町プールには2万5000人の観客が詰めかけ、「日本中の男湯に誰もいなくなった」という伝説が語り継がれています。

〝暗黒時代〟の8年間で行われた世界戦7試合はいずれも50%を超えるテレビ視聴率をマーク。

世界挑戦はいずれも実りませんでしたが、会場はもちろん、テレビの前でも悔し泣きする人が当たり前にいたそうです。

矢尾板のピンチヒッターで急遽リングに上がったわすか19歳の原田が、世界王者を圧倒し11ラウンドでノックアウト、8年間の長いトンネルを抜けて見せたとき、日本列島はどれほどの熱狂に沸騰したのでしょうか。

私の知らない本物の黄金時代が、確かにそこにありました。

もちろん、時代が違い過ぎます。

原田と井上は、二つの時代の〝黄金時代〟を牽引するフロントランナーでしたが、2人の黄金時代は言葉こそ同じでも、その内容はあまりにも違い過ぎました…。


 
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「ボクシングの威厳を守った」。

そんな表現もされた井上拓真の那須川天心に対する勝利。

天心が単なる異業種からの乗り込んで来たというだけでなく、その言動を快く思わないボクシングファンも多かったということでしょう。

異分子ではなかったものの、自分たちの嗜好に全く合わなかった亀田一家へのアレルギー反応も常軌を逸していました。

ボクシングファンが発症した天心と亀田の拒絶反応の種類は違いますが、その根底にあるのは「ボクシングは権威がある」から、それを汚すな、よそ者は入ってくるなという意識でしょう。

この激しい拒絶反応が、当の対戦相手にはほとんどないことは非常に面白いことです。

悩める井上拓真は「那須川天心に勝つ」ということへのモチベーションが、世界タイトルよりも大きかったと何度も口にしてきました。

内藤大助は「(亀田興毅と戦っていなければ)ずっとガソリンスタンドでバイトしてたかもしれない。少なくとも、こんなふう(いろんなテレビ番組に呼んでもらえる人気タレント)にはなっていない」と、むしろ感謝の気持ちを吐露しました。

私の予想は天心の勝利で、拓真の方に大きな重圧がかかる、拓真のコーナーは決して優れていないという考えからでした。

現実に、拓真には大きな重圧がかかっていたと思いますが、彼はそれを跳ね返しました。また「家族の絆」以上のものはないコーナーは、家族の絆、それこそが強烈な強みでした。

27歳の天心にはこれからも認定団体が優遇、何度もチャンスが与えられるでしょう。

天心に関しては、短い時間でよくここまで来たなという思いもありますが、ここから厳しい勝負が始まると思います。

解説人が言っていたように「天心はこれから世界王者にもなれる」というのは、4Belt Eraのアルファベット・タイトルの一つは転がってくるという意味です。

強い相手に勝ってPFPが取り沙汰されるファイターになれる、そんな意味ではありません。



TAKUMA INOUE OUTFOXES TENSHIN NASUKAWA IN POINTS WIN, SEALS WBC 118-POUND TITLE(リング誌)


Takuma Inoue outclasses Tenshin Nasukawa to claim WBC 118lbs gold.(ボクシングシーン)



「天心が勝った方がボクシング界は盛り上がる」。それは事実だったでしょうが、この結果でも盛り上がるはずです。

この試合はセットされた時点で、どう転んでもボクシング界の勝利が約束されていました。

2人にとって、次戦が大切になるのは当然です。そして、それは天心にとってより切実。拓真も、これからのキャリアで天心を上回る動機づけが出来るかどうか、難しいテーマを抱えてしまいました。

まあ、見ているファンはそれはそれで楽しみが増えるのですが。











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WINNNER TAKES ALL…カッコつけてますが、要はMARES WINNNER TAKES ALL。プロボクシングらしいといえばそれまでですが…。



◾️アブネル・マレス◾️


👑 IBFバンタム級
(2011年8月13日 〜 2012年2月9日=返上)
👑 WBCジュニアフェザー級

(2012年4月21日 〜2013年1月31日=返上)
👑 WBCフェザー級
(2013年5月4日 〜2013年8月24日)
👑 WBAフェザー級
(2016年12月10日 〜 2018年6月9日)


ゴールデンボーイ・プロモーションにとって初めての生え抜き世界王者。そして、メキシコのグアダハラで生まれた嘘偽りのないメキシカン。

人気者になる要素は揃っていました。

ShowTimeが手がけたバンタム級最強トーナメント「Super4」の主役。台本通りに優勝、決勝でマレスが繰り返したローブローを見逃し続けたラッセル・モーラ主審はまさに泥棒でした。

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https://fushiananome.superknova.org/archives/11225934.html



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リング誌2013年2月号でマレスはPFP5位。大手プロモーションの秘蔵っ子、そしてメキシカンという内申書が反映された過大評価でしたが、過大評価の典型エイドリアン・ブローナーのおかげでそこまで非難されませんでした。

しかし、10−1で圧倒的有利とされ、グラスジョーのジョニー・ゴンザレスに大番狂せのKO負けを喫するなど、温室マッチメイクでも脱線事故を起こしてしまうのがマレス。

もし、全盛期のアブネル・マレスを倒していたなら…やはり日本史上2番目に価値ある勝利になっていました。そして、それは井上尚弥や中谷潤人にとって難しい仕事ではなかったでしょう。





◾️レオ・サンタクルス◾️

👑  IBFバンタム級
(2012年6月2日 - 2013年2月11日=返上)
👑 WBCジュニアフェザー級

(2013年8月24日 - 2015年11月1日=返上)
👑  WBA世界フェザー級
(2015年8月29日 - 2016年7月30日)👑 WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者
(2019年11月23日 - 2020年10月31日)

この15年の軽量級シーンで最も大きな名前は、レオ・サンタクルスで誰も異論はないはずです。

ラスベガスではMGMグランドガーデン・アリーナにマンダレイ・ベイ・イベンツセンター、ロスではステープルズセンター、ニューヨークではバークレイズセンター…サンタクルスはこれらの大会場で軽量級にもかかわらずメインを張ったのです。

もちろん、井上尚弥や西岡利晃の〝なんちゃってラスベガス〟ではありません。

山中慎介が対戦を熱望しましたが、何の興味も示してくれませんでした。日本にサンタクルスを呼ぶのは不可能、米国でやるには山中は無名すぎる…。

難解な距離感を持ち、奇妙なアングルでパンチを放つサンタクルスは、井上や中谷にも大きな混乱をもたらしたかもしれません。

この人気者のメキシカンをアラモ・ドームあたりでひっくり返せば、日本史上2番目に価値ある勝利はもちろん、衝撃度は〝1番目〟を上回るでしょう。





◾️カール・フランプトン◾️

👑 IBF世界スーパーバンタム級
(2014年9月6日 〜2016年4月28日=返上)
👑 WBA世界フェザー級
(2016年7月30日 〜2017年1月28日)

ボクシングが尊敬されるアイルランドのジャッカル。身長・リーチともに165㎝という短躯ながら、ノニト・ドネアらを手玉に取ってみせました。

2016年のBWAAのSugar Ray Robinson Award、リング誌のFighter of the YearをW受賞は、レオ・サンタクルスとのビッグファイトを制したフェザー級での実績が評価されたものでした。

しかし、無敗のジュニアフェザー級時代をジャッカルの全盛期と見て差し支えありません。

PFPも掻き回したアイルランドの人気者。

もし、戦わば、その舞台はベルファストのアリーナ。そこで、フランプトンをストップするなら…やはり日本史上2番目の価値ある勝利…とここでようやく思い立ちました!

2番目ではなく3番目です!ビセンテ・サルディバルを上回る実績を持つファイターなんているわけありませんでした。

ここまでの、全部訂正!「2番目↘︎3番目」です。



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井上尚弥や中谷潤人のあまりにも不運で最悪のタイミング…彼らがもう少し早く生まれていたなら…?

軽量級にも輝く星が確かに見える、そんな時期があったのです。





◾️ラファエル・マルケス◾️

👑 IBFバンタム級
👑WBCジュニアフェザー級

パッキャオをKOした兄のファン・マヌエルよりもメキシカンに愛された激闘王。

バンタム級、ジュニアフェザー級を主戦場にした〝メキシカンスタイルの教科書〟のデビュー戦はなんとビクトル・ラバナレス(第8ラウンドKO負け)。ラファマルは「エキシビションだった」と公式戦でなかったと主張していますが、このある種の狂気を孕んだ負けん気こそがこの男の持ち味。

バンタム級でマーク・ジョンソン、ティム・オースティン、サイレンス・マブサを撃破。ジュニアフェザー級ではイスラエル・バスケスと伝説のトリオロジーを紡ぎました。

フェザー級でファンマ・ロペスの強打に8ラウンドで沈められた35歳の肉体は、認定団体のWBCが異例の引退勧告を出すほど劣化が進行していましたが、階級を戻してWBCジュニアフェザー級王者の西岡利晃に挑戦するなど、どこまでも往生際の悪いスラッガーでした。

2005年のリング誌年間PFP(BEST FIGHTER POLL)で5位。当時、デジタルバージョンのランキングがあったら瞬間3位内にも入っていたかもしれません。

全盛期のラファエル・マルケスを日本人が倒していたなら…間違いなく史上2位の大金星です。




◾️ファン・マヌエル・ロペス◾️

👑 WBOジュニアフェザー級
(2008年6月7日〜2010年1月23日=返上)
👑
WBOフェザー級
(2010年1月23日〜2011年4月16日)

トップランクがキューバの至宝ユリオルキス・ガンボアとの決勝戦を企図したフェザー級ウォーズの主役がファンマ・ロペスでした。

プエルトリコがボクシング大国だった時代の最後を彩ったファイターの一人、非常に色気のある強打を繰り出すサウスポー。

アテネ五輪にも出場したアマチュアでの戦績は126勝24敗。

WBOジュニアフェザー級タイトルは、評価の高かったダニエル・ポンセ・デレオンを相手にまさかの初回KO勝利。ファンマはこの試合を含めて22戦全勝19KO、24歳のプエリトリカン。メディアはこぞって「スター誕生」と色めき立ちました。

このタイトルを5度防衛(4KO)して、フェザー級に転向。

プエルトリカンのホーム、NYはマディソン・スクエア・ガーデンを根城にし、西海岸への遠征でもMGMグランドのリングに上がる、軽量級ではあり得ない人気者でした。

全盛期のファンマを日本人が倒していたなら?…やはり、文句なしで史上2番目に価値のある勝利と評価されていたでしょう。




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「中立の米国で戦うのが公平だが、井上尚弥と私は米国での需要がない。開催地が日本になるのは仕方がない」(ノニト・ドネア)。

人気階級のスター選手、代表的なのはカネロ・アルバレスですが、あのレベルで興行を打てる軽量級選手は歴史上でも1人もいません。

人気階級をメジャーリーグとすると、軽量級はマイナーリーグといっても全く言い過ぎではありません。

そして、軽量級の中でもジュニアフェザー級以下はマイナー中のマイナー、欧米ではコアなマニアしか関心を払わない暗黒階級です。

それでも、欧米の人気階級への挑戦に本腰を入れられず、心がへし折られ続けている日本では、軽量級がメインステージ。

海外の小さな実力者たちにとって「軽量級としては破格の報酬」と、栄光や名誉への欲求をみたしてくれる「大会場でメイン」という二つの夢が同時に実現できる日本のリングは憧れの場所です。

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その事実を踏まえると、野球やサッカーのように米国や欧州に厳然として存在する華やかで高額の報酬が約束される世界最高峰の舞台はボクシングの軽量級には存在しません。かつて、存在したことすらありません。

人気や注目度という点で完全マイナーリーグなのですから、当たり前の理屈です。

それでも、日本に引っ張り込むのが困難なほどの人気を持つ軽量級のスターが、長い周期で現れる彗星のようにリングに登場してきました。

残念ながら、井上尚弥や中谷潤人の前にはまだ一人も現れてくれない軽量級のスターたち。

ジュニアフェザー級でとんでもない人気を博したエリック・モラレスやマルコ・アントニオ・バレラは例外中の例外、軽量級であんなのが現れることは後にも先にも、もう2度とないでしょう。

モラレス、バレラとまではいかないまでも人気と実力を兼ね備えたスターを、この15年スパンで切り取って振り返ってみます。

このシリーズを始める刺激になったのは、もちろんジェシー〝バム〟ロドリゲス。

寺地拳四朗とのビッグファイトが待望されるバムは、PFP中位を徘徊する実力は文句なしですが、人気面は今ひとつ。

単体での集客力はもちろん、ファン・フランシスコ・エストラーダ戦も「軽量級」とう十字架を考慮しても、けして高い関心を集めたとは言えません。

エストラーダも、人気という観点からは「不人気階級の不人気選手」という枠から脱出できませんでした。

「不人気階級の不人気選手」という檻を破壊した、軽量級のスターを総覧します。


※ここではPFPなど実力評価が高かったドネアやギレルモ・リゴンドー、アンセルモ・モレノ、ローマン・ゴンサレスらは人気面で全く物足りなかったのでカウントしません。


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昨年8月から活動休止中だったフワちゃんが昨日、自身のインスタグラムを更新。女子プロレス団体「スターダム」に入団、プロレスでの活動再開をファンに報告した。

フワちゃんは2024年8月、お笑い芸人のやす子に対し、不適切な投稿をしたことから、SNSなどで批判され、活動を休止していた。

フワちゃんは「この一年半、希望を捨てずにやってこれたのはプロレスがあったから」と書き込んだ。




希望を捨てずにやってこれたのはプロレスがあったから


プロレスがなければ希望を捨てざるをえなかった、そういう意味です。

そこまで追い込まれた人でも、表舞台に復帰が許される最後の希望がプロレスだったということでしょう。


プロレスとは何か?





♬ 惑星から追放された〜この悔しさを忘れはしない
ゴリとラーの惑星にもプロレスがあれば、2人は宇宙を彷徨うことはなかったかもしれません。





年寄名跡「花籠」を借金の担保にしていたことなど数々のスキャンダルから角界を追放された大横綱、輪島大士。


トラブルメーカーだった北尾光司のケースでも「彼の場合は、もうプロレスへ行くしかないんだろうね」という声が多く聞かれました。


桑田スキャンダルを暴露した中牧昭二がプロレスラーになったのも、実に納得できるストーリーでした。



もうプロレスへ行くしかないんだろうね。


世間から叩かれまくり、社会から追放された彼らでも復帰が許される場所。

それがプロレスです。

スポーツとしても演芸としても認知されないプロレスは、社会に含まれないアナザーワールドに違いありません。


「もうプロレスに行くしかないんだろうね」。…とらえ方によっては、プロレスに対して非常に失礼な発言です。


広く門戸を開放し、社会から逸脱した落伍者をも飲み込む摩訶不思議なブラックホール。

それがプロレスです。





そして、五輪金メダリストのウルフアロンまで惹き寄せるのがプロレスの引力です。

なんという懐の広さ!



ウルフアロンのデビュー戦、楽しみです。


最後に、プロレス転向の記者会見を開いたウルフアロンの言葉を。


「なぜプロレスを?」と言われたら、「好きだから」です。



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Thursday 13, November 2025

Montreal Casino, Montreal, Quebec
commission:Quebec Boxing Commission
promoter:Camille Estephan (Eye of the Tiger)
matchmaker:Jordan Mathieu
official in charge:Jean Gauthier

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モントリオール・カジノ⬆︎は、1967年のモントリオール万博が行われたノートルダム島の跡地に建設されました。

ノートルダム島は人工島、万博とカジノ…まさに夢洲の大阪万博と同じ浮世のワンダーランドです。


さて、2019年12月23日。横浜アリーナのリングに上がったとき、彼の戦績は30戦24KO1敗1分。10連勝(うち9KO)と勢いに乗って世界タイトル初挑戦に漕ぎ着けました。

ロンドン五輪金メダリストで右の強打と固いブロックを持つWBAミドル級王者に挑むには実力不足と見られていましたが、BANG BANGの異名を持つ24歳のカナダ人は「パワーは私の方が上。ベルトを地元モントリオールに持ち帰る」と自信満々でしたが…。

試合は村田諒太の圧力に追い詰められて、第5ラウンドに痛烈に叩きのめされてTKO負け。

この試合の結果はカナダのCBCニュースでも大きく報じられたことからも、〝BANG BANG〟スティーブン・バトラーがボクシングの関心が高いとは言えない母国でも一定の注目を集めていることを窺わせました。

「人気階級の白人ファイター」は特別です。

しかし、強豪がひしめき層も厚い人気階級で頂上に登るのは白人でなくとも至難の業。

カナダに強力なファンベースとスポンサーを持つバトラーはWBO王者ジャニベク・アリムハヌリへも挑戦しますが、2ラウンドKO負けで惨敗。

それでも、モントリオールでは人気者。11月13日に美しいカジノに内蔵されたアリーナで行われるイベントのメインを飾ります。

当初は同じカナダ人のエリック・バジニャンと対戦する予定でしたが、バジニャンが負傷。カメルーンのステファン・フォンジョが代役に送り込まれました。

フォンジョは2020年9月デビュー。ここまで14勝9KO1敗1分。WBC暫定スーパーミドル級王者クリスチャン・エムビリのスパーリングパートナー。これがキャリア初の10回戦になります。

バジニャン戦はアンダードッグだったバトラーですが、フォンジョ相手でどうでしょうか?

一つ確かのことは、5敗のうち4つがKO負けのバトラーがこの試合でもストップされたとしても、またチャンスをもらえるということです。

逆に、ここ数試合をカナダで戦っているフォンジョがバトラーに勝っても世界路線には簡単には乗せてもらえません。



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Friday 7, November 2025
  
RP Funding Center, Lakeland, Florida, USA
commission:Florida Athletic Commission

promoter:Garry Jonas (Pro Box Promotions),
     Sampson Lewkowicz (Sampson Boxing)

matchmaker:Ramiro Hernandez, Daniel Rubin

バンタム級10回戦



アストロラビオはギレルモ・リゴンドーに番狂せを起こし、ジェイソン・モロニーと空位のWBOバンタム級王座を争い惜敗、勝利昨年7月にはWBCバンタム級王者中谷潤人のボディ一発で初回KO負けと日本のボクシングファンにもお馴染みの118パウンダー。

そして、Katsuma Akitsugi(秋次克真)は日本のボクシングファンにはほとんど無名ながら和歌山県生まれ、ロス在住のサウスポー。戦績は13戦全勝3KOと無敗のテープをジリジリと伸ばしています。

アストン・パリクテ、ジョナス・サルタンに続きアストロラビオと3戦連続でフィリピン人と対決するカツマが狙うは、もちろんバンタム級のストラップ。

WBO9位に付けるアストロラビオを攻略すると、待望の世界戦への道筋が開けてきます。

El Cuete Japonecito(童顔の日本人)が13試合で稼いだファイトマネーは、約20,000ドル(1ドル150円計算で300万円)をやっと超えましたが、米国の軽量級には厳しい現実が横たわっています。

世界王者になっても、米国ではまともな報酬が得られず、注目もされません。

それでも、王者になって日本で日本人相手に防衛戦となれば、その1試合で生涯報酬に近い大金を手にすることができます。

オッズは無敗のカツマが4/11(1.36倍)。アストロラビオが21/10(3.1倍)。


https://fushiananome.superknova.org/archives/34758739.html



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二つの拳、それもナックルパートだけしか攻撃が許されない偏狭極まりない格闘技、ボクシング。

18世紀後半に英国で着手されたルール整備は、現代の総合格闘技以上に自由だったボクシングの攻撃手段をどんどん制限する方向で進められました。

そして生まれたのが、異種格闘技戦の舞台では最弱であるボクシングです。

しかし、偏狭の追求は、究極の研磨を意味しています。

あまたの格闘技の中で、いいえ、あらゆるスポーツの中で、ボクシングが最もドラマティックであることはそれがテーマに作られた小説や音楽、映画などの数が圧倒的であることからも誰にでも理解できるでしょう。

そして、やはりドラマティックなことに、そんな映画などを易々と超える現実のリングがいくつも存在してきました。

もしかしたら、小説や映画にも出来ないからこそ、作家や脚本家は現実を越えることが出来ないことを承知で、このスポーツをフィクションで表現することに敢えて挑戦し続けているのかもしれません。


前置きが長くなりました。



英国ボクシングニューズ誌から40 years on, Lee Roy Murphy recalls his astonishing double-knockdown fight をご紹介。

ドラマに溢れたボクシングの世界でも Double-knockdown は滅多に見ることができませんが、日本時間の今日、ちょうど40周年を迎えるこの試合はROCKY II IN REAL LIFE として記憶され続けてきました。


Saturday 19, October 1985
  
Stade Louis II, Fontvieille, Monaco
commission:Federation Monegasque de Boxe 
promoter:Roberto Sabbatini

IBFクルーザー級12回戦


©︎リー・ロイ・マーフィー
vs
チサンダ・ムッティー



序盤から激しいパンチを交換した両者は最終回にダブルノックダウン。

まるで、ロッキー・バルボアとアポロ・クリードのように。そして、日本のボクシングファンなら竹原慎二と李成天の第8ラウンドも思い出すでしょう。


It wasn’t no damn Rocky II fight – it was real, man. We did that for real. 

あれは映画のロッキー2なんかじゃなかった、いいかい、あれは映画ではなく、現実に起きたことなんだ。〜マーフィー



マーフィーはマービン・キャメルからタイトルを奪い、ドワイト・ムハマド・カウイらクルーザー級の強豪たちと拳を交え、イベンダー・ホリフィールドともニアミス。

そして、多くのクルーザー級王者と同様に「いつかヘビー級で王者になる」ことが夢でした。

身長179㎝のマーフィーは、キャリア終盤で夢の無差別級に身を投じました。

そして、同じシカゴ出身で、同じヘビー級への夢を見ていたクルーザー級のアルフォンソ・ラトリフ(マイク・タイソンの噛ませ犬)とイリノイ州ヘビー級タイトルを争ってベルトを勝ち獲るのです。

「些細な足跡かもしれないが、ヘビー級で戦ったアリバイを作れたかな」と、マーフィーは笑ってみせました。


オリバー・マッコールと互角以上のスパーリングを展開、レノックス・ルイスの練習パートナーもつとめたマーフィーは、アマチュア時代に遡ると幻のモスクワ五輪代表でした。

Even today, when I go out, when I get on the bus and folks recognise me, which they do from time to time, that’s the fight they want to ask me about. 


時代が少しだけ違えば…地上波生放送されていた当時、五輪でメダルを獲っていたなら、プロキャリアは全く違った環境でのスタートとなっていたはずです。

「五輪ボイコットがなかったらもっと有名になっていたかって?それは違うと思うな。ムッティーとの試合があったから、私はこうしてあなたたちメディアの取材を受けてるんだから」。

「いまでもバスに乗ったりすると、当時を知っている人からあの試合のことを聞かれることがある。五輪に出場してても、ムッティーとの試合がなければ、今でも私のことを覚えている人がどれだけいるだろうか?」。



ムッティーは1990年に38歳の若さで亡くなり、カウイも今年7月25日に72歳でこの世を去ってしまいました。

「彼らがいないのは本当に寂しい。だけど、今でも私たちの戦いを覚えてくれている人たちがいる。それはやっぱり、素晴らしいことなんだ」。



ボクシングには語り継がれるドラマが、確かにあります。




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