
早ければ2020年の東京から、ボクシングが五輪から排除されるかもしれません。
BBC英国放送協会によると、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が韓国冬季五輪開幕直前の4日、平昌で開催された理事会終了後に記者会見し「組織運営と判定の問題から2020年東京五輪からボクシング競技を除外する可能性がある」と語ったというのです。
国際ボクシング協会(AIBA)が1月下旬に選出したラヒモフ副会長(ウズベキスタン)について、米財務省は「マフィアとの関わりが深いズベキスタンの代表的な犯罪者の一人で、ヘロイン売買にも関わる重要人物」と反社会組織の幹部とみているそうです。
また、2016年リオデジャネイロ五輪では、不可解な判定が相次ぎ、マフィア絡みの八百長や買収の疑惑が噴出していました。
ボクシングの除外問題では、人気が低迷していることも触れられたと言います。
1984年のロサンゼルス五輪までは米国が自国選手の全試合を地上波生中継するなど、少なくとも米国ではボクシング人気は健在で、IOCは放映権収入の営利を貪っていました。
IOCからしたら、ボクシングからの収入激減が腹立たしいのではないでしょうか。
これまでにもソフトボールを含む「野球」競技が「世界的な人気がない」という理由で五輪種目から締め出され、レスリングも同じ理由でその憂き目に直面しています。
人気のないマイナースポーツは、五輪から締め出され、ますます衰退し消滅してしまう。それは仕方がないことなのでしょうか?
世界的に人気のある、サッカーやバスケットボール、テニスは、五輪に頼らずとも世界最強を決める舞台装置を持っています。そんなスポーツを、わざわざ五輪種目にする理由がありますか?(錦織圭は日の丸を背負って戦うことの動機付けと重圧の大きさが、貴重で素晴らしい体験だったと語っていますが、それは五輪である必要はないでしょう)
もう一方の見方として、生態系の保全のために絶滅危惧種を保護するようにマイナースポーツも大切に扱う必要があるのでしょうか?
五輪の理想の将来像は、そんな絶滅危惧スポーツを保護する存在なのでしょうか。
数年前、近所の高校が、選手がいなくて体育倉庫で錆びたまま何年も経った陸上競技投擲種目の砲丸、ヤリ、円盤、ハンマーを廃棄処分したと聞いたとき、陸上競技部に籍を置いていた身としていたたまれない気持ちになりました。
私は長距離選手でしたが、投擲種目の面白さ、奥深さはそばで見てるだけでもよくわかりました。「いかに美しく完璧な放物線を描くか」を追求する投擲は、まさに〝フィールドの数学〟でした。
しかし、仕方がないことなのかもしれません。誰もやりたくない不人気スポーツを、税金を使って保護する必要などありません。
ところが、IOCというのは本当に支離滅裂な団体で、「世界的な人気」という尺度だけから考慮するなら、近代五種や馬術を真っ先に除外するべきなのですが、そうしていないのです。全くもっておかしな話です。
野球やレスリングが標的にされたのは、「世界的な人気がない」というのは表向きの理由で、実際には IOCに対するロービー活動が不十分だったからに他なりません。
近代五種のロビー活動は、相当レベル高そうです。そりゃ、野球やボクシングみたいな下々のスポーツじゃ太刀打ち出来ません。
IOCの性根が腐っているのはわかりきってたことです。五輪排除を仄めかされるということは、ロビー活動という名の朝貢和を怠ったツケとも言えます。競技を統括する協会団体の努力不足が問題ともいえます。
協会団体の乱立・分裂という愚かな自滅行為で、五輪出場が危ぶまれたテコンドーやバスケットボールのような競技もありましたが、いずれも選手には一片の責任もありません。
競技の人気がないのは、統括団体だけでなく、百歩譲って選手の責任も皆無ではありません。しかし、それが理由ではなく、「統括団体が腐敗してるから」「IOCへのロビー活動(朝貢)が不十分だから」というのでは、選手は泣くに泣けません。
IOCというブラックボックス、各国の統括団体というブラックボックス、国際政治のブラックボックス、そんな不透明で腐臭が充満した密室で、アスリートが命がけで磨き抜いた技術を披露する場所を奪うことが決定されるなんて、到底許されることではありません。
選手に全く責任のないことで、選手を苦しめてどうする!
選手は厳しい日々の練習と過酷な競争、試合の結果にのたうち回って苦しむだけでいいんです。
ブラックボックスの中で、陰湿に利権絡みで物事を謀るな。
今回の「ボクシング排除?」の原因は、AIBAであってボクシングではありません。構造上、ありえないことですが、倫理道徳上では締め出されるべきはAIBAで、ボクシングを除外してはいけません。
今日も、東京のメダルを目指して死に物狂いで練習してる、第二の村田諒太や清水聡がいるのです。
選手に責任がないのに、その舞台が奪われるなんて理不尽は絶対に許せません。
超法規処置でも参加を認めるべきなんです。国が認めない場合ならIOC推薦選手として。五輪が平和の祭典なら、性根が腐ったIOCでも、せめてそれぐらいの見栄を張ってみせろ。
私たちの夢を背負って、命の限り努力した才能溢れるアスリートを絶望させるな。
私たちから、アスリートの神業に感動する権利を奪うな。
IOC推薦選手が優勝したら、五輪旗を掲揚したらいいんです。国家斉唱の代わりの歌は、ジョン・レノンの「イマジン」でも、竹内まりやの「けんかをやめて」でもなんでもいいです。
利権まみれの欲ボケ老人やマフィアは、これ以上スポーツに関わるな。
コメント
コメント一覧 (2)
平昌でも「個人資格」で出場している選手はいますが、アスリートがNo.1を決める舞台に、政治や利権は入り込んで欲しくはありません。
サッカーやテニスは、IOC以上に腐った統括団体が主導していますが、世界最強決定の舞台は保証されていますし、ボクシングの世界からは羨ましい限りです。
各々のスポーツにおいてアマチュアで世界大会が存在する競技なら逆に五輪を選手の発露の唯一の機会として存在意義を証明するのは難しいと思います
五輪が五輪なのはナショナリズムに他ならず(五輪の定義がそうであるというだけで、自分自身はそこに勝ちをほとんど見いだしてないです)、競技の規模ではなく参加国の多さというのは説得力を感じますね 故に野球の廃止は意義ないし、逆にボクシングやテコンドーは体制の不透明さが刺さっただけでしょう
かといって八百長や副会長の人となりは現時点ではソースなき確証のない陰謀論にすぎず無理にロビー活動というなの同調圧力に迎合することは賛成できないです
判定がおかしいのならおかしいレフェリーを定期的な試験などを行って排除すればいい、それだけのことです
そしてこれはプロでも全く同じ事です
冷静な対応を求めます
因みに上記の理由で投擲はオリンピックに必要だと感じます