1970年12月11日、ティファナ市立体育館。

3本のロープが張られたリングのキャンバスには何の広告もなく、世界タイトルを争う二人のトランクスにもその類のものは何も見当たらない。

潔いほどシンプルな時代だった。

ビセンテ・サルディバル、27歳。柴田国明、23歳。

この試合は日本でも衛星放送で生中継される予定だったが、通信機器の不調から急遽中止になってしまう。

日本ボクシング史上最高の海外ニュース、あの試合は生中継されなかったのだ。

オープニングラウンドで試合は決していた。王者は「こんなに強いとは、これは厳しい」と感じ、挑戦者は「勝てる」と、確かな手応えを掴んでいた。

12ラウンド終了TKOで、柴田は最初の世界タイトルを獲得。しかも、敵地メキシコで。しかも、王者はあのビセンテ・サルディバル。

完全ホームで大番狂せに散ったサルディバルだったが、勝ち名乗りを受ける柴田に近づくとその手を挙げて祝福してくれた。

“I learned from Saldivar the dignity of a champion, of honoring your opponent at the beginning and at the end.”

柴田は「サルディバルから対戦相手に敬意を表す王者の威厳を学んだ」と感動を語っている。

一方で、確実と見られていたサルディバルの防衛成功を祝うイベントは全部中止。宴会場では、粛々と食べ物などが片付けれられた。




そして、大騒ぎになったのは、日本。

衛星放送が中止になって、動画も画像もない「柴田がメキシコでサルディバルに勝った」というニュースだけがテレビやラジオで報じられ、東京や大阪では写真もない、柴田の勝利だけを短く伝える号外が配られた。

「お世話になったティファナの人たちにお礼をしたり、メキシコ見物してから帰国しよう」と考えていた柴田だったが、東京のテレビ局から出演オファーが殺到、すぐ帰国しなければならなくなった。

往きの飛行機はエコノミーだったが、帰りはファーストクラス。

出発のときの羽田空港は関係者しかいなかったのに、タラップを降りると空港にはファンが大勢詰めかけていた。

日本中が大騒ぎで、柴田は全く落ち着くことができない、そんな時間が1ヶ月も続いた。

 I had flown economy and flew back as a champion upgraded to first class. On my arrival in Tokyo, I realized the whole country was literally buzzing about my accomplishment. It lasted for a month.”


ーーービセンテ・サルディバルの生涯戦績は40戦37勝26KO3敗。

最後の試合は1973年10月21日。WBCフェザー級王者エデル・ジョフレに挑戦、4ラウンドでKO負け。世界戦で敗れたのはジョフレと柴田だけだった。

サルディバルが王者として敗れたのは、柴田だけ。




BoxRecによると、これまでリングに上がったフェザー級のプロボクサーの数は6万7607人(2023年5月31日現在)。

BoxRecが選んだ、その頂点に立つ史上最強のフェザー級は誰でしょうか?

普通にウィリー・ペップ?それともファン・マヌエル・マルケス?いや、やっぱりサルバドール・サンチェス?

全部、外れです。

史上最強のフェザー級はビセンテ・サルディバルです。