日本史上最高のフェザー級は、柴田国明で誰も異論はないでしょう。

日本人が勝利した最高のファイターがエデル・ジョフレであることにも、誰も異論はないでしょう。

そして、エデルに次ぐ最高がビセンテ・サルディバルであることにも。

柴田が挑戦したときのサルディバルは、WBCフェザー級王者でしたが、元WBA/WBCフェザー級王者。

WBAのストラップは敗れて失ったのではなく、王者のまま引退して手放したもの、WBCは復帰して取り返したものでした.

その最初の引退試合はフェザー級のUndisputed championとして、あのアステカスタジアムで行われました。

打撃戦にめっぽう強く、それでいて気まぐれなプレーボーイ。絶大な人気者だったのは当然です。

リカルド・ロペスは極端な例にしても、メキシコであっても、実力と人気は絶対的に比例するわけではありません。

サルディバルは、その両方を高い次元で手に入れた稀有なファイターでした。

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柴田は、そんなメキシコの英雄に敵地で挑戦したのです。相手はメキシコの英雄、敵地に行くしかなかったのです。

柴田が勝てるとは、誰も思っていませんでした。

しかし、サルディバルが大人気のヒーローであるが故に、完全アウエーであるはずのティファナで意外なことが起こります。

時差と10kg近い減量のため、約1ヶ月前にティファナ入りした柴田は、現地のボクシングファンから、思いがけないほどの大歓迎を受けたのです。

スーパースターのサルディバルの練習やスパーリングの見学は有料でしたが、柴田は無料で開放、連日多くのボクシングファンが集まったのでした。

試合1ヶ月前に現地入り、その間にメキシコのファンも柴田への思い入れが芽生えたのでしょう。

宿泊先のホテルまで、サインを求めにやって来るファンもいました。

地球の裏側からやって来た、練習を無料公開してくれる日本人。

しかし、試合の日には我らが誇る英雄サルディバルの生贄になってしまう、優しい青年。

ティファナのボクシングファンは、この試合を複雑な気持ちで見ていたかもしれません。


私はというと、このビッグファイトをリアルタイムで知りません。

日本国内では〝悲報〟を覚悟する諦めの空気が漂っていたのではないでしょうか?


そして、現地の柴田は地元の英雄に挑戦するというのに、完全アウエーではなく、心地良いそよ風に背中を押されるような感覚があったのではないでしょうか?

1970年12月11日。その日がやって来ました。