学生の頃。

部活は野球と陸上競技(中長距離)をやってました。

ボクシングは高校に部活はなく、大学に入ってからも〝席を置いていた〟幽霊部員でした。

生まれながらに(こんなことを言うと親に失礼千万ですが)社会性が欠落していた私にとって、たとえチーム競技である野球でも、個人のパフォーマンスが評価されるスポーツは 、駆け込み寺のような存在でした。

そして、もうスパイクやボール、グローブ、ロープ(縄跳び)…そんな、社会ではなんの役にも立たないものを、自分とオーバーラップさせて愛していました。

いや、過去形はおかしいですね。今でも愛しています。

試合に備えて陸上のピンをスパイクにクルクル仕込むのなんて、もう何十年もやってませんが、あんな幸せはちょっとなかったなと、今更ながら思い出します。

銀紙をめくって取り出した硬球を握ると、牛革のしっとりした感触を指と掌に感じながら、闘志が湧き上がってきました。

ドライバーでネジを固定してパンチングボールを吊るしたとき、大袈裟でなく、神事を行なった司祭の気持ちになりました。

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ああ!そうです、そうです、そうです。

そう考えると、陸上競技でスパイクにピンを仕込むこと、野球で新品のボールを包装から取り出すこと、パックされたビニール袋を破って新品のボクシンググローブを取り出すこと、これは全て神事です。

神聖な神の祭り事です。

汚れたスパイクやボール、グローブを洗うことも、大切な神聖な行いです。

こんな感動は部活に取り組んだ人の特権です。

去年の夏に、母校の先輩同輩後輩どころか、現役の高校生たちとも会う機会がありました。

酔っ払ってスパイクのピンやボールの話をしたことを思い出しました。

その神聖で、瑞々しくって、青臭くて、もの悲しくって、ほろ苦くって、やるせなくて…そんな真っ只中にいるお前らが羨ましい、たとえコロナでも、もしかしたらそんな状況だからこそ、俺たちのときよりも神聖だったり、瑞々しかったり、青臭かったり、もの悲しかったり、ほろ苦かったり、やるせなかったり、するかもしれない。

…そんな、まさに青臭いことを言った覚えがあります。

…私の現役時代を知ってる人には「どの口で言うとんねん!」と笑われそうですが。  

高校時代をパンデミックによって、私たちとは全く違う形になってしまった、彼らとは部活や勉強についての「メール」でのやり取りを始めることになりました。

こっちから命令したのは「言いたいこと、聞きたいことをまとめたタイトルをつけろ」というだけでしたが、最初はもう「本文」とは違和感しかないタイトルだったりしてたのが、10代の脳みそは反射が素晴らしすぎて、こっちが「アホか」と言うと、次は別人かと思うメールを寄越してくるのです。




もう、私の方が何を書いてるのかわからなくなってきました…

「愛でるもの。愛でてしまうもの。愛でるしかないもの。[愛と青春は旅立たない!ずっとそばにいるんだぜ!]…という新シリーズの開幕です。