James Alexander "Jim" Devlin(1849年6月6日 - 1883年10月10日)。

世に連れ添うのは歌謡曲だけではありません。

スポーツも世に連れ添い、変化を遂げていきます。スポーツの風景は10年一昔。

ベーブ・ルースと大谷翔平は、100年のときを超えた仮想対決を演じています。しかし、彼らが100年の歳月を隔ててプレーしている野球は、全く別物と考えるべきでしょう。

野球人気の低迷、世界的なパンデミックという奇妙な符号はあるものの、100年前と現代を単純比較することなどアインシュタインでも不可能です。

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それが150年ともなると、もはや「別のスポーツ」を超えて「別の世界の出来事」と考えるべきです。

ジェームズ・アレキサンダー〝ジム〟デブリン。

彼が活躍した1870年代というのは、フロンティアがまだ太平洋まで達していなかった時代!です。

浅はかな歴史しか持たない米国史では〝紀元前〟。

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デブリンは、1873年に内野手として地元フィラデルフィアのフィラデルフィア・ホワイトストッキングスに入団。

翌1874年にシカゴ・ホワイトストッキングス(シカゴ・カブス)に移籍、1875年から投手として登板するようになりました。

余談ですが、のちにロッキー・マルシアノがトライアウトを受けたのもシカゴ・カブスでした。


1876年にナショナルリーグが創設。デブリンはルイビル・グレイズに移籍。チーム全69試合のうち、デブリンは68試合に先発!投球回数は622回!規定投球回が69のフレームで622!!!

現代のbaseballとは、全く別のスポーツです。

この年、デブリンは30勝を上げ、奪三振121はリーグ最多、防御率1.56。さらに、打率.315、94安打をマーク。

「30勝、3割」。トリプルスリーよりも遥かに難しい二刀流の〝ダブルスリー〟です。 Sho-Timeがデブリンを超える日がいつか訪れるでしょうか。
 

…しかし。

1877年オフ、グレイズの選手に八百長疑惑が持ち上がってしまいます。デブリンは八百長への関与を告白、永久追放処分に。


フィールドを去ったあと、地元フィラデルフィアで警察官として働きますが、野球への未練を周囲に語り続けていたと伝えられています。

1883年に結核を患い、なんと34歳の若さで天国に旅立ちました。



高い秋空の上から、デブリンは大谷翔平の躍動を見て何を思っているでしょうか。