格闘技。

プロレスも含めた広義の格闘技を語る場合、日本は間違いなく格闘技王国です。

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プロレスはもちろん、キックもボクシングのジム制も、全ては相撲から形作られました。



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「ここでメインを張るのが夢」。そのためには「最低でもフェザー」と語っていた井上尚弥ですが、現実にはフェザーでも無理、ロマチェンコのように異国人の井上はライト級でも無理です。

パッキャオのようにウェルター級の猛者をバタバタ倒せば話は変わりますが…。

ムエタイというフロントランナーが存在するものの、キックボクシングは、日本発祥で日本が中心地。

また、プロレスから派生したとはいえ、総合格闘技の源流は日本から湧き、流れ出ました。

そして、ボクシング。JBCというたった一つの団体が70年近くにわたり、一貫して統括しているという点で、キックと総合とは一線を画してきました。

キックと総合が「メイド・イン・ジャパン」で「世界」を作ろうとしたのに対して、ボクシングは「フロム・ジャパン」で、すでに出来上がっていた「世界」にアプローチしたということです。

このベクトルの大きな違いは、キックと総合が〝国際法〟に関係なく、メイド・イン・ジャパンを追求できたのに対して、ボクシングではそれが許されなかった、ということを意味しました。

〝国際法〟がないキックと総合は統括団体の乱立と、ルールの多様化によりファンに「わかりやすいスポーツ」を提供することができず、間歇的に登場するスター選手に大きく依存することでしか体制を維持できない、そんな状態が続いています。

スター選手に都合の良いルールやマッチメイクが採用される傾向が強くなる、それはスター選手と心中することを意味しました。

サステナビリティとは真逆の世界観で、ビジネスと取り組んでいるのです。

そして、スター登場を待つ、その場しのぎとスターに迎合する姿勢が、茶番劇に行き着くのは自然の流れでした。

PRIDEやK1は、確かに「世界」を目指していましたが、その優先順位は短絡的でその場限りの茶番劇よりもずっと下でした。



そもそも、彼らにはボクシングに次ぐ第二のプロ格闘技を創設し、いつかボクシングに並び、抜くというグランドデザインがごっそり欠落していたのです。

それをやってのけたのが、UFCでした。

ボクシングがとうの昔に忘れ去ってしまった「オリジナル8だけの純粋な階級と、一つの階級に王者は1人という常識」をフォーマットに、ドーピングにもボクシングよりも厳しいスタンスで臨みました。

UFCは「スポーツであること」を追求したのです。

UFCは、カネロ・アルバレスに匹敵するスターはまだ輩出していませんが、イベント単位ではカネロの試合がバッティングを避けるほどの存在になっています。

キックも総合も、もはや世界を諦めたようです。その象徴的な試合が日本人対決がゴールという「THE MATCH」と、それと並走する茶番劇路線。

一方のボクシングは〝国際法〟の存在する世界的な競技とはいえ、米国と英国という日本のボクシングファンが意識する「世界」において軽量級はマイナーで、まともに注目されることはありません。

ありもしない「ラスベガスで軽量級のメガファイト」という幻覚を見てしまった西岡利晃や井上尚弥は、軽量級の現実にぶつかって日本に引き戻りました。

「ラスベガスやニューヨークの大会場で大手プラットフォームによるPPV」など、ジュニアフェザー級以下の軽量級では歴史上一度もない、空想上のイベントです。

それでも〝世界〟が諦められない私たちは、PFPに無理やりそれを見ようとしています。

ラスベガス幻覚が打ち砕かれた今、「米国のボクシングファンは権威あるリング誌のPFPランキングをいつもチェックして、そこに名前を刻んだ選手をリスペクトしてくれているはず」という新たな幻覚症状を引き起こしているのです。

ローマン・ゴンサレスやノニト・ドネア、リカルド・ロペスらがどんな扱いを受けていたかを想像もできずに…。

米国でボクシングは完全マイナー競技、軽量級はそのマイナー競技の中でも関心が低い不人気階級、それが現実です。



キックは日本を出た〝世界〟を、未だに創出することができていません。

総合ではファーストエントリーは果たしたものの、もはやUFCは遥か彼方に霞んでしまいました。

ボクシングも軽量級という小さな箱の中に閉じこもっている限り、米国や英国の世界とは無縁、キックと何も変わりません。

日本の格闘技。

その舞台に〝大谷翔平〟が現れる日がいつか来るのでしょうか?



日本の格闘技。

そこに〝世界〟はあるか?

そこに〝本当の世界〟はあるか?