沢木耕太郎の代表作の一つに、山口二矢と浅沼稲次郎の一瞬の邂逅を描いた「テロルの決算」があります。

初めて読んだのは高校生のとき。

読み終わったとき、担任の先生が図書館に入って来ました。

「授業中や!教室に戻れ!」と、怒られると一瞬思いましたが、担任が私を怒ったことは一度もなく「面白い本、あったか?」とでも聞いてくるのかな、と思いきや「昔の友達に会うねんけど付き合わへんか?向こうも教え子一人連れてくるゆうから。ちょうどお前の同級生や」と誘われたのです。

その同級生が、今も付き合いのある右翼でした。

ちなみに、その担任教師は自称学生運動の闘士でした。

「テロルの決算」をちょうど読み終えた夕刻に、教師に声をかけられ、同い年の右翼の高校生に会う。

そんな偶然があるのか、と驚きましたが、炉端焼きで担任教師とその友人右翼とその教え子と「テロルの決算」を読み終えたばかりだと言うと、みんな「テロルの決算」を読んでいました。

そして、こんな偶然があるのかなと、笑うと、担任から「お前はそんなことが多そうやな」と言われました。

確かに〝そんなこと〟が多いです。

年間何百冊も本を読んだり、月に何本も映画を観たり、そんな引きこもりの合間に野球部や陸上部の練習や試合に出てると「資本論」から「青春の門」、「長距離ランナーの孤独」から「がんはれベアーズ」、何かしらの〝偶然〟が、かなりの確率で重なります。

ウィリアム・ゴールディングの「蝿の王」を読んでいたときに、付け狙われてた外国学校の馬鹿者共にボコボコに殴り倒されたことがあり「これ、まさにバトルロイヤルや」と思いながら結構な怪我したこともありました。

殴られてる途中で「いや、これはバトルロイヤルちゃうやん、リンチや」と気づくとおかしくなって、笑ってしまったこともありました。

そして、そのあと中学時代の友人から新日本プロレスのイベントに誘われ、本物のバトルロイヤルを目の当たりにするのです。









政治や宗教、それは絶対正義の要塞です。

個人的には、特定の政治団体や宗教に対して、継続的に支持したり、信仰するような興味は全くありません。

今回の事件はまだ起きたばかりで、犯人の動機は明らかになっていません。

しかし、元海上自衛隊員という情報からは安倍晋三を撃った理由が全く思い当たりません。

山口二矢を肯定するつもりは毛頭ありませんが、17歳の右翼少年が浅沼稲次郎を刺す行為には〝筋道〟が通っていました。

しかし、41歳の元自衛隊員が安倍元首相を撃ったことには、やるせない闇しか感じることはできません。

山口二矢の17年の生涯は幸せだったのか、不幸だったのか。重信房子に三分の理はあるか?

もっと極言すると、山口や重信の正義には全く共感できないか?

それとも〝全く〟では、ないか。

そんな話を今でもすることがありますが、今日のこの凶行もそんなふうに語られる日が来るとは思えません。



今はとにかく、安倍元首相には一命をとりとめて欲しい、卑怯者に殺されないで欲しい、…ただそれだけの思いです…。