The Undisputed Champion。議論する余地のない王者。私がその言葉を最初に目にして、耳に聞いたのは、世界のボクシングに惹き込まれた1980代初頭の頃でした。

ミドル級のマーベラス・マービン・ハグラー、ウェルター級のシュガー・レイ・レナード、ライトヘビー級のマイケル・スピンクス、そしてマイク・タイソン。

1985年春、スボーツイラストレイテッド誌が「HBOとDynamic−Duoがヘビー級完全統一トーナメント=The Undisputed heavy weight champion Series を翌年からキックオフするとレポートしました。

IMG_6960

その後、日本でも無冠のマイク・タイソンが快進撃を続けていることが雑誌ナンバーなどで大きく特集されます。

王者ではないものの、18歳の少年がこのトーナメントの主役として考えられていたことにどんな意味があるのか、まだ世界のボクシングに触ったばかり、英語もろくに読めない中学生にでもわかりました。

興行を仕切るDynamic−Duoはドン・キングとブッチ・ルイスが共同出資して設立したプロモート会社。彼らのトーナメントでは、当然のように無冠のタイソンがシードでセットされます。

まぁ、これがボクシング、これぞボクシング。

ドンとブッチは前年1985年春からこの構想を固めていたということは、その時点でタイソンに接触していたはずです。

カス・ダマトが亡くなったのは1985年11月4日。

トレバー・バービックを〝遊泳〟させて世界王者になったのが1年後の11月22日です。そのリング上で笑顔で言葉を交わすタイソンとキングの姿がありました。

「タイソンはダマトが死んでからダメになった」というのは時系列が狂ったフィクションです。

「キングとは関わるな」というダマトの戒めを、タイソンが恩師の生前から破っていたのは、ほぼ間違いありません。

さらに言うと「ケビン・ルーニーは名トレーナー」という流言も悪い冗談です。

あのキャッツキルのダマト邸で、まともなトレーナーはテディ・アトラスしかいませんでした。

そのアトラスが練習用に導入したナンバリングシステムを試合でも使い続けてしまったルーニーとタイソンは「珍しいほどの愚か者」(アトラス)でした。

ダマト邸ではアトラスの姪への強姦未遂などタイソンは好き放題、フレディ・ローチをして「才能だけならジェームズ・トニーの次。才能だけならパッキャオより遥かに上」と評価した素質は早い段階から腐敗していたのです。

日本のタイソン信者らが酔っている美談は、時系列も事実も全てが間違い、狂った虚構です。

ただ、タイソンの横暴にキレてライフルを突きつけたことまであるアトラスですら、タイソンについては「性格的な欠陥を抜きにして、身体的な才能は飛び抜けていた」と認めています。

当時の私も、トーナメントを豪快に勝ち抜くタイソンに狂喜、戦慄していたものです。

「強い相手には一人も勝っていない」という批判は、世界王者になるまでも、世界王者になってからもタイソンにつきまとっていました。

それでも、その鮮やかな勝ちっぷりと、何よりも他のアスリートを圧倒する高額のファイトマネー、善悪はともかく「これぞスポーツセレブ」という華やかでスキャンダラスな私生活は、ボクシングを越えた存在で、世界中から好奇の目を集めていたのです。

1981年、レナードはWBAとWBCの二団体を統一してウェルター級のUndisputed championになり、ハグラーはそもそも完全統一王者アラン・ミンターを倒してUndisputed titleを引き継ぎ、スピンクスのUSBA-international(IBFの前身)も初代王者決定戦ではなく書類上で承認されたペーパータイトルでした。

三人の王者を一人ずつ倒して三つのタイトルを統一したUndisputed championはタイソンが史上初だったのです。

21世紀になってからも、トーナメントという形でUndisputed championを生み出す試みは、Super Six World Boxing Classic、Bantam 4、World Boxing Super Series(WBSS)などが続きましたが、全てのタイトルをコレクションしたのはWBSSファーストシーズンのオレクサンダー・ウシク(クルーザー級)だけ。

The Undisputed heavy weight champion Series は、完全統一王者を誕生させただけでなく、多くの統一トーナメントが米国で人気のない階級で行われたのに対して、ヘビー級でやってのけたことに当時のドン・キング、HBOのパワーにはあらためて敬服するしかありません。

HBOとDynamic−Duoが仕掛けたヘビー級トーナメントは、シードの問題や、対抗馬のスピンクスが別路線に舵を切るなどトーナメントの輪郭がぼやけてしまいましたが、タイソンの強烈なキャラクターから大きな盛り上がりを見せました。

1987年8月1日、IBF王者トニー・タッカーを大差判定に下して、晴れてUndisputed championになったアイアン・マイク。一方で、リング誌とLinealのタイトルはスピンクスが保持したままでした。

誰の目にも最強はタイソンなのに、アルファベット団体よりも格上のリング誌とLineal王者がスピンクスというネジレは、ボクシングの迷宮っぷりを象徴する構図として、中学生の私でも非常に興味深く受け止めたことを思い出します。

ハグラー、レナード、スピンクス、タイソン。破格のスーパースターでなければ、承認団体が統一にパーミッションを与えなかった80年代。

あれから40年。私はくたびれた中年親父になり、ボクシングの世界は4団体17階級に膨張し、複数階級制覇はパッキャオの「8」を筆頭にバーゲンセールの様相を呈しています。

それでも、この40年でドン・キングが競争入札に参加するようなメガファイトを辰吉丈一郎と薬師寺保栄が繰り広げ、亀田一家というつむじ風が吹き、井上尚弥がPFP1位に昇り詰め、村田諒太はミドル級で五輪金メダルを獲得し、ハグラーやレナード、ハーンズ、デュランが覇権を争った160ポンドでも大きな爪痕を残しました。

…このお話がどこに着地するのか、有楽町の薄暗いバーで「ヨーチンのように臭い」と忌み嫌う人もいる、芳しきラフロイグのカスクストレングスを啜り飲む自分にもわからなくなりました。

店のテレビでは「大気が不安定な状態が続いています」と天気予報が伝えられていますが、ラフロイグの重い香りに気持ちがぬったり落ち着いてしまっています。

久しぶりに飲むシングルモルトのカスクストレングス(樽出し加水無し)は、鼻にも舌にも喉にも響きます。

肴は、〆鯖。これがもう、合う、合う、合いすぎる。

IMG_7304 (1)

Undisputed champion が何たるかを知ってから40年、ラフロイグをそれだけの歳月熟成させたなら、どんなに素晴らしい香りと味わいになるのだろうか。

それとも、この強烈な牙のような香りと味わいが抜かれて、優しくまろやかになってしまうのだろうか。

あれから40年経っても、俺は熟成もしないで、まろやかにもならず、相変わらず場末のバーで酔いしれているだけだ…。