「世界王者に弱い奴はいない」。「世界ランキングとは強さの序列である」。
まともなスポーツなら至極当たり前のことです。
しかし、当たり前が当たり前でないのがプロボクシングの世界です。
穴王者と捏造世界ランカーが濁流する中で、無冠の帝王は絶滅、二桁防衛も複数階級制覇も単なる数字に成り下がりました。
その階級で誰が一番強いのか?
まともなスポーツとは違い、決着をつけるべき勝負が実施される方がレアケースという倒錯の魔宮。
そこでは、誰が強いのかはリングの中ではなく、腐った妄想に委ねられてしまっています。
そんな魔宮に跳梁跋扈するのが、「冠は被っていても実力は怪しい過大評価の王者たち」。〝逆〟無冠の帝王たちです。
ここで取り上げるのは、レオ・ガメスやオマール・ナルバエス、亀田興毅のように早い段階でその実力を懐疑的に見られていたボクサーではありません。彼らは一度も輝く評価に浴したことはありません。
これから紹介するのは、多くのメディアや専門家、ファンから一時的に高い評価を得ながら、欠陥を晒け出し、世界に手の平を返されたボクサーです。
◉①◉…80年代、シュガー・レイ・レナードによって開闢した中量級時代の主役はマービン・ハグラーでした。
あの時代をもう少し正確に語るなら「誰がハグラーに勝てるのか?」という大きなテーマが米国リングに横たわっていました。
1985年4月、打倒ハグラーの一番手と見られていたトーマス・ハーンズが史上最高の3ラウンドでノックアウトされたとき、リングサイドで微笑みながら軽く頷いていたドナルド・カリーは途轍もなく強く見えたものでした。
ハーンズが破壊されたこのとき、2階級下のウェルター級ながら、カリーは打倒ハグラーの急先鋒に確かに躍り出たのです。
そして、同じ年の12月、ウェルター級3団体完全統一を賭けた無敗対決でミルトン・マクローリーを右クロスの一撃で2ラウンドKO勝利。
ウェルター級を完全統一したのはシュガー・レイ・レナード以来、史上2人目。カリーの評価は天井を突き破ります。
しかし、翌年の9月。圧倒的有利と見られた伏兵ロイド・ハニーガンの無骨で精力的な突進に6ラウンド終了でドクターストップ、TKO負けを喫し3つのベルトを手放してしまいます。
わずか2ヶ月スパンの11月にWBAジュニアミドル級王者マイク・マッカラムへの挑戦が内定していましたが、ボブ・アラムがトップランクの大看板と期待した「レナードの後継者」は急停車。
1983年に10位→84年4位→85年3位とリング誌の年間PFPランキングを駆け上がっていたローンスター・コブラでしたが、いくつもの欠陥をあらわにし、その後2度と高評価を与えられることはありませんでした。
元々、ジャブを起点に攻撃を組み立てるタイプではなく、居合抜きのようなカウンターで相手を斬り落としてきたカリーでしたが、ハニーガンの前進に無策のまま打たれ続け、そもそも高質のジャブを持ち合わせていないことを晒け出しました。
そして、強引なアタックをいなすフットワークもない。
ガッツとタフネスだけが取り柄の英国人のパンチに何度も効かされた姿からは、コブラの異名が冗談に聞こえてきました。
「試合前に20ポンド以上(約10㎏)も減量しなければならなかった。もうウェルター級では戦えない。圧倒的有利ともてはやされて周囲の雰囲気にも気が緩んでしまっていた」と敗因を語るカリーに好意的な見方もありましたが、10ヶ月遅れたマイク・マッカラム戦で失神KO負け。
ハニーガン戦の直前まであれほどの輝きを放っていたカリーは、やはり有利とみられたマッカラム戦での衝撃的な敗北で、その評価は暴落してしまうのです。
〝今は亡き〟ワールド・ボクシング誌。当時はリング誌の他にも「KOマガジン」「ボクシング・イラストレイテッド」など複数のボクシング専門誌が雑誌スタンドを彩っていましたが、今も生き残ってるのはリング誌だけ。そのリング誌も青色吐息です。
一方、圧倒的不利の予想を跳ね返し、米国のメガスター候補を敵地で撃破したハニーガンはロンドンで大観衆の歓迎を受けます。
1951年7月にシュガー・レイ・ロビンソンを大番狂わせで破ったランディ・ターピンが「米国のスーパースターへの大勝利」とされていますが、ターピンの舞台は地元ロンドン。
当時、世界最高ボクサーと評価されていたカリーを敵地でストップしたハニーガンは、英国ボクシング界から最も名誉と評価されるモデルケースになります。
米国で米国の世界王者からメジャータイトルを奪う。
ハニーガンの再来は2014年、ケル・ブルックがIBFウェルター級王者ショーン・ポーターを下すまで29年もかかりました。
日本ボクシング界でも「米国で米国の世界王者からメジャータイトルを奪う」のは悲願のはずですが、いつまでもフライ、バンタムのマイナー階級に閉じこもっていては、それも話になりません。
次回は、カリーと同じく3団体完全統一王者ながら「強い相手に1人も勝てなかった」と殿堂入りに疑問符が付けられたマイク・タイソンです。
タイソンもその全盛期の評価は、カリーを凌ぎ、その分、手の平返しも痛烈でした。
まともなスポーツなら至極当たり前のことです。
しかし、当たり前が当たり前でないのがプロボクシングの世界です。
穴王者と捏造世界ランカーが濁流する中で、無冠の帝王は絶滅、二桁防衛も複数階級制覇も単なる数字に成り下がりました。
その階級で誰が一番強いのか?
まともなスポーツとは違い、決着をつけるべき勝負が実施される方がレアケースという倒錯の魔宮。
そこでは、誰が強いのかはリングの中ではなく、腐った妄想に委ねられてしまっています。
そんな魔宮に跳梁跋扈するのが、「冠は被っていても実力は怪しい過大評価の王者たち」。〝逆〟無冠の帝王たちです。
ここで取り上げるのは、レオ・ガメスやオマール・ナルバエス、亀田興毅のように早い段階でその実力を懐疑的に見られていたボクサーではありません。彼らは一度も輝く評価に浴したことはありません。
これから紹介するのは、多くのメディアや専門家、ファンから一時的に高い評価を得ながら、欠陥を晒け出し、世界に手の平を返されたボクサーです。
◉①◉…80年代、シュガー・レイ・レナードによって開闢した中量級時代の主役はマービン・ハグラーでした。
あの時代をもう少し正確に語るなら「誰がハグラーに勝てるのか?」という大きなテーマが米国リングに横たわっていました。
1985年4月、打倒ハグラーの一番手と見られていたトーマス・ハーンズが史上最高の3ラウンドでノックアウトされたとき、リングサイドで微笑みながら軽く頷いていたドナルド・カリーは途轍もなく強く見えたものでした。
ハーンズが破壊されたこのとき、2階級下のウェルター級ながら、カリーは打倒ハグラーの急先鋒に確かに躍り出たのです。
そして、同じ年の12月、ウェルター級3団体完全統一を賭けた無敗対決でミルトン・マクローリーを右クロスの一撃で2ラウンドKO勝利。
ウェルター級を完全統一したのはシュガー・レイ・レナード以来、史上2人目。カリーの評価は天井を突き破ります。
しかし、翌年の9月。圧倒的有利と見られた伏兵ロイド・ハニーガンの無骨で精力的な突進に6ラウンド終了でドクターストップ、TKO負けを喫し3つのベルトを手放してしまいます。
わずか2ヶ月スパンの11月にWBAジュニアミドル級王者マイク・マッカラムへの挑戦が内定していましたが、ボブ・アラムがトップランクの大看板と期待した「レナードの後継者」は急停車。
1983年に10位→84年4位→85年3位とリング誌の年間PFPランキングを駆け上がっていたローンスター・コブラでしたが、いくつもの欠陥をあらわにし、その後2度と高評価を与えられることはありませんでした。
喧嘩ファイトのハニーガンを突き放す技術は、カリーにはありませんでした。
元々、ジャブを起点に攻撃を組み立てるタイプではなく、居合抜きのようなカウンターで相手を斬り落としてきたカリーでしたが、ハニーガンの前進に無策のまま打たれ続け、そもそも高質のジャブを持ち合わせていないことを晒け出しました。
そして、強引なアタックをいなすフットワークもない。
ガッツとタフネスだけが取り柄の英国人のパンチに何度も効かされた姿からは、コブラの異名が冗談に聞こえてきました。
「試合前に20ポンド以上(約10㎏)も減量しなければならなかった。もうウェルター級では戦えない。圧倒的有利ともてはやされて周囲の雰囲気にも気が緩んでしまっていた」と敗因を語るカリーに好意的な見方もありましたが、10ヶ月遅れたマイク・マッカラム戦で失神KO負け。
ハニーガン戦の直前まであれほどの輝きを放っていたカリーは、やはり有利とみられたマッカラム戦での衝撃的な敗北で、その評価は暴落してしまうのです。
〝今は亡き〟ワールド・ボクシング誌。当時はリング誌の他にも「KOマガジン」「ボクシング・イラストレイテッド」など複数のボクシング専門誌が雑誌スタンドを彩っていましたが、今も生き残ってるのはリング誌だけ。そのリング誌も青色吐息です。
一方、圧倒的不利の予想を跳ね返し、米国のメガスター候補を敵地で撃破したハニーガンはロンドンで大観衆の歓迎を受けます。
1951年7月にシュガー・レイ・ロビンソンを大番狂わせで破ったランディ・ターピンが「米国のスーパースターへの大勝利」とされていますが、ターピンの舞台は地元ロンドン。
当時、世界最高ボクサーと評価されていたカリーを敵地でストップしたハニーガンは、英国ボクシング界から最も名誉と評価されるモデルケースになります。
米国で米国の世界王者からメジャータイトルを奪う。
ハニーガンの再来は2014年、ケル・ブルックがIBFウェルター級王者ショーン・ポーターを下すまで29年もかかりました。
日本ボクシング界でも「米国で米国の世界王者からメジャータイトルを奪う」のは悲願のはずですが、いつまでもフライ、バンタムのマイナー階級に閉じこもっていては、それも話になりません。
次回は、カリーと同じく3団体完全統一王者ながら「強い相手に1人も勝てなかった」と殿堂入りに疑問符が付けられたマイク・タイソンです。
タイソンもその全盛期の評価は、カリーを凌ぎ、その分、手の平返しも痛烈でした。


コメント