最も成功した日本人ボクサーは誰か?
「世界評価」という尺度では、ファイティング原田の一択しかありません。
「注目度」「視聴率」という数字でも原田ですが、時代背景まで考慮すると、亀田興毅かもしれません。
「セレブ」「報酬」という点では、村田諒太でしょうか。
最も成功した日本人ボクサーは誰か?
…その問いに二文字だけ加えて、最も成功した「人生」を送った日本人ボクサーは誰か?となると、少し風向きが変わってきます。
この問いに「赤井英和」と答えて、違和感を覚える人は少数派でしょう。もちろん、まだ現在進行形ですが。
現役時代の「浪速のロッキー」 は現在のボクシングシーンでは考えられないほどの熱狂を巻き起こしながらも、生死をさまようKO負けを喫して引退。
そして、リングではなくスクリーンの世界で鮮やかに復活してみせるのです。
リングの上ではついに栄光をつかめなかったものの、第二の人生で眩しく輝いた赤井の生き様は、まさにロッキー・ストーリーでした。
プロキャリアはわずか5年、21試合19勝16KO2敗。デビューから12試合連続KO勝利は当時の日本記録。
のちに世界ウェルター級王者マーロン・スターリングを圧倒した尾崎冨士夫にもKO勝ち、犠牲者リストの12人目に飲み込んでいました。
しかし、尾崎はまだプロ4戦目、他の対戦相手も赤井のために用意された咬ませ犬、12連続KOは作られた記録でした。
明らかに実力の劣る咬ませ犬を強引に倒す姿に「赤井、たまには強い相手とやってみぃ!」 とヤジが飛ぶのはお約束、浪速のロッキーは紛うことなき人気先行のアイドルでした。
12連続KO記録は、トム・シンサノンサクディーを2ラウンドで仕留めて作られます。シンサノンサクディーはタイの元王者という触れ込みでしたが、その時の実際の戦績は7戦全敗(5KO負け)!でした。
当時でも「普段はタクシー運転手」ということはバレていましたが「元王者もありえない」 ことはほとんどの人は知りませんでした。
西成のドヤ街をロードワーク、ビッグマウスの赤井はロッキーというよりは、あしたのジョーだったのかもしれません。
日本王者ですらないのに、世界王者の渡辺二郎を人気面で大きく上回るブームを巻き起こしていた赤井でしたが、その実力はメディアもファンもわかっていました。
のちにトレーナーとなるエディ・タウンゼントが「私は教えるのが仕事。赤井に走りなさいというのは仕事じゃない」と、その練習嫌いを嘆いていましたが、一流のボクサーになるにはあまりにも誘惑に弱かったのが赤井でした。
もちろん、それほど多くの誘惑が押し寄せる人気者だったという裏返しでもありますが…。
それでも、周囲は「世界挑戦はアレクシス・アルゲリョとアーロン・プライアーの勝者か」と夢のような話を騒ぎ立てます。
作られたアイドルが本物に挑戦するわけがありません。
アルゲリョが「穴王者に勝っても意味はない」と興味を示さなかったソウル・マンビーのWBCタイトルは、リロイ・ヘイリーからブルース・カリーと凡庸な王者がベルトを中継。
赤井の狙いはもちろん、この穴王者がリレーするWBCです。
1983年7月7日、近代記念会館。
「7月7日、7ラウンドでKOする。スリーセブンでフィーバーや」。いつものように豪語する赤井。
日本でも3試合戦った経験のあるブルースは赤井戦前が30勝16KO7敗。弟のドナルドがスーパースター候補、愚兄賢弟の典型で、強打の赤井にも十分チャンスがあると言われていました。
しかし、穴王者相手でもアイドルにとって、壁は高く厚いものでした。
走り続けたアイドルの線路を赤井は、木っ端微塵に脱線してしまいます。
それは、見事な玉砕でした。
…そして「何に忖度してるんだ」という、今に続く日本ボクシング界の闇を、ファンはこの試合でも垣間見てしまうのです。
「世界評価」という尺度では、ファイティング原田の一択しかありません。
「注目度」「視聴率」という数字でも原田ですが、時代背景まで考慮すると、亀田興毅かもしれません。
「セレブ」「報酬」という点では、村田諒太でしょうか。
最も成功した日本人ボクサーは誰か?
…その問いに二文字だけ加えて、最も成功した「人生」を送った日本人ボクサーは誰か?となると、少し風向きが変わってきます。
この問いに「赤井英和」と答えて、違和感を覚える人は少数派でしょう。もちろん、まだ現在進行形ですが。
現役時代の「浪速のロッキー」 は現在のボクシングシーンでは考えられないほどの熱狂を巻き起こしながらも、生死をさまようKO負けを喫して引退。
そして、リングではなくスクリーンの世界で鮮やかに復活してみせるのです。
リングの上ではついに栄光をつかめなかったものの、第二の人生で眩しく輝いた赤井の生き様は、まさにロッキー・ストーリーでした。
プロキャリアはわずか5年、21試合19勝16KO2敗。デビューから12試合連続KO勝利は当時の日本記録。
のちに世界ウェルター級王者マーロン・スターリングを圧倒した尾崎冨士夫にもKO勝ち、犠牲者リストの12人目に飲み込んでいました。
しかし、尾崎はまだプロ4戦目、他の対戦相手も赤井のために用意された咬ませ犬、12連続KOは作られた記録でした。
明らかに実力の劣る咬ませ犬を強引に倒す姿に「赤井、たまには強い相手とやってみぃ!」 とヤジが飛ぶのはお約束、浪速のロッキーは紛うことなき人気先行のアイドルでした。
12連続KO記録は、トム・シンサノンサクディーを2ラウンドで仕留めて作られます。シンサノンサクディーはタイの元王者という触れ込みでしたが、その時の実際の戦績は7戦全敗(5KO負け)!でした。
当時でも「普段はタクシー運転手」ということはバレていましたが「元王者もありえない」 ことはほとんどの人は知りませんでした。
西成のドヤ街をロードワーク、ビッグマウスの赤井はロッキーというよりは、あしたのジョーだったのかもしれません。
日本王者ですらないのに、世界王者の渡辺二郎を人気面で大きく上回るブームを巻き起こしていた赤井でしたが、その実力はメディアもファンもわかっていました。
のちにトレーナーとなるエディ・タウンゼントが「私は教えるのが仕事。赤井に走りなさいというのは仕事じゃない」と、その練習嫌いを嘆いていましたが、一流のボクサーになるにはあまりにも誘惑に弱かったのが赤井でした。
もちろん、それほど多くの誘惑が押し寄せる人気者だったという裏返しでもありますが…。
それでも、周囲は「世界挑戦はアレクシス・アルゲリョとアーロン・プライアーの勝者か」と夢のような話を騒ぎ立てます。
作られたアイドルが本物に挑戦するわけがありません。
アルゲリョが「穴王者に勝っても意味はない」と興味を示さなかったソウル・マンビーのWBCタイトルは、リロイ・ヘイリーからブルース・カリーと凡庸な王者がベルトを中継。
赤井の狙いはもちろん、この穴王者がリレーするWBCです。
1983年7月7日、近代記念会館。
「7月7日、7ラウンドでKOする。スリーセブンでフィーバーや」。いつものように豪語する赤井。
日本でも3試合戦った経験のあるブルースは赤井戦前が30勝16KO7敗。弟のドナルドがスーパースター候補、愚兄賢弟の典型で、強打の赤井にも十分チャンスがあると言われていました。
しかし、穴王者相手でもアイドルにとって、壁は高く厚いものでした。
走り続けたアイドルの線路を赤井は、木っ端微塵に脱線してしまいます。
それは、見事な玉砕でした。
…そして「何に忖度してるんだ」という、今に続く日本ボクシング界の闇を、ファンはこの試合でも垣間見てしまうのです。


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フシ穴の眼
が
しました