1998年3月28日、両国国技館。日本ジュニアライト級タイトルマッチ10回戦。



この試合を、世界タイトルマッチよりも輝いていたと表現して、違和感を感じる人は誰一人いないでしょう。

まずはその会場です。リング誌が「フライ級世界チャンピオン製造工場」と讃えた後楽園ホールは、レギュラーでボクシング興行を打つ、世界的にも希少で貴重な常設の会場です。

辰吉丈一郎vs岡部繁、髙橋ナオトvsマーク堀越といった日本タイトルを賭けたビッグファイトも後楽園ホールを舞台に繰り広げられました。



しかし、この日のリングがセットされたのは両国国技館。後楽園ホールではなく、ハレの大箱です。

後楽園ホールはフルハウスで3000人でしたが、両国は8000人。ハコの格は間違いなく世界戦、そこで日本タイトルマッチが行われたのです。

そして、試合はフジテレビ系列で全国生中継。

公表された報酬は両者500万円、勝利者にはボーナス500万円、さらにメインスポンサーの三菱自動車からは約400万円のパジェロが贈られました。

現在、PFPファイターのファン・フランシスコ・エストラーダでも10万ドルは当たり前、ジョンリール・カシメロにいたってはキャリアハイが7万5000ドルですから、20年以上前ということも考慮すると、どれだけ破格だったか、軽量級でも稼げる日本が今も変わらないことを想像するのは簡単です。

試合に向けては二人の〝全裸〟ポスターにテレフォンカードなどのグッズも制作され、試合6日前には後楽園ホールで公開スパーリングまで。 

現在の世界戦よりも遥かに大掛かりで、遥かに注目されていました。


その試合は畑山の9ラウンドTKOで決着します。
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8ラウンドまでのスコアカードを見ると、有沢が6ラウンドから追い上げたように見えますが、試合の主導権は畑山が握り続けたワンサイドゲームでした。

ただ、畑山が相手の土俵に踏み込むことで、有沢の勝負根性を引き出した名勝負。


「史上最大の日本タイトルマッチ」という看板に偽りはありませんでした。

当時の130〜135ポンドの世界地図はWBAが崔龍洙、WBCにヘナロ・エルナンデス、IBFにはロベルト・ガルシア(もはや名トレーナーとして有名)、徐々に市民権を得ていたWBOにはバリー・ジョーンズが就いていました。

しかし、多くのメディアとファンが考える階級最強はWBCでランキングを上げてきたフロイド・メイウェザーJr.でした。

アトランタ1996で銅メダルとはいえ、地味な存在に甘んじていたプリティボーイのボクシングはキレキレで面白く、マネー時代とは真逆。

メイウェザーは、この年10月にヘナロを攻略して世界王者になります。

また、マニー・パッキャオもWBCフライ級で10位圏内に突入していたものの、まだマニラに雌伏していた時代です。


コウジ有沢の拳は世界には届きませんでしたが、日本のボクシングファンに強烈で爽やかな印象を残しました。

THIS IS BOXING。

トップランクの興行でお馴染みの看板文句ですが、そんな試合はなかなか見れるもんじゃありません。

畑山もコウジも THIS IS BOXING 製造機でした。

そして彼らの職業はボクサーではなくファンを喜ばせることでした。 

それにしても。

日本タイトルマッチでボクシングファンが熱狂する日は、もう永遠に訪れないのでしょうか?

村田諒太が目指す東京ドーム、井上尚弥や亀田興毅がフルハウスにしたさいたまスーパーアリーナ…これからもボクサーが大きな会場に大観衆を集めることはあるでしょう。 

しかし、日本タイトルマッチや後楽園ホールが熱かった時代を知る者としては、裾野が見えない富士山のように、本当は一番大切な風景が抜け落ちているように見えてしまうのです。