帰宅電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。
「NUMBER1009 こんな夜に野茂英雄が読みたい」。
思い入れのない人には、大して面白い記事はありませんが、私にとっては違います。
野茂英雄がキャンドルスティックパークに立った日。
まさに「日本野球の興廃この一戦にあり」という試合でした。その大勝負に野茂はたった一人で挑んで勝利したのです。
対談記事のある山中伸弥も、iPS細胞のことは何も分からなくても、もっと言っちゃうとどれ程凄い人なのかもよく理解できていなくても、この人が誠実であることは、ある講演会ではっきり伝わりました。
会場がフルハウスだったのは、ノーベル賞を取った直後だったからだけではありません。
不治の病の家族や大切な人の生命や健康がiPS細胞によって救われる方が詰め掛けていたのです。
そんな、希望にすがる人たちを前に、博士は静かにこう言い放ったのです。
「iPS細胞は万能ではありません。そして、この技術が一般に広まるまでには、いくつもの段階を経なければなりません。それはどんなに早くても20年、現実的にはもっともっと先の未来になります」。
「そして、それが普通の医療に還元されるのはもう少し先になります」。
私は「藁にもすがりたい、そんな人が集まっているのに、もう少し景気のいい話から始めろよ」と思いました。
会場から小さなおばあさんが「先生、大怪我で半身不随になった息子は今年で還暦です。体調も良くなくて15年以上先はわかりません。でも20年先には息子みたいな辛い思いや、私みたいに悲しい思いをする人が救われる日が来るかもしれないんですね」と、はっきりした言葉で質問されました。
博士は「約束はできません。でも絶対その日が来るように頑張っています」と答えました。
会場には、すぐ近い未来に家族や大切な人が救われるのかもしれないと、大きな期待を募らせていた人もいたでしょう。しかし、会場からは心のこもった拍手が起きました。
山中博士の前に、捏造が発覚した〝STAP細胞〟事件では、白衣ではなく割烹着を着た研究者が「夢の若返りも実現できま〜す」と軽く発現したのを聞いた私は「そんなわけないけど、それくらい言ってもいいな」と、こんなに若い人に大きな仕事や権限を与えた理研という組織は素晴らしいとすら思っていました。
知らないというのは、怖いものです。ましてや何も知らない無知蒙昧にとって、ネイチャー誌という名前だけ知ってる権威からもたらされた情報は「本物」としか思えませんでした。
違和感があったのは割烹着くらいです。きちんとした白衣はアスリートで例えるならユニフォームやスパイクであるはずです。
その頃、親しい仲間で集まった飲み会でも、その話題になりました。
「割烹着の彼女は五輪100m決勝にサンダル履いて優勝したようなもん…でもそんなことってあるか?少なくともスポーツの世界じゃありえない」と訝しがる友人たちに、私は「早稲田で女、こいつ二重で格下のくせに、と差別して嫉妬してるんだろ」とからかったのを覚えています。
「軽い人は偽物」とは限らないと思いますが、山中教授のような誠実の塊みたいなひとは本物です。
私が山中教授の立場なら、辛く長い日々を送っているであろう、あの聴衆を失望させるかもしれないことなんて、絶対に口に出来ません。
野茂もそうです、私が彼なら日本中を敵に回してメジャーリーグに挑戦するなんて、絶対無理です。当時を知らない人もいるかもしれませんが、一般紙からニュース番組まで野茂は日本のルールを反故にした〝犯罪者〟扱いでした。
それが「エーーー???」と驚くほど、見事に手の平を返すのです。世の中はそういうもの、とは簡単に納得できないほどの手の平返しでした。
あのときもメジャーのことなんて何も知らない知ったかぶりの〝大リーグ通〟解説者連中が「絶対に通用しない」「必ず泣いて帰って来るが、日本は受け入れてはいけない」と異口同音に連呼していました。
そんなバッシングの代表格であった広岡達朗らの発言や記事は、本当に酷くて見当違いで最低でしたが、あんなことをほざいて書いておいて、いまだに謝罪も反省もしてません。
まー、海老沢泰久の「監督」はスポーツ小説では屈指の名作で、大好きですが、広岡はなあ。。。 ダメだ。
「NUMBER1009 こんな夜に野茂英雄が読みたい」。
思い入れのない人には、大して面白い記事はありませんが、私にとっては違います。
野茂英雄がキャンドルスティックパークに立った日。
まさに「日本野球の興廃この一戦にあり」という試合でした。その大勝負に野茂はたった一人で挑んで勝利したのです。
対談記事のある山中伸弥も、iPS細胞のことは何も分からなくても、もっと言っちゃうとどれ程凄い人なのかもよく理解できていなくても、この人が誠実であることは、ある講演会ではっきり伝わりました。
会場がフルハウスだったのは、ノーベル賞を取った直後だったからだけではありません。
不治の病の家族や大切な人の生命や健康がiPS細胞によって救われる方が詰め掛けていたのです。
そんな、希望にすがる人たちを前に、博士は静かにこう言い放ったのです。
「iPS細胞は万能ではありません。そして、この技術が一般に広まるまでには、いくつもの段階を経なければなりません。それはどんなに早くても20年、現実的にはもっともっと先の未来になります」。
「そして、それが普通の医療に還元されるのはもう少し先になります」。
私は「藁にもすがりたい、そんな人が集まっているのに、もう少し景気のいい話から始めろよ」と思いました。
会場から小さなおばあさんが「先生、大怪我で半身不随になった息子は今年で還暦です。体調も良くなくて15年以上先はわかりません。でも20年先には息子みたいな辛い思いや、私みたいに悲しい思いをする人が救われる日が来るかもしれないんですね」と、はっきりした言葉で質問されました。
博士は「約束はできません。でも絶対その日が来るように頑張っています」と答えました。
会場には、すぐ近い未来に家族や大切な人が救われるのかもしれないと、大きな期待を募らせていた人もいたでしょう。しかし、会場からは心のこもった拍手が起きました。
山中博士の前に、捏造が発覚した〝STAP細胞〟事件では、白衣ではなく割烹着を着た研究者が「夢の若返りも実現できま〜す」と軽く発現したのを聞いた私は「そんなわけないけど、それくらい言ってもいいな」と、こんなに若い人に大きな仕事や権限を与えた理研という組織は素晴らしいとすら思っていました。
知らないというのは、怖いものです。ましてや何も知らない無知蒙昧にとって、ネイチャー誌という名前だけ知ってる権威からもたらされた情報は「本物」としか思えませんでした。
違和感があったのは割烹着くらいです。きちんとした白衣はアスリートで例えるならユニフォームやスパイクであるはずです。
その頃、親しい仲間で集まった飲み会でも、その話題になりました。
「割烹着の彼女は五輪100m決勝にサンダル履いて優勝したようなもん…でもそんなことってあるか?少なくともスポーツの世界じゃありえない」と訝しがる友人たちに、私は「早稲田で女、こいつ二重で格下のくせに、と差別して嫉妬してるんだろ」とからかったのを覚えています。
「軽い人は偽物」とは限らないと思いますが、山中教授のような誠実の塊みたいなひとは本物です。
私が山中教授の立場なら、辛く長い日々を送っているであろう、あの聴衆を失望させるかもしれないことなんて、絶対に口に出来ません。
野茂もそうです、私が彼なら日本中を敵に回してメジャーリーグに挑戦するなんて、絶対無理です。当時を知らない人もいるかもしれませんが、一般紙からニュース番組まで野茂は日本のルールを反故にした〝犯罪者〟扱いでした。
それが「エーーー???」と驚くほど、見事に手の平を返すのです。世の中はそういうもの、とは簡単に納得できないほどの手の平返しでした。
あのときもメジャーのことなんて何も知らない知ったかぶりの〝大リーグ通〟解説者連中が「絶対に通用しない」「必ず泣いて帰って来るが、日本は受け入れてはいけない」と異口同音に連呼していました。
そんなバッシングの代表格であった広岡達朗らの発言や記事は、本当に酷くて見当違いで最低でしたが、あんなことをほざいて書いておいて、いまだに謝罪も反省もしてません。
まー、海老沢泰久の「監督」はスポーツ小説では屈指の名作で、大好きですが、広岡はなあ。。。 ダメだ。

コメント
コメント一覧 (1)
素晴らしい実績を残した日本人大リーガーは 何人か居ますが、安全ネット無しで 空中ブランコを演じたのは 野茂だけです。
フシ穴の眼
が
しました