外で見てるのと、中に入って見るのと、全く違う。
そんなことって、程度の差こそあれ、どんな社会にもあることです。
学校や会社なんかはその代表格ですね。
「KOの幼稚舎の幼稚っぷりって…」「電2のブラック体質って…」みたいに…。
◉プロレスの場合◉
強い奴が勝つ、そんな真剣勝負の世界だと憧れて飛び込んだプロレス。しかし、そこはあらかじめ勝敗が決められた〝仕組まれた〟世界だった…。
ドラマで必ず入る「登場人物や団体、ストーリーは全て架空のもの」、プロレス中継でも「試合内容や結果はあらかじめ決められたもの」という「但し書き」があれば、誤解はないのですが…。
普通に考えると、ドラマを現実と受け止めるよりも、プロレスを(ある程度は)真剣勝負と勘違いする可能性の方が高いはずで、プロレスにこそ「但し書き」が必要な気もします。
もちろん、誤解してしまう10代そこそこの若者に責任はありません。
◉ボクシングの場合◉
ラスベガスでは軽量級でもPPVのメガファイトでメインを張って1試合で何十億円も稼げるのがボクシング…。しかし、そんな前例は〝賤しい〟軽量級ではたったの一度もなかったのです。
PPVのメガファイト。それはウェルターやミドルなど特別な階級でも、ほんの一握りの特別なボクサーだけに限定された極めて排他的なイベントです。
ロマゴンのようにたとえ2年間もPFP1位に君臨しても軽量級である限り、需要がなく無名のままということです。
ボクシングのPFP10傑は、テニスの世界ランキングと同じようなもので、大きな試合が用意される、なんてのは脳味噌が煮え立った馬鹿思考です。
過去のPFPを知らない、知ろうとすらしないで、勝手な思い込みの幻覚にはまっていく馬鹿。
過去のPFPを知らない、知ろうとすらしないで、勝手な思い込みの幻覚にはまっていく馬鹿。
もちろん、過去の事例を知らないのに間違った論理だけを飛躍させる井上信者のような知ったかぶりの馬鹿に責任がありますが、そんな馬鹿を故意にミスリードするメディアの責任もあります。馬鹿だからミスリードされるという面はありますが、明らかに馬鹿とわかってミスリードしているメディアも目に付きます。
「プロレスは〝八百長〟だから」「ボクシング軽量級は欧米で人気が無いから」…だから〝賤しい〟。真剣勝負のUFCや、人気のあるウェルター級やミドル級は〝貴い〟。
ラスベガスでの需要、報酬を物差しにすると、プロレスとUFC、ボクシングの軽量級と人気階級の間には、明らかに貴賎が存在します。プロレスとUFCは、そこまで絶望的な差はありませんが、ボクシングの場合は悲惨です。
「UFCでボコボコにされたロンダ・ラウジーが逃げ込んで大手張ってるのがプロレス」「PFPでトップを窺い生涯無敗のリカルド・ロペスは軽量級だったから女子の前座扱いの無名で低報酬のままだった」。
…事実です。
「スポーツには〝貴賎〟なんてない」なんて偽善者の戯言です。
ソフトボールで日本一になった男子高校生に会えば、私は「すごい」と讃えるでしょうが、心の中では「どうして硬式野球を選ばなかったの」という疑問を押しつぶします。
もちろん、10代でプロレスに憧れ、現実に失望した少年に「八百長だとわかんなかったの?UFCを目指せば良かったね」 なんて言えません。
軽量級の不遇に不満を漏らすエストラーダやヤファイに「軽量級が人気ないの最初からわかってたでしょ。文句あるならパッキャオみたいにウェルターで戦え」なんて言えません。
「スポーツには〝貴賎〟なんてない」なんて偽善者の戯言です。
ソフトボールで日本一になった男子高校生に会えば、私は「すごい」と讃えるでしょうが、心の中では「どうして硬式野球を選ばなかったの」という疑問を押しつぶします。
もちろん、10代でプロレスに憧れ、現実に失望した少年に「八百長だとわかんなかったの?UFCを目指せば良かったね」 なんて言えません。
軽量級の不遇に不満を漏らすエストラーダやヤファイに「軽量級が人気ないの最初からわかってたでしょ。文句あるならパッキャオみたいにウェルターで戦え」なんて言えません。
「プロレスは八百長、真剣勝負だと弱い。だから面白くない。真剣勝負のUFCの方の方が面白い」。「レフェリーよりずっと小さい軽量級はペチペチパンチを打ちあってるだけで、人気階級と比べると迫力も興奮もない」。
…大間違いです。
〝八百長〟だからプロレスは面白くない、と真剣に信じている人々がいるなら、彼らは世界で一番面白い肉体のオペラを知らずに死んでゆく可哀想な人々です。
リカルド・ロペスの破壊的な精密、軽量級の醍醐味を理解できない米国のボクシングファンは、ボクシングの魅力の半分以上を味わえずに死んでゆく不憫な人々です。
日本には、軽量級のダイナミズムを楽しめないボクシングファンはいません。 日本のボクシングファンはリカロペやロマゴンがいかに素晴らしいボクサーだったかを世界で一番理解しています。
もちろん、彼らが日本人だったとしたら、十分な待遇を用意できたかと問われれば忸怩たる思いに駆られてしまいます。
長谷川や井上に載せたような評価や希望を、彼らの翼にも託せるような懐の深さを持ち得たとき、きっと日本のボクシング文化も次のステージ、軽量級の魅力を世界に発信する中心地として、前に進めるのかもしれません。
リカルド・ロペスの破壊的な精密、軽量級の醍醐味を理解できない米国のボクシングファンは、ボクシングの魅力の半分以上を味わえずに死んでゆく不憫な人々です。
日本には、軽量級のダイナミズムを楽しめないボクシングファンはいません。 日本のボクシングファンはリカロペやロマゴンがいかに素晴らしいボクサーだったかを世界で一番理解しています。
もちろん、彼らが日本人だったとしたら、十分な待遇を用意できたかと問われれば忸怩たる思いに駆られてしまいます。
長谷川や井上に載せたような評価や希望を、彼らの翼にも託せるような懐の深さを持ち得たとき、きっと日本のボクシング文化も次のステージ、軽量級の魅力を世界に発信する中心地として、前に進めるのかもしれません。


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