1980年8月2日、デトロイトはジョー・ルイス・アリーナ。

当時、かつて栄華を誇ったモーターシティは日本車の攻勢などから没落、沈鬱に沈んだ街は失業者に溢れていました。

ヒーロー誕生をこの目で見ようと詰めかけた観客は1万2000人、米国史上最も偉大なボクサーの名を冠したアリーナは異様な熱気で包まれていました。

ーーあれから40年のときが流れ過ぎました。
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Hearns in May 1981. Photo from The Ring archive

WBA世界ウェルター級タイトルマッチ15回戦。

王者はピピノ・クエバス、11連続防衛中でそのうちKO勝利は10を数えた怪物的ハードパンチャーです。

27勝24KO6敗。最後の敗北は4年以上も前、史上最年少の18歳でウェルター級を制した強打の天才は難攻不落、無敵の王者にしか見えませんでした。

まだ荒削りだった頃の初防衛戦、被害者は日本の辻本章次、大健闘の日本人を6ラウンドに3度倒してフィニッシュします。

そのクエバスは12度目の防衛戦でもまだ22歳、伝説の途中…のはずでした。


挑戦者は21歳とさらに若いトーマス〝モーターシティ・コブラ〟ハーンズ。 

28勝26KO無敗と戦績はクエバスを上回り、26のKOのうち20が3ラウンド以内に決着をつけるという爆発的な速攻が持ち味でした。

オッズも予想も地元ハーンズに傾いていましたが「(強豪との対戦が多いクエバスがの)経験が勝負を分ける」と見たリング誌記者を、エマニュエル・スチュワードは余裕で笑います。

「おっしゃる通り、経験は大きい。つまり、クエバスは経験した事のない恐怖と暴力に焼き尽くされるだろう」。

試合は、その通りに、稀に見る虐殺劇になります。

第1ラウンド。ハーンズは重圧をかけながら超長距離の左ジャブでクエバスを波打ち際でピン留め、メキシコ人が自慢の強打を叩き込む距離を与えません。 

クエバスは身長173㎝/リーチ178㎝。

一方のハーンズは身長185㎝、そのリーチは198㎝とヘビー級のモハメド・アリとちょうど同じでした。

第2ラウンド、左のグローブをクエバスの顔面に突きつけたハーンズは教科書に載るようなオーバーハンドライトを立て続けに撃ち込むとチャンピオンは痛烈にダウン。

なんとか立ち上がったクエバスを抱きしめたのは、コーナーから駆け上がってきたトレーナー、ルペ・サンチェスでした。

「こんな不公平なことはない。ボクシングは体重だけでなく身長やリーチでも階級制にしなければならない」。

サンチェスのその言葉が言い訳や負け惜しみに聞こえないほどに、ハーンズの強さは恐怖的でした。

「左ジャブを突き放す中で、クエバスがしっかり引いていた顎が上がって無防備になるのがわかった。最後はジャブを突き上げたわけじゃないのに、顎はガラ空きだった」。

「(クエバスが立ち上がったのには驚いたか?)いや、打たれ強いのはわかっていた。あれで倒れなかったら驚いたけど…そんなボクサーは地球上にいないさ」。

そして今となっては信じられないかもしれませんが、このときハーンズは「アマチュアで培った高度なテクニックとプロで開花した破格の強打、そして頑丈な顎を持っている」と欠点のない完璧なボクサーだと、ファンはもちろん多くのメディアも信じていました。

のちに、ハーンズとの決戦に向けて、シュガー・レイ・レナードをトレーニングしていたアンジェロ・ダンディは静かに説くように、語ります。

「ハーンズの攻撃力は確かに普通じゃない。しかし、本当にコブラのようにタフか?誰もハーンズの顎を叩いていないのだからそれは、まだわからない。レナードが厳しい試験になって、誰も彼をコブラとは呼ばなくなるだろう」。 

レナード戦は1年1ヶ月後の1981年9月16日。

ハーンズの〝絶対恐怖〟はわずか1年余りで終わることになります。

しかし、あの悪魔のような強さは、永遠にボクシングファンのまぶたに焼き付いたままです。



あの40年前のジョー・ルイス・アリーナ、メインはもちろんクエバスvsハーンズでしたが、ファイナル、最後の試合ではありませんでした。

なんと日本人がファイナルをつとめたのです。

サムエル・セラノを大番狂わせで破ってWBAジュニアライト級タイトルを強奪した上原康恒です。

5ラウンドまでのスコアは3者とも50−45のフルマークでセラノ。

これぞ番狂わせ、これぞ逆転劇という面白い試合でした。

しかし、観客は新王者ハーンズと、WBAライト級王者ヒルマー・ケンティ、地元の英雄の快勝に酔って席を立ち、空席が目立つ寂しい中で快挙が達成されたのは少しだけ残念でした。

それでも、あの偉業はやはり、アウエーのジョー・ルイス・アリーナ〝ハーンズ誕生〟のリングで刻まれたことに意味があります。

あの日のあの場所だったからこそ、日本のボクシングファンにとって特別な思い出になっているのです。