軽量級である限り世界的なスターにはなれないのか?

このブログのテーマの一つです。

マニー・パッキャオがライト級に進出するとき、フレディ・ローチは「ムーンショット(非常に困難で独創的だが、実現すれば大きなインパクトをもたらす偉大な挑戦)」と表現しました。

軽量級では前例がないという点で、井上尚弥の「米国での成功」もムーンショットです。

いや、人気階級のライトやウェルターに向けてロケットを打ち上げたパッキャオよりも、井上の挑戦の方が困難という見方もできます。

パッキャオのムーンショットは、そこに確かにある月面を目指せました。

一方で、井上は現時点では存在しない、影も形もない「軽量級の需要」という月面を、ラスベガスに創造しなければならないのです。

パッキャオは人気階級で派手な番狂わせ勝つことで米国で「スター」になれました。しかし、井上の場合は勝っても「スター」になれません、そもそも不人気階級なのですから。

「米国での成功」「 スター」の定義が曖昧ですが、日常的に1試合100万ドル以上を稼げるボクサーとします。さすがに、大坂なおみや錦織圭のような「フォーブスのアスリート長者番付100位」は荷が重すぎます。

バンタム級で「スター」になれるならジェフ・チャンドラーやオルランド・カニザレスは、あんなに苦労はしません。
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「体が小さく生まれるってことはボクサーにとってこれ以上の不幸はないのさ」。ファン・フランシスコ・エストラーダがぼやくまでもなく、軽量級は米国ボクシング市場では十字架です。

「私がミドル級なら住む家も乗る車も何もかもが変わっていた」。カリド・ヤファイでも嘆くように軽量級の悩みは世界共通です。

軽量級が最も恵まれている日本ですら、井上がウェルター級やミドル級で同じことをやっていたら日本のスポーツ界を揺るがすとんでもないことになっていました。

ただ、悲しいかな、バンタム級です。 

同じ世界チャンピオンでも人気階級と軽量級では、報酬の格差1000分の1以下なんてことも当たり前です。
 
ただし、どんなことにでも例外はあります。

ウェルター級やミドル級など人気クラスのスーパースターが手にする1試合1000万ドル単位の報酬は無理にしても、ナジーム・ハメドはフェザー級にもかかわらず最高850万ドルを手にしました。

ハメドのムーンショットは、1000倍以上あった人気階級との距離を10倍レベルまで一気に接近させたのです。

もちろん、ハメドの報酬はイエメンをはじめイスラム諸国が巨額の放映権料を支払うことで成立していた〝マッチポンプ〟で、パッキャオのように北米市場から強奪した純粋な〝外貨〟ではありません。 

それでも、エキゾチックなムスリムが繰り広げる派手な入場パフォーマンスはCNNのスポーツコーナーや、全米の一般ニュースでも取り上げられるなど大きな関心を集めたことは事実です。

850万ドルは希少なピッグネームとの1試合に限定でしたが、常時100万ドルが保証されるハメドがフェザー級以下の軽量級では考えられないプロボクサーであったことは間違いありません。
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ハメドが「空飛ぶ絨毯」なら、井上の「桃太郎」もあり?

その背景にあったのは、ド派手なパフォーマンスです。誰も見ない軽量級ですから、まず見てもらわなければなりません。 


井上尚弥がザ・グレート・カブキのように能面を被って和太鼓の旋律に乗って登場、花道では井上を囲むように法螺貝を吹く山伏たちが。そしてリングインすると日本刀(もちろん竹光)を抜いて対戦相手に切先を向ける…。

時節柄、毒霧を噴くのはNGですが…オリエンタルなパフォーマンスは米国人の大好物です。

ハメドのケースもそうでしたが、パフォーマンスは演出です。もっとはっきりいうと、本当のアラブではなく、米国人が喜ぶアラブを演じなければなりません。


…しかし、そんなパフォーマンスは日本のボクシングファンはもちろん、井上本人も受け入れ難いかもしれません。

ただ、マニアしか見ないPFPランキングなどと違って、一般のスポーツファンの間でも、大きな話題を呼ぶはずです。

そして、そんなパフォーマスが出来るのはハメドや井上のように、富裕な母国を持つことが絶対条件です。

ジョゼフ・アグベコはキングコングの着ぐるみに入りましたが、彼は悲しいかなバンタム級のガーナ人でした。

人気階級のリカルド・マヨルガはメイウェザーに負けないトラッシュトークとハンバーガーパフォーマンスなどで試合を盛り上げましたが、大試合ではいつもBサイド。なぜならニカラグア人だからです。
 

セルフプロデュースは実力を過大に見せるための卑屈な手段…という考えかたは一面的です。

自分をどう見せるか、はプロとして当然考えるべきセルフプロモートです。

どの階級で戦うか、どのスタイルを選択するのかと同じペクトル上で考えて良いのです。

試合の面白さは致命的に減退したにもかかわらず、銭ゲバのキャラクターを全面に出すことで世界最高のマネープレーヤーになったフロイド・メイウェザーは被り物をしたり空飛ぶ絨毯で登場したわけではありませんが、彼もセルフプロデュースの天才です。

かつてデストロイヤーの異名を付けられたマニー・パッキャオは、ボブ・アラムから提案されたダースベイダーまがいの被り物をすること断ります。

デストロイヤーやメキセキューショナーと呼ばれることも「私は誰も傷つけたくない」と嫌悪しました。

普通は喜んで被ります、仰々しいニックネームもボクサーにとっては悪いことではありません。

パッキャオのためを考えてせっかく準備したプロモーターにとっても、気持ちの良い話じゃありません。

ただ、パッキャオは軽量級の十字架を蹴り倒して人気クラスに進出、被り物も刺激的な渾名も彼には必要ないことをリングの上で証明しました。

井上もパッキャオよのうに、誰もが圧倒的不利と考えるはずのガーボンタ・デービスあたりを何人も粉砕したなら、モンスターの渾名の他には何の付属物も要らないでしょう。

しかし、パックマンになれずに軽量級の殻に閉じこもるつもりなら…。

プリンスのメソッドが米国での成功につながる可能性があることは、日本のプロレスラーや大相撲のラスベガス公園の成功体験からも明らかです。

ありえないかもしれませんが、井上が過剰なコスチュームで登場して派手なパフォーマンスを見せたら…試合が始まる前から泣いてしまいそうです。

I created 〝The Prince〟.

「プリンスなんて作られた仮面さ」。ハメドのように別の自分を演じることでしか、軽量級ボクサーは米国での成功などおぼつかないのでしょうか。 

ーーー可能性はもう一つ、あると思います。