米国ボクシングの黄金時代はいつか?

「最も巨大なカネを生み出すメガファイト」という点では、フロイド・メイウェザーがマニー・パッキャオとコナー・マクレガーを相手に1億ドルファイトを繰り広げた現代でしょう。

しかし、そう考える人は皆無です。

「他のスポーツに対するボクシングのステイタス(人気・報酬)」というなら1950年代(まで)です。ロッキー・マルシアノやシュガー・レイ・ロビンソンが躍動、ボクシングは野球と並ぶ娯楽の王様で、世界ヘビー級チャンピオンがどのアスリートよりも遥かに莫大な報酬を手にしていた時代です。

この、1950年代が米国ボクシングの黄金期というのが、米国内の一般的な認識です。

しかし、米国ボクシングが「世界を巻き込んだ」という視点では、衛星放送にも乗ったモハメド・アリの1960〜1970年代でしょう。

市場もステイタスも低下していたとはいえ、世界スポーツ史上最高のヒーロー、アリの時代を黄金期と考えるのは不自然なことではありません。

とはいえ、50年代にせよアリの時代にせよ、私が世界のボクシングに触発された80年代には米国ボクシングはニッチスポーツへの底なし沼にはまり込んでいたということは間違いありません。


スポーツ観戦に女性や子供たちも関心を持ち、20世紀初めから歌は存在していたものの、MLBの球場でTake Me Out to the Ball Game(私を野球に連れてって)が合唱されるようになったのも70年代後半からのことです。

さらに、高校・大学のバスケやアメフトの人気とステイタスもアマチュアながら、プロボクシングをやすやすと追い抜き、メジャースポーツとの差は広がる一方でした。

しかし、ボクシングが没落したのは、女性や子供も含めたファミリーユースに乗り切れない「野蛮性」「暴力性」だけが原因ではありません。

アリの時代ですでに定着していたクローズド・サーキットという目先の利益だけしか考えない短絡的な思考がボクシングのマニア化、すなわちマイナー化を加速させ、同時進行した団体分裂・階級増殖・王座乱造という内部からの腐敗が、このスポーツの凋落を決定的にしました。

米国スポーツの年間MVPともいえるSports Illustrated誌の年間最高スポーツマンに輝いた最後のボクサーは1981年のシュガー・レイ・レナード。もう40年以上も前の出来事です。

ちなみにスポイラ誌の最多カバーはマイケル・ジョーダンの50回ですが、2位はアリの37回。

日本人ではイチローの4回を筆頭に王貞治、渡辺久信、野茂英雄、松坂大輔、福留孝介、大谷翔平と野球選手のみですが、ファイティング原田を大特集し〝Frantic Windmill〟 (狂った風車)と命名したのがスポイラでした。
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日本ではボクサーの報酬が公表されることは多くありませんが、スポイラは「原田は軽量級にもかかわらず1試合5万ドルを稼ぐ」と驚いています。50年以上も前、1ドル360円時代の5万ドルですから、1800万円。60年代の1800万円を2020年に〝換算〟したら、一体いくらになるのでしょうか?


話が横道にそれる前に軌道修正して、80年代の米国ボクシングです。

私の目に「80年代」が輝いて見えたのは「アリを知らない」から、だけではないでしょう。

マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン。

Four Kings が繰り広げた恐るべきラウンドロビンの壮絶と深淵にメロメロに酔い痴れたからです。

メガファイトの報酬は「アリの史上最高額を上回る」と喧伝されたことも、黄金時代と錯覚した一因かもしれません。

ここからが本題です。

リング誌が久しぶりに特別号を発行しました。ご存知の方も多いでしょうが、80年代のミドル級ラウンドロビンを特集した「FOUR KINGS」です。
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私にとってはツボもツボ。

一気に読み終えて「少し物足りないな」とも感じましたが、そもそもが経営難のリング誌が手がけた〝焼き直し〟企画。読んだことある記事や見たことのある写真ばかりなのはご愛嬌です。

それでも、あらためて1冊に凝縮していただけると嬉しいものです。6ドル95セント、約760円も安い!迷わず買いました。



「焼き直し」ではない、THE ONES THAT GOT AWAY (メガファイトを逃した男たち)のページも楽しく読めました。

 ここでは、FOUR KINGS とメガファイトを渇望しながら、〝FIVE 〟になれなかった実力者を紹介しています。

ウィルフレド・ベニテス、マイケル・ナン、マイク・マッカラム、アイラン・バークレー、 アーロン・プライアーの5人。

FOUR KINGSの誰にも絡めなかったナンとマッカラム、プライアーは無念だったでしょう。

中でも、当時から「FOUR KINGSよりも強い」という意見が少数派ながらもあったのがマッカラム。 

◉ジャマイカのボクシング教授は、当時最も対戦を避けられたファイターだった。 もちろん、彼ほどの実力者だからドナルド・カリー戦などビッグファイトもいくつか経験した。

しかし、世界中が注視するような正真正銘のメガファイト、つまりFOUR KINGSとの試合は1試合も実現しなかった。

「レナード、ハーンズ、ハグラー、デュラン…4人とも私の姿が見えないかのように振る舞っていた。何度も対戦要求したが、誰1人として返事がなかった」。

「実は、ハーンズのスパーリングパートナーをつとめたことがあって、何度か彼を圧倒してしまった。だから、彼が私を避けるのは仕方がないかもしれない」。

「誰か1人だけ戦えるとしたら?もちろん、レナードだ。人気、報酬、実力、全ての面で彼がNo.1だったから」。◉




「ハグラーの馘」を狙ったミドル級ウォーズは〝ワイルドカード〟のレナードが全部獲りという結果に終わってしまいました。

ハグラーとだけ拳を交えることが出来なかったベニテスは軽すぎました。

ハーンズのジョーカーだったバークレーはハグラー戦を熱望していましたが、ハグラーは引退。

プライアーは軽くて、ナンと同様にタイミングもズレてしまいました。

マッカラムはタイミングはジャストミートに見えましたが、強さと人気の乖離が半端ないボクサーでした。

ただ、カリーとの試合は衝撃的な結果でしたが、実は展開は五分(スコアは37−39*2/36−40と大きくリードを許していました)逆転勝ちと言っても良い内容でした。ミドル級に上げてからは、スンブ・カランベイにも競り負けなど、意外なほど図抜けた結果は残せていません。

「ミドル級でもそこそこ強いが、全く人気がない選手」。それが、マッカラムの実像です。人気がある、すなわち対戦することでビッグマネーが手に入るなら、誰もマッカラムを敬遠しません。

マッカラムが FOUR KINGS への対戦を大きな声でアピールしたのはカリーに勝ったとき、1987年からでした。

つまり、レナードvsハグラーの最終決戦が終了、FOUR KINGS は互いの再戦や第3戦で高い注目度と報酬を満喫できる〝年金生活〟に入っていました。


そして、マッカラムにまつわる「ミドル級でも半端ない実力」「タイミングはジャストミート」という誤解。それらは、事実を拡大膨張した虚像でした。

マッカラムは、歴史のいたずらが縫製した魔法のガウンを羽織っているだけなのかもしれません。