1992年12月11日。東京都体育館。WBA世界ジュニアバンタム級タイトルマッチ12回戦。

「タノムサクに勝てて…」。
 
2度目の防衛戦で明白な勝利を収めた鬼塚勝也が感極まって口にしたのは、撃退したばかりのアルマンド〝モンストゥルオ〟カストロの名前ではなく、8ヶ月も前に戦ったタイ人の名前でした。

この思い違いは、苛烈な激闘の直後で頭の中が真っ白になっていたために思わず口をついてしまったからでしょう。

そうです。

無意識の中からでも深層心理から、その姿が浮かび上がってしまうはどまで…22歳のストイックな若者の心の底の深い深い場所にタノムサク・シスボーベーが悪霊のように取り憑いていたのです。

もし、あのときスパンキーな九州男児がタフなタイ人に勝たなければ…ボクシングファンは引き続きの純白で真っ直ぐな声援を彼に対して送っていたはずです。何の惜しみもなく。

しかし、鬼塚は勝ってしまったのです。 

あの試合で自身も受け入れていたであろう「敗北」という結果に終わっていたなら、鬼塚もまた、心の深層に悪霊が棲みつく部屋など作る必要もなく、その後のキャリアを純粋に目の前にいる敵を倒すことだけに集中出来たでしょう。

最強の挑戦者と謳われたアルマンド・カストロとの防衛戦は、単なる試合を越えた、鬼塚にとって、ボクサーではなく、人間としての尊厳を賭けた戦いでした。

すなわち、心の奥底に取り憑いて離れない悪霊を抹殺する悪魔祓いの儀式でした。
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鬼塚勝也を語るとき、この悪霊が取り憑いた試合(1992年4月10日:東京都体育館/WBA世界ジュニアバンタム級王者決定戦12回戦)の以前は、彼が実力と人気を兼ね備えた時代を彩るホープだったことも思い出さなければなりません。

辰吉丈一郎とピューマ渡久地、そして鬼塚勝也。プロ入り前から「日本ボクシングの未来」と嘱望され、強敵の日本王者を期待通りに撃破して階段を登った〝平成三羽ガラス〟。

しかし、3人に向けられた真っ直ぐに明るいスポットライトはある日、突然、暗転してしまいます。

辰吉は頑丈なだけの凡庸極まるメキシカンに惨敗し、誰もが信じていた才能の限界を露呈。渡久地は、当時すでに世界王者よりも強かったであろうロシア人からまさかの敵前逃亡。

しかし、鬼塚のケースは辰吉の「実力」でも渡久地の「素行」でもない、自己責任とは全く違う原因によって舞台照明が暗転してしまうのです。

1992年の4月10日と12月11日。タノムサク戦とカストロ戦、その間はたったの6ヶ月、243日でした。

多くのファンは「もっと、もっと長かったはず」と感じているのではないでしょうか。その時間の意外なほどの短さには、驚くしかありません。

逆に言うと、4月10日に鬼塚が背負ったのは、そんな短い時間で簡単に〝贖罪〟できるような種類の十字架には見えなかったのです。



1991年12月にカオサイ・ギャラクシーはWBAジュニアバンタム級王座を19連続防衛して引退。空位となった王座を巡って、鬼塚とタノムサクが拳を交えました。

このとき、23歳の鬼塚は18戦全勝16KO。5歳年上のタノムサクは37勝21KO2敗。

タノムサクの2敗は、スプリットデジションで東洋太平洋フライ級王座を奪われた敵地・加古川での松村謙一戦と、1階級上のWBAバンタム級王者ルイシト・エスピノサに挑戦した世界戦。

4月10日の東京体育館に12ラウンド終了のゴングが鳴ると、タノムサクは勝利を確信して両手を挙げ、鬼塚はがっくりと肩を落とし下を向きました。その通りの内容でした。

判定が読み上げられる前に大観衆は席を立ち、家路に急ぎました。「鬼塚も頑張ったけど負けた」「タノムサクは強かった」。

しかし、リングアナウンサーが「勝者、赤コーナー」と告げると、場内は騒然。席を立った観客も足を止めます。

三者一致の判定勝ちでしたが、ジャッジペーパーのスコアは115−114が2人、116−114が1人。計ったようなレイザーシン・デジション(カミソリ1枚の差)でした。

歓喜から一転、失望の大きさに泣き出しそうな顔のタノムサクに観客は拍手を送ります。「わかってる、勝ったのはお前だ」。

NHKの朝ドラ撮影のため大阪から駆け付けた香川照之も、一緒に観戦した牧瀬里穂から「ボクシングって八百長あり?」と聞かれて悔しい思いをしたと語っています。



奇妙な判定によってボクシングへの不信感が増幅されることは、残念ながら珍しい事件ではありません。

その奇妙は判定は多くのケースで、Aサイドに有利に作用します。

そして、理不尽な判定よりもさらに理不尽なことが事件に引き続いて巻き起こるのが常です。

ファンが自信満々の正義の剣を振り回し始めるのです。

その矛先が向けられるべきは、利権で動く承認団体に代表されるボクシング界のシステムのはずですが、なぜかファンの目にはそれが見えないのです。

それどころか、事件を引き起こした〝実行犯〟のジャッジですら、奴らには見えていないのです。

そんな正義を騙る狂人たちは、あろうことか、勝ち名乗りを受けたボクサーにその牙を向けるのです。 

カネロ・アルバレス や亀田興毅は〝21世紀の鬼塚〟です。

鬼塚の深層心理に取り憑いた悪霊の正体は「理不尽な判定の恩恵を受けてしまった罪悪感」ではありません。彼には贖罪の必要など1ミクロンもありません。

それでも鬼塚がリングの上で〝贖罪〟しようとした悪霊の正体は、これ見よがしに欺瞞の剣を振り回す、私たちボクシングファンでした。



タノムサク戦から243日。1992年12月11日。有明コロシアム。

キャリア初のアンダードッグのオッズを受け、ランキング1位の Monstruo(怪物)に鬼塚は真っ向勝負を挑みます。

このとき、鬼塚が戦っていた真実の相手はカオサイからダウンを奪った強打のメキシカンではありません。

もしカストロと戦っていたのなら、最終回に相手陣営も「ダウンじゃダメだ、眠らせる(完全KO)するしかない」と認めた大量リードを大切に守る戦術を取るはずです。

しかし。
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12ラウンド開始ゴングと同時に、スプリンターのようにコーナーを飛び出したのは鬼塚でした。 

「正直に生き、正直に戦う」。

119−108/119-108/118−111。第1ラウンドにカスロトの右フックで防戦一方となったシーン以外は、チャンピオンの熱い闘志がカストロを押し込みました。

鬼塚は深層に巣食っていた悪霊も、見事に焼き祓ったはずです。




しかし、悪霊の正体はファンの性根にこびりついた「欺瞞の正義」です。きっと、また別の事件を目撃したとき、私たちは正義を騙って、狂気の牙を選手に向けるのでしょう。



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現在、鬼塚はアーティストとして「FIGHTING ART」という元ボクサーの血が流れているような世界観を創り上げています。

どの作品も鬼塚らしい、です。

正直に生き、正直に戦っています。

けして微笑ましいタッチの絵ではない気がしますが、なんだか、なぜだかわかりませんが、見ていると微笑んでしまう柔らかさがあります。