いつものように酔っ払った電車やタクシーの中でポチポチ打ってスタートした「水増し階級の怪物たちは本物だったのか? 」というこのシリーズは、このブログの根幹的なテーマです。
ジュニア階級にはボクシングの欺瞞が凝縮されています。しかし、それなのに、この偽物の濁って淀んだ世界に、誰が見ても本物の嵐が吹き荒れることがあるのです。
〝ジュニア・ジュニアフライ級〟のリカルド・ロペスにジュニアフェザー級のウィルフレド・ゴメス、ジュニアウェルター級のアーロン・プライアー、ジュニアヘビー級のイベンダー・ホリフィールド…。
腐敗したボクシング界が捏造した、誰からも冷ややかな目でみられた〝醜いアヒルの子〟階級で、オリジナル8よりも強烈な光を放ったグレートたち。
ロペスやゴメス、ホリフィールドが〝出ジュニア〟からキャリア晩年において限界の微粒子を撒いてしまったのに対して、プライアーは異彩を放っていました。
私たちが、ジュニア階級のグレートたちに訊きたい問いはただ一つです。
強いのはわかってる、知りたいのはどこまで強かったのか?
プライアーについては、それがついに分からずじまいだったのです。
私をはじめ多くのボクシングファンのプライアー評価を「過大だ」と見る向きは少ないでしょう。もちろん「過少」評価だという声もけして多くはありませんが…。
シンシナティの荒鷲の評価は、その実像に迫ることができているのでしょうか?
また、今夜も「オレンジボールの名勝負」に辿り着くことはありません。
「どこまで強かったのかわからずじまいだった」プライアーはプロキャリアでたった一つだけ敗れています。
今夜は、プライアー唯一の敗北のお話。取るに足らない、つまらない試合でした。
全盛期のプライアーなら5ラウンド以内で仕事を終えていたでしょう。そして、アレクシス・アルゲリョが心配して会場に駆けつけることもなかったでしょう。
1987年8月8日、フロリダ州サンライズ。サンライズ・ミュージカルシアターの特設リング。
36戦全勝32KO、勝利しか知らないプライアーは2年5ヶ月のブランクからのカムバック第1戦。ホームのマイアミでウェルター級10回戦のリングに上がります。
相手はアマチュア時代にトーマス・ハーンズとの対戦経験があるウェルター級のゲートキーパー、ボビー・ジョー・ヤング。
さて、この試合。ボクシングマガジンなど日本メディアは「ジュニアウェルター級10回戦」と報道しましたが、事実は「ウェルター級」でした。
147ポンドのリミットを作れなかったプライアーは148ポンドで体重超過。
ヤング陣営のトミー・パークスはプライアーと、応援に駆けつけたアルゲリョを「(二人の名勝負を)あんな試合は負け犬の噛み合い。二人はウェルター級ではゴミ以下」と侮辱する暴言を吐きながらも、試合を受け入れます。
「アレクシスは関係ないだろ?」。秤を降りたプライアーは静かにパークスを睨みます。
プライアーがリングに入場するとパークスと目が合ってしまいます。相手コーナーに早足で詰め寄るとパークスに殴りかかりました。
しかし、パークスは拳をかわして逆にパンチを入れてプライアーは口を切って出血。
深刻なコカイン中毒とアルコールに溺れたプライアーは、一時はバンタム級(118ポンド)までやせ細り、健康状態は最悪でした…「でした」という過去形は正しくありません。この試合に上がったプライアーもまともなコンディションではありませんでした。
鋭利なナイフを斬りつけるようなコンビーネーションは影を潜め、軽石のように威力のないパンチを不器用に振り回すプライアーはまだ31歳でしたが、62歳のように見える動きでした。
第1ラウンドで早々のダウンを奪われたかつてのライバルの姿に、リングサイドのアルゲリョは頭を抱えてしまいます。
2年後に全くいいところなくサイモン・ブラウンに2ラウンドで粉砕されるヤング、大した選手でないはずなのに、気のせいとはわかっていてもそのパンチが重く、力強く見えてしまいます。
7ラウンド、ヤングの右をまともに食らったプライアーはこの試合2度目のダウン。必死で立ち上がろうとするも、膝から崩れてカウントアウト。
ヤングは「所詮はジュニアウェルター、140ポンドの選手。プライアーのパンチは弱かった。ウェルターでは通用しないよ」と勝利者インタビューに答えました。
その横でパークスが「言っただろう、フェザー級のアルゲリョとどっこいのプライアーが強いわけないんだ」と笑うのを聞いたアルゲリョは「アーロンはもう戦うべきではない。彼の体が心配だ」と言い残して会場を去りました。
お祭り騒ぎのヤング陣営でしたが、この敗北で「プライアーは本当は弱い」と思った人は世界中に一人もいなかったでしょう。
もちろん、パークスもヤングも含めて。
それほどまでに、あの夜のプライアーは全くの別人でした。
プライアーは「準備運動は終わり。まだやれる」とアルゲリョの助言を無視して現役を続行。
1年4ヶ月後の1988年12月、さらにそこから1年6ヶ月後の1990年5月と12月に3試合を戦って、今度こそ引退。
いずれも二戦級のボクサー相手でしたが3戦全勝3KOでした。
ジュニア階級にはボクシングの欺瞞が凝縮されています。しかし、それなのに、この偽物の濁って淀んだ世界に、誰が見ても本物の嵐が吹き荒れることがあるのです。
〝ジュニア・ジュニアフライ級〟のリカルド・ロペスにジュニアフェザー級のウィルフレド・ゴメス、ジュニアウェルター級のアーロン・プライアー、ジュニアヘビー級のイベンダー・ホリフィールド…。
腐敗したボクシング界が捏造した、誰からも冷ややかな目でみられた〝醜いアヒルの子〟階級で、オリジナル8よりも強烈な光を放ったグレートたち。
ロペスやゴメス、ホリフィールドが〝出ジュニア〟からキャリア晩年において限界の微粒子を撒いてしまったのに対して、プライアーは異彩を放っていました。
私たちが、ジュニア階級のグレートたちに訊きたい問いはただ一つです。
強いのはわかってる、知りたいのはどこまで強かったのか?
プライアーについては、それがついに分からずじまいだったのです。
私をはじめ多くのボクシングファンのプライアー評価を「過大だ」と見る向きは少ないでしょう。もちろん「過少」評価だという声もけして多くはありませんが…。
シンシナティの荒鷲の評価は、その実像に迫ることができているのでしょうか?
また、今夜も「オレンジボールの名勝負」に辿り着くことはありません。
「どこまで強かったのかわからずじまいだった」プライアーはプロキャリアでたった一つだけ敗れています。
今夜は、プライアー唯一の敗北のお話。取るに足らない、つまらない試合でした。
全盛期のプライアーなら5ラウンド以内で仕事を終えていたでしょう。そして、アレクシス・アルゲリョが心配して会場に駆けつけることもなかったでしょう。
1987年8月8日、フロリダ州サンライズ。サンライズ・ミュージカルシアターの特設リング。
36戦全勝32KO、勝利しか知らないプライアーは2年5ヶ月のブランクからのカムバック第1戦。ホームのマイアミでウェルター級10回戦のリングに上がります。
相手はアマチュア時代にトーマス・ハーンズとの対戦経験があるウェルター級のゲートキーパー、ボビー・ジョー・ヤング。
さて、この試合。ボクシングマガジンなど日本メディアは「ジュニアウェルター級10回戦」と報道しましたが、事実は「ウェルター級」でした。
147ポンドのリミットを作れなかったプライアーは148ポンドで体重超過。
ヤング陣営のトミー・パークスはプライアーと、応援に駆けつけたアルゲリョを「(二人の名勝負を)あんな試合は負け犬の噛み合い。二人はウェルター級ではゴミ以下」と侮辱する暴言を吐きながらも、試合を受け入れます。
「アレクシスは関係ないだろ?」。秤を降りたプライアーは静かにパークスを睨みます。
プライアーがリングに入場するとパークスと目が合ってしまいます。相手コーナーに早足で詰め寄るとパークスに殴りかかりました。
しかし、パークスは拳をかわして逆にパンチを入れてプライアーは口を切って出血。
深刻なコカイン中毒とアルコールに溺れたプライアーは、一時はバンタム級(118ポンド)までやせ細り、健康状態は最悪でした…「でした」という過去形は正しくありません。この試合に上がったプライアーもまともなコンディションではありませんでした。
鋭利なナイフを斬りつけるようなコンビーネーションは影を潜め、軽石のように威力のないパンチを不器用に振り回すプライアーはまだ31歳でしたが、62歳のように見える動きでした。
第1ラウンドで早々のダウンを奪われたかつてのライバルの姿に、リングサイドのアルゲリョは頭を抱えてしまいます。
2年後に全くいいところなくサイモン・ブラウンに2ラウンドで粉砕されるヤング、大した選手でないはずなのに、気のせいとはわかっていてもそのパンチが重く、力強く見えてしまいます。
7ラウンド、ヤングの右をまともに食らったプライアーはこの試合2度目のダウン。必死で立ち上がろうとするも、膝から崩れてカウントアウト。
ヤングは「所詮はジュニアウェルター、140ポンドの選手。プライアーのパンチは弱かった。ウェルターでは通用しないよ」と勝利者インタビューに答えました。
その横でパークスが「言っただろう、フェザー級のアルゲリョとどっこいのプライアーが強いわけないんだ」と笑うのを聞いたアルゲリョは「アーロンはもう戦うべきではない。彼の体が心配だ」と言い残して会場を去りました。
お祭り騒ぎのヤング陣営でしたが、この敗北で「プライアーは本当は弱い」と思った人は世界中に一人もいなかったでしょう。
もちろん、パークスもヤングも含めて。
それほどまでに、あの夜のプライアーは全くの別人でした。
プライアーは「準備運動は終わり。まだやれる」とアルゲリョの助言を無視して現役を続行。
1年4ヶ月後の1988年12月、さらにそこから1年6ヶ月後の1990年5月と12月に3試合を戦って、今度こそ引退。
いずれも二戦級のボクサー相手でしたが3戦全勝3KOでした。

コメント
コメント一覧 (1)
スーパーライト級で主に闘って、名勝負をした
チャベスは、何なんだろう?
プライアーとチャベス一緒にしては、いけませんが
しかし、Jr.王者が、正統派王者を、下したとき
(特にJr.王者が防衛成功した時)
感慨深いものがあります。
フシ穴の眼
が
しました