1982年11月12日、フロリダ州マイアミ オレンジボウル。

 WBAジュニアウェルター級タイトルマッチはWBCとの統一戦でもないのに、ボブ・アラムはこう名付けました。
 

The Battle of The Champions 


しかし、The Battle of the Championsの看板を、アラムお得意の大風呂敷だと嘲笑するメディアもファンもいませんでした。

この試合は、誰の目にも「王者の激突」だったのです。 

リトルハバナの古いフットボールスタジアムには2万3000人を超える大観衆が詰めかけました。

豊穣のアマチュアキャリアを擁しながら野獣のように戦う無敵のチャンピオンと、短く印象に残らないアマ戦績しか残していないもののプロ入りからは華麗に3階級制覇を成し遂げた実力も兼ね備えたアイドル。

当時の米国ボクシングはモハメド・アリがリングを去り「終わりの始まり」を迎えていました。しかし、それでもまだ、黄金時代の熾火は燃えていました。

モントリオール五輪で金メダルを獲得しプロでも大勝負を勝ち続けていたシュガー・レイ・レナードはスポーツ・イラストレイテッドの年間最高スポーツマン(これを最後にボクサーは一人も選ばれていません)に輝くなど一般のスポーツファンも知るスーパースターでした。

しかし、ボクシングファンにとってアルゲリョはレナードに勝るとも劣らないビッグネームだったのです。
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もし、テレビ視聴率だけを優先して考えるとこの試合はセミファイナルにすべきだったのかもしれません。

しかし、ヘンリー・アームストロングを凌ぐ史上初の4階級制覇がかかるエポック・ファイトは、ロベルト・デュランの名前すらも前座に組み込んでしまったのです。

いいえ、もしアルゲリョの4階級制覇がWBCのソウル・マンビーやリロイ・ヘイリーという穴王者を狙い撃ちにしていたなら、普通にデュランがメインイベントを張っていたはずです。

そうだったとしてもアラムは The Battle of the Champions と騒ぎ立てたでしょうがメディアとファンは小馬鹿にしたでしょう。「何が王者の激突だ、プライアーがいるじゃないか」と。

このマッチメイクをまとめたブルース・トランプラーは「まずWBCのクリームパフ(穴王者)を食べてからプライアーとのビッグファイト、というシナリオもあった。」と認めています。

トップランクのビッグファイトをいくつもまとめ続けているトランプラーは「アレクシスを説得することは出来なかった。『プライアーに勝たないで140ポンドの世界王者を名乗れるか?私にはそんな恥ずかしいことは出来ない。それは世界王者と呼ばない』と言い張った」とあきれたように笑います。

That was Alexis. He never wanted a cream puff.
アレクシスとはそういう男だった。どこにでもいる穴王者には全く興味を示さなかった。

試合の2日前に行われた記者会見は、拍子抜けするほど静かに進み、何事もなく終わりました。

オッズと専門家予想は全くの互角。しかし、このビッグファイトの主役は30歳のニカラグア人でした。

HBOが世界に中継した会見、記者質問はアルゲリョに集中します。

31戦全勝29KOの27歳にはほとんどマイクが向けられることはほとんどありませんでしたが、負け犬扱いの進行に野獣がいつかブチ切れるという期待は裏切られてしまいます。

「アルゲリョの素晴らしいキャリアについてどう考えるか?」。「アルゲリョは激しい打撃戦になる、と言っているが?」。

屈辱的な質問にも「それは誰が見たって素晴らしいと思う」「アレクシスに同意する」と短く答えるだけ。

会見が終わるとアルゲリョはプライアーに近づき何かを語ると、プライアーは笑って首を振りました。


「すまないな、こんな会見になってしまって」。

「アレクシスが謝ることじゃない、俺は気にしてない」。

二人の間では、そんな会話が交わされていたのかもしれません…。