羽生善治が今日の読売新聞朝刊で、AIがらみの興味深い話を展開しています。羽生は言わずと知れた天才棋士ですが、その思考回路はまさにアスリート。
羽生の立場は「将棋の強さに人生経験は、全く関係なく、より多くのパターンの対局を積み武装している棋士が強い」という唯物的な考えです。
深い挫折、大きな失恋など人生の試練を潜り抜けた演歌歌手の唄が感動的に聞こえるのは、気のせいです。もちろん、唄の素晴らしさを裏付けする最も大きな要素は聞き手の心持ちであることも多いでしょう。
しかし、将棋やスポーツの世界では強い奴が勝つ。ただ、それだけです。
ロビンソンvsアルバレスの話に当てはめると、旧時代の遺物であるロビンソンには勝ち目がないことになります。
その一方で羽生はAIの強さについて「古いとか新しいの概念がなく、その局面での最善手を指してくる、とも指摘しています。
「人間が古いと切り捨てた古い戦型が復活することもある」といいます。
これは野球の世界でもアンダースローや、大きく曲がり落ちるカーブが、絶滅危惧種に追い詰められながらも、間歇的に輝きを放っていることにも似ています。
キャンディ・カミングスがカーブを発明したのは、1867年。153年もの歳月が流れましたが、今なおカーブは最も威力のあるボールです。=スポーツイラステレイテッド2017年5月29日号から=サブマリンやドロップはどんな時代にも通用するというよりも、絶滅危惧種になったがゆえの稀少さ、つまり勝負の世界で最も有効な「異質である」という存在を手に入れたがゆえに、明滅的な輝きを放っているのです。
攻防分離に陥りやすいジョージ・フォアマンのクロスアームブロックもまた、リングの中の「ドロップ」です。
一方で、ナックルボールやショルダーロールのように時代を易々と超越する秘術も脈々と息づいています。
…私は典型的な唯物論者です。
過去の失敗や技術開発を学習して現代があるのですから、ファイティング原田のラッシュが井上尚弥を飲み込み、攻め落とすことはありません。あってはいけません。
シュガー・レイ・ロビンソンがカネロ・アルバレスに厳しい授業を施した末に、ノックアウトすることもありえません。あってはいけないのです。
しかし、ボクシングにおいてはヘビー級以外は体格の進化はほとんどありえず、原田も井上も同じ118ボンド。ロビンソンとカネロも160ボンドです。
そして、現代はグローブは厚く、試合間隔は長く、攻勢よりもシャブや防御が大きく評価される、過保護のゆとり時代です。
技術は進化しているといっても、ほとんどは小手先です。
カネロが50年代の過酷な環境に放り込まれたら、そのボクシングの精度が著しく下落するのは100%間違いありません。つまり50年代のカネロは今よりも弱くなります。
逆にロビンソンが現代に舞い降りたら、年2試合に分厚いグローブ、ごまかしの採点という「ゆとりワールド」で、その精度が大きく向上するのは間違いありません。ロビンソンには強くなる要素があふれています。
また、ロビンソンにとって自らが編み出した近代ボクシングに端を発した小手先の技術を吸収するのはあっけないまでに簡単なはずです。
さらに、カネロが見たこともない「サブマリン」や「ドロップ」のカードを、ロビンソンなら何枚も持っているでしょう。
過酷な50年代条件でカネロは月1回の試合ペース、ロビンソンはゆとり環境で年2回を経て、2人を戦わせたら、そのリングで何が起きるでしょうか?
技術的には何の上積みも無いまま、50年代の激流に晒されたカネロは敗北はもちろん、故障や怪我が相次ぎ、ロビンソン戦のリングに上がることすら出来ないかもしれません。
もちろん、原田vs井上は不公平なサンプル抽出で、 ロビンソンvsカネロはさらに不公平です。
近代ボクシング150年の歴史で最高傑作と言われているロビンソンと、2019年にPFP1位になったばかりのカネロを比較することは、150と1を比べるようなものです。
2000−2009年のディケイドPFP1位にして2010-2019でもその候補に挙げられたマニー・パッキャオなら、この戦いを150 vs10〜20に持ち込めます。
もちろん、原田vs井上は不公平なサンプル抽出で、 ロビンソンvsカネロはさらに不公平です。
近代ボクシング150年の歴史で最高傑作と言われているロビンソンと、2019年にPFP1位になったばかりのカネロを比較することは、150と1を比べるようなものです。
2000−2009年のディケイドPFP1位にして2010-2019でもその候補に挙げられたマニー・パッキャオなら、この戦いを150 vs10〜20に持ち込めます。
全盛期のパッキャオのスタイルは1950年代の薄いグローブに短い試合間隔、攻勢重視の採点でもカネロほどにはボクシングの精度は落ちないでしょう。
若い頃は現代最先端の科学的練習や指導からかけ離れた劣悪な環境で、過酷な実戦で技術を磨いてきたパッキャオの“出身校”は1960年代まで当たり前だったオールドスクールです。
本来ならアウエーであるはずの西海岸のリングを圧倒的声援を集める完全ホームに仕立て上げたパックマンなら…ほぼ全てのキャリアを過保護Aサイドで戦い続けるカネロほどには、1950年代の逆境は負担にならないかもしれません。
それでも、しかし…。それならそれで、そこはまさしくロビンソンの土俵です。

コメント
コメント一覧 (3)
このように、昔は無理だと言われたことが現在できるようになっているのを見ると、やはり競技として進化しているように思えます
ただこれが進化ではなくファッションと同じような流行り廃りのただの流行かもしれず
意外に何十年か後に、再び188cmで95kgの選手が王者になるなど、昔起こったことが未来に起こりうるかもしれませんね
フシ穴の眼
が
しました