2011年、長谷川穂積を大番狂わせで破ったフェルナンド・モンティエルを予告通りに2ラウンドで破壊したノニト・ドネアはPFP3位まで世界評価を高めました。

翌2012年にはジュニアフェザー級へ進出、2月にWBO王者決定戦でウィルフレド・バスケスを2−1のスプリットデジションで抑えて3階級制覇(日本では4階級制覇ですが世界的には暫定=ドネアの場合はジュニアバンタム=は認められません)。

7月には対抗王者のジェフリー・マセブラのIBFタイトルを吸収して2団体統一。

10月にはWBC名誉王者の西岡利晃と対戦、36歳の日本人が「左フックをもらわなければ俺の勝ち」と言わばかりの右ガードを顔面に貼り付けた滑稽な姿に戸惑ったのか「中盤までにKO」という大方の予想を裏切り試合は9ラウンドまで長引いてしまいます。

それでも12月には、軽量級屈指の人気者ホルヘ・アルセを打ち砕き、軽量級の旗手が誰であるかを世界に見せつけました。

ジュニアフェザーに乗り込んだこの2013年は、4戦全勝でその全てが圧勝(バスケス戦のSDは不可解な判定でした)。この活躍で、ドネアはボクサーとして最高の栄誉であるBWAAの Fighter Of The Year に選出されます。

しかし、30歳を越えたドネアがマセブラ戦では、仕留めきれずに後半苦戦。西岡戦では劣化の兆候を晒したことは誰の目にも明らかでした。

「プライムタイムから坂を下るタイミングでキャリア最強の相手を迎える。ドネアが厳しい戦いを強いられるのは間違いない」(リング誌)という予想通りに、2013年4月の試合でギレルモ・リゴンドーに完敗を喫してしまいます。

試合前に「私は速い、ちゃんと見とけ」と自らの目を指差してキューバの超絶テクニシャンを挑発したドネアでしたが、「その目を必ず潰す」とジャッカルは静かに語り、その通りに実行しました。

全ての歯車が狂い出しました。試合会場はボクシングのビッグファイトには似つかわしくないニューヨークの小さなミュージックホール。

ニューヨーク、そうです、BWAAの表彰式を来月に控えた最悪のタイミングと場所で敗北してしまったのです。

それまでも懐疑的な見方をされていたドネアの高評価は暴落、PFPリストから追放されてしまいます。

前年には、神がかり的な快進撃を続けていたマニー・パッキャオがティモシー・ブラッドリーに議論を呼ぶ敗戦(WBOは独自調査で「間違った判定」と認めたものの試合結果は変わらず)に、ファン・マヌエル・マルケスに完全KO負け。

フィリピンが最も熱かった季節は、ここで一旦幕を下ろします。
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【画像:左】長谷川と西岡が希求した「世界評価」。2015年にはリング誌がメキシコと英国、日本の17階級での勢力図にふれるなど、PFPの門戸開放への鼓動が聞こえていました。【画像:右】KO ARTISTS のリストでは87.5%で井上尚弥が7位に。


話が横道に逸れました…日本の勇敢なボクサーがPFPの扉をこじ開ける物語です。

長谷川と西岡が激しくノックしたその扉は、ついに開かれることはありませんでした。

しかし、八重樫東がフライ級でリング誌認定王者に就き、内山高志はジュニアライト級で1位をキープ。

山中慎介はバンタム級2位でしたが、1位のアンセルモ・モレノが伏兵のファン・カルロス・パヤノに「パヤノが遅くて決めてのないボクサーなのは誰でも知っていたが、モレノがここまで鈍重に衰えていたことも誰も知らなかった」(リング誌)というまさかの負傷判定負けで、1位に昇格。

八重樫は、2014年9月にPFP8位のローマン・ゴンザレスに初のストップ負けを喫して、このレースから脱落してしまいます。

それでも、春日部のKOダイナマイトはその強打を振るい続け、神の左はモレノに勝利しリング誌認定王者に。

そして、ついに、その日が訪れます。

2015年9月号。日本人の名前がそのリストについに刻まれました。
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それも9位に山中、10位に内山と一気に2人がランクイン。

日本人をあれほど拒み続けてきたリング誌PFPの扉が、ついに開かれたのです。

そして、このときロマゴンは2位に。軽量級史上初の快挙も目前に迫っていました。