日本時間の日曜日、強敵と思われたリチャード・コミーを一閃のカウンターで破壊したテオフィモ・ロペス。

中谷正義との決定力に欠けた12ラウンドとは見違える出来映えでした。

その中谷戦、リング上では堪えていた涙をロビーやエレベーターで人目を憚らず流したロペス。

「自分の弱さが悔しくて許せなかった」。

アスリートが流す涙は色々です。

ロペスのような、悔し涙はいくらでも流せばいいんです。

それはまさしく成長への滋養をたっぷり含んだ、明日のための涙です。

しかし、嬉し涙はほどほどに控えなければなりません。嬉し涙は、家族とファンに感謝する引退のときなど特別の日にとっておくべき水分です。

それ以外の嬉し涙は多くの場合、達成の満足感で汚れた、未来への闘志を見失う、ヌルい自己耽溺です。

そんな嬉し涙を人前で最も流したスポーツ選手は、清原和博でしょう。

味方のファンにまで見放され、ゲガで戦線離脱するとオーナーからまで「これで優勝確率が上がった」とコケにされました。

敵チームの監督はオープン戦で前を打つ松井秀喜を敬遠、「いくら清原でも怒らせたらペナントレースは怖いんじゃないか?」と記者に聞かれると「イチローや松井は侮辱したら絶対にダメ、痛い目にあうが、清原は怒らせたらどんどんダメになる、これも書いといてや」と言われる始末。

 実際、清原は好投手から打つことはほとんどなく、チャンスでも併殺打を繰り返し味方ファンからは罵声を、敵からは拍手と歓声が送られました。

悔し涙も流したでしょうが「俺、人殺しでもしたんか?」と、周囲が悪いと現実逃避の姿勢に沈みました。

清原が酷いな罵声や屈辱的な拍手を浴びたのは、人を殺したからではありません。てめぇが打たないからです。それだけです。

相手投手が内角を突くのは、そこが欠点で、そこに投げると激昂して自ら崩壊するのを知っているからです。

内角球を投げられると清原はプロテクターで守ったひじを出してデッドボールを取る卑劣な行為も犯しました。 

打ちゃあ良かったんです。

打てば罵声を飛ばしたファンは大歓声で迎えてくれます。敵のファンは罵声を飛ばして恐れ慄きます。

おしゃべりなオーナーも野村監督も黙るでしょう。

相手投手は松井にそうしたように、恐々と外角にボールを集めることしか出来なかったでしょう。

どうでもいい場面でたまに打つと、嬉し涙を流していた清原はいつも逃げ道を探していました。

ファンから冷遇され不当で不運で不幸な自分。

嬉し涙を最も多く流した清原は、逮捕されるまでも友人、知人に嘘をつき続けた人間としてヘタレでした。

嬉し涙はアスリートを蝕みます。

ただ、嬉し涙をダダモレさせる人間って、いい人が多いのものですが…。

そう考えると、清原の不幸はいい人が、心の弱い人がたまたま野球の才能に恵まれてしまったということなのかもしれません。

それでも、とにかく、やっぱりアスリートには嬉し涙は控えめに、特別な日にとっておかなくてはなりません。