ファイティング原田、ガッツ石松、長谷川穂積、井上尚弥…日本ボクシング史上を彩ってきたスター選手の多くが、減量の過酷さを口にして来ました。
記憶に新しい長谷川や井上は、減量の影響で試合中に足が痙攣してしまう緊急事態も何度か経験しています。
井上がドネアのパンチを頬骨に受けた衝撃で右目上が裂けたというのも、厳しい減量による皮膚の薄化・皮下脂肪の減少が影響しているのかもしれません。
輪島功一は「減量が厳しいなんて自慢しちゃいけない。だったら上のクラスでやりゃいいんだから。どうして上でやらないの?上の方が強いから、負けるからでしょ」と皮肉っていました。
確かに、パックメイらを例外にして、減量はより弱い相手と戦うために自分も弱体化する矛盾した行為です。
この矛盾が肥大化すると、比嘉大吾やジェイミー・マクドネルのように体重超過・重病人状態という破滅を迎えてしまいます。
輪島の言うように「減量が厳しい」と口にすることは悪印象です。
しかし、あらゆる減量は弱者の言い訳・逃げ道でしかないのでしょうか?
ウンベルト・ゴンザレスらの対戦要求を拒否してストロー級にしがみついたリカルド・ロペスは、小心者の弱者だったのでしょうか?
軽量級ではありえない〝PFPパラダイス〟となったジュニアバンタム級を減量苦を理由に去った井上は卑怯な逃亡者なのでしょうか?
減量苦がほとんどなかったロペスと、常に過酷な減量と向き合っている井上を同列に語るのは違和感があるかもしれませんが、2人は絶対的な強さではなく、相対的な強さ、自分が最も傑出できる階級で戦おうとしていたことでは共通しているかもしれません。
絶対的強さはヘビー級は当然として、やフリオ・セサール・チャベス、シュガー・レイ・レナード、カネロ・アルバレスら無茶な減量をしないスーパースターが挙げられます。
日本の内山高志も過酷な減量とは無縁に自分のフレームにあった絶対的な強さを求めた一人です。
※相対的にも絶対的にも強さを求めず、ひたすらカネと栄光だけを貪るパックメイのようなケースもありますが、彼らは特殊過ぎるサンプルです。
表層的に最もカッコいいのはパックメイです。明らかに適正階級より重いにもかかわらず、注目度・報酬の高いウェルター級を主戦場とする彼らは浅ましいまでにカネと栄光の亡者ですが、あそこまで割り切った姿勢には逆に清々しさまで感じます。
骨や肉を削るような減量はしないで、当然リバウンド・アドバンテージも少ないにもかかわらずパワーボクシングを魅せた内山もカッコいい、です。
では、過酷な減量とリバウンドを効率良くミックスさせる術に長けた井上や井岡は、弱い階級で弱い相手を求めるために自らも弱体化させているカッコ悪いボクサーなのでしょうか?
当日計量時代の減量は、弱体化を最小限に抑えて健康的に体重を落とすことだけが課題でした。
そして、前日計量の現行ルール下では健康的にリバウンドすることも重要な戦略になっています。
長谷川や井岡、井上らはこの減量とリバウンドで卓越したマネジメント能力を発揮、井岡はストロー級時代から変わらぬパフォーマンスをキープ、長谷川と井上は「別の階級のパンチ力」と驚かれるパワーを見せつけました。
減量とリバウンドを器用に操る彼らを卑屈と片付けることは簡単ですが、ルイス・ネリのようにルールを逸脱して強さを発揮したわけではありません。
ルールを最大限に利用し、最高のパフォーマンスを見せる彼らは、プロの鑑とは言えないでしょうか?
適正階級をオーバーしたウェルター級で退屈な12ラウンドを排泄し続けたメイは下の階級では眼を見張るエキサイティングなボクサーでした。
内山が過酷な減量をくぐり抜けてジュニアフェザーやバンタム級で戦っていたなら、誰も見たことがない爆発的な光景を私たちに何度も提供してくれていたのではないでしょうか?
逆に長谷川や井上がナチュラルウェートに近いジュニアライトやライト級で戦っていたら、あの出色のパフォーマンスはありえなかったと考えるのは間違っているでしょうか。
より弱い相手を求めて自分も弱体化するのが減量ですが、その匙加減こそが重要で、比嘉のように弱い相手を求めて自分が病人状態までに衰弱するのはお笑い種です。
井上や井岡のように相手と自分の弱体化を絶妙のバランスでマネジメントすること、必ず一発でクリアすること、それこそが減量のキモです。
隅々まで知り尽くした小さな港湾でしかセール出来ないヨット乗りを馬鹿にするのは、彼のセーリングを見てからでも遅くはありません。
もちろん、小さなヨットで遠洋に悠々と漕ぎ出すパッキャオがカッコいいのは誰にでも分かります。
「クルーザー級に落とすのは簡単」と前例のない〝逆2階級制覇〟に興味を見せたデオンティ・ワイルダー に覚えた違和感は「複数階級制覇なんて所詮はヘビー級で戦えないファイターの詭弁」と、誰もがわかっているからです。
しかし、だからといって過酷な減量によって発揮する相対的ながら圧倒的な強さを欺瞞だと決めつけることができるでしょうか?


コメント
コメント一覧 (7)
減量も大変かと思いますが、オリジナル8階級に戻せば無理な減量は減ると思う
フシ穴の眼
が
しました
真面目に殴り合ってたら危なかったのではと思える場面が結構ありました。
KOを狙うというのはリスクが高いですが、大体はKOできるボクサーでなければ客に認めてもらえません。
だから自分がKOを狙える階級まで減量をして最高のパフォーマンスを発揮するというのはプロ興行として当然のことだと自分は肯定します。
逆に客の存在など気にせずにタッチボクシングに徹すればもっと上の階級で勝てるボクサーは少なくないと思います。
そもそも認めてもらうためにKOを狙いに行かなければならないボクサーと
勝ちに徹すればいいメイウェザーのようなボクサーを「強さ」という曖昧な一言だけで比較するのはアンフェアだと自分は思うのです。
考えれば考えるほど泥沼です(汗)
ボクシングにおける「強さ」とは体重のみならずファイトスタイルやそのバックボーンまで考慮しないといけない気がします。
フシ穴の眼
が
しました
「弱い奴と闘う為」というのも「自分の強さが傑出する階級で闘う為」というのも、同じ事を巧みに言い替えているだけともとれます。個人的には後者の捉え方がしっくりきます。しかし、重量級の方が層が厚い現状だと、強い奴を避けている、と捉えられるのも仕方ないですかね。逆に、タレント揃いのジュニアバンタムを避けた井上尚弥は、弱い奴と闘う為に階級を上げたとも言えるかも知れないです。まぁ「無理に減量をして、かつ強豪揃いの階級で闘う二重苦はさすがにキツい」といった所が正直なとこだと思います。自分が強くなって相手も強くなるのならまだしも、自分が弱くなって(無理な減量をして)相手は逆に強くなったら、たまったもんじゃないです。
アンチドーピング活動にもこうした言い替えはよくあります。主に悪い方に言い替える訳ですが。
「楽をして強くなる」とかですね。普通に考えれば、「同じトレーニングをした時にドーピングをすればより強くなる」というのがフラットな捉え方です。しかし、「同じ強さに達するのにドーピングをした方が楽」という風な言い替えをする事で、ドーピングを「心の弱さ」と結び付けやすくなります。偽善的と言えば、相当偽善的です。
やっぱり、必要なのは状況に応じた言い替えで、減量というものが一概に強さの本質を外れるものではないと思います。日本だと、数々の漫画作品で減量の美学とかストイックなカッコ良さというのも描かれてきました。これも、「日本の悪しき根性論」という「言い替え」をされる日が来るのかも知れないですが。
フシ穴の眼
が
しました
僕も170センチ未満ですが、ほとんど180しかいない階級で闘ってますし。
恐らくですが、セルヒオマルチネスやカネロも過度な減量で脆くなっていた膝を壊したんだと思います。
カネロ、節穴さんの言うとおり今は無理な減量はしてないでしょうが、昔はかなり減量して戻してましたからね。
そしてロジャーが言っていた「ボクシングは技術で優る者が勝つようにできている」というのはパックメイが証明していますね。
減量によっての健康問題と体重超過への問題。
いつかプロボクシングにまともな統括団体が出来てくれないかなぁ笑
フシ穴の眼
が
しました