ウィルフレド・ゴメス。

17人の犠牲者リストを振り返ると…。
①1977/0711 ラウル・ティアド(対戦時の戦績:11勝6KO5敗4分)=5ラウンドTKO
フライ〜バンタムのB級ファイターながらデビュー戦がグティ・エスパダス、8戦目でアルフォンソ・サモラと戦うなど、シールド無しのキャリアを送ったメキシカン。
②1978/0119 ロイヤル小林(24勝21KO3敗)=3ラウンドKO
言わずと知れたKO仕掛け人。ゴメスがロイヤルを沈めたとてつもなく短い左カウンターは、ボクシングに戦慄のタイミングが存在することを一瞬で学習できる教科書です。
③1978/0420 ファン・アントニオ・ロペス(41勝27KO7敗)=7ラウンドTKO
キャリア最晩年、次の試合で引退するエデル・ジョフレとも対戦したこともあるロペスでしたが、今回も相手が悪すぎました。
④1978/0602 サカッド・ペッティンディ(2勝1KO)=3ラウンドKO
ムエタイの伝説ペッティンディはプロ3戦目での世界挑戦。手のつけられないムエタイの強豪が国際式ですぐ世界挑戦、たまに見られるストーリーです。
サカッドは前年11月のデビュー戦でロペスに勝っていますが、ゴメスに勝っていたのは1つ若い20歳という年齢だけでした。
⑤1978/0909 レオ・クルーズ(29勝13KO4敗3分)=13ラウンドTKO
さしたる実績のないクルーズが出来たことは、13ラウンドまで生き残ることだけでした。
⑥1978/1028 カルロス・サラテ(52戦全勝51KO)=5ラウンドTKO
前戦からわずか49日。ゴメスは今なお軽量級の歴史に燦然と輝く無敗のKOスター決戦のリングに上がります。このときゴメスは21戦全勝21KO1分。2人合わせて73勝72KO無敗1分。
KO必至と言われる試合が凡戦に終わることが珍しくないボクシングですが、この2人の激突が判定に持ち込まれると予想した人が地球上に1人でもいたでしょうか?
経験と対戦相手の質で上回るWBCバンタム級王者サラテがやや有利と見られていました。前年4月にWBAバンタム級王者のアルフォンソ・サモラ(当時28戦全勝28KO)との無敗KOスター決戦第一弾で快勝を収めていたサラテに油断があったのか?
計量でサラテはなんと2ポンド半、1.134kgもオーバーしています。当時は試合当日の午前中計量、3回目の計量でようやく122ポンドまで削ぎ落としたサラテはまだ27歳だったというのに、老人のようでした。
⑪1980年/0203 ルーベン・バルデス(45勝25KO5敗1分)=6ラウンドTKO
コロンビアのコブラ、バルデスはゴメスに破壊されてから1勝4敗と失速、引退を余儀なくされました。
⑫1980年/0822 デリク・ホームズ(14勝10KO1分)=5ラウンドTKO
無敗のホームズはアマ時代にゴメスに勝っていることで番狂わせも期待されましたが…。
⑬1980年/1213 ホセ・セルバンテス(22勝10KO8敗4分)=3ラウンドKO
長い防衛ロードにはアクシデントも起きます。初回、セルバンテスの左ジャブがゴメスの右目にサミング。しかし、主審は試合を流します。
ゴメスは視力回復まで無理をせず、視界が戻った3回に一気に攻め立ててゲームは終了。
▶︎▶︎▶︎ここでゴメスにメガファイトの誘いが二つも舞い込みます。
一つは翌1981年2月23日に四大世界戦の1つとして、米国の人気者マイク・アヤラと14度目の防衛戦を行うというもの。そして、もう一つは3階級制覇を賭けてフェザー級の強豪王者サルバドール・サンチェスへの挑戦。
ゴメスは迷わず後者を選んでしまい、プロ初の挫折を味わいます。
⑭1982年/0327 ホアン・メサ(37勝31KO4敗)=6ラウンドTKO
のちにWBC王者になりマイク・アヤラを倒す強打のメサでしたが、ゴメスの強打には耐えることが出来ませんでした。
⑮1982年/0611 ファン・アントニオ・ロペス(56勝41KO8敗)=10ラウンドTKO
ゴメスに敗れてから15連勝で、再挑戦のチャンスをつかんだロペスでしたが、出来たことは前回よりも3つ長いラウンドまで立っていることでした。
⑯1982年/0818 ロベルト・ルバルディノ(52勝34KO5敗)=7ラウンドTKO
WBAバンタム級王者ホルヘ・ルハンへの挑戦(1979年10月9日)に失敗してから13連勝、その間無冠となったルハンへのリベンジも果たしているルバルディノでしたが、何もできないまま7回で散りました。
⑰1982年/12023 ルペ・ピントール(49勝38KO5敗1分)=14ラウンドTKO
サラテをスプリットデジションで下してビッグネームの仲間入りしたピントールはゴメスを苦しめる場面も作りましたが、14ラウンドで決着。ゴメスはまだ27歳でしたが、反射が鈍り一発に頼る大振りが目立つようになっていました。
減量が苦しくなっていたゴメスは王座を空けて、フェザー級へ。
正真正銘の伝説です。
怪物ボクサーの名産地プエルトリコを語るとき、ゴメスの名前を真っ先に出して、誰が真っ当な異論を語れるでしょうか?
それほど偉大なゴメスにケチをつけるなんて、ボクシングの神様の怒りを買う悪業に他なりません。
しかしそれでも…神に逆らうことは、いつだって背徳の快感が伴うものです。
さて、ジュニアフェザー級の歴史とゴメスの登場をおさらいします。
ジュニアフェザー級か新設されたのは1976年、WBCによってでした。
正確には新設ではなく「再設」です。
1920年代に米国のプロモーターが122ポンドの試合をいくつか打ちましたが、ニューヨーク州や英国ボクシング管理委員会(BBB of C)の統括団体は世界王座を新設してくれないまま、1930年代には完全にフェイドアウトしてしまいました。
1920年代に米国のプロモーターが122ポンドの試合をいくつか打ちましたが、ニューヨーク州や英国ボクシング管理委員会(BBB of C)の統括団体は世界王座を新設してくれないまま、1930年代には完全にフェイドアウトしてしまいました。
ジュニアフェザー級と同様に1920年代の実験に失敗しながらも後年になって〝階級復古〟した例はジュニアライト級やジュニアウェルター級にも見られる現象です(JLとJWは王座も制定されていました)。
多くの人が「ボクシングはオリジナル8階級で十分だった」と信じていますが、何十年もの歳月を超えて蘇る階級には、何かしらの必要性があったのかもしれません。
さて、ゴメスがWBCジュニアフェザー級王者・廉東均を12ラウンドTKOで仕留めて戴冠したのが1977年5月21日でした。
1976年4月3日:初代王者リゴベルト・リアスコ→ 1976年10月10日:ロイヤル小林→1976年11月24日:廉東均と、わずか8カ月足らずで、王座は3度も交代。
1976年4月3日:初代王者リゴベルト・リアスコ→ 1976年10月10日:ロイヤル小林→1976年11月24日:廉東均と、わずか8カ月足らずで、王座は3度も交代。
20歳のゴメスが廉東均を倒したのも、ジュニアフェザー誕生からまだ13ヶ月。出来立てホヤホヤの状態でした。
「これだから新設階級は価値がない」。チャンピオンがコロコロ変わるジュニアフェザーへの風当たりは強くなる一方でした。
「これだから新設階級は価値がない」。チャンピオンがコロコロ変わるジュニアフェザーへの風当たりは強くなる一方でした。

ゴメスはこの王座を17連続KOという前代未聞のやり方で防衛します。
17人の犠牲者リストを振り返ると…。
①1977/0711 ラウル・ティアド(対戦時の戦績:11勝6KO5敗4分)=5ラウンドTKO
フライ〜バンタムのB級ファイターながらデビュー戦がグティ・エスパダス、8戦目でアルフォンソ・サモラと戦うなど、シールド無しのキャリアを送ったメキシカン。
②1978/0119 ロイヤル小林(24勝21KO3敗)=3ラウンドKO
言わずと知れたKO仕掛け人。ゴメスがロイヤルを沈めたとてつもなく短い左カウンターは、ボクシングに戦慄のタイミングが存在することを一瞬で学習できる教科書です。
③1978/0420 ファン・アントニオ・ロペス(41勝27KO7敗)=7ラウンドTKO
キャリア最晩年、次の試合で引退するエデル・ジョフレとも対戦したこともあるロペスでしたが、今回も相手が悪すぎました。
④1978/0602 サカッド・ペッティンディ(2勝1KO)=3ラウンドKO
ムエタイの伝説ペッティンディはプロ3戦目での世界挑戦。手のつけられないムエタイの強豪が国際式ですぐ世界挑戦、たまに見られるストーリーです。
サカッドは前年11月のデビュー戦でロペスに勝っていますが、ゴメスに勝っていたのは1つ若い20歳という年齢だけでした。
⑤1978/0909 レオ・クルーズ(29勝13KO4敗3分)=13ラウンドTKO
さしたる実績のないクルーズが出来たことは、13ラウンドまで生き残ることだけでした。
⑥1978/1028 カルロス・サラテ(52戦全勝51KO)=5ラウンドTKO
前戦からわずか49日。ゴメスは今なお軽量級の歴史に燦然と輝く無敗のKOスター決戦のリングに上がります。このときゴメスは21戦全勝21KO1分。2人合わせて73勝72KO無敗1分。
KO必至と言われる試合が凡戦に終わることが珍しくないボクシングですが、この2人の激突が判定に持ち込まれると予想した人が地球上に1人でもいたでしょうか?
経験と対戦相手の質で上回るWBCバンタム級王者サラテがやや有利と見られていました。前年4月にWBAバンタム級王者のアルフォンソ・サモラ(当時28戦全勝28KO)との無敗KOスター決戦第一弾で快勝を収めていたサラテに油断があったのか?
計量でサラテはなんと2ポンド半、1.134kgもオーバーしています。当時は試合当日の午前中計量、3回目の計量でようやく122ポンドまで削ぎ落としたサラテはまだ27歳だったというのに、老人のようでした。
⑦1979年0309 ネストール・ヒメネス(70勝22KO12敗2分)=5ラウンドKO
ヒメネスは、地域タイトルをコレクションしながら世界挑戦まで辿り着いた31歳。 舞台はニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデン。米国デビュー戦でもゴメスはいつも通りの仕事人でした。
ヒメネスは、地域タイトルをコレクションしながら世界挑戦まで辿り着いた31歳。 舞台はニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデン。米国デビュー戦でもゴメスはいつも通りの仕事人でした。
⑧1979年0616 フリオ・エルナンデス(6勝2KO9敗)=5ラウンドKO
雑魚ボクサー、29歳のニカラグア人が どうして世界挑戦できたかわからない一戦。
雑魚ボクサー、29歳のニカラグア人が どうして世界挑戦できたかわからない一戦。
⑨1979年/0928 カルロス・メンドーサ(38勝29KO12敗4分)=10ラウンドTKO
20連勝と波に乗るパナマのハンサムボーイも、ゴメスの前では試合終了のゴングを聞くことが出来ませんでした。会場はシーザースパレス。ラスベガス初お目見えの一戦。
20連勝と波に乗るパナマのハンサムボーイも、ゴメスの前では試合終了のゴングを聞くことが出来ませんでした。会場はシーザースパレス。ラスベガス初お目見えの一戦。
⑩1979年/1026 ニッキー・ペレス(41勝24KO1敗)=5ラウンドTKO
デビュー戦を落としてから41連勝のペレスはNABAやUSBAの北米タイトル を集めて、ゴメスの前に立ち塞がりましたが、5回で撃ち落とされてしまします。
デビュー戦を落としてから41連勝のペレスはNABAやUSBAの北米タイトル を集めて、ゴメスの前に立ち塞がりましたが、5回で撃ち落とされてしまします。
⑪1980年/0203 ルーベン・バルデス(45勝25KO5敗1分)=6ラウンドTKO
コロンビアのコブラ、バルデスはゴメスに破壊されてから1勝4敗と失速、引退を余儀なくされました。
⑫1980年/0822 デリク・ホームズ(14勝10KO1分)=5ラウンドTKO
無敗のホームズはアマ時代にゴメスに勝っていることで番狂わせも期待されましたが…。
⑬1980年/1213 ホセ・セルバンテス(22勝10KO8敗4分)=3ラウンドKO
長い防衛ロードにはアクシデントも起きます。初回、セルバンテスの左ジャブがゴメスの右目にサミング。しかし、主審は試合を流します。
ゴメスは視力回復まで無理をせず、視界が戻った3回に一気に攻め立ててゲームは終了。
▶︎▶︎▶︎ここでゴメスにメガファイトの誘いが二つも舞い込みます。
一つは翌1981年2月23日に四大世界戦の1つとして、米国の人気者マイク・アヤラと14度目の防衛戦を行うというもの。そして、もう一つは3階級制覇を賭けてフェザー級の強豪王者サルバドール・サンチェスへの挑戦。
ゴメスは迷わず後者を選んでしまい、プロ初の挫折を味わいます。
⑭1982年/0327 ホアン・メサ(37勝31KO4敗)=6ラウンドTKO
のちにWBC王者になりマイク・アヤラを倒す強打のメサでしたが、ゴメスの強打には耐えることが出来ませんでした。
⑮1982年/0611 ファン・アントニオ・ロペス(56勝41KO8敗)=10ラウンドTKO
ゴメスに敗れてから15連勝で、再挑戦のチャンスをつかんだロペスでしたが、出来たことは前回よりも3つ長いラウンドまで立っていることでした。
⑯1982年/0818 ロベルト・ルバルディノ(52勝34KO5敗)=7ラウンドTKO
WBAバンタム級王者ホルヘ・ルハンへの挑戦(1979年10月9日)に失敗してから13連勝、その間無冠となったルハンへのリベンジも果たしているルバルディノでしたが、何もできないまま7回で散りました。
⑰1982年/12023 ルペ・ピントール(49勝38KO5敗1分)=14ラウンドTKO
サラテをスプリットデジションで下してビッグネームの仲間入りしたピントールはゴメスを苦しめる場面も作りましたが、14ラウンドで決着。ゴメスはまだ27歳でしたが、反射が鈍り一発に頼る大振りが目立つようになっていました。
減量が苦しくなっていたゴメスは王座を空けて、フェザー級へ。
1984年3月31日、WBCフェザー級王者ファン・ラポルテに挑戦、3−0判定で2階級制覇に成功しましたが、ドローに終わったデビュー戦以来の判定を経験してしまいます。
ラポルテとの再戦となった初防衛戦も判定クリア。
1984年12月8日、2度目の防衛戦に迎えたのは、飛ぶ鳥を落とす勢いのアズマー・ネルソン。ゴメスは2歳上の28歳でしたが、すでに磨耗しきってプロフェッサーの野生に対抗する術はもはや持ち合わせていませんでした。11ラウンド、痛烈にKOされてしまいます。
ラポルテとの再戦となった初防衛戦も判定クリア。
1984年12月8日、2度目の防衛戦に迎えたのは、飛ぶ鳥を落とす勢いのアズマー・ネルソン。ゴメスは2歳上の28歳でしたが、すでに磨耗しきってプロフェッサーの野生に対抗する術はもはや持ち合わせていませんでした。11ラウンド、痛烈にKOされてしまいます。
1985年5月19日、WBAジュニアライト級王者ロッキー・ロックリッジとのシーソーゲームを制して3階級制覇。
生涯戦績は44勝3敗1分。素晴らしい戦績です。そして、さらに驚くべきは44の勝利のうち42がKOによって奉納されたという事実です。
そればかりか、ゴメスはエリートアマという背景まで持ち合わせているのです。そのアマ戦績は96勝3敗。
16歳、高校生で挑んだ1972年のミュンヘン五輪は敗退するも、1974年の世界選手権では全試合KOで金メダル。このときまだ18歳。
エリートアマというとファンが歓喜するファイトとは真逆のスタイルで、プロでは人気が出ない傾向もありますが、ゴメスみたいなエリートアマなら大歓迎です。
プロデビューこそ引き分けでしたが、そこから7年近くで31連勝、31KO。
負けるのが信じられないのではありません、KO出来ないことが想像出来ない稀代のパンチャーでした。
フェザー級では、サンチェスとはやはり決着をつける刻が来たでしょう。
しかし、そのアナザーワールドでリングに上がるゴメスは、最初っからフェザーで戦い続けている生粋屈強な126パウンダーです。
別の結果があったと考えるのは、間違いでしょうか?
「オリジナル8の時代だったら?」という仮説でも、ゴメス有利という見立がいくつも出来るということは「どんな時代だろうが本物は本物」という証左です。
ジュニアフェザー級時代の勢いが失われたのは、あまりにも濃密な時間を過ごした反動だったのかもしれません。
上の2階級には、ジュニアフェザーで17度も防衛を重ねてから進出したのです。ゴメスのプライムタイムがジュニアフェザーであったことは論を待ちません。
つまり、ゴメスは山から降りる途中にフェザーとジュニアライトを制圧したのです。
お山の天辺を極めていた全盛期のゴメスがどれほど強かったことか。
ゴメスがジュニアフェザー新設の恩恵に浴したと考えるのは、とんだ見当違いです。
幸運だったのはゴメスではありません。
ジュニアフェザー級の新設が最も幸いしたのは、バンタムとフェザー、純粋階級の強豪たちです。
とにかく彼らは、ゴメスの凶拳に打ち倒されることを免れたのですから…。
【結論】ジュニアフェザー級が存在しないアナザーワールドでも、ゴメスはフェザー級で相当な実績を残していたことは間違いありません。
そして、サンチェス戦は別の結果になっていたやも知れません。
そうなると、サンチェスが目論みながら果たせなかったアレクシス・アルゲリョとのメガファイトは、ゴメスが引き継ぐことになった公算大です。
まさかのアルゲリョ戦。その壁まで突き破って、今度はニカラグアの貴公子が握っていた野望のバトンをリレーするとなると…。
「アーロン・プライアーまで攻め落として史上初の5階級制覇」。
もし、ジュニアフェザー級が新設されていなければ…。
ビッグイフの世界で、私たちは30年も早く〝マニー・パッキャオ〟の出現を目撃する僥倖に恵まれていたのかもしれません。
コメント
コメント一覧 (9)
ゴメスファンの私にとっては読み応えのある記事でした。
一点だけ指摘させていただきますが、ゴメスのWBCフェザー級タイトルの初防衛戦は11RKO負けでタイトルを失ったアズマー・ネルソン戦ですので
「ラポルテとの再戦となった初防衛戦も判定クリア。」
という事実はありません。
フシ穴の眼
が
しました
ジュニア級が「彼とは階級が違うから」と、言い訳に使われてしまっては困りますね。
フシ穴の眼
が
しました
アルゲリョとですか?考えた事もなかったな。
これまたスゴいスタイリッシュボクサー対決ですね。
フシ穴の眼
が
しました
8階級しか無い場合 単純に8×4=32人の王者しか
名前が売れないか、逆に階級が少ないことで王者
以外も評価が上がり儲かるかどちらに成ると思い
ますか?
フシ穴の眼
が
しました