2016年11月5日、ネバダ州ラスベガスはトーマス&マックセンターのリングで15年近くも凍りついていた硬い氷が、静かに溶けました。
その年の4月9日、ティモシー・ブラッドリーとの第3戦に完勝し「政治家の仕事に専念する」と引退宣言したマニー・パッキャオは、その舌の根も乾かないわずか6カ月余りでリングに舞い戻って来ました。
この夜、パックマンは10歳年下27歳の王者ジェシー・バルガスから2ラウンドにダウンを奪った末に大差判定で下し、WBOバージョンの世界ウェルター級王座に返り咲きました。
このビッグイベントにはメインの〝パッキャオ復帰戦〟だけでなく、大沢 宏晋が前評判の高いWBOフェザー級王者オスカル・バルデスに挑戦する一戦に、中国の英雄ゾウ・シミンのWBOフライ級王者決定戦も組まれていました。
その年の4月9日、ティモシー・ブラッドリーとの第3戦に完勝し「政治家の仕事に専念する」と引退宣言したマニー・パッキャオは、その舌の根も乾かないわずか6カ月余りでリングに舞い戻って来ました。
この夜、パックマンは10歳年下27歳の王者ジェシー・バルガスから2ラウンドにダウンを奪った末に大差判定で下し、WBOバージョンの世界ウェルター級王座に返り咲きました。
このビッグイベントにはメインの〝パッキャオ復帰戦〟だけでなく、大沢 宏晋が前評判の高いWBOフェザー級王者オスカル・バルデスに挑戦する一戦に、中国の英雄ゾウ・シミンのWBOフライ級王者決定戦も組まれていました。
そして…もう一つの世界戦、WBOジュニアフェザー級タイトルマッチは勝敗だけではなく、特別な角度からも注目されました。
ノニト・ドネアがパッキャオと同じ興行の舞台に立ったのです。
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アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきは引退会見で、胸のずっと奥底にしまっておいた言葉をついに吐き出しました。
「高橋尚子さんにずっと憧れてました。でもそれを口にすると全部が崩れ落ちそうで…もしかしたら失礼な態度も取ってしまっていたかもしれません」。
偉大な先輩を追い抜くために、偉大な先輩に勝つためには、憧憬なんてしていてはダメだ、絶対に。
底辺アスリートの私でも、よくわかる感情です。
野口みずきは、人知れず心の奥底に隠した金庫に〝憧れ〟をそっとしまって厳重に鍵をかけました。現役の間は、決して開けないと誓って。
◉◉◉◉◉◉◉
ノニト・ドネアにも、そんな誰にも見られたくない、見せてはいけない心の中にしまった金庫があったはずです。
しかし、ドネアの場合は心の奥底に隠したい憧れの金庫を、数え切れない図々しい輩が土足で上がり込んで、何度もなんども執拗にコジ開けようとしました。
ノニト・ドネアがデビューしたのは2001年。
それは奇しくもアジアの奇跡が米国に最初の爪痕を刻んだのと、同じ年でした。
オスカー・デラホーヤが史上タイとなる五階級制覇を賭けたメガイベントのセミファイナルに神の配剤としか思えない幸運でリングインした22歳のフィリピン人は「オッズがつかないミスマッチ」に出色のパフォーマンスを魅せ、大番狂わせを起こしました。
デラホーヤがつまらない試合をしたことで、その素晴らしい戦いぶりはさらに際立ちました。「今夜のMGMグランドアリーナはパッキャオがデビューしたことだけが収穫」とまで言われました(パッキャオはデラホーヤに二度勝っていると言われる所以ですね)。
「軽量級のアジア人でもここまで出来る」。
「高橋尚子さんにずっと憧れてました。でもそれを口にすると全部が崩れ落ちそうで…もしかしたら失礼な態度も取ってしまっていたかもしれません」。
偉大な先輩を追い抜くために、偉大な先輩に勝つためには、憧憬なんてしていてはダメだ、絶対に。
底辺アスリートの私でも、よくわかる感情です。
野口みずきは、人知れず心の奥底に隠した金庫に〝憧れ〟をそっとしまって厳重に鍵をかけました。現役の間は、決して開けないと誓って。
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しかし、ドネアの場合は心の奥底に隠したい憧れの金庫を、数え切れない図々しい輩が土足で上がり込んで、何度もなんども執拗にコジ開けようとしました。
ノニト・ドネアがデビューしたのは2001年。
それは奇しくもアジアの奇跡が米国に最初の爪痕を刻んだのと、同じ年でした。
オスカー・デラホーヤが史上タイとなる五階級制覇を賭けたメガイベントのセミファイナルに神の配剤としか思えない幸運でリングインした22歳のフィリピン人は「オッズがつかないミスマッチ」に出色のパフォーマンスを魅せ、大番狂わせを起こしました。
デラホーヤがつまらない試合をしたことで、その素晴らしい戦いぶりはさらに際立ちました。「今夜のMGMグランドアリーナはパッキャオがデビューしたことだけが収穫」とまで言われました(パッキャオはデラホーヤに二度勝っていると言われる所以ですね)。
「軽量級のアジア人でもここまで出来る」。
その勇姿はプロデビュー間もないドネアを励まし、勇気付けてくれたことは想像に固くありません。
そして、ドネアは心のずっと奥底の金庫に、その憧れをしまって鍵をかけたはずです。
しかし…。
「パッキャオと一緒にいるんだろ?パッキャオはどこにいる?」「マニー・パッキャオをどれくらい尊敬してる?」「パッキャオと同じゼネラルサントス出身らしいが幼馴染か?(実際は二人ともゼネラルサントス出身ではありません)」
「パッキャオと同じイベントに出たいだろう?」「次はパッキャオのイベントのセミファイナルをつとめるのか?」「パッキャオがバレラに大勝利を収めたが、どう思うか?」「パッキャオがあなたをキャンプに招待したいと言っている」…。
しかし…。
「パッキャオと一緒にいるんだろ?パッキャオはどこにいる?」「マニー・パッキャオをどれくらい尊敬してる?」「パッキャオと同じゼネラルサントス出身らしいが幼馴染か?(実際は二人ともゼネラルサントス出身ではありません)」
「パッキャオと同じイベントに出たいだろう?」「次はパッキャオのイベントのセミファイナルをつとめるのか?」「パッキャオがバレラに大勝利を収めたが、どう思うか?」「パッキャオがあなたをキャンプに招待したいと言っている」…。
2007年7月7日。PFPファイター、ビック・ダルチニアンを大番狂わせで沈めたとき「これで忌々しい呪縛からやっと解放される」と思いました。
しかし、メディアもファンもドネアをこう呼びました。
「ネクストパッキャオが現れた!」。
翌2008年、ダルチニアン戦が評価されたドネアはトップランクと大型契約を結びます。
ドネアの本心はパッキャオと同じトップランクではなく、トップランクと勢力を二分するゴールデンボーイプロモーションズでしたが、この思いがのちに複雑で不幸な確執を生んでしまいます。
ドネアは金銭的な要求は一切せず「パッキャオと同じ興行には出ない」「ネクストパッキャオという渾名は受け入れない」という二つだけの条件をボブ・アラムに納得させました。
しかし、2008年は、正確にはそれから4年間はマニー・パッキャオのプライムタイム、もっと正確に表現するならパッキャオが鬼神であった時代でした。
北京五輪2008の開会式で、マニー・パッキャオはフィリピン選手団の旗手をつとめました。五輪選手でもないのに旗手を務めるのは異例のことです(同じ北京でアレクシス・アルゲリョもニカラグアの旗手をつとめましたが)。
ボクシングやスポーツを超越して、ニューヨークタイムズ紙がその半生を伝記的に綴った物語を連載、タイム誌やニューズウィーク誌など総合誌やファッション誌までが単独カバーするパッキャオはボクシングのスター選手ではなく、もはや時代のアイコンでした。
「パッキャオのPPVイベントにセミファイナルで出場したら報酬は10倍になる」。ボブ・アラムの懐柔にも、ドネアはけして首を縦に振りませんでした。
いつだってメディアやファンは、勝手な憶測を巡らせて、どうでもいいことを焚きつけます。
「どうしてパッキャオのイベントに出ない?」「パッキャオと仲が悪いのか?」「パッキャオはフィリピンを救おうとしてるが、あなたはフィリピンを捨てて米国人になった。それが引っかかってるのか?」…。
ドネアが米国に来たのは11歳のときです。そんな子供に母国を捨てるとか、アメリカにおもねるなんて思考回路なんてありえません。
♠️♠️♠️♠️♠️♠️♠️
そう、ドネアが兄弟とともに両親が待つ米国に渡ったのは11歳のときでした。それまでは、フィリピンで暮らしていました。
ノニト・ドネアは1982年11月6日、フィリピンのボホール島のタリボンで4人兄弟の三男として生まれましたが、ほどなくミンダナオ島南部の要港ゼネラルサントスに移住、11歳までその地で過ごします。
かつて、この地を治めたパウリノ・サントス将軍の名を冠したこの街は、マグロ業が盛んでツナ缶や刺身などを日本にも輸出しています。
一方、ミンダナオ島の奥深いジャングルは反政府ゲリラやテロリストの活動拠点となってきました。
ゼネラルサントスでも昨年9月、幹線道路で爆弾テロが続き、渡航における警戒レベルが引き上げられるなど、フィリピンの中でも危険なエリアです。
また、市街も殺人や強盗、重犯罪が日常茶飯事で治安は最悪です。
体も小さく、喘息を患い気の弱い性格のドネアはゼネラルサントスでの日々を、暗い不安に苛まれながら過ごしていました…。
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