1968年、WBCがWBAから分離独立してから50年の歳月が流れ、矢吹丈が「世界王者は世界にたった一人しかいないんだ」と叫んだその玉座は粗製乱造大量生産され続け、今やボクシングはマイナースポーツに成り下がりました。
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この半世紀を振り返り、最強の証明に挑んだ聖なる拳を哀愁したいと思います。


〓〓〓具志堅用高の記録〓〓〓

1976年10月10日。具志堅用高がファン・グスマンを転がし、デビュ−9戦目で世界王者になったとき、その快挙に日本列島が沸き立ちました。

このとき21歳だったカンムリワシは4年5ヶ月の治世で13連続防衛に成功。

ペドロ・フローレンスの強打に沈みタイトルを手放し、引退したときまだ25歳の若さでした。

「デビュ−9戦目で世界王者」「13連続防衛」。具志堅が打ち立てた記録は、その後の日本ボクシング界をいびつな形で蹂躙していくことになります。

もし、いま具志堅と全く同じことを繰り返すボクサーが現れても、当時のように列島を震わせることはなかったでしょう。

それどころか「(当時新設だった)ジュニアフライ級などに価値なし」「グスマンは前年にプロ4戦のキャリアしかないど素人にKO負けしてる雑魚」とネットで散々こき下ろされたでしょう。

確かにグスマンは26戦25勝20KO1敗と戦績こそ立派でしたが、25勝のうち14人がプロデビュー、5人がデビュ−2戦目、4人がキャリア5戦以下という信じられない内容でした。

しかし、時代背景が違いすぎます。

1976年という時代は王貞治がハンク・アーロンの世界記録755号の更新する前の年です。王の世界記録更新を日本中が固唾をのんで見守っていたのです。

今なら「レベルの低い箱庭球場で飛ぶバットと飛ぶボールで作った記録」「アーロンと同列で語るのは失礼」「メジャーに行ったら1本も打てない」と、やはりこきおろされていたでしょう。

しかし、当時は日本だけでなく世界でも時代の価値観は今とは違いました。

二団体時代になってようやく10年が経とうとしていた時代です。今とは比べようもなく世界チャンピオンの価値は高く、連続防衛記録もそれなりの注目を集めていたのです。

リング誌でも「13階級26人の王者で最多防衛は具志堅の12、続いてウィルフレド・ゴメスの11が追う。エウゼビオ・ペドラザとアレクシス・アルゲリョが8で二桁に迫る」(1981年1月号)と防衛回数に言及するなど、数字がまだ意味を持っていた時代でした。

具志堅は王と同じアプローチで存在証明を試み、それを成功させたのです。

2012年、リング誌はディケイド(10年単位)PFPの70年代で具志堅を10位にランク。2014年には国際ボクシング名誉の殿堂にオールドタイマー部門で入神。世界評価も見直されています。





〓〓〓渡辺二郎の〝統一〟〓〓〓
 
強さとはいったい何なのでしょうか?

具志堅がタイトルを手放した1年後の1982年、やはり当時新設のジュニアバンタム級で冷徹なボクシングで王座に就いた渡辺二郎は「こいつは強い」と感じさせるボクサーでした。

「効いてるから打ち合っていい」とアドバイスするセコンドに「相手の生き死には俺が一番わかってる」と言い返し、引退後にNHKがBSで「世界のボクシング」を放送していた時期には解説者としていくつも鋭い指摘を語ってくれました。

バスター・ダグラスvsイベンダー・ホリフィールドの統一ヘビー級タイトルマッチでは「ホリフィールドは左フックを狙って距離を測ってる。ダグラスは気づいてないから危ないです」と解説、アナウンサーに「では左で決まりますか?」と聞かれると「ボクシングはそんなに単純じゃない」と煙に巻く。

実際にホリフィールドの左が炸裂してアナウンサーが「やっぱり左です!おっしゃる通りです」と振られても「偶然です」と全く乗りません。

WBA王座を6連続防衛したあと、WBAが認めない統一戦を行います。WBC王者パヤオ・プーンタラトとの事実上の統一戦は、微妙な判定勝ち。再戦ではKOで決着をつけた渡辺はスマートなボクサーでした。

二団体時代が完全定着。渡辺は世界王者の価値を高めるには何をすべきかを、よく理解していました。

あのファイティング原田に「原田さんの時代が羨ましい」と話す一方で、原田の減量苦の話には「それは自慢ちゃうでしょ。普段から節制してたら体重なんて無理なく落とせるし、厳しいなら階級上げたらいいだけ。減量は自慢したらいけません」と言いたいことはしっかり口に出していました。

ヒルベルト・ローマンとの駆け引きの末にタイトルを奪われたリングで「今何がしたいですか?」と問われて「メロン食いてえ」と笑った表情も印象的でした。

普段から厳しく食事制限をして、寿司も食べ過ぎないようにレモン汁だけで食べていたといいます。テレビの対談か何かで「引退したら醤油ベタ〜ってつけて食べます」と語ってました。

ボクシングの指導書とか執筆してくれたら、さぞかし名著が生まれたことでしょう。