これまで三階級制覇を果たした日本人は亀田興毅、井岡一翔、八重樫東、長谷川穂積、井上尚弥、田中恒成の6人です。
井上は現在WBAバンタム級王者ですが、上位王者(スーパー)が存在する場合は「scondary champion」(下位王者/二番手王者)とみなされリング誌やESPNなど世界の大手メディアでは王者と認められていません※。
世界的には井上は二階級制覇のままなのです。
それでもモンスターが他の5人と比較して異彩を放っていることは、誰の目にも明らかでしょう。
ボクシングの世界では、防衛回数や複数階級制覇など数字よりも優先して評価の対象となるのは「誰に勝ったのか」です。
この点で日本が誇る三冠王たちが「誰に勝ったのか?」を振り返ってみます。
※この世界基準では井上だけでなく亀田、井岡も二階級制覇にとどまります。
亀田興毅はファン・ランダエタと決定戦を争い、大いに議論を呼ぶ判定勝ちで最初のタイトル(WBAライトフライ級)を手に入れました。
日本でもお馴染みのベネズエラのサウスポーを世界基準で査定すると、新井田豊らと激戦を繰り広げたストロー級では強豪の一人に数えることが出来ます。
しかし、興毅と戦った2006年バージョンのランダエタはジュニアフライ級で世界基準の実力がないことはリング誌やESPNの階級10傑から漏れていることを見るまでもありませんでした。
2009年11月29日、21世紀の世界軽量級で最大興行となったWBCフライ級チャンピオン内藤大助とのメガファイトは完全ヒールでリングに上がりながらも判定勝ち。
内藤は、キャリア晩年とはいえ当時PFPファイターのポンサクレック・ウォンジョンカムの18連続防衛を阻止した強豪でした。KO宣言で内藤の力みを誘いながらも、試合開始から徹底したアウトボクシングを貫いた作戦勝ちでした。
しかし、初防衛戦では経年劣化が著しいはずのポンサクレックに0−2のマジョリティながら内容的には完敗。ボクサーとしての底を見せてしまいます。
ジュニアバンタムをfrog jumpして王座決定戦で勝利したアレクサンデル・ムニョスはジュニアバンタム級時代は強豪の一人に数えられていましたが、興毅に競り落とされた2010年は31歳のバンタム級バージョン。
ムニョスは2004年に強盗に膝を撃たれるなど不運はあったものの、強豪と呼ぶには微妙すぎるマーティン・カスティーリョにジュニアバンタムの王座を明け渡すなど、ジュニアバンタムでも〝a champion〟(The championとは呼べないアルファベット王者)の域を出ることはありませんでしたから、そのムニュスとの決定戦に勝利して入手したバンタム級タイトルに大きな意味はありません。
そもそもが、このタイトルはアンセルモ・モレノのスーパー王者昇格にともなってWBAがこしらえた世界的には認められていないセカンド王座でした。
亀田兄弟がリングの内外で晒した恥ずべき行為の数々は、糾弾されてしかるべきです。興毅もその対戦相手のリストに内藤を例外とすると、世界王者レベルはもちろん世界基準にあるボクサーも見当たりません。まさに21世紀型の複数階級制覇の見本のようなボクサーでした。
ただし、興毅自身は世界基準の実力をギリギリ備えていました。日本でバッシングされているほどの、救いようがないほど低レベルなボクサーではありません。
厳しい言い方かもしれませんが、挑戦者としては雑魚ではありません。しかし、王者としては穴でした。
そして何よりも、世間が忌み嫌う亀田一家を生み出した最大の元凶は、彼ら自身ではありません。
リング誌2013年7月号「STATE OF THE GAME」より。ベストパンチャーはロマゴン、ベストボクサーは井岡、夢の対決は井岡vsロマゴンでしたが…。
井岡一翔が、制覇した三階級に渡って世界基準の実力を擁する才能であることに、多くの人は異論がないでしょう。
これぞ軽量級というアクション豊かなスタイルで勝ち取った三つのベルトと防衛戦の相手は、この国の世界王者としては間違いなくハイレベルなものでした。
最初の一歩は2011年。オーレドン・シスマーチャイ からWBCストロー級王座の強奪した5ラウンドTKO勝利でした。
当時25歳のオーレドンはリング誌、ESPNともに階級1位に推すストロー級最強候補の一人で36戦35勝13KO1分の無敗王者でした。ちなみに33歳になった今もジュニアフェザー級で現役、戦績は72戦69勝(29KO)2敗1分まで伸ばしています。
昨年は清瀬天太に敗れましたが、これがキャリア二つ目の黒星。日本人が鬼門となっています。
当時、ストロー級は主要四団体の王者が全員無敗。リング誌ではWBCオーレドン、ニコシナシ・ジョイ(南アフリカ)、WBOドニー・ニエテス(フィリピン)、クワンタイ・チョーノーパッタラン(タイ) の順にランクしていましたが、21歳の井岡はプロ7戦目の日本記録でトップを斬り落として見せたのです。
まー、今となって思い返すと大蛇を体に巻きつけて入場して来るフィリピン人が文句無しの最強でしたが、結果論です。
このクラスの対立王者、WBAの八重樫東との統一戦に完勝したことで日本史上初の統一王者になり、世界評価も跳ね上がりました。
続くジュニアフライ級は2011年、WBA暫定王者ホセ・アルフレド・ロドリゲスとの決定戦で6ラウンドTKO勝利を収めます。
無敗のまま日本人最短の二階級制覇に成功しますが、この王座はセカンドタイトル、つまりローマン・ゴンザレスのスーパー王者昇格にともなって設けられた世界的には認められない下位タイトルでした。
当時から世界評価が頭抜けていたロマゴンとの対決は「勝ったほうがPFP入り」(リング誌)と世界的にも期待されましたが、井岡陣営が対戦を回避。日本のエースはファンを幻滅させてしまいます。
この下位タイトルは、現在IBFジュニアフライ級王者のフェリックス・アルバラードらを退けて3度の防衛を果たしますが「ロマゴンから逃げた」という烙印は消すことは出来ません。
そして2014年。三階級制覇をかけてアムナット・ルエンロンのフライ級IBFのピースに挑戦します。
黒人のような外見と捨て子だった経歴を持つアムナットは、不思議なボクサーでした。
日本のエース井岡ばかりか、中国の巨星ゾウ・シミンまでを完全アウェーで下し、判定を手繰り寄せるのですから。
初黒星を喫した井岡は2015年、強豪ファン・カルロス・レベコからWBA王座を奪い、世界最速15戦目で三階級を制覇しますが、日本のエースの座は井上尚弥に完全移行、ファンの視線は「ロマゴンから逃げたヤツ」のままでした。
このタイトルはニカラグアの強豪キービン・ララらを相手に5度防衛。
その実績はリング誌でも「PFPにチェックメイト寸前」と高い評価をキープする一方で、多くの日本のファンから「ロマゴンから逃亡したヘタレ」の印象を拭うには17ヶ月間の引退から復帰した昨年9月のマクウィリアムス・アローヨ戦まで待たねばなりませんでした。
井上は現在WBAバンタム級王者ですが、上位王者(スーパー)が存在する場合は「scondary champion」(下位王者/二番手王者)とみなされリング誌やESPNなど世界の大手メディアでは王者と認められていません※。
世界的には井上は二階級制覇のままなのです。
それでもモンスターが他の5人と比較して異彩を放っていることは、誰の目にも明らかでしょう。
ボクシングの世界では、防衛回数や複数階級制覇など数字よりも優先して評価の対象となるのは「誰に勝ったのか」です。
この点で日本が誇る三冠王たちが「誰に勝ったのか?」を振り返ってみます。
※この世界基準では井上だけでなく亀田、井岡も二階級制覇にとどまります。
亀田興毅はファン・ランダエタと決定戦を争い、大いに議論を呼ぶ判定勝ちで最初のタイトル(WBAライトフライ級)を手に入れました。
日本でもお馴染みのベネズエラのサウスポーを世界基準で査定すると、新井田豊らと激戦を繰り広げたストロー級では強豪の一人に数えることが出来ます。
しかし、興毅と戦った2006年バージョンのランダエタはジュニアフライ級で世界基準の実力がないことはリング誌やESPNの階級10傑から漏れていることを見るまでもありませんでした。
2009年11月29日、21世紀の世界軽量級で最大興行となったWBCフライ級チャンピオン内藤大助とのメガファイトは完全ヒールでリングに上がりながらも判定勝ち。
内藤は、キャリア晩年とはいえ当時PFPファイターのポンサクレック・ウォンジョンカムの18連続防衛を阻止した強豪でした。KO宣言で内藤の力みを誘いながらも、試合開始から徹底したアウトボクシングを貫いた作戦勝ちでした。
しかし、初防衛戦では経年劣化が著しいはずのポンサクレックに0−2のマジョリティながら内容的には完敗。ボクサーとしての底を見せてしまいます。
ジュニアバンタムをfrog jumpして王座決定戦で勝利したアレクサンデル・ムニョスはジュニアバンタム級時代は強豪の一人に数えられていましたが、興毅に競り落とされた2010年は31歳のバンタム級バージョン。
ムニョスは2004年に強盗に膝を撃たれるなど不運はあったものの、強豪と呼ぶには微妙すぎるマーティン・カスティーリョにジュニアバンタムの王座を明け渡すなど、ジュニアバンタムでも〝a champion〟(The championとは呼べないアルファベット王者)の域を出ることはありませんでしたから、そのムニュスとの決定戦に勝利して入手したバンタム級タイトルに大きな意味はありません。
そもそもが、このタイトルはアンセルモ・モレノのスーパー王者昇格にともなってWBAがこしらえた世界的には認められていないセカンド王座でした。
亀田兄弟がリングの内外で晒した恥ずべき行為の数々は、糾弾されてしかるべきです。興毅もその対戦相手のリストに内藤を例外とすると、世界王者レベルはもちろん世界基準にあるボクサーも見当たりません。まさに21世紀型の複数階級制覇の見本のようなボクサーでした。
ただし、興毅自身は世界基準の実力をギリギリ備えていました。日本でバッシングされているほどの、救いようがないほど低レベルなボクサーではありません。
厳しい言い方かもしれませんが、挑戦者としては雑魚ではありません。しかし、王者としては穴でした。
そして何よりも、世間が忌み嫌う亀田一家を生み出した最大の元凶は、彼ら自身ではありません。

井岡一翔が、制覇した三階級に渡って世界基準の実力を擁する才能であることに、多くの人は異論がないでしょう。
これぞ軽量級というアクション豊かなスタイルで勝ち取った三つのベルトと防衛戦の相手は、この国の世界王者としては間違いなくハイレベルなものでした。
最初の一歩は2011年。オーレドン・シスマーチャイ からWBCストロー級王座の強奪した5ラウンドTKO勝利でした。
当時25歳のオーレドンはリング誌、ESPNともに階級1位に推すストロー級最強候補の一人で36戦35勝13KO1分の無敗王者でした。ちなみに33歳になった今もジュニアフェザー級で現役、戦績は72戦69勝(29KO)2敗1分まで伸ばしています。
昨年は清瀬天太に敗れましたが、これがキャリア二つ目の黒星。日本人が鬼門となっています。
当時、ストロー級は主要四団体の王者が全員無敗。リング誌ではWBCオーレドン、ニコシナシ・ジョイ(南アフリカ)、WBOドニー・ニエテス(フィリピン)、クワンタイ・チョーノーパッタラン(タイ) の順にランクしていましたが、21歳の井岡はプロ7戦目の日本記録でトップを斬り落として見せたのです。
まー、今となって思い返すと大蛇を体に巻きつけて入場して来るフィリピン人が文句無しの最強でしたが、結果論です。
このクラスの対立王者、WBAの八重樫東との統一戦に完勝したことで日本史上初の統一王者になり、世界評価も跳ね上がりました。
続くジュニアフライ級は2011年、WBA暫定王者ホセ・アルフレド・ロドリゲスとの決定戦で6ラウンドTKO勝利を収めます。
無敗のまま日本人最短の二階級制覇に成功しますが、この王座はセカンドタイトル、つまりローマン・ゴンザレスのスーパー王者昇格にともなって設けられた世界的には認められない下位タイトルでした。
当時から世界評価が頭抜けていたロマゴンとの対決は「勝ったほうがPFP入り」(リング誌)と世界的にも期待されましたが、井岡陣営が対戦を回避。日本のエースはファンを幻滅させてしまいます。
この下位タイトルは、現在IBFジュニアフライ級王者のフェリックス・アルバラードらを退けて3度の防衛を果たしますが「ロマゴンから逃げた」という烙印は消すことは出来ません。
そして2014年。三階級制覇をかけてアムナット・ルエンロンのフライ級IBFのピースに挑戦します。
黒人のような外見と捨て子だった経歴を持つアムナットは、不思議なボクサーでした。
日本のエース井岡ばかりか、中国の巨星ゾウ・シミンまでを完全アウェーで下し、判定を手繰り寄せるのですから。
初黒星を喫した井岡は2015年、強豪ファン・カルロス・レベコからWBA王座を奪い、世界最速15戦目で三階級を制覇しますが、日本のエースの座は井上尚弥に完全移行、ファンの視線は「ロマゴンから逃げたヤツ」のままでした。
このタイトルはニカラグアの強豪キービン・ララらを相手に5度防衛。
その実績はリング誌でも「PFPにチェックメイト寸前」と高い評価をキープする一方で、多くの日本のファンから「ロマゴンから逃亡したヘタレ」の印象を拭うには17ヶ月間の引退から復帰した昨年9月のマクウィリアムス・アローヨ戦まで待たねばなりませんでした。
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