満を持して出場したアトランタ五輪は無念の銅メダルに終わります。

フロイド・メイウェザーは自分の前に敷かれたレールが、金メダリストのシュガー・レイ・レナードやオスカー・デラホーヤとは違うことに早い段階で気づいていました。

アトランタで唯一の金メダルを獲得したデビッド・リードが〝American Dream〟の異名を冠に大きな期待がかけられるのは仕方がないにせよ、リング誌の明日のスターを特集した「RISING STARS」では、全勝全KOを続けるフェルナンド・バルガス、視覚的なスピードなら天下一品のザブ・ジュダーらにも劣る評価に甘んじてしまいます。

ましてや、ボクシング市場は縮小、一般の関心も低下する一方でしたから「レナードの後継者」になることはいろんな意味で不可能に見えました。

ならば、レナードが贅沢に3年弱・26試合かけて掴んだ世界王者への線路を、超特急で走り抜ければ、世間の耳目も集まるのではないか?

メイウェザーは1年11ヶ月、18戦目で世界挑戦のリングに上がります。このときの戦績は17戦全勝13KO。

待ち構えるはWBCジュニアライト級王者ヘナロ・エルナンデス。

二階級制覇を狙ったオスカー・デラホーヤ戦で唯一の敗北を喫したものの、WBAで8度、WBCで3度と二期にわたって130ポンドに覇権を打ち立てていた経験豊かなテクニシャンです。

オッズは4−3でメイウェザーを支持していたものの、専門家の中には「メイウェザーの若さにとってエルナンデスは難しい相手」と時期尚早と見る声も少なくありませんでした。

1998年10月3日、ラスベガスはヒルトンホテル。

メイウェザーはレナードよりも2歳若い21歳、8試合早い18戦目で世界タイトルマッチのリングに上がりました。

そして、キャリア後半の退屈極まりないタッチボクシングとは懸け離れた、「スピードとテクニック、それにパワーもこのクラスで図抜けている」とエルナンデスに認めさせるパフォーマンスを披露、8回終了TKOでタイトル奪取に成功したのです。

「素晴らしい出来だった。(10点満点で)何点だ?」とインタビュアーにマイクを向けられ、歓喜の号泣から泣き止んだメイウェザー。

「冷静に距離を作って攻め崩すことが出来た。8点だ」と答えたところに、エルナンデスが「10点だ」と横槍、ようやく笑顔を見せます。

貧しい幼年時代に、荒んだ家庭、昏い日々の中で、思う存分自己表現できる場所はリングの中だけだったメイウェザーが「この職業は素晴らしい」と誇りに思えた一つの〝事件〟が正々堂々と戦うエルナンデスの試合(vsアズマー・ネルソン)でした。

「尊敬するチャンピオンに勝てたことは人生最大の喜びだ」。

その言葉に嘘はありません。

しかし、出色のパフォーマンスを見せて世界王者に登り詰めた、その報酬は13万7000ドル(当時のレートで1850万円)。

初の世界戦の報酬が100万ドルを優に超えていたレナードとの間には、絶望的に深くて暗い谷が横たわっていました。



そして、この日から遅れることわずか2ヶ月の12月4日、太平洋の彼方、タイの屋外リングであの男もまた、わずか19歳で初の世界挑戦を劇的な形で成功させるのです。

それにしても、この二人が17年後に史上最大のメガファイトを戦うことになるなんて、このとき誰が想像できたでしょうか。
IMG_2667
〝マネー〟はもちろん〝パックマン〟もまだ産まれていない、夜明け前の物語です。