2001年6月23日、MGMグランドガーデンアリーナ。

マニー・パッキャオは、たったの一晩で米国のメディアとファンの心を鷲掴みにしました。

「奇蹟」や「大番狂わせ」「スター誕生」と呼ばれる試合には往々にして裏付けがあり、この夜のパッキャオにもそれらが備わっていました。

まずは、大番狂わせの根本的な原因である「過小評価された恐るべき実力」です。

そして、メインのオスカー・デラホーヤが5階級制覇に成功したものの不細工な試合をして、セミファイナルのパッキャオを引き立ててくれた「予期せぬ幸運」です。

その意味で、パッキャオはデラホーヤに二度勝っているのかもしれません。

無名から一気にスターへ。

パッキャオに限らず、そんなシンデレラ物語の主人公は常にボクサーです。

一方で、リングサイドのトレーナーがステイタスを高めるには、いつの時代も地道な成功を積み重ねるしかありません。

エディ・ファッチ、レイ・アーセル、アンジェロ・ダンディ、エマニュエル・ステュワード、フレディ・ローチ…、殿堂入りした彼らですら地道な下積みの歳月を経て、独自の方法論、哲学を体現するボクサーを何人も育てることによって評価を集積してきました。

 しかし、何事にも例外があります。「シンデレラ物語はリングの中だけで起きる」という誰もに信じられてきた〝鋼鉄製の常識〟でさえも。

 

2018年12月1日、ニューヨーク・ブルックリンはバークレイズセンター。

BEN DAVISON was largely unknown when he walked TYSON FURY to the ring to face DEONTAY WILDER. Less than one hour later, he would be recognized as one of the finest trainers in the world.   タイソン・フューリーをリングに上げたときベン・ダヴィソンはほとんど無名の存在だったが、1時間足らずあとには世界最高のトレーナーの一人と認められていた。
リング誌5月号から、ベン・ダヴィソンのシンデレラ物語をお届けします。



☆THE YOUNG MASTER〜若き名匠〜☆
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あの夜、フューリーのコーナーで注目されたのは〝助っ人〟で駆けつけたフレディ・ローチとリッキー・ハットンだった。

「メイントレーナーを降りるのか?」「今後はローチがフューリーを指導するのか?」。

同じことを何度も聞いてくるメディアにダヴィソンが辟易することなく「メインは私だ。ローチとハットンが手助けしてくれるのは心強い限り」と丁寧に答えていた姿には、何か大物のオーラが発散されていたと思い出されるが、それは結果論、知ったかぶりの後付けだろう。

結果はドローだったが、フューリーはこれぞ Sweet Science という科学的なボクシングでワイルダーの暴風雨をやり過ごして見せたのだ。

身長206㎝/リーチ216㎝の大巨人が披露した頭脳的なスタイルが、攻撃に偏重したハットンやローチから授かった戦術でないことは、ボクシングファンなら誰にでもわかることだった。

試合翌日、ロスアンゼルスに飛んだ会見でフューリーは登壇するや集まったメディアに「リング誌はダヴィソンを年間最高トレーナーに選出すべきだ」と語り出した。
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年間最高トレーナーに選ばれたのはアナトリー・ロマチェンコでしたが、ダヴィソンはロベルト・ガルシア(マイキー・ガルシア、ホセ・ラミレスら)、エディ・レイノソ(カネロ・アルバレス)、そして井上真吾らと共に次点に挙げられていました。

もし、試合前会見で同じことを口にしたら記者たちは何のことやら理解できなかっただろう。

確かにベン・ダヴィソンはたったの一晩で、世界一有名なトレーナーの一人に昇華したのだ。

その御年、なんとまだ26歳!のダヴィソンは英国ハーロウの生まれ。30歳のフューリーよりも4つも年下だ。

幼少期から父親に習ってボクシングに励んでいたが、サッカーの才能を見出されてリングから離れてしまう。

しかし、目指していたプロサッカー選手契約を結べなかったダヴィソンはリングに戻る。

そして、そこでコーチの才能に目覚めるのだ。

He was like a fish to water. 
トレーナーという天職を見出したダヴィソンはまさに「水を得た魚」だった。

ダヴィソンは教え子の一人で10代から知り合いのビリー・ジョー・サンダースの有名なエピソードを持ち出して、トレーナーという仕事を見つけたときの気持ちを伝えている。

“ビリー・ジョー・サンダースがボクシングを始めたのは『お前はいつか世界チャンピオンになる』と呼び止められたから。そのときビリーは「そんなわかりきったことを言うな」と答えた。

 
「どうしてそんなに自信があるのかは説明できない。でも私には理解出来る、私もトレーナーになりたてで何の実績もなかったときでさえも、その揺るぎない自信があったからだ」。

「優れたボクサーはときとして、全く無意識に素晴らしい動き、反応を見せることがある。しかし、その動きがどうして出来たのか、ボクサー本人もわかっていないことが多い。言うなれば、それこそが才能の正体だ。トレーナーが必要なのは言葉でそれを説明して、再現性を上げること、そしてそれをもっと研ぎ澄ます方法を編み出すことだ」。

26歳のダヴィソンが指導したプロボクサーは、まだたったの5人。そして、その全員が年下。

「優れたボクサーはトレーナーが作るものじゃない、もともとそう生まれて来るのだ。よく言われる格言はその通りだと思う。でも、だからといってトレーナーが必要ないなんてことじゃない。優れたボクサーは沢山いるけど、ほとんどの才能は埋もれてしまう。その才能を具体的に気づかせてあげるのが、本物のトレーナーだ」。

「世の中には才能を埋もれさせてしまう無能なトレーナーが多い?そんなこと私の口から言えないよ。ただ、どんなに優れたボクサーでもその才能を開花するには、優れたトレーナーが必要だ、これは断言できる」。

シンデレラ物語をつかんだボクサーは、熱くて新鮮な輝きを放っている。

しかし、26歳のダヴィソンから立ち登って来るのは熟練した職人だけが持つ、静穏で
冷徹な自信だ。