2015年、ついに実現したフロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオ。
この試合は興行としての成功と、試合内容の期待を裏切るつまらなさ、その深いギャップで永遠に語り継がれるでしょう。

それでも、約100ドルの史上最高値を付けたPPVのセールスは460万世帯、興行規模は6億ドル、報酬は両者合わせて3億ドルを超えたこの試合は「スポーツ史上最大のメガファイト」として記録されています。
確かに、個々の数字を見ればその通りです。
しかし、モハメド・アリは40年前には1000万ドルファイターでした。 シュガー・レイ・レナードも30年前に2000万ドルを超える報酬を手にしていました。
もしかしたら、彼らの時代と貨幣価値が大きく変わった2015年のメガファイトは、数字だけの史上最高で、実質的にはそうではなかったのかもしれません。
さらに、世間的な知名度まで考慮するとパックメイとアリやレナードでは勝負になりません。
彼らは、劇場観戦のクローズドサーキットの時代で、PPVは存在していませんでしたが、もしアリやレナードの時代にそれがあったのなら「460万世帯販売」は簡単に超越していたことも間違いありません。
日曜日の午後、テキサス州ヒューストンで大番狂わせを期待しながら 米国Yahoo!sports からのお届けです。
*****
マニー・パッキャオは、B級ボクサーでPPV初体験のエイドリアン・ブローナー相手に40万世帯ものセールスを記録した。
全盛期に100万世帯を当たり前に超えていたスーパースターでも、キャリア最晩年の現在ではその人気もスケールダウンしていると見られていたが、PPV未経験のB級相手で40万セールスはその人気が健在であることを裏付けた。
PPVという効率的な集金システムがなかった時代にも、メガファイトは数多く行われてきた。
史上に残るメガファイト11試合が、もし現在のPPVシステムで行われていたら一体どれほどのセールスを記録したのか?
メガファイトのパウンド・フォー・パウンドを考察する。
第11位:1951年10月26日マジソン・スクエア・ガーデン ロッキー・マルシアノvsジョー・ルイス
経済的な理由からリングに戻ってきたルイスは、37戦全勝のマルシアノの拳に叩きのめされてしまいました。
試合後の記者会見で「アイドルを殴るのは辛かった」と涙を流したマルシアノ。
ルイスは、その後2度とグローブをはめることはありませんでした。生涯戦績66勝52KO3敗。
出世試合を鮮烈な勝利で飾ったマルシアノは米国ボクシング全盛の50年代を代表するアイコンとして、49戦全勝43KOの記録を残して伝説となりました。
【推定PPV売り上げ=620万世帯】
第10位:1980年11月25日 ニューオーリンズ スーパードーム シュガー・レイ・レナードvsロベルト・デュラン
5ヶ月前の雨のモントリオールで、まさかの敗北を喫したレナードが石の拳に雪辱を果たした伝説の名勝負。
「ノー・マス」は今なお語り継がれているだけでなく、「ノマスチェンコ」(相手をことごとく棄権に追い込むワシル・ロマチェンコが自称)など〝最も有名なボクシング用語〟として生き続けています。
【推定PPV売り上げ=650万世帯】
第9位:1987年4月6日 ラスベガス シーザースパレス マービン・ハグラーvsシュガー・レイ・レナード
実質5年のブランクからチューンナップなしで、PFPキングに挑んだレナード。
多くのメディアは、試合が決まる前は「レナードの健康に関わる重大な犯罪」とボブ・アラムとWBCを批判、試合決定後も「おぞましい公開処刑にしかなりえない」と報道しましたが…。
【推定PPV売り上げ=675万世帯】
第8位:1910年7月4日 ネバダ州リノ 特設スタジアム ジャック・ジョンソンvsジェームス・J・ジェフリーズ
人種差別が公認されていた時代に世界王者に君臨していたジョンソンは〝優性人種〟白人にとって、どうしても打ち倒さなければならない敵でした。
1904年に引退していたジェフリーズは、この白人の夢のためにカムバック。
大きな期待を背負った〝The Great White Hope〟でしたが、漆黒の巨人の拳に何度も打ちのめされ、ついに15ラウンド、沈められてしまいました。
【推定PPV売り上げ=710万世帯】
第7位:1970年10月26日 アトランタ シティ・オーディトリアム モハメド・アリvsジェリー・クォーリー
徴兵拒否でライセンスと王座を剥奪されたアリの復帰第1戦。
当時のアリは、すでにボクシングやスポーツ界を超えた、世界で最も有名な人物の一人になっていました。
時代は1970年、米国ボクシングは緩やかに坂を下り始めていましたが、それでもモハメド・アリだけは別格でした。
【推定PPV売り上げ=840万世帯】
第6位:1927年9月22日 シカゴ ソルジャー・フィールド ジャック・デンプシーvsジーン・タニー
有名な「ロングカウント」事件の、あの試合です。
7ラウンドに痛烈なダウンを奪ったデンプシーでしたが「ダウンを奪った選手はコーナーで待機する」という新ルールを失念、レフェリーから注意を受けてコーナーに下がりました。
しかし、このロスタイムで20秒以上もの回復時間を得たタニーが、その後反撃、勝利をもぎ取りました。
このメガファイトは、10万4943人の大観衆を集め、2万9000ドル(現在の貨幣価値で41万5000ドル)のゲート収入を記録しました。
【推定PPV売り上げ=950万世帯】
第5位:1951年2月14日 シカゴ スタジアム シュガー・レイ・ロビンソンvsジェイク・ラモッタ
これまた有名な「聖バレンタインの虐殺」です。
この試合のリングに121勝1敗2分けの信じ難いレコードで上がったロビンソン。その唯一の黒星は、ラモッタにつけられたものでした。
この試合までに両者は5試合を戦い、ロビンソンの4勝1敗。しかし、その内容はいずれも大激闘でした。
やはり戦争となった第6戦を、シュガー・レイは13ラウンドでカタをつけました。
【推定PPV売り上げ=970万世帯】
第4位:1938年6月22日 ニューヨーク ヤンキースタジアム ジョー・ルイスvsマックス・シュメリング
ジョー・ルイスとデオンティ・ワイルダーとの間には約80年もの長き時間が横たわっていますが、わずか6人のボクサーで繋がっています。ルイスが戦ったマルシアノはアーチー・ムーアと戦い…ムーアはアリと、アリはフォアマンと、フォアマンはブリッグスと、ブリッグスはリャコビッチと、そのリャコビッチはワイルダーと戦っているのです。
1938年、昭和13年。世界はファシズムと民主主義が、不可避の激突に向かって疾駆していた時代です。
このメガファイトは、まさにその代理戦争でした。
ヤンキースタジアムに詰めかけたのは7万人の大観衆。世界一有名な球団の本拠地が最もヒートアップしたのはベースボールではなく、このメガファイトです。
【推定PPV売り上げ=1010万世帯】
第3位:1997年6月28日 MGMグランドガーデンアリーナ マイク・タイソンvsイベンダー・ホリフィールド
悪名高き〝The Bite Fight〟です。
第1戦で24−1という圧倒的不利のオッズをひっくり返したホリフィールドは、第2戦でも優勢に試合を進めて、弱い相手には滅法強いのに強い相手には弱いタイソンを丸裸にした試合でした。
現実のこの試合のPPV売り上げは199万世帯でしたが、当時はSNSもケーブルテレビも今ほど充実していない時代でした。
もし、現在この二人が因縁の再戦をおこなうとなったら、全く異なるプロモーションによって、もっと大きな成功を収めていたはずです。
【推定PPV売り上げ=1040万世帯】
第2位:1978年9月15日 ニューオーリンズ スーパードーム モハメド・アリvsレオン・スピンクス
試合を放送したABCの視聴者数は約9000万人、過去のあらゆるスポーツイベントも凌駕するものでした。
この試合は地上波無料放送で、9000万という数字も人数であって世帯ではありません。
しかし、米国の敵であったアリが最も尊敬されていた時代のメガファイトです。
当時もマンモス級の人気を呼びましたが、現在ならさらに空前の話題となったでしょう。
【推定PPV売り上げ=1210万世帯】
第1位:1971年3月8日マジソン・スクエア・ガーデン モハメド・アリvsジョー・フレイジャー
無敗のヘビー級王者同士(アリはリネラル王者でフレージャーは議論する余地のない王者)が激突した、正真正銘の「世紀の対決」。
もし、この試合が2019年に行われていたらアリはTwitterやFacebook、Instagram、Snapchatで何を語り、世界をどれほど煽ったでしょうか?
【推定PPV売り上げ=1250万世帯】
この試合は興行としての成功と、試合内容の期待を裏切るつまらなさ、その深いギャップで永遠に語り継がれるでしょう。


確かに、個々の数字を見ればその通りです。
しかし、モハメド・アリは40年前には1000万ドルファイターでした。 シュガー・レイ・レナードも30年前に2000万ドルを超える報酬を手にしていました。
もしかしたら、彼らの時代と貨幣価値が大きく変わった2015年のメガファイトは、数字だけの史上最高で、実質的にはそうではなかったのかもしれません。
さらに、世間的な知名度まで考慮するとパックメイとアリやレナードでは勝負になりません。
彼らは、劇場観戦のクローズドサーキットの時代で、PPVは存在していませんでしたが、もしアリやレナードの時代にそれがあったのなら「460万世帯販売」は簡単に超越していたことも間違いありません。
日曜日の午後、テキサス州ヒューストンで大番狂わせを期待しながら 米国Yahoo!sports からのお届けです。
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Boxing Power Rankings: Pay-per-view projections for historic fights 〜ボクシング パワーランキング:歴史的メガファイトを現在のPPVに換算する〜
マニー・パッキャオは、B級ボクサーでPPV初体験のエイドリアン・ブローナー相手に40万世帯ものセールスを記録した。
全盛期に100万世帯を当たり前に超えていたスーパースターでも、キャリア最晩年の現在ではその人気もスケールダウンしていると見られていたが、PPV未経験のB級相手で40万セールスはその人気が健在であることを裏付けた。
PPVという効率的な集金システムがなかった時代にも、メガファイトは数多く行われてきた。
史上に残るメガファイト11試合が、もし現在のPPVシステムで行われていたら一体どれほどのセールスを記録したのか?
メガファイトのパウンド・フォー・パウンドを考察する。
第11位:1951年10月26日マジソン・スクエア・ガーデン ロッキー・マルシアノvsジョー・ルイス
経済的な理由からリングに戻ってきたルイスは、37戦全勝のマルシアノの拳に叩きのめされてしまいました。
試合後の記者会見で「アイドルを殴るのは辛かった」と涙を流したマルシアノ。
ルイスは、その後2度とグローブをはめることはありませんでした。生涯戦績66勝52KO3敗。
出世試合を鮮烈な勝利で飾ったマルシアノは米国ボクシング全盛の50年代を代表するアイコンとして、49戦全勝43KOの記録を残して伝説となりました。
【推定PPV売り上げ=620万世帯】
第10位:1980年11月25日 ニューオーリンズ スーパードーム シュガー・レイ・レナードvsロベルト・デュラン
5ヶ月前の雨のモントリオールで、まさかの敗北を喫したレナードが石の拳に雪辱を果たした伝説の名勝負。
「ノー・マス」は今なお語り継がれているだけでなく、「ノマスチェンコ」(相手をことごとく棄権に追い込むワシル・ロマチェンコが自称)など〝最も有名なボクシング用語〟として生き続けています。
【推定PPV売り上げ=650万世帯】
第9位:1987年4月6日 ラスベガス シーザースパレス マービン・ハグラーvsシュガー・レイ・レナード
実質5年のブランクからチューンナップなしで、PFPキングに挑んだレナード。
多くのメディアは、試合が決まる前は「レナードの健康に関わる重大な犯罪」とボブ・アラムとWBCを批判、試合決定後も「おぞましい公開処刑にしかなりえない」と報道しましたが…。
【推定PPV売り上げ=675万世帯】
第8位:1910年7月4日 ネバダ州リノ 特設スタジアム ジャック・ジョンソンvsジェームス・J・ジェフリーズ
人種差別が公認されていた時代に世界王者に君臨していたジョンソンは〝優性人種〟白人にとって、どうしても打ち倒さなければならない敵でした。
1904年に引退していたジェフリーズは、この白人の夢のためにカムバック。
大きな期待を背負った〝The Great White Hope〟でしたが、漆黒の巨人の拳に何度も打ちのめされ、ついに15ラウンド、沈められてしまいました。
【推定PPV売り上げ=710万世帯】
第7位:1970年10月26日 アトランタ シティ・オーディトリアム モハメド・アリvsジェリー・クォーリー
徴兵拒否でライセンスと王座を剥奪されたアリの復帰第1戦。
当時のアリは、すでにボクシングやスポーツ界を超えた、世界で最も有名な人物の一人になっていました。
時代は1970年、米国ボクシングは緩やかに坂を下り始めていましたが、それでもモハメド・アリだけは別格でした。
【推定PPV売り上げ=840万世帯】
第6位:1927年9月22日 シカゴ ソルジャー・フィールド ジャック・デンプシーvsジーン・タニー
有名な「ロングカウント」事件の、あの試合です。
7ラウンドに痛烈なダウンを奪ったデンプシーでしたが「ダウンを奪った選手はコーナーで待機する」という新ルールを失念、レフェリーから注意を受けてコーナーに下がりました。
しかし、このロスタイムで20秒以上もの回復時間を得たタニーが、その後反撃、勝利をもぎ取りました。
このメガファイトは、10万4943人の大観衆を集め、2万9000ドル(現在の貨幣価値で41万5000ドル)のゲート収入を記録しました。
【推定PPV売り上げ=950万世帯】
第5位:1951年2月14日 シカゴ スタジアム シュガー・レイ・ロビンソンvsジェイク・ラモッタ

この試合のリングに121勝1敗2分けの信じ難いレコードで上がったロビンソン。その唯一の黒星は、ラモッタにつけられたものでした。
この試合までに両者は5試合を戦い、ロビンソンの4勝1敗。しかし、その内容はいずれも大激闘でした。
やはり戦争となった第6戦を、シュガー・レイは13ラウンドでカタをつけました。
【推定PPV売り上げ=970万世帯】
第4位:1938年6月22日 ニューヨーク ヤンキースタジアム ジョー・ルイスvsマックス・シュメリング

1938年、昭和13年。世界はファシズムと民主主義が、不可避の激突に向かって疾駆していた時代です。
このメガファイトは、まさにその代理戦争でした。
ヤンキースタジアムに詰めかけたのは7万人の大観衆。世界一有名な球団の本拠地が最もヒートアップしたのはベースボールではなく、このメガファイトです。
【推定PPV売り上げ=1010万世帯】
第3位:1997年6月28日 MGMグランドガーデンアリーナ マイク・タイソンvsイベンダー・ホリフィールド
悪名高き〝The Bite Fight〟です。
第1戦で24−1という圧倒的不利のオッズをひっくり返したホリフィールドは、第2戦でも優勢に試合を進めて、弱い相手には滅法強いのに強い相手には弱いタイソンを丸裸にした試合でした。
現実のこの試合のPPV売り上げは199万世帯でしたが、当時はSNSもケーブルテレビも今ほど充実していない時代でした。
もし、現在この二人が因縁の再戦をおこなうとなったら、全く異なるプロモーションによって、もっと大きな成功を収めていたはずです。
【推定PPV売り上げ=1040万世帯】
第2位:1978年9月15日 ニューオーリンズ スーパードーム モハメド・アリvsレオン・スピンクス
試合を放送したABCの視聴者数は約9000万人、過去のあらゆるスポーツイベントも凌駕するものでした。
この試合は地上波無料放送で、9000万という数字も人数であって世帯ではありません。
しかし、米国の敵であったアリが最も尊敬されていた時代のメガファイトです。
当時もマンモス級の人気を呼びましたが、現在ならさらに空前の話題となったでしょう。
【推定PPV売り上げ=1210万世帯】
第1位:1971年3月8日マジソン・スクエア・ガーデン モハメド・アリvsジョー・フレイジャー
無敗のヘビー級王者同士(アリはリネラル王者でフレージャーは議論する余地のない王者)が激突した、正真正銘の「世紀の対決」。
もし、この試合が2019年に行われていたらアリはTwitterやFacebook、Instagram、Snapchatで何を語り、世界をどれほど煽ったでしょうか?
【推定PPV売り上げ=1250万世帯】
コメント
コメント一覧 (4)
フシ穴の眼
が
しました
もしペイパービューがあったら何ドルで売られていたか、、、。
フシ穴の眼
が
しました