米国で盛り上がっていないのはWBSSだけではありません。
70年代まではボクシングとイコール、20世紀までは米国が独占し、世界が注目する階級だったヘビー級もまた米国ファンの関心から遠ざかってしまって長い時間が経ってしまいました。
ヘビー級における米国の覇権が奪われるずっと以前から、ボクシング人気は凋落していましたが、ヘビー級のタイトルが離れてしまったことも〝ヘビー級が動くが如くボクシングは動く〟国でボクシングへの興味を喪失させてしまった一因でしょう。
米国の唯一の希望の星、WBC世界王者デオンティ・ワイルダーにしてもその人気はいま一つ、報酬的にも中量級のスター選手並みで、かつて別格だったヘビー級の面影はありません。
井上尚弥が単独カバーすることが、日本経済新聞でも記事になったリング誌でも、ワイルダーはあろうことか一度も単独カバーがありません。
その一方で、リネラル王者タイソン・フューリーと、三団体統一王者アンソニー・ジョシュアは既に単独カバーしています。
ヒューリー(2016年4月号)、ジョシュア(2017年9月号)が単独カバーデビューした一方でワイルダー最も露出したのは今年7月号のジョシュアとのツーショットです。
熱心な井上信者からは反発を買うでしょうが、ボクシング人気の落ち込みから発行部数も売り上げも低迷、身売りを繰り返し、昨年まで月刊からも落伍していたリング誌にとって、米国で無名の軽量級選手を単独カバーするのは〝藁をも掴む〟心境だったのかもしれません。
いみじくも階級制を敷く格闘技の世界では、最も注目を浴びるべきは無差別級です。
「サイズが小さいため、移動距離の短い軽量級の方が見栄えが速い」「肺(肺胞)をはじめ内臓器官は体格差ほどに差がないため、燃料切れを起こしやすいヘビー級は見苦しい」「減量のよって打たれ弱さが生じる軽量級には、ヘビー級にはないスペクタクルなKO劇が期待出来る」…。
リング誌やESPNをはじめ、米国メディアが軽量級の面白さを伝える報道を見つけると嬉しくなって、このブログでも紹介してきましたが「階級制のボクシングのおいてヘビー級は特別な存在」であるという真理は否定のしようがありません。
井上尚弥はどうして過酷な減量をするのでしょうか?
そんなに「強い相手とやりたい」ならライト級以上ならいっぱいいるのに、どうして10ポンド以上も体を削って、ビッグネームが一人もいないマイナー階級にこだわるのでしょうか?
極めて稀有で幸運なことにジュニアバンタムに強豪が集っていたのに「減量が限界」とバンタムに上げた井上が、たった3ポンドで減量苦から解放されているわけがありません。
マニー・パッキャオは135ポンドがベスト体重なのに、最も報酬の高い147ポンド、ウェルター級を主戦場としています。
ジュニアミドル級戦では144.5ポンドと正規リミットをなんと10ポンド近くも下回る体重でリングに上がり、世界を驚かせました。
八階級制覇のフィリピーノが「145ポンドで誰にでも勝てる」と本気で考えているのなら、ヘビー級を制覇したら大好きなおカネがもっともっと稼げるのに、どうしてヘビーには上げないのでしょう?
フロイド・メイウェザーは「全てはカネのためだ。カネのためなら誰とでも戦う。コナー・マクレガーはカネのためのダンスパートナーとして最高だ」と世紀の茶番劇をあつらえました。
本当に「全てはカネのため」ならヘビー級で戦えばいいのに、ワイルダーはマクレガーよりもずっと素敵なパートナーなのに…。
井上に強豪とビッグネームがひしめくウェルター級で戦え、パックメイにヘビーに上げろ、なんて暴言に過ぎません。そんなの無理です。だから、階級制があるのです。
そして、その階級、文字通りヒエラルキーの頂点がヘビー級です。
ヘビー級以外のボクサーは、何故その階級で戦うのか?理由は一つです。ヘビー級では負けるから、それだけです。
階級無差別の全日本柔道選手権大会に挑んだ古賀稔彦や吉田秀彦は「自分の最高のパフォーマンスを見せることができる階級で戦う、といえば格好いいけど…その裏には、自分が本当に一番強いと思われていない」と同じ趣旨の発言をしています。
90年大会で決勝まで進んだ古賀は、小川直也に足車で一本負け。体格もパワーも明らかに違いすぎました。
しかし、古賀は「小川からは『絶対に勝つ。絶対に負けられない』と恐ろしい ほどの気迫が伝わってきた。それなのに自分は認めたくないが『挑戦してやる、負けて元々』みたいな甘い気持ちがどこかにあったかもしれない。勝負師として試合前から負けていた」と、敗因は気持ちの問題でしかないと悔しがりました。
無差別級の選手に惨敗しても元気に敗因を語れる柔道とボクシングは、競技のダメージが違いすぎ、ボクシングで体重無差別のイベントなどありえません。
とにもかくにも、階級制の格闘技において無差別級は特別なのです。
米国でその真理が崩壊しているのは、そもそもボクシング人気が瓦解しているからなのであって、英国でのジョシュアやヒューリーのステイタスは、年間最高選手賞を獲得したカール・フランプトンやWBSS優勝のカラム・スミスを遥かに凌駕しています。
米国の歴史上、最も〝The Unbearable Lightness of Being(存在の耐えられない軽さ)〟に甘んじているヘビー級に復活の可能性はあるのでしょうか?
ジャック・ジョンソンからジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアノ、モハメド・アリ、マイク・タイソンと紡がれてきた米国の覇権は、このまま過去の遺跡になってしまうのでしょうか?
ワイルダーが掴む蜘蛛の糸の先に、再びのパラダイスは存在するのでしょうか?
二日後に迫った、メガファイトを追いかけます。
70年代まではボクシングとイコール、20世紀までは米国が独占し、世界が注目する階級だったヘビー級もまた米国ファンの関心から遠ざかってしまって長い時間が経ってしまいました。
ヘビー級における米国の覇権が奪われるずっと以前から、ボクシング人気は凋落していましたが、ヘビー級のタイトルが離れてしまったことも〝ヘビー級が動くが如くボクシングは動く〟国でボクシングへの興味を喪失させてしまった一因でしょう。
米国の唯一の希望の星、WBC世界王者デオンティ・ワイルダーにしてもその人気はいま一つ、報酬的にも中量級のスター選手並みで、かつて別格だったヘビー級の面影はありません。
井上尚弥が単独カバーすることが、日本経済新聞でも記事になったリング誌でも、ワイルダーはあろうことか一度も単独カバーがありません。
その一方で、リネラル王者タイソン・フューリーと、三団体統一王者アンソニー・ジョシュアは既に単独カバーしています。
ヒューリー(2016年4月号)、ジョシュア(2017年9月号)が単独カバーデビューした一方でワイルダー最も露出したのは今年7月号のジョシュアとのツーショットです。
熱心な井上信者からは反発を買うでしょうが、ボクシング人気の落ち込みから発行部数も売り上げも低迷、身売りを繰り返し、昨年まで月刊からも落伍していたリング誌にとって、米国で無名の軽量級選手を単独カバーするのは〝藁をも掴む〟心境だったのかもしれません。
いみじくも階級制を敷く格闘技の世界では、最も注目を浴びるべきは無差別級です。
「サイズが小さいため、移動距離の短い軽量級の方が見栄えが速い」「肺(肺胞)をはじめ内臓器官は体格差ほどに差がないため、燃料切れを起こしやすいヘビー級は見苦しい」「減量のよって打たれ弱さが生じる軽量級には、ヘビー級にはないスペクタクルなKO劇が期待出来る」…。
リング誌やESPNをはじめ、米国メディアが軽量級の面白さを伝える報道を見つけると嬉しくなって、このブログでも紹介してきましたが「階級制のボクシングのおいてヘビー級は特別な存在」であるという真理は否定のしようがありません。
井上尚弥はどうして過酷な減量をするのでしょうか?
そんなに「強い相手とやりたい」ならライト級以上ならいっぱいいるのに、どうして10ポンド以上も体を削って、ビッグネームが一人もいないマイナー階級にこだわるのでしょうか?
極めて稀有で幸運なことにジュニアバンタムに強豪が集っていたのに「減量が限界」とバンタムに上げた井上が、たった3ポンドで減量苦から解放されているわけがありません。
マニー・パッキャオは135ポンドがベスト体重なのに、最も報酬の高い147ポンド、ウェルター級を主戦場としています。
ジュニアミドル級戦では144.5ポンドと正規リミットをなんと10ポンド近くも下回る体重でリングに上がり、世界を驚かせました。
八階級制覇のフィリピーノが「145ポンドで誰にでも勝てる」と本気で考えているのなら、ヘビー級を制覇したら大好きなおカネがもっともっと稼げるのに、どうしてヘビーには上げないのでしょう?
フロイド・メイウェザーは「全てはカネのためだ。カネのためなら誰とでも戦う。コナー・マクレガーはカネのためのダンスパートナーとして最高だ」と世紀の茶番劇をあつらえました。
本当に「全てはカネのため」ならヘビー級で戦えばいいのに、ワイルダーはマクレガーよりもずっと素敵なパートナーなのに…。
井上に強豪とビッグネームがひしめくウェルター級で戦え、パックメイにヘビーに上げろ、なんて暴言に過ぎません。そんなの無理です。だから、階級制があるのです。
そして、その階級、文字通りヒエラルキーの頂点がヘビー級です。
ヘビー級以外のボクサーは、何故その階級で戦うのか?理由は一つです。ヘビー級では負けるから、それだけです。
階級無差別の全日本柔道選手権大会に挑んだ古賀稔彦や吉田秀彦は「自分の最高のパフォーマンスを見せることができる階級で戦う、といえば格好いいけど…その裏には、自分が本当に一番強いと思われていない」と同じ趣旨の発言をしています。
90年大会で決勝まで進んだ古賀は、小川直也に足車で一本負け。体格もパワーも明らかに違いすぎました。
しかし、古賀は「小川からは『絶対に勝つ。絶対に負けられない』と恐ろしい ほどの気迫が伝わってきた。それなのに自分は認めたくないが『挑戦してやる、負けて元々』みたいな甘い気持ちがどこかにあったかもしれない。勝負師として試合前から負けていた」と、敗因は気持ちの問題でしかないと悔しがりました。
無差別級の選手に惨敗しても元気に敗因を語れる柔道とボクシングは、競技のダメージが違いすぎ、ボクシングで体重無差別のイベントなどありえません。
とにもかくにも、階級制の格闘技において無差別級は特別なのです。
米国でその真理が崩壊しているのは、そもそもボクシング人気が瓦解しているからなのであって、英国でのジョシュアやヒューリーのステイタスは、年間最高選手賞を獲得したカール・フランプトンやWBSS優勝のカラム・スミスを遥かに凌駕しています。
米国の歴史上、最も〝The Unbearable Lightness of Being(存在の耐えられない軽さ)〟に甘んじているヘビー級に復活の可能性はあるのでしょうか?
ジャック・ジョンソンからジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアノ、モハメド・アリ、マイク・タイソンと紡がれてきた米国の覇権は、このまま過去の遺跡になってしまうのでしょうか?
ワイルダーが掴む蜘蛛の糸の先に、再びのパラダイスは存在するのでしょうか?
二日後に迫った、メガファイトを追いかけます。

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