1970年代までプロボクシングは、観戦スポーツの王様でした。

大相撲はもちろん、プロ野球もドメスティックに引きこもっていた時代、世界に挑む日本人を熱く応援できるのはプロボクシングだけでした。

しかし、団体分裂と階級の増殖からボクシング人気は下り坂を転がり落ち始めます。この凋落傾向は歯どめが効かないまま、現在に至っています。

そんな下り坂に抗うように、中長期的にはけしてボクシング界の再活性化につながるわけがないアダ花がいくつか咲きました。

明らかに実力が伴わないアイドルボクサーという、人気先行のアダ花です。

しかし、アダ花というのは美しく咲き誇るものです。だからこそ、アダ花なのですが。

独断と偏見の、アイドルボクサーランキングです。

第5位:青木勝利 アイドル度45%/実力55%

第4位:ピューマ渡久地 アイドル度50%/実力50%

第3位:赤井英和 アイドル度80%/実力20%

第2位:大和武士 アイドル度85%/実力15%

第1位:福田健吾  アイドル度95%/実力5%

🌃第二夜🌃ピューマ渡久地(1988年デビュー〜1999年引退/23勝19KO4敗) 
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「アイドルボクサー」を「人気先行の実力が伴わないボクサー」と定義しましたが 、まだありますね。

アイドルである限り、色気は必要です。

練習嫌いで不摂生な過大評価ボクサーというだけでは、アイドルとは呼べません。

ピューマ渡久地も、青木勝利と同じく、女性ファンが大挙詰めかけるアイドルではなかったかもしれませんが、妙な色気を漂わせていたことは間違いありません。

青木と渡久地には他の共通点も、いくつもあります。

練習嫌いで、気まぐれ。ボクサーにはタブーの酒を好んで飲む。そんな破天荒な私生活を隠そうともしない、一見豪放磊落な性格と、その裏に潜む繊細すぎるガラスの心。

そして、強烈なパンチを売り物に通のボクシングファンも唸らせる、超一級品の素質。

さらに、青木がファイティング原田、海老原博幸と共に「三羽ガラス」と称されたのに対して、渡久地は辰吉丈一郎、鬼塚勝也と共に「平成三羽ガラス」と呼ばれ将来を嘱望されました。

三人の中で、その素質が最も高く評価されながらも、一人だけ世界王者に届かなかったというのもまた、哀しい共通点でした。


デビューから9戦全勝9KO。その強打に屠られた犠牲者リストには、後の世界チャンピオン川島郭志の名前も刻まれています。

迎えた1990年3月19日、日本タイトルマッチ。後楽園ホールは3300人のキャパ一杯、満員札止め。

チャンピオン松岡洋介は試合後「言われているほどパンチはなかった。そんなに効いていない。再戦したい」と強がりましたが、内容的には渡久地の圧勝。

5ラウンドにダウンを奪い、7ラウンドには2度のダウンを追加して、それでも立ち上がる松岡を攻め立てたところでレフェリーストップ。

期待通りの戴冠劇に、後楽園ホールは沸き立ちました。

当時の日本フライ級には恐るべき脅威が、その刃を研いでいました。ソ連のペレストロイカ政策から日本に輸入されたエリートアマの一人、ユーリ・アルバチャコフ(当時のリングネームはチャコフ・ユーリ)です。

渡久地が12戦全勝全KOなら、ユーリも6戦全勝全KO。プロ戦績こそ渡久地に倍のキャリアがありましたが、世界選手権で優勝するなど圧倒的なアマキャリアを誇るロシアン・ヒットマンを経験不足と見る専門家やファンは誰もいませんでした。

1991年3月。日本タイトルマッチを並べる豪華興行チャンピオンカーニバルの超目玉で、チケットは前売りでソールドアウト。

そして、当時WBA王者のレパード玉熊陣営が「渡久地vsユーリの勝者と防衛戦を行う」とぶち上げたのです。

ユーリに勝てば、平成三羽ガラスのトップを切って世界挑戦…でした。
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しかし、ここでも青木と同じ〝失踪癖〟が顔を出してしまいます。

ビクトリージムの浅倉会長は「右足首捻挫で試合が出来ない」として、日本王座を返上します。

ユーリをプロモートする協栄ジムの金平会長は「延期してでもやったほうがいい」と説得しますが、浅倉会長の答えは煮え切らないものでした。当然です、「捻挫」というのは口実で、渡久地と連絡が取れなくなっていたのですから。

この報に、日本中のボクシングファンは渡久地に幻滅します。「ユーリが怖くなって逃げた」と。 

そして、日本タイトルマッチ直前に逃亡した渡久地に、JBCは「ライセンスの無期限停止」を宣告。ファンだけでなく所属のビクトリージムもメディアも「引退するしかない」と、三羽ガラスの一羽が失墜したことを惜しむしかありませんでした。