連休中日の好天というのに、仕事で渋谷くんだりにやって来ました。

人混みが大の苦手なので、仕事以外では絶対に近寄りたくない街なのですが、渋谷のど真ん中でも静かな店がいくつかあります。

そんな貴重なお店の一つ「元祖くじら屋」でお昼ご飯。 土曜日のお昼時、109直下というロケーションで、店内の静けさは嘘みたいです。

他に客のいないテーブル席が4つ並んだ部屋に通されるまで、幾つかの座敷席の前を通ったのですが、人の気配はありません。

渋谷の心臓みたいな場所で、こんな客入りでやっていけるのか心配になりますが、もしかしたら109が「くじら屋」さんが所有するビルなのかもしれません。

ここに来るのは何年かぶりですが、くじら料理は大好物で、居酒屋などでメニューにあるとたいてい注文してしまいます。

はりはり鍋はもちろん、尾の身やさえずり(舌)、レバーやハツ、歯茎などなどの刺身も最高です。
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日替わりランチ1000円也。今日は鯨の唐揚げ。こういう写真はメインの唐揚げを手前に写さなきゃいけませんでしたね。慣れないことしてしまいました。
 
とても美味しかったのですが、大昔に学校給食で食べた鯨の竜田揚げの方が美味しかった気がするのは、気のせいでしょうか。

鯨食は、国際的な風当たりも相当に強いですしね。

曰く、クジラは知的な動物だから殺してはいけない、食べてもいけない。

曰く、クジラは貴重な野生動物だから、みだりに捕獲してはいけない、ましてや捕らえて食べてはいけない。

今月10日から14日まで5日間にわたり、ブラジル・フロリアノポリスで開催された国際捕鯨委員会総会でも、日本が提案した商業捕鯨の一部再開は大差で否定されてしまいました。

それぞれの国や地域の歴史や文化が絡む、非常に難しい問題です。

曰く、クジラは知的な動物だから殺してはいけない、食べてもいけない。

曰く、クジラは貴重な野生動物だから、みだりに捕獲してはいけない、ましてや捕らえて食べてはいけない。

だったら牛は知的動物ではないのでしょうか?知的動物とそうじゃない一線は、どこに設けられているのでしょうか。

欧州の富裕層が楽しむ、ジビエ料理や、野生動物を追い詰めて殺すゲーム「キツネ狩り」は、どういう理由で許されるのでしょうか?

日本は、調査捕鯨によって安定した生息環境が把握できれば、商業捕鯨を再開できると期待していましたが、現在の国際情勢は「そもそも食べるために捕獲するなんて論外」。

朝鮮半島やアジアの一部で一般的だった犬食文化も、欧米という名の国際世論にほとんど一掃されてしまいました。 

犬食文化の無い(かつてはあった?)私たちにとっては「犬を食う」というのは、ちょっと後ずさりしていまいますが、彼らは愛玩用のペットを屠殺して食用にしているわけもなく、肉食用に、飼育された犬を食べているのは当然です。

欧米のNOは、世界のNOですから、彼らにダメ出しされたら、よほどの譲れないことでなければ妥協するのが得策です。

確かに、クジラ大好きの私でも正直「食わなきゃ食わないでいい」 です。

それでも、長い年月を経て守られてきた日本の食文化です。

欧米人がいたずらに野生動物を屠ったり、絶滅させても無神経でいるのとは違い、日本人はクジラを食べるだけでなく崇めて、祀って来ました。

なくなってしまうのは寂しい限りですが〝先進国〟の多数決では仕方がないのかもしれません…。

欧米が「嫌だ」「駄目だ」と言ってるのに、無理やりクジラを食べる必要はもちろん、ありません。

私たちの子供や孫たちに鯨食文化を継承していくことが、より国際的な舞台で生きていかねばならない彼らを不要な摩擦に巻き込んでしまうのだとしたら…私たちの世代でこの素晴らしい文化を抹殺してしまうのが得策なのかもしれません…。

…比較するのは的外れでしょうが、ボクシングも〝部外者〟からの廃止論に晒されてきた歴史を持ちます。

曰く、相手の急所を狙って故意に傷つける行為はスポーツではない。

曰く、リング禍 は事故ではない、故意に急所を殴ったのだから立派な殺人罪だ。

「クジラを食うな」「ボクシングは廃止しろ」と声高に叫ぶ人たちは、みな画一的に正義感が溢れた、清廉潔白な人々なんでしょう。

これからの世の中は、そうした遠くの部外者の〝正論〟がまかり通り、地球を真っ白に染め上げていくのでしょう。

彼らが理想とする「純白の世界」では、一匹のアリを踏み潰しただけで無期懲役になりそうです。ボクシングの興行を打とうものなら死刑ですね。

さあ、今度は横浜・日の出町あたりに繰り出して鯨食痛飲しましょうか!