辰吉丈一郎という現象が通り過ぎても、世界バンタム級のタイトルは日本にとって身近な存在であり続けました。
辰吉が1998年にタイトルを手放してから、ちょうど20年。
この間に薬師寺保栄(WBC)、戸高秀樹(WBA暫定=世界的には王者とは認められない)、長谷川穂積(WBC)、亀田興毅(WBA)、山中慎介(WBC)、亀田和毅(WBO)、井上尚弥(WBAセカンド=世界的には王者とは認められない)と7人もの「世界バンタム級チャンピオン」が〝排出〟されました。
ファイティング原田が失ったバンタムが再び日本に還るまでに19年もの年月を要したというのに、この20年以上にわたっては、ほとんど間断なく日本人世界王者が存在し続けてきたことになります。
その原因には、階級と団体の乱立によって、その王座も増殖、いにしえと比較すると驚くほど簡単に世界王者になれてしまう現状があります。
30年前のように世界タイトルマッチが一般紙のスポーツ面のトップや、スポーツ新聞の一面を飾ることは、いまや非常に珍しいことになりました。
【読売新聞7月30日付朝刊】帝拳とWOWOWが絡む伊藤雅雪の快挙は大きく取り上げられましたが、それでもプロ野球など他のスポーツよりも小さな扱いでした。木村翔の快勝劇に至っては、多くの一般紙で「三行記事」で終わりました。二人の試合は、巨人や阪神の球遊びよりもはるかに面白いのですが…。
日本ボクシングの全盛期は1960年代でした。その残り火は1980年代までなんとかくすぶっていましたが、90年代以降は突発的に登場する奇抜なスター選手(辰吉丈一郎や亀田兄弟ら)を例外に、ボクシングは完全にニッチのスポーツに失墜しました。
半世紀近くも下り坂を落ち込んでいるボクシング市場を、再び活性化させるのは不可能に見えます。
突発的なスターはこれからも10年、15年サイクルで登場するかもしれませんが、それは市場を底上げする正のエネルギーではなく、興味本位の発作でしかありません。
このまま、このスポーツは時間の経過とともにますます、マニア化、マイナー化の底なし沼を深沈していくのでしょう。
…そう、覚悟していました。
一定の実力の持ち主である亀田兄弟を、流行り物の玩具のように扱うメディアには幻滅しました。
そのメディアに乗せられる視聴者の軽薄な亀田バッシングにも。
長谷川穂積がフェルナンド・モンティエルに破壊されたあの日は、彼が負けたのではなく、日本ボクシングが敗れた夜でした。
面白い試合に巡りあうことが少なくても、このエンターテインメントに富んだスポーツを、世間に広く知ってほしいなんて積極的には思いません。
それでも、自分が面白いと思うスポーツが、多くの人にも認められるのは悪い気分じゃありません。
シュガー・レイ・レナードとトーマス・ハーンズの第1戦を観たとき、あまりに壮絶な14ラウンドのストーリーに感動して泣いてしまいました。
香川照之が語ったように「神が介在してる」としか思えないマニー・パッキャオの勇気の快進撃には、他のスポーツでは味わうことのできないカタストロフィーがありました。
世界の頂点レベルで、物語性に富んだ、 勇気の戦いを魅せられる日本人が現れたなら、このスポーツが再び浮上する可能性大です。

ファイティング原田のように、文句無しの階級最強王者に就く。日本人が中量級のスーパースターと互角に戦う。
そんなことは、白昼夢か誇大妄想にも思えましたが…。
辰吉が1998年にタイトルを手放してから、ちょうど20年。
この間に薬師寺保栄(WBC)、戸高秀樹(WBA暫定=世界的には王者とは認められない)、長谷川穂積(WBC)、亀田興毅(WBA)、山中慎介(WBC)、亀田和毅(WBO)、井上尚弥(WBAセカンド=世界的には王者とは認められない)と7人もの「世界バンタム級チャンピオン」が〝排出〟されました。
ファイティング原田が失ったバンタムが再び日本に還るまでに19年もの年月を要したというのに、この20年以上にわたっては、ほとんど間断なく日本人世界王者が存在し続けてきたことになります。
その原因には、階級と団体の乱立によって、その王座も増殖、いにしえと比較すると驚くほど簡単に世界王者になれてしまう現状があります。
30年前のように世界タイトルマッチが一般紙のスポーツ面のトップや、スポーツ新聞の一面を飾ることは、いまや非常に珍しいことになりました。

日本ボクシングの全盛期は1960年代でした。その残り火は1980年代までなんとかくすぶっていましたが、90年代以降は突発的に登場する奇抜なスター選手(辰吉丈一郎や亀田兄弟ら)を例外に、ボクシングは完全にニッチのスポーツに失墜しました。
半世紀近くも下り坂を落ち込んでいるボクシング市場を、再び活性化させるのは不可能に見えます。
突発的なスターはこれからも10年、15年サイクルで登場するかもしれませんが、それは市場を底上げする正のエネルギーではなく、興味本位の発作でしかありません。
このまま、このスポーツは時間の経過とともにますます、マニア化、マイナー化の底なし沼を深沈していくのでしょう。
…そう、覚悟していました。
一定の実力の持ち主である亀田兄弟を、流行り物の玩具のように扱うメディアには幻滅しました。
そのメディアに乗せられる視聴者の軽薄な亀田バッシングにも。
長谷川穂積がフェルナンド・モンティエルに破壊されたあの日は、彼が負けたのではなく、日本ボクシングが敗れた夜でした。
面白い試合に巡りあうことが少なくても、このエンターテインメントに富んだスポーツを、世間に広く知ってほしいなんて積極的には思いません。
それでも、自分が面白いと思うスポーツが、多くの人にも認められるのは悪い気分じゃありません。
シュガー・レイ・レナードとトーマス・ハーンズの第1戦を観たとき、あまりに壮絶な14ラウンドのストーリーに感動して泣いてしまいました。
香川照之が語ったように「神が介在してる」としか思えないマニー・パッキャオの勇気の快進撃には、他のスポーツでは味わうことのできないカタストロフィーがありました。
世界の頂点レベルで、物語性に富んだ、 勇気の戦いを魅せられる日本人が現れたなら、このスポーツが再び浮上する可能性大です。

「ウルフ、何をそんなに恐れているんだ」〜「あしたのジョー」第36話:牙をむくウルフ金串
ファイティング原田のように、文句無しの階級最強王者に就く。日本人が中量級のスーパースターと互角に戦う。
そんなことは、白昼夢か誇大妄想にも思えましたが…。
コメント
コメント一覧 (2)
だからこそ、このスポーツにはルールと対戦相手への尊敬が絶対必要で、選手が信頼できる団体が管轄することが大前提です。
「あしたのジョー」の主題歌、テーマ曲を一手に書き下ろした寺山が、現在のプロボクシングの凋落とアマチュアボクシングの腐敗を目の当たりにしたら、烈火のごとく怒り狂うでしょう。
そのイメージが間違っているとは思いません
しかしボクシングには、街のチンピラの喧嘩とは違う戦術があり、インテリジェンスがあり、ドラマがあります
ボクシングがまた国民的競技になるためにはこれまでのイメージを壊し、選手だけでなく競技そのものに手を伸ばす気概を民衆が持つ必要があります
その環境が作れるかどうかはメディアの姿勢にかかっていると言えるでしょうね