暑中お見舞い申し上げます。
IMG_0854 (1) 
先月の暑い日曜日、自宅から15キロほど離れたひまわり畑まで、ゆっくりゆっくり、ゆっくりジョギングしました。ひまわり畑、壮観でした。久しぶりの運動とあまりの暑さに、帰りは電車に乗りました。今年は異常に暑い日が続いています、ご自愛くださいませ。(本文とは関係ありません)

1968年2月27日、ファイティング原田がライオネル・ローズにバンタム級王座を追われてから19年、六車卓也が1987年3月29日にアサエル・モランとの決定戦に快勝してWBAバージョンのバンタム級タイトルを取り戻しました。

しかし、このベルトは2ヶ月足らずの短い間しか、この国にとどまってくれませんでした。

5月24日、韓国の朴讃栄の頭と拳に打ちのめされた六車は11ラウンドTKO負け、王座から陥落していまいます。

このとき「また20年近くも待たなければならないのか…」と嘆息したボクシングファンは、すぐに新しい希望を見つけます。

学校に通っていたらまだ高校生の、その少年のボクシングは全てが規格外に見えました。

マイク・タイソンが豪腕を振るい、シュガー・レイ・レナードが鮮烈なカムバックを飾った1987年、わずか17歳4ヶ月で全日本社会人選手権バンタム級を制した少年は翌年に迫ったソウル五輪で金メダルを獲るとまで期待されていました。

地元岡山では札付きの不良でした。

しかし、始末に負えない凶暴な少年は父親からボクシングの手ほどきを受け、渡辺二郎に憧れていました。

中卒で故郷を後にした、昏い目をした一重まぶたの少年は大阪で就職、渡辺が所属する大阪帝拳の門を叩きます。

吉井清会長がその才能に惚れ込むのに時間はかかりませんでした。

「(具志堅用高の)100年に一度、(大橋秀行の)150年に一度なんてもんじゃない」。
IMG_0918
大阪帝拳でその才能を研鑽する少年は、モランのスパーリングパートナーに異例の抜擢、世界ランカーのパナマ人を圧倒しました。

「こんなあどけない少年がここまでレベルの高いボクシングをするなんて、六車はどれほど強いんだ?」。モラン陣営はそう考え、怯懦したのかもしれません。

そして、アイドルの渡辺とのスパーリングでも互角以上に渡り合い、渡辺が引退を決意したきっかけの一つになったとも言われました。 

軽快なフットワークと、低いガードから繰り出される多彩で華やかなコンビネーション。

そして見事にコピーしたアリシャッフルを踏み、レナードばりのボーロパンチまで披露する少年の動きには、ボクシングの表層的な魅力が全て詰まっていました。

あれから30年近い歳月が流れ、少年は48歳になりましたが、いまだに現役です。

昨年7月には孫も誕生しましたが、いまだに現役です。
 
彼のボクサーとしての歴史的評価は、30年前のあの喧騒を思い出すとけして高いものではありません。

…しかし、いまだに現役です。

そうでした、私が間違っていました。

「歴史的評価」なんて言葉は、使うべきではありませんでした。

訂正します。

彼の歴史的評価は、まだ固まっていません。

いまだに現役なのですから。彼のキャリアはまだ終わっていないのですから。

何しろ、とにかく、いまだに現役なのですから。