Breez is Nice!

勝負の分かれ目で、人間力は意味があるのか?

将棋、囲碁の世界では大勝負になればなるほど、土壇場になればなるほど、それまでに培ってきた人生経験、人間力が最後に勝敗を決する、そういうことがよく言われます。芸能の世界でも大きな病気を乗り越えたり大失恋を体験した歌手の声には艶が出るなんて言うのも同じことかもしれません。

人生で蹉跌を舐めた人間はスポーツや将棋の世界でも、大一番で力を発揮する。夢のある話です。しかし、病気になったり恋愛しない人工知能が、一流の棋士に勝ってしまう時代です。野球なら野球、将棋なら将棋の世界で、様々な経験を積むことは大きな意味があるでしょう。しかし、その競技と関係のない実生活での艱難辛苦、重篤な病気を患ったり、大きな借金を背負ったり、大切な人を失ったり、そういう体験は反骨のバネになることはあるでしょうが、直接的な技術の向上には何の役にも立ちません。

人生で苦労したことが競技の肥やしになるわけもなく、その時間を練習に費やした方が優れたアスリートへの近道です。そのはず、です。

ダニエル・ジェイコブスという才能あふれる30歳のボクサーがいます。

2006年、19歳で全米選手権のミドル級で優勝するなどアマチュアで137勝7敗という驚異的な成績を残して、ゴールデンボーイプロモーション(GBP)から鳴り物入りでプロデビュー、破竹の勢いで無敗のまま北米ミドル級王座を奪取。2010年にはついにWBOミドル級王者決定戦に出場。有利の予想通りに4ラウンド終了時で3人のジャッジが揃って2ポイントリードの採点…と、ここまでが人生の絶頂、ここから地獄の底に叩き落とされます。

5ラウンドにディミトリー・ピログの右フックを受けて痛烈なダウンを喫してストップ負けしてしまうのです。期待のホープが悲劇的な敗北を喫することは決して珍しいことではありませんが、地獄の底はここではなく、もっともっと深いところで暗い口を開けていました。それから1年も経たない2011年5月にガンに罹っていると診断されてしまうのです。それも脊椎の骨肉腫です。ボクサー生命どころか、人間としての命そのものが大きな危機を迎えるのです。

若者は大手術に臨んで、背中に大きなジッパーが付いたような痛々しい傷跡を負ったことと引き換えに、ガンに打ち勝ちました。そのニュースを聞いた時、ボクシングファンはジェイコブスが最強の敵を打ち破ったことに拍手喝采を送りました。勇気あるダニエルにこれからも幸あれ、と。もちろん、それは第二の人生もがんばれというエールでした。

しかし、ジェイコブスはリングに上がります。そして周囲の心配をよそに、彼はMIRACLE MAN(奇跡の人)と呼ばれ、勝ち続けます。2015年にはミドル級最強候補の一人、ピーター・クイリンを不利予想を跳ね返して、何と1ラウンドTKOで屠りました。この時点では、もはやジェイコブスを大病からの病み上がりと心配する声は聞こえません。ミドル級のトップスターの座に舞い戻ったのです。


  【明日、いよいよゴング!】

そして、いよいよ明日、ニューヨークはマジソンスクエアガーデンでミラクルマンはWBA/WBC/IBF/IBOの4団体のベルトをかけて世界タイトルマッチのリングに挑戦します。ここまで32勝のうち29がKO、ピログに敗れたのが唯一の1敗です。それなのに試合前のオッズは1−6で圧倒的不利。ESPNやリング誌でも、専門家や現役ボクサーはほぼ全員がジェイコブスのKO負けを予想している有様です。

それもそのはず、挑戦する相手が悪すぎます。チャンピオン、ゲンナディ・ゴロフキン( GGG)も36戦全勝33KOととんでもない戦績ですが、数字だけなら見劣りしません。しかし五輪銀メダルとアマチュア実績で上回るGGGのボクシング技術は非常に高く、プロでの対戦相手の質もGGGの方が上、なおかつ世界戦は強奪した試合から数えて18連勝、その全てをKOで飾っているのですから。

それでもジェイコブスの強打がヒットすれば誰でも倒れると期待したいところですが、このGGGは強打者なのに鋼鉄のアゴまで持っているんです。これまでダウン経験がないばかりが、大きくグラついたこともありません。GGGと長年連れ添う名匠、アベル・サンチェスは「今まで多くのボクサーを見てきたがGGGのアゴの強さは図抜けている。ジェイコブスが攻撃的に攻めてきたらそこに必ず隙が生まれる」と自信満々です。

KO勝利のテープを23に伸ばしているGGG、12で追うジェイコブス。両者の強打、好戦的なスタイルから、KO決着しかないとみられていますが、異様に打たれ強いGGGが沈むシーンは想像できません。一方、ピログ戦で脆さを見せたジェイコブスが、GGGの拳を12ラウンド36分間に渡ってかわし続けることも想像できません。

ジェイコブスは記者会見で「ゴロフキンの事は尊敬している。しかし私はガンと闘って、ここにいる。怖いものは何もない」と静かに語りました。

確かに脊椎の骨肉腫よりも強大な敵はまずいないでしょう。ジェイコブスはその最強の敵に確かに勝ちました。しかし、その偉大な人生経験はリングの中には持ち込めません。リングの中にあるのは冷徹な現実だけです。

それでも、そういうことがわかっていても、すでに1度奇跡を起こしたジェイコブスです。2度目がないと言い切れるでしょうか。

勝敗予想。まさかの判定にもつれ込んで、僅差の勝負をジェイコブスがものにします。

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1867年にグローブを付けて戦うクイーンズベリー・ルールが発表されてから150年、1886年に最初の階級であるミドル級の世界タイトルマッチが行われてから130年。どちらを近代ボクシングの歴史にするにしても、原始、ボクシングはヘビー級(無差別級)しか存在せず、階級制が広がった近代ボクシングでも100年以上に渡ってボクシングとはヘビー級のことでした。

無差別級、ヘビー級から産声をあげた長い歴史の末に現在では105ポンド(約47.6kg)のミニマム級から190ポンド(約86.1㎏)のクルーザー級までのわずか38.5kgが17階級に細分化され、パウンド・フォー・パウンド(PFP:階級を考慮せず「体重同一時」ならどちらが強いか)という概念はますます隆盛を誇り、リング上ではなく新聞や雑誌、ネット上でPFPが議論されています。

そもそもどうして階級制があるのか?どうしてPFPなんて結論の出ないまどろっこしい議論をするのか?

理由は簡単で、結論はたった一つです。ヘビー級が最も強いからです。誤解を恐れずに言えばヘビー級以外の階級のボクサーはヘビー級では負けるから、その階級で戦っているのです。とどのつまり、ボクシングにおいてはヘビー級は絶対無二の階級で、今なお最強のボクサーはヘビー級王者であり続けています。100年を超える歴史の中でボクシングは、変節と変質と変形と変態の歴史でもありました。しかし、ヘビー級が最強という絶対不動の原理だけは一度も変わったことがありません。

その神聖なるヘビー級チャンピオンが最も人気がある(最も報酬が高い)と言えない時代が長く続いています。2015年についに拳を交えたメイウェザーとパッキャオはたった1試合、わずか36分でパッキャオは1億ドル以上、メイウェザーは2億ドル以上も手にしました。最終回のゴングが鳴るや、あれほど深くいがみ合っていた両者が満面の笑顔で抱き合いました。普通ならスポーツ、ボクシングの最も美しい瞬間、光景なんですが…怒号とブーイングが渦巻く会場、失望に固まるくTVの前のほとんどの視聴者、歴史上最も熱望されついに実現した大試合はファンもTVも、いいえボクシングそのものが無残な敗者に貶められました。そんな不毛と幻滅と敗者しかいないはずの世界で、たった二人だけ明らかな勝者が存在したのです。休憩時間を入れても50分に満たない時間で、綺麗な顔のまま試合を終えて、1億ドル以上もらえたのですから、そりゃあ抱き合ってお互いの健闘を称え合いもするでしょう。

メイパックの報酬を超えるボクサーはしばらくの間、現れることはないでしょう。しかし、彼らがたとえどんなに現金を稼いでも、PFP1位の座を争っても、本当の最強はヘビー級王者であることは不動です。そういう意味では彼らの「強さ」は幻想でしかありません。ありえないことですが彼らがヘビー級王者に挑めば、3ラウンドも持たないでしょう。メイウェザーのタッチボクシングも、パッキャオの波状攻撃も、無差別級の頑健な大男の前では実弾にはなりえません、水鉄砲です。

それなのに。ボクシング不動の中心であるはずのヘビー級は人気や報酬だけでなく、今やその威信までもを完全に失墜してしまいました。そう、ジャック・デンプシーもジョー・ルイスもモハメド・アリもマイク・タイソンも去ってしまったヘビー級のリングにはもはや何も残されていません。今のヘビー級は17階級の内の1階級でしかないのです。どうしてそんなことになったのか?


【史上最も偉大なアスリート、アリも世界ヘビー級王者でしたが、悲しいことに彼はもうこの地上にはいません】

理由はいくつも考えられます。ボクシング全体の人気凋落の影響を最も受けるのは、看板階級のヘビー級になるのは当然です。承認団体と王者の乱立で世界王者の価値が失墜したことも無縁ではないでしょう。MMAの勃興と隆盛によってボクシングのヘビー級王者が世界最強の男であるという説得力が崩れたことは、多くの一般ファンが離れる原因だったのかもしれません。アメリカの矜持であった王座がクリチコ兄弟によってヨーロッパに持ち去られてしまったこと、このクリチコの圧政の下でアメリカ人挑戦者がことごとくマットに沈めらていくのは保守的なボクシングファンにとって耐え難い光景だったに違いありません。

アメリカのボクシングを支えるファンがヒスパニックに大きく移行したことも、ヘビー級への関心が薄れる一因です。ヘビー級への郷愁、こだわりがないばかりか、彼らの体格に近いボクサーへの愛着、鈍重なヘビー級よりもアクションに富んだ中量級、時には軽量級の選手へ人気が集まるのは当然の流れです。今なおアメリカではスポーツの枠内を超えて強さの象徴だったヘビー級への郷愁は色濃いものがありますが、世代が更新されるに従って、その思いはどんどん忘れられていくでしょう。

それでも、ヘビー級は復権できると思います。アメリカの歴史的な哀愁を考えなくとも、この階級こそが最強であることは永遠に変わりません。誰もが認めるスターが生まれれば一晩で変わると信じています。いくら最強でも体格を利したホールディングとプッシングが目立つクリチコの戦い方は、確かに退屈でした。この階級には全盛期のマニー・パッキャオのような誰が見ても興味をそそられるスーパースターがいなかっただけです。

4月29日、ロンドン・ウェンブリースタジアムで地元のIBF世界ヘビー級王者のアンソニー・ジョシュアがウラジミール・クリチコの挑戦を受けます。チケットは発売即完売。当日はフルハウス8万人の大観衆がヘビー級新時代の幕開けの証人になるはずです。再び暗黒時代に引きずり戻される悪夢は、想像したくありません。試合はジョシュアが圧倒して中盤までにノックアウトします。予想ではありません、そうでなければならないのです。

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血と生い立ちと環境。

この3つが人柄を決める3つの要素だと、明石家さんまが大昔、よく話してました。コントやギャグの舞台ではなく、受験勉強の合間に聞いていた深夜ラジオでした。

アスリートの実力を決めるのもこの3つの要素と言えます。「血」は遺伝子、「生い立ち」はどういう育ち方をしたか、「環境」は練習内容。ケニアとエチオピアのトップランナーはほぼ例外なく弱肉強食のプロフェッショナルの「環境」で過酷な練習を繰り返し、母国の高地で生まれ幼い時から遠い遠い学校や井戸に走って往復する「生い立ち」を持ち、やはり同じような生活をしてきた両親からその「血」を受け継いでいます。

対して、日本マラソンの最高峰である実業団選手は、引退後もポストを約束されたサラリーマンとしての「環境」で、車社会とゲームや携帯電話に浸かりきった「生い立ち」、やはり同じような生活を送ってきた両親の「血」を受け継いでいます。

ケニアやエチオピアの高地民族でも標高の低い都心部に移住した人たち、その子供達からは優れたランナーが生まれていないことからも「血」は大きな問題ではなく、問題は「生い立ち」と「環境」です。そして、生い立ちですが、これも残念ながら変えようがありません。日本の子供達が車社会の中でゲームや携帯電話が身近にある部屋に引きこもった生活を送る傾向は、ますます強くなるでしょう。

つまり、2大国の超人たちを打ち負かすには「環境」(練習)しか残されていません。



公務員ランナー川内優輝や、青学監督の原晋が実業団ランナーに辛辣な言葉を浴びせていますが、これはもう仕方のないことです。実業団、特に男子は終身雇用で大企業に入ったサラリーマンなんです。90年代中頃にある取引先の企業との雑談の中で「女子マラソンブームに乗って我社でも女子陸上部を創設しようと思ったけど、予算オーバーで男子陸上部に鞍替えした」という話を聞きました。

なんとなく男子の方がお金がかかると思っていた私には意外なことでしたが、実は、男子と女子では女子の方がコストがかかるんです。前述のように男子は終身雇用が前提、つまり新入社員(の給料)からスタートします。しかし、女子は走れなくなったら指導者として残るほんの一部の人は別にして退社するのが普通です。そのため先払いの退職金として契約金が支払われることが多く、管理も一人部屋の寮などデリケートさが要求され、一人当たりに掛かる費用は男子よりも間違いなく多くなります。

実業団男子ランナーには大企業に所属するサラリーマンで「強くなってダイアモンドリーグやワールドマラソンメジャーズで賞金荒稼ぎして会社辞めたる!」なんて猛者はただの一人もいません。引退後の会社員としての生活も考えながら、会社が決めたスケジュールの国内大会を中心に粛々と走るサラリーマンそのものなんです。

終身雇用でない女子は短い競技人生で一花咲かせるぞ!という意識が強く、多くの独立心溢れる魅力的なランナーが生まれました。しかし、今、男子と同じく低迷、後退してしまっています。しかも男子とは事情が違い、エチオピアとケニアの攻勢が極めて脆弱で世界レベルも停滞といって良い状況にもかかわらず、です。なぜ、女子マラソンまで低迷してるかは、これはまた別の話としてどこかで書きます。

話があちこちに飛んで申しわけありません。本筋に戻ります。
前回、箱根駅伝の予選会と、関東の2部校のレベルが驚異的な成長を見せていることに触れました。この30年で、20キロレースで競う予選会突破のボーダーラインのタイムが約5分、その数字に綺麗に呼応して関東インカレ2部1万メートルの標準記録が約2分30秒も跳ね上がっているのです。

日本で最も視聴率を稼ぐスポーツイベント、箱根駅伝の人気を今更説明する必要はないでしょう。箱根を走ることは大学、特に知名度の低い大学にとっては関東はおろか全国に鮮烈に名前を売ることが出来る絶好の舞台です。そうした大学が箱根駅伝出場に投資を集中、長距離だけが傑出して強い新興大学が続々と箱根本戦を勝ち取っていきます。箱根人気は、留学生という名の助っ人をケニアやエチオピアから招くことも常態化させています。そして陸上競技全般に力を入れる名門の存在感が薄れていく中、関東学連は「インカレポイント」や「外国人制限」という悪法を打ち出します。

競技レベルが向上することは、スポーツにとっては絶対的な善です。日本人選手を保護するために外国人の出場人数を制限する、陸上競技全般に力を入れている大学の箱根予選のタイムからインカレポイントを引いて保護する、いずれもスポーツの本質を汚す暗愚な行為でした。同じことは高校駅伝にも実業団駅伝にも言えます。

新興大学による強烈な底上げがもたらした急激なレベルアップと、卓越した走力を持つ留学生ランナーの招聘。その反動としてインカレポイント導入や外国人ランナーを制限する、保護政策が進みます。保護される側が進歩しないのは当たり前です。これが、関東インカレ1万メートルの標準記録で1部が30年前とほとんど変わらないのに、2部が約2分30秒も上がって1部のタイムと同じになるというネジレを生み出しました。もっと分かりやすく言うと、箱根予選の突破タイムと2部校のレベルは飛躍的に上昇している一方で、学生トップ、ひいては日本のトップの実力は喜劇的なまでに伸び悩んでいるということです。

これが、箱根パラドックスの正体です。かつて「大砲」と表現された1万メートル28分台のランナーは、今では本戦で上位を狙う大学なら何人も抱えるライフルに過ぎません。しかし、27分台のランナーは今も昔も稀有な存在のまま、新たな世界基準となった26分台の扉に至っては、日本人はこじ開けるどころか、誰もノックすらできていないのが現状です。

1920年、約100年前に「世界で通用するランナーを育てる」という理念のもとに始まった箱根駅伝は皮肉にも、世界から目を背け「箱根で勝つことを究極のゴールとするランナーたち」を量産する大会へと変質してしまいました。

箱根を走る大学生はもちろん、実業団の選手たちには一片の責任もありません。彼らには目の前のレースを全力疾走するしか出来ません。

宗兄弟や瀬古利彦の時代は恵まれていました。全ての風景が新鮮な時代でした。練習はもちろんレースでも給水をこまめに取ることはしません、そんなことしたら体が重くなると考えられていたからです。そういえば私が走っていた80年代後半の箱根駅伝の予選会は、汗を拭くための水を含ませたスポンジがテーブルに用意されているだけで、給水はありませんでした。

ベルリン五輪を走った伝説的なエピソードで知られる中村清コーチは、無尽蔵の体力を誇るロバート・ド・キャステラを「ステーキの上にチーズを乗せたようなスタミナ」と評しましたが、今ならさしづめ「パスタに餅を絡めた」の方が正しい表現ですね。そんな中村も瀬古が初マラソンに挑む前には餅を毎食後(食事としてでは無く、食後のダメ押し的に)3個以上食べさせ、レースでは体が重くて走れなかったというから、何を食べるかも試行錯誤だったのでしょう。

宗茂が1978年別大で2時間9分5秒の世界歴代2位の記録を打ち立てた時、今ではありえない嘘のような話ですが一度も給水を取らずに!終盤失速してしまったのです。みんな試行錯誤で、のたうち回りながら、練習方法を模索し、確立して行く時代でした。そして、その目は常に世界をしっかりと見据えていました。

最も恵まれていたことは世界がすぐそこに見えていたことです。今とは真逆で、クレイトンが1969年に2時間8分33秒の大記録を出してから世界の方が停滞していたのです。世界は彼らが手を伸ばせばすぐ届くところで、じっと動かずに待っていてくれていたのです。そして、宗茂が狼煙を上げてから、日本人が次々と世界にチャージして行く姿を目撃するのですから「俺にも出来る!」「次は俺だ!」と奮い立たない方がおかしい状況です。

今の選手たちの記録が10年以上も低迷・後退している原因には、指導者の力不足も挙げられます。宗兄弟も瀬古も、そして最後の日本記録保持者、高岡も、女子でも高橋尚子や野口みずきもマラソン日本の現状を「今の選手は練習量が絶対的に足りない」と言い切っています。まともなやり方で世界に勝てないのは明らかで、「血」と「生い立ち」ですでに負けている以上、「環境」(練習)で上回るしか勝つ方法は残されていません。どうして、練習させられないのか?

前回、今の箱根駅伝と、ちょうどマラソン全盛期だった80年代の関東対抗戦グループのラグビーは恐ろしいほどよく似ていると指摘しました。日本マラソン全盛期に、ラグビーは人気だけあって世界では全く通用しなかったのに、本当に短い期間で立場が逆転しました。科学的な練習方法の導入や、外国人選手の積極的登用、ラグビーワールドカップ日本開催を控えてこうした強化策が打ち出され、大きなテコ入れが成功した形ですが、具体的には世界一の練習量を代表選手たちに実践させたことでした。

エディ・ジョーンズが初めて代表選手を見た時、全員が「自分たちは弱い」という思いに強烈に囚われてしまっていることに怒り狂ったといいます。死ぬほど練習してから言うなら分かるが、何もしてないくせに「自分たちは弱い」?どこまで腐ってるんだ?

「普通なら絶対に故障するという量と質だった」と口をそろえる狂気の練習量を選手たちが受け入れた理由は、単純なことでした。この練習を成し遂げれば、世界に通用するという確信です。合宿期には1日5回、深夜にも及ぶ練習に文句も言わずに食らいついたのは、この先に必ず世界があるという約束を信じることができたからです。「絶対に故障すると思ったがやり遂げた。今まではやる前から故障すると決めていた」。もちろん、そこにはジョーンズという世界最高のコーチの言葉が担保されていました。「世界で一番苦しい練習した君たちは負けてはいけない」。優れたモチベーターでもあるジョーンズでなければ、選手たちは反発したでしょう。

今のマラソン選手は練習量が足りない。栄光の時代を彩った元スター選手の言葉はマラソンというタイム競技では空虚に聞こえます。「そんな時代遅れの練習したら故障するし、その練習で出したあなた達のタイムも今では全く通用しない。それにあなた達のタイムなら故障しない、もっと楽な方法で出せるし、今の自分たちがやってるのはそういうこと」。指導者たちの言葉が信じられないのは現役選手だけの責任ではありません。指導者の言葉の問題も大きいはずです。ジョーンズのようなモチベーターを探すのは並大抵のことではありませんが、再び世界へ浮上するには、その言葉が約束手形に感じられる指導者の情熱が不可欠です。

日本のランナーたちも「日本人1位」と口にしながらも、世界が約束されるかもしれないと思ったら、どんなに苦しい練習でもついていく覚悟はあるでしょう。アスリートである限り、ヨーイドンから優勝を諦めて、どんどん離れる先頭グループを見ながら同じ日本人との醜い勝負に沈んでいく、毎回毎回そんなレースを繰り返すことに、心の底では嫌悪が渦巻いているはずです。そんなアスリートとして最大の屈辱を当たり前に受け入れてしまっては絶対にいけません。スタートから勝負を棄権する、あんな屈辱に慣れてしまっては絶対にいけないんです。

1983年の東京国際でジュマ・イカンガーを抑え、ロドルフォ・ゴメスを競り落とした瀬古の走りには、マラソンの枠を超えてスポーツの面白さが全て詰まっていました。2000年のシドニーでリディア・シモンとの一騎打ちを制した高橋尚子はマラソン日本の悲願をついに果たしました。

しかし、今の日本に最も必要なものを見せてくれているレースは2004年アテネの野口みずきです。彼女は1983年の瀬古、2000年の高橋のような絶対王者ではありませんでした。実際に2003年世界陸上ではケニアのキャサリン・ヌデレバに力負け、さらに2時間15分25秒の今なお傑出した世界記録を打ち立てたポーラ・ラドクリフという魔女までがアテネのスタートラインに並んだのですから、日本のエースとはいえメダルが取れたらもうけもの、みたいな状況です。30度を超える灼熱の中を先頭集団がハーフポイントを超え、サバイバルレースが予想された25キロ、あろうことか野口はロングスパートを仕掛けます。誰もが「早すぎる!あまりにも仕掛けが早すぎる!」と危ぶみました。

結果はご存知の通りです。

あの時、みんなメダルを期待していました。バルセロナから続く女子マラソンメダルのリレーをつないで欲しい、3位に入って欲しい、みんながそう願っていました。そう考えていなかったのは、ただ一人、野口みずきだけでした。金メダル以外は要らない。25キロ地点で鬼気迫るスパートを仕掛けたあの時、彼女は間違いなくそう雄叫びをあげていました。金メダルしか要らない、と。

あのままレースが進めば、地力とスピードで勝るラドクリフやヌデレバらの詰め将棋になるのは目に見えていました。野口が勝つには、どこかでしかも早いタイミングで、優勝候補たちが静かに大切に駒を並べてきた将棋台を一気にひっくり返す必要があったのです。野口みずきはあの時、確かに勇気の橋を渡りました。

あの時の野口の勇気と勝負根性は、今の日本マラソンで最も欠落したものです。今のランナーはみんな「自分たちは弱い」と世界を前に恐れおののき、萎縮した走りしかできていません。

ロスアンゼルス五輪のカール・ルイスの優勝タイムが10秒00。今のウサイン・ボルトと同様、当時の「カール・ルイス」は日本人とは持って生まれた才能が違いすぎて触れることもできない存在の象徴でした。当時の日本のスポーツファンはわずか15年後に日本人がその記録に並ぶなんてことは夢想だにしなかったでしょう。

「日本人がルイスに勝つなんて永遠に不可能」という当時の確信は実体のない幻想に過ぎず、競技の進歩を遅らせる足枷でしかありませんでした。100メートルと比べて競技人口や成熟度で劣ると見られるマラソンでは、日本人が世界に追いつく余地はもっと残されているはずです。日本人も2時間2分台、いいえ、2時間を斬って走る未来が間違いなく必ず来ます。問題はその未来までの時間をいかにして短縮するかです。記録を伸ばすということは、未来を手繰り寄せる作業なんです。

もし、確実にあるその未来を見ようともせずに、自分の足元だけしか見ずに「日本人は2時間6分あたりが限界」と諦めて、トップランナーが「日本人1位が目標」と念仏のように唱えていては10年後に来るべき未来も20年後、30年後へ逃げてしまうでょう。実際にもう15年近くも一歩も前に進めていないのです。このままでは100年後も「2時間9分台で日本人1位」なんてコントみたいなことをやっていても不思議ではありません。勇気と信念を持つことです。日本人は2時間6分が関の山、未来なんて無いと諦めるならそこで終わりです。

諦めた時に挑戦は終わります。そして、挑戦しないのであればアスリートではありません。

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先週のびわ湖毎日マラソンで、今シーズンの主要なマラソンレースが終わりました。予想通りの結果を低調というのが正しい評価かどうかはわかりませんが、今の男子マラソンは停滞を通り越して後退していると言われても仕方がない状況です。

世界のマラソンがエチオピアとケニアの2強に偏重し、2時間斬りに迫る高速化に突き進む中で、後退していては勝負になるわけがありません。実際、レベルの高い国際的な大会での日本人選手はスタートから勝負に参加することを諦めた惨めなレースを強いられています。アフリカの2大国の選手は「オギャーと産まれた時からものが違う」(小出義雄)から、「同じことをやっていては絶対に勝てない」(原晋)のは明らかです。

日本が世界のマラソンが仕掛けた“スパート”にどんどん離されていく中で、不思議な現象が起きています。箱根駅伝の人気沸騰です。この1年で振り返っても、箱根の視聴率はサッカー・クラブワールドカップの決勝に進んだ鹿島アントラーズとレアル・マドリードとの一戦をも凌駕して、スポーツ中継でナンバーワンの数字を叩き出しました。

そして日本テレビが全国中継に乗り出す前の80年代から、箱根のレベルもその注目度に正比例して驚異的な上昇を見せました。

当時、関東の大学で長距離を走っていた鈍足ランナーから見るとその急成長はにわかに信じられないほどです。80年代の箱根はシード10校、予選会からの勝ち上がり5校の計15校で本戦が争われていました。現在はシード11校、予選勝ち上がり9校の20校まで枠は広げられています。本戦はご存知の通り距離やコースの変更などがあり、当時との単純比較は出来ませんが、予選は大井埠頭から昭和記念公園に場所は移りましたが、距離はほぼ平坦な20キロのコースで変わっていません。予選会は各大学から14人まで出場でき、その上位10人の総合タイムで競います。

昨年行われた予選会で最後の11校目の切符をもぎ取ったのは日本大学で10時間16分17秒。一人平均では1時間1分37秒です。これは80年代の予選会なら十分優勝できるタイムです。つまり、80年代の箱根予選でトップ10の選手を同じ大学として、そのまま現代の予選会で走らせても到底本戦には進めないということで、隔世の感があります。当時は、一人平均1時間6分で走れば予選通過、参加校枠が増える5回ごとの記念大会なら1時間7〜8分で走れば予選通過でしたから、東京大学や慶応大学は、ここを狙って戦力を整え記念大会枠をほぼ毎回掴み取っていました。

1時間12分と1時間7分なら、個人ではなく駅伝チームとして考えると決して小さな差ではないとはいえ、既存の陸上部、長距離ブロックチームの枠組みの中でもいくらでも詰めようがあります。しかし、これが1時間6分と1時間1分になると同じ5分差でも、もはやまともな発想ではどうこうできる差ではありません。

私は鈍足でしたが、それでも箱根予選は100位前後で、私よりも遅いランナーも数えるほどでしたが箱根を走るのを正月のコタツの中で情けなく眺めていました。今も昔も箱根予選は約50校、650人が走りますが、当時の私が今の予選会を走れば400位台、私より遅いランナーが箱根を走るなんてことは絶対に起こりえません。



【関東インカレ1987のパンフレッットから:1部1万メートル】

この30年で、関東大学長距離のレベルが飛躍的に伸びたもう一つの指標に関東インカレの標準記録があります。1987年当時の1万メートルの標準記録は1部で29分47秒、2部で31分55秒でした。しっかし、瀬古利彦の27分台というのはこれは今見てもしびれますね。

この数字が2017年になるとどうなるかといえば1部で29分30秒、2部で29分30秒になります…。1部と2部の標準記録が同じわけがないだろ!?と思われるでしょうが、同じなんです。1部の標準記録はわずか17秒ハードルが上がっただけなのに、2部はなんとあろうことか2分25秒も跳ね上がっているのです。

20キロを走る箱根予選突破の目安のタイムが5分、関東インカレ2部1万メートルの標準記録が約2分30秒速くなっていること、これは偶然ではなく、必然の一致です。

1987年の関東インカレ2部1万メートルの大会記録は29分33秒、現在の標準記録を切れていないのです。今の日本の長距離界に何が起きているのか、箱根駅伝のレベルは異常なまでに飛躍したのにもかかわらず、どうして男子長距離、特にマラソンが悲惨なまでに凋落したのか。「箱根パラドックス」の原因の一端が、この摩訶不思議な数字に隠されています。

ちなみに80年代の大学スポーツでの箱根駅伝のポジションは今とは全く違います。六大学を筆頭にした大学野球の方がはるかにメジャーで、それ以上に早慶明を中核にしたラグビー対抗戦が最高の花形種目、テレビ視聴率も非常に高く、ちょうど今の箱根がオーバーラップします。箱根と同じく「全日本の大会ではない」「実業団の方がレベルは高い」にもかかわらずその人気は全国区で圧倒的なものでした。そして学生を含めた当時の日本ラグビーが「世界レベルでは箸にも棒にもかからない」という一点を振り返っても、今の長距離界と恐ろしいまでに酷似していました。

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マニー・パッキャオの次戦が誰とどこで戦うのか大揺れに揺れています。

当初、トップランク(TR)のボブ・アラムから発表されたのは豪州のブリスベーンで地元のジェフ・ホーンと初防衛戦を行うというものでした。「ジェフ・フェネックとアズマー・ネルソンの対決よりも大きなイベントになる。パッキャオの名前はこの二人よりもはるかにでかい」と、1992年にメルボルンに3万7000人を集めた剛腕対決を凌ぐ関心を呼ぶとホーンサイドは盛り上がっていたものの、パッキャオはツイッターで「何も決まっていない。ホーンのことも何も知らない」とこの発表を否定。

さらに「次はUAEで戦う。みんなは私に誰と戦って欲しい?」とファン投票を募ります。総数4万4815票の中で“当選”したのは48%とダントツの得票をマークしたアミール・カーン。以下、ケル・ブルック24%、テレンス・クロフォード21%でホーンは7%に終わりました。



かつては「誰とでも戦う」と言いながらも「次は誰になるかはプロモーターが決める」とアラムに一存していたパッキャオですが、両者の関係はかなり変質しているように見受けられます。聖人君子キャラに見られがちな(でもないですかね、世界的に非難された差別発言なんかもありましたし)パッキャオですが、トップランクとゴールデン・ボーイ・プロモーション(GBP)という2大プロモーションと二重契約を結んでいたこともあり、非常に打算的な面も持ち合わせています。

もちろん、パッキャオからしたら「俺たちは闘鶏のようなもの。戦えなくなれば捨てられるだけだが、俺たちだって間抜けじゃない、飼い主を利用する」ということでしょう。GBPを立ち上げたオスカー・デラホーヤもかつてはトップランク傘下で戦っていましたが、ファイトマネーの3分の1近くを手数料として“ピンハネ”されていたことに反発、「ボクサーに利益を還元する」ことを第一に掲げたGBPを起こしました。

同じような流れでフロイド・メイウェザーJrもアラムと袂を分かち、GBPと提携、自らもメイウェザープロモーションを設立しています。パッキャオとの「世紀の一戦」がなかなか実現しなかった原因の一つもメイウェザーとアラムの確執でした。

プロモーターが手数料を取り過ぎなのか、選手のわがままなのか。これは難しい問題です。一般的にはアラムが選手を搾取しているように見えますが、TRはまだ人気のない若い才能もたくさん抱えています。こうした選手がしっかりボクシングに集中出来るファイトマネーを支払わなければなりません。こうして第二、第三のデラホーヤやメイウェザーが育つのです。また、引退した選手が苦境に陥っている時に手を差し伸べることもあります。日本でもおなじみの元世界王者ヘナロ・エルナンデスが難病に苦しんでいた時に莫大な手術費を工面していたのはアラムでした。

ただ、本来はプロモーターの役目ではないのかもしれません。MLBやNFLには強力な選手会が存在して、引退後は豊潤な年金制度まで用意されています。統括団体も選手会も存在しないプロボクシングの世界では、著名な世界王者でも引退後に路頭に迷うことは珍しくありません。かつて胸躍らせ、大きな感動をもたらしてくれたボクサーがグローブを外した後に不遇の人生を歩んでいることを知るのは、本当にやるせなくなります。昨年、脳震盪の影響で苦しむNFLの選手がリーグに補償金を求めて認められた時に、脳震盪が健康に大きな害を及ぼす根拠の一つに長年蓄積されてきたボクシングの実態が挙げられました。NFLよりももっと以前からその影響が認められ、誰もが理解してきたにもかかわらず、ボクシングでは選手への補償など夢のまた夢の世界です。

「2%のボクサーが全体の98%の報酬を得る」と言うのは大袈裟にしても、光と闇のコントラストの鮮明さ、残酷さがボクシングの魅力の一つです。しかし、ボクシング界のあまりに前近代的なシステムが、その陰に潜んでいるのだとしたら断固是正しなければいけないのですが…。統括団体がないため、タイトルはいくつも存在するアルファベット団体が勝手に承認、興行はプロモーターが打つ、テレビは金のなるカードを求める…。少しずつでも、一歩ずつでも前進していくしかないのでしょう。

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