血と生い立ちと環境。
この3つが人柄を決める3つの要素だと、明石家さんまが大昔、よく話してました。コントやギャグの舞台ではなく、受験勉強の合間に聞いていた深夜ラジオでした。
アスリートの実力を決めるのもこの3つの要素と言えます。「血」は遺伝子、「生い立ち」はどういう育ち方をしたか、「環境」は練習内容。ケニアとエチオピアのトップランナーはほぼ例外なく弱肉強食のプロフェッショナルの「環境」で過酷な練習を繰り返し、母国の高地で生まれ幼い時から遠い遠い学校や井戸に走って往復する「生い立ち」を持ち、やはり同じような生活をしてきた両親からその「血」を受け継いでいます。
対して、日本マラソンの最高峰である実業団選手は、引退後もポストを約束されたサラリーマンとしての「環境」で、車社会とゲームや携帯電話に浸かりきった「生い立ち」、やはり同じような生活を送ってきた両親の「血」を受け継いでいます。
ケニアやエチオピアの高地民族でも標高の低い都心部に移住した人たち、その子供達からは優れたランナーが生まれていないことからも「血」は大きな問題ではなく、問題は「生い立ち」と「環境」です。そして、生い立ちですが、これも残念ながら変えようがありません。日本の子供達が車社会の中でゲームや携帯電話が身近にある部屋に引きこもった生活を送る傾向は、ますます強くなるでしょう。
つまり、2大国の超人たちを打ち負かすには「環境」(練習)しか残されていません。
公務員ランナー川内優輝や、青学監督の原晋が実業団ランナーに辛辣な言葉を浴びせていますが、これはもう仕方のないことです。実業団、特に男子は終身雇用で大企業に入ったサラリーマンなんです。90年代中頃にある取引先の企業との雑談の中で「女子マラソンブームに乗って我社でも女子陸上部を創設しようと思ったけど、予算オーバーで男子陸上部に鞍替えした」という話を聞きました。
なんとなく男子の方がお金がかかると思っていた私には意外なことでしたが、実は、男子と女子では女子の方がコストがかかるんです。前述のように男子は終身雇用が前提、つまり新入社員(の給料)からスタートします。しかし、女子は走れなくなったら指導者として残るほんの一部の人は別にして退社するのが普通です。そのため先払いの退職金として契約金が支払われることが多く、管理も一人部屋の寮などデリケートさが要求され、一人当たりに掛かる費用は男子よりも間違いなく多くなります。
実業団男子ランナーには大企業に所属するサラリーマンで「強くなってダイアモンドリーグやワールドマラソンメジャーズで賞金荒稼ぎして会社辞めたる!」なんて猛者はただの一人もいません。引退後の会社員としての生活も考えながら、会社が決めたスケジュールの国内大会を中心に粛々と走るサラリーマンそのものなんです。
終身雇用でない女子は短い競技人生で一花咲かせるぞ!という意識が強く、多くの独立心溢れる魅力的なランナーが生まれました。しかし、今、男子と同じく低迷、後退してしまっています。しかも男子とは事情が違い、エチオピアとケニアの攻勢が極めて脆弱で世界レベルも停滞といって良い状況にもかかわらず、です。なぜ、女子マラソンまで低迷してるかは、これはまた別の話としてどこかで書きます。
話があちこちに飛んで申しわけありません。本筋に戻ります。
前回、箱根駅伝の予選会と、関東の2部校のレベルが驚異的な成長を見せていることに触れました。この30年で、20キロレースで競う予選会突破のボーダーラインのタイムが約5分、その数字に綺麗に呼応して関東インカレ2部1万メートルの標準記録が約2分30秒も跳ね上がっているのです。
日本で最も視聴率を稼ぐスポーツイベント、箱根駅伝の人気を今更説明する必要はないでしょう。箱根を走ることは大学、特に知名度の低い大学にとっては関東はおろか全国に鮮烈に名前を売ることが出来る絶好の舞台です。そうした大学が箱根駅伝出場に投資を集中、長距離だけが傑出して強い新興大学が続々と箱根本戦を勝ち取っていきます。箱根人気は、留学生という名の助っ人をケニアやエチオピアから招くことも常態化させています。そして陸上競技全般に力を入れる名門の存在感が薄れていく中、関東学連は「インカレポイント」や「外国人制限」という悪法を打ち出します。
競技レベルが向上することは、スポーツにとっては絶対的な善です。日本人選手を保護するために外国人の出場人数を制限する、陸上競技全般に力を入れている大学の箱根予選のタイムからインカレポイントを引いて保護する、いずれもスポーツの本質を汚す暗愚な行為でした。同じことは高校駅伝にも実業団駅伝にも言えます。
新興大学による強烈な底上げがもたらした急激なレベルアップと、卓越した走力を持つ留学生ランナーの招聘。その反動としてインカレポイント導入や外国人ランナーを制限する、保護政策が進みます。保護される側が進歩しないのは当たり前です。これが、関東インカレ1万メートルの標準記録で1部が30年前とほとんど変わらないのに、2部が約2分30秒も上がって1部のタイムと同じになるというネジレを生み出しました。もっと分かりやすく言うと、箱根予選の突破タイムと2部校のレベルは飛躍的に上昇している一方で、学生トップ、ひいては日本のトップの実力は喜劇的なまでに伸び悩んでいるということです。
これが、箱根パラドックスの正体です。かつて「大砲」と表現された1万メートル28分台のランナーは、今では本戦で上位を狙う大学なら何人も抱えるライフルに過ぎません。しかし、27分台のランナーは今も昔も稀有な存在のまま、新たな世界基準となった26分台の扉に至っては、日本人はこじ開けるどころか、誰もノックすらできていないのが現状です。
1920年、約100年前に「世界で通用するランナーを育てる」という理念のもとに始まった箱根駅伝は皮肉にも、世界から目を背け「箱根で勝つことを究極のゴールとするランナーたち」を量産する大会へと変質してしまいました。
箱根を走る大学生はもちろん、実業団の選手たちには一片の責任もありません。彼らには目の前のレースを全力疾走するしか出来ません。
宗兄弟や瀬古利彦の時代は恵まれていました。全ての風景が新鮮な時代でした。練習はもちろんレースでも給水をこまめに取ることはしません、そんなことしたら体が重くなると考えられていたからです。そういえば私が走っていた80年代後半の箱根駅伝の予選会は、汗を拭くための水を含ませたスポンジがテーブルに用意されているだけで、給水はありませんでした。
ベルリン五輪を走った伝説的なエピソードで知られる中村清コーチは、無尽蔵の体力を誇るロバート・ド・キャステラを「ステーキの上にチーズを乗せたようなスタミナ」と評しましたが、今ならさしづめ「パスタに餅を絡めた」の方が正しい表現ですね。そんな中村も瀬古が初マラソンに挑む前には餅を毎食後(食事としてでは無く、食後のダメ押し的に)3個以上食べさせ、レースでは体が重くて走れなかったというから、何を食べるかも試行錯誤だったのでしょう。
宗茂が1978年別大で2時間9分5秒の世界歴代2位の記録を打ち立てた時、今ではありえない嘘のような話ですが一度も給水を取らずに!終盤失速してしまったのです。みんな試行錯誤で、のたうち回りながら、練習方法を模索し、確立して行く時代でした。そして、その目は常に世界をしっかりと見据えていました。
最も恵まれていたことは世界がすぐそこに見えていたことです。今とは真逆で、クレイトンが1969年に2時間8分33秒の大記録を出してから世界の方が停滞していたのです。世界は彼らが手を伸ばせばすぐ届くところで、じっと動かずに待っていてくれていたのです。そして、宗茂が狼煙を上げてから、日本人が次々と世界にチャージして行く姿を目撃するのですから「俺にも出来る!」「次は俺だ!」と奮い立たない方がおかしい状況です。
今の選手たちの記録が10年以上も低迷・後退している原因には、指導者の力不足も挙げられます。宗兄弟も瀬古も、そして最後の日本記録保持者、高岡も、女子でも高橋尚子や野口みずきもマラソン日本の現状を「今の選手は練習量が絶対的に足りない」と言い切っています。まともなやり方で世界に勝てないのは明らかで、「血」と「生い立ち」ですでに負けている以上、「環境」(練習)で上回るしか勝つ方法は残されていません。どうして、練習させられないのか?
前回、今の箱根駅伝と、ちょうどマラソン全盛期だった80年代の関東対抗戦グループのラグビーは恐ろしいほどよく似ていると指摘しました。日本マラソン全盛期に、ラグビーは人気だけあって世界では全く通用しなかったのに、本当に短い期間で立場が逆転しました。科学的な練習方法の導入や、外国人選手の積極的登用、ラグビーワールドカップ日本開催を控えてこうした強化策が打ち出され、大きなテコ入れが成功した形ですが、具体的には世界一の練習量を代表選手たちに実践させたことでした。
エディ・ジョーンズが初めて代表選手を見た時、全員が「自分たちは弱い」という思いに強烈に囚われてしまっていることに怒り狂ったといいます。死ぬほど練習してから言うなら分かるが、何もしてないくせに「自分たちは弱い」?どこまで腐ってるんだ?
「普通なら絶対に故障するという量と質だった」と口をそろえる狂気の練習量を選手たちが受け入れた理由は、単純なことでした。この練習を成し遂げれば、世界に通用するという確信です。合宿期には1日5回、深夜にも及ぶ練習に文句も言わずに食らいついたのは、この先に必ず世界があるという約束を信じることができたからです。「絶対に故障すると思ったがやり遂げた。今まではやる前から故障すると決めていた」。もちろん、そこにはジョーンズという世界最高のコーチの言葉が担保されていました。「世界で一番苦しい練習した君たちは負けてはいけない」。優れたモチベーターでもあるジョーンズでなければ、選手たちは反発したでしょう。
今のマラソン選手は練習量が足りない。栄光の時代を彩った元スター選手の言葉はマラソンというタイム競技では空虚に聞こえます。「そんな時代遅れの練習したら故障するし、その練習で出したあなた達のタイムも今では全く通用しない。それにあなた達のタイムなら故障しない、もっと楽な方法で出せるし、今の自分たちがやってるのはそういうこと」。指導者たちの言葉が信じられないのは現役選手だけの責任ではありません。指導者の言葉の問題も大きいはずです。ジョーンズのようなモチベーターを探すのは並大抵のことではありませんが、再び世界へ浮上するには、その言葉が約束手形に感じられる指導者の情熱が不可欠です。
日本のランナーたちも「日本人1位」と口にしながらも、世界が約束されるかもしれないと思ったら、どんなに苦しい練習でもついていく覚悟はあるでしょう。アスリートである限り、ヨーイドンから優勝を諦めて、どんどん離れる先頭グループを見ながら同じ日本人との醜い勝負に沈んでいく、毎回毎回そんなレースを繰り返すことに、心の底では嫌悪が渦巻いているはずです。そんなアスリートとして最大の屈辱を当たり前に受け入れてしまっては絶対にいけません。スタートから勝負を棄権する、あんな屈辱に慣れてしまっては絶対にいけないんです。
1983年の東京国際でジュマ・イカンガーを抑え、ロドルフォ・ゴメスを競り落とした瀬古の走りには、マラソンの枠を超えてスポーツの面白さが全て詰まっていました。2000年のシドニーでリディア・シモンとの一騎打ちを制した高橋尚子はマラソン日本の悲願をついに果たしました。
しかし、今の日本に最も必要なものを見せてくれているレースは2004年アテネの野口みずきです。彼女は1983年の瀬古、2000年の高橋のような絶対王者ではありませんでした。実際に2003年世界陸上ではケニアのキャサリン・ヌデレバに力負け、さらに2時間15分25秒の今なお傑出した世界記録を打ち立てたポーラ・ラドクリフという魔女までがアテネのスタートラインに並んだのですから、日本のエースとはいえメダルが取れたらもうけもの、みたいな状況です。30度を超える灼熱の中を先頭集団がハーフポイントを超え、サバイバルレースが予想された25キロ、あろうことか野口はロングスパートを仕掛けます。誰もが「早すぎる!あまりにも仕掛けが早すぎる!」と危ぶみました。
結果はご存知の通りです。
あの時、みんなメダルを期待していました。バルセロナから続く女子マラソンメダルのリレーをつないで欲しい、3位に入って欲しい、みんながそう願っていました。そう考えていなかったのは、ただ一人、野口みずきだけでした。金メダル以外は要らない。25キロ地点で鬼気迫るスパートを仕掛けたあの時、彼女は間違いなくそう雄叫びをあげていました。金メダルしか要らない、と。
あのままレースが進めば、地力とスピードで勝るラドクリフやヌデレバらの詰め将棋になるのは目に見えていました。野口が勝つには、どこかでしかも早いタイミングで、優勝候補たちが静かに大切に駒を並べてきた将棋台を一気にひっくり返す必要があったのです。野口みずきはあの時、確かに勇気の橋を渡りました。
あの時の野口の勇気と勝負根性は、今の日本マラソンで最も欠落したものです。今のランナーはみんな「自分たちは弱い」と世界を前に恐れおののき、萎縮した走りしかできていません。
ロスアンゼルス五輪のカール・ルイスの優勝タイムが10秒00。今のウサイン・ボルトと同様、当時の「カール・ルイス」は日本人とは持って生まれた才能が違いすぎて触れることもできない存在の象徴でした。当時の日本のスポーツファンはわずか15年後に日本人がその記録に並ぶなんてことは夢想だにしなかったでしょう。
「日本人がルイスに勝つなんて永遠に不可能」という当時の確信は実体のない幻想に過ぎず、競技の進歩を遅らせる足枷でしかありませんでした。100メートルと比べて競技人口や成熟度で劣ると見られるマラソンでは、日本人が世界に追いつく余地はもっと残されているはずです。日本人も2時間2分台、いいえ、2時間を斬って走る未来が間違いなく必ず来ます。問題はその未来までの時間をいかにして短縮するかです。記録を伸ばすということは、未来を手繰り寄せる作業なんです。
もし、確実にあるその未来を見ようともせずに、自分の足元だけしか見ずに「日本人は2時間6分あたりが限界」と諦めて、トップランナーが「日本人1位が目標」と念仏のように唱えていては10年後に来るべき未来も20年後、30年後へ逃げてしまうでょう。実際にもう15年近くも一歩も前に進めていないのです。このままでは100年後も「2時間9分台で日本人1位」なんてコントみたいなことをやっていても不思議ではありません。勇気と信念を持つことです。日本人は2時間6分が関の山、未来なんて無いと諦めるならそこで終わりです。
諦めた時に挑戦は終わります。そして、挑戦しないのであればアスリートではありません。
この3つが人柄を決める3つの要素だと、明石家さんまが大昔、よく話してました。コントやギャグの舞台ではなく、受験勉強の合間に聞いていた深夜ラジオでした。
アスリートの実力を決めるのもこの3つの要素と言えます。「血」は遺伝子、「生い立ち」はどういう育ち方をしたか、「環境」は練習内容。ケニアとエチオピアのトップランナーはほぼ例外なく弱肉強食のプロフェッショナルの「環境」で過酷な練習を繰り返し、母国の高地で生まれ幼い時から遠い遠い学校や井戸に走って往復する「生い立ち」を持ち、やはり同じような生活をしてきた両親からその「血」を受け継いでいます。
対して、日本マラソンの最高峰である実業団選手は、引退後もポストを約束されたサラリーマンとしての「環境」で、車社会とゲームや携帯電話に浸かりきった「生い立ち」、やはり同じような生活を送ってきた両親の「血」を受け継いでいます。
ケニアやエチオピアの高地民族でも標高の低い都心部に移住した人たち、その子供達からは優れたランナーが生まれていないことからも「血」は大きな問題ではなく、問題は「生い立ち」と「環境」です。そして、生い立ちですが、これも残念ながら変えようがありません。日本の子供達が車社会の中でゲームや携帯電話が身近にある部屋に引きこもった生活を送る傾向は、ますます強くなるでしょう。
つまり、2大国の超人たちを打ち負かすには「環境」(練習)しか残されていません。
公務員ランナー川内優輝や、青学監督の原晋が実業団ランナーに辛辣な言葉を浴びせていますが、これはもう仕方のないことです。実業団、特に男子は終身雇用で大企業に入ったサラリーマンなんです。90年代中頃にある取引先の企業との雑談の中で「女子マラソンブームに乗って我社でも女子陸上部を創設しようと思ったけど、予算オーバーで男子陸上部に鞍替えした」という話を聞きました。
なんとなく男子の方がお金がかかると思っていた私には意外なことでしたが、実は、男子と女子では女子の方がコストがかかるんです。前述のように男子は終身雇用が前提、つまり新入社員(の給料)からスタートします。しかし、女子は走れなくなったら指導者として残るほんの一部の人は別にして退社するのが普通です。そのため先払いの退職金として契約金が支払われることが多く、管理も一人部屋の寮などデリケートさが要求され、一人当たりに掛かる費用は男子よりも間違いなく多くなります。
実業団男子ランナーには大企業に所属するサラリーマンで「強くなってダイアモンドリーグやワールドマラソンメジャーズで賞金荒稼ぎして会社辞めたる!」なんて猛者はただの一人もいません。引退後の会社員としての生活も考えながら、会社が決めたスケジュールの国内大会を中心に粛々と走るサラリーマンそのものなんです。
終身雇用でない女子は短い競技人生で一花咲かせるぞ!という意識が強く、多くの独立心溢れる魅力的なランナーが生まれました。しかし、今、男子と同じく低迷、後退してしまっています。しかも男子とは事情が違い、エチオピアとケニアの攻勢が極めて脆弱で世界レベルも停滞といって良い状況にもかかわらず、です。なぜ、女子マラソンまで低迷してるかは、これはまた別の話としてどこかで書きます。
話があちこちに飛んで申しわけありません。本筋に戻ります。
前回、箱根駅伝の予選会と、関東の2部校のレベルが驚異的な成長を見せていることに触れました。この30年で、20キロレースで競う予選会突破のボーダーラインのタイムが約5分、その数字に綺麗に呼応して関東インカレ2部1万メートルの標準記録が約2分30秒も跳ね上がっているのです。
日本で最も視聴率を稼ぐスポーツイベント、箱根駅伝の人気を今更説明する必要はないでしょう。箱根を走ることは大学、特に知名度の低い大学にとっては関東はおろか全国に鮮烈に名前を売ることが出来る絶好の舞台です。そうした大学が箱根駅伝出場に投資を集中、長距離だけが傑出して強い新興大学が続々と箱根本戦を勝ち取っていきます。箱根人気は、留学生という名の助っ人をケニアやエチオピアから招くことも常態化させています。そして陸上競技全般に力を入れる名門の存在感が薄れていく中、関東学連は「インカレポイント」や「外国人制限」という悪法を打ち出します。
競技レベルが向上することは、スポーツにとっては絶対的な善です。日本人選手を保護するために外国人の出場人数を制限する、陸上競技全般に力を入れている大学の箱根予選のタイムからインカレポイントを引いて保護する、いずれもスポーツの本質を汚す暗愚な行為でした。同じことは高校駅伝にも実業団駅伝にも言えます。
新興大学による強烈な底上げがもたらした急激なレベルアップと、卓越した走力を持つ留学生ランナーの招聘。その反動としてインカレポイント導入や外国人ランナーを制限する、保護政策が進みます。保護される側が進歩しないのは当たり前です。これが、関東インカレ1万メートルの標準記録で1部が30年前とほとんど変わらないのに、2部が約2分30秒も上がって1部のタイムと同じになるというネジレを生み出しました。もっと分かりやすく言うと、箱根予選の突破タイムと2部校のレベルは飛躍的に上昇している一方で、学生トップ、ひいては日本のトップの実力は喜劇的なまでに伸び悩んでいるということです。
これが、箱根パラドックスの正体です。かつて「大砲」と表現された1万メートル28分台のランナーは、今では本戦で上位を狙う大学なら何人も抱えるライフルに過ぎません。しかし、27分台のランナーは今も昔も稀有な存在のまま、新たな世界基準となった26分台の扉に至っては、日本人はこじ開けるどころか、誰もノックすらできていないのが現状です。
1920年、約100年前に「世界で通用するランナーを育てる」という理念のもとに始まった箱根駅伝は皮肉にも、世界から目を背け「箱根で勝つことを究極のゴールとするランナーたち」を量産する大会へと変質してしまいました。
箱根を走る大学生はもちろん、実業団の選手たちには一片の責任もありません。彼らには目の前のレースを全力疾走するしか出来ません。
宗兄弟や瀬古利彦の時代は恵まれていました。全ての風景が新鮮な時代でした。練習はもちろんレースでも給水をこまめに取ることはしません、そんなことしたら体が重くなると考えられていたからです。そういえば私が走っていた80年代後半の箱根駅伝の予選会は、汗を拭くための水を含ませたスポンジがテーブルに用意されているだけで、給水はありませんでした。
ベルリン五輪を走った伝説的なエピソードで知られる中村清コーチは、無尽蔵の体力を誇るロバート・ド・キャステラを「ステーキの上にチーズを乗せたようなスタミナ」と評しましたが、今ならさしづめ「パスタに餅を絡めた」の方が正しい表現ですね。そんな中村も瀬古が初マラソンに挑む前には餅を毎食後(食事としてでは無く、食後のダメ押し的に)3個以上食べさせ、レースでは体が重くて走れなかったというから、何を食べるかも試行錯誤だったのでしょう。
宗茂が1978年別大で2時間9分5秒の世界歴代2位の記録を打ち立てた時、今ではありえない嘘のような話ですが一度も給水を取らずに!終盤失速してしまったのです。みんな試行錯誤で、のたうち回りながら、練習方法を模索し、確立して行く時代でした。そして、その目は常に世界をしっかりと見据えていました。
最も恵まれていたことは世界がすぐそこに見えていたことです。今とは真逆で、クレイトンが1969年に2時間8分33秒の大記録を出してから世界の方が停滞していたのです。世界は彼らが手を伸ばせばすぐ届くところで、じっと動かずに待っていてくれていたのです。そして、宗茂が狼煙を上げてから、日本人が次々と世界にチャージして行く姿を目撃するのですから「俺にも出来る!」「次は俺だ!」と奮い立たない方がおかしい状況です。
今の選手たちの記録が10年以上も低迷・後退している原因には、指導者の力不足も挙げられます。宗兄弟も瀬古も、そして最後の日本記録保持者、高岡も、女子でも高橋尚子や野口みずきもマラソン日本の現状を「今の選手は練習量が絶対的に足りない」と言い切っています。まともなやり方で世界に勝てないのは明らかで、「血」と「生い立ち」ですでに負けている以上、「環境」(練習)で上回るしか勝つ方法は残されていません。どうして、練習させられないのか?
前回、今の箱根駅伝と、ちょうどマラソン全盛期だった80年代の関東対抗戦グループのラグビーは恐ろしいほどよく似ていると指摘しました。日本マラソン全盛期に、ラグビーは人気だけあって世界では全く通用しなかったのに、本当に短い期間で立場が逆転しました。科学的な練習方法の導入や、外国人選手の積極的登用、ラグビーワールドカップ日本開催を控えてこうした強化策が打ち出され、大きなテコ入れが成功した形ですが、具体的には世界一の練習量を代表選手たちに実践させたことでした。
エディ・ジョーンズが初めて代表選手を見た時、全員が「自分たちは弱い」という思いに強烈に囚われてしまっていることに怒り狂ったといいます。死ぬほど練習してから言うなら分かるが、何もしてないくせに「自分たちは弱い」?どこまで腐ってるんだ?
「普通なら絶対に故障するという量と質だった」と口をそろえる狂気の練習量を選手たちが受け入れた理由は、単純なことでした。この練習を成し遂げれば、世界に通用するという確信です。合宿期には1日5回、深夜にも及ぶ練習に文句も言わずに食らいついたのは、この先に必ず世界があるという約束を信じることができたからです。「絶対に故障すると思ったがやり遂げた。今まではやる前から故障すると決めていた」。もちろん、そこにはジョーンズという世界最高のコーチの言葉が担保されていました。「世界で一番苦しい練習した君たちは負けてはいけない」。優れたモチベーターでもあるジョーンズでなければ、選手たちは反発したでしょう。
今のマラソン選手は練習量が足りない。栄光の時代を彩った元スター選手の言葉はマラソンというタイム競技では空虚に聞こえます。「そんな時代遅れの練習したら故障するし、その練習で出したあなた達のタイムも今では全く通用しない。それにあなた達のタイムなら故障しない、もっと楽な方法で出せるし、今の自分たちがやってるのはそういうこと」。指導者たちの言葉が信じられないのは現役選手だけの責任ではありません。指導者の言葉の問題も大きいはずです。ジョーンズのようなモチベーターを探すのは並大抵のことではありませんが、再び世界へ浮上するには、その言葉が約束手形に感じられる指導者の情熱が不可欠です。
日本のランナーたちも「日本人1位」と口にしながらも、世界が約束されるかもしれないと思ったら、どんなに苦しい練習でもついていく覚悟はあるでしょう。アスリートである限り、ヨーイドンから優勝を諦めて、どんどん離れる先頭グループを見ながら同じ日本人との醜い勝負に沈んでいく、毎回毎回そんなレースを繰り返すことに、心の底では嫌悪が渦巻いているはずです。そんなアスリートとして最大の屈辱を当たり前に受け入れてしまっては絶対にいけません。スタートから勝負を棄権する、あんな屈辱に慣れてしまっては絶対にいけないんです。
1983年の東京国際でジュマ・イカンガーを抑え、ロドルフォ・ゴメスを競り落とした瀬古の走りには、マラソンの枠を超えてスポーツの面白さが全て詰まっていました。2000年のシドニーでリディア・シモンとの一騎打ちを制した高橋尚子はマラソン日本の悲願をついに果たしました。
しかし、今の日本に最も必要なものを見せてくれているレースは2004年アテネの野口みずきです。彼女は1983年の瀬古、2000年の高橋のような絶対王者ではありませんでした。実際に2003年世界陸上ではケニアのキャサリン・ヌデレバに力負け、さらに2時間15分25秒の今なお傑出した世界記録を打ち立てたポーラ・ラドクリフという魔女までがアテネのスタートラインに並んだのですから、日本のエースとはいえメダルが取れたらもうけもの、みたいな状況です。30度を超える灼熱の中を先頭集団がハーフポイントを超え、サバイバルレースが予想された25キロ、あろうことか野口はロングスパートを仕掛けます。誰もが「早すぎる!あまりにも仕掛けが早すぎる!」と危ぶみました。
結果はご存知の通りです。
あの時、みんなメダルを期待していました。バルセロナから続く女子マラソンメダルのリレーをつないで欲しい、3位に入って欲しい、みんながそう願っていました。そう考えていなかったのは、ただ一人、野口みずきだけでした。金メダル以外は要らない。25キロ地点で鬼気迫るスパートを仕掛けたあの時、彼女は間違いなくそう雄叫びをあげていました。金メダルしか要らない、と。
あのままレースが進めば、地力とスピードで勝るラドクリフやヌデレバらの詰め将棋になるのは目に見えていました。野口が勝つには、どこかでしかも早いタイミングで、優勝候補たちが静かに大切に駒を並べてきた将棋台を一気にひっくり返す必要があったのです。野口みずきはあの時、確かに勇気の橋を渡りました。
あの時の野口の勇気と勝負根性は、今の日本マラソンで最も欠落したものです。今のランナーはみんな「自分たちは弱い」と世界を前に恐れおののき、萎縮した走りしかできていません。
ロスアンゼルス五輪のカール・ルイスの優勝タイムが10秒00。今のウサイン・ボルトと同様、当時の「カール・ルイス」は日本人とは持って生まれた才能が違いすぎて触れることもできない存在の象徴でした。当時の日本のスポーツファンはわずか15年後に日本人がその記録に並ぶなんてことは夢想だにしなかったでしょう。
「日本人がルイスに勝つなんて永遠に不可能」という当時の確信は実体のない幻想に過ぎず、競技の進歩を遅らせる足枷でしかありませんでした。100メートルと比べて競技人口や成熟度で劣ると見られるマラソンでは、日本人が世界に追いつく余地はもっと残されているはずです。日本人も2時間2分台、いいえ、2時間を斬って走る未来が間違いなく必ず来ます。問題はその未来までの時間をいかにして短縮するかです。記録を伸ばすということは、未来を手繰り寄せる作業なんです。
もし、確実にあるその未来を見ようともせずに、自分の足元だけしか見ずに「日本人は2時間6分あたりが限界」と諦めて、トップランナーが「日本人1位が目標」と念仏のように唱えていては10年後に来るべき未来も20年後、30年後へ逃げてしまうでょう。実際にもう15年近くも一歩も前に進めていないのです。このままでは100年後も「2時間9分台で日本人1位」なんてコントみたいなことをやっていても不思議ではありません。勇気と信念を持つことです。日本人は2時間6分が関の山、未来なんて無いと諦めるならそこで終わりです。
諦めた時に挑戦は終わります。そして、挑戦しないのであればアスリートではありません。
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