ボクシングの世界王者のステイタスは時代とともに低下、今では数だけなら過去最高の王者を抱えながら、その名前は一般の人にはほとんど知られていないのが現状です。
60年代、ファイティング原田の名前は長嶋茂雄を凌駕する重さを持っていました。巨人大鵬卵焼きの時代のテレビ視聴率で原田は巨人戦をはるかに上回る数字を叩き出していたのですから、それも当然でした。
この傾向は具志堅用高の70年代まで何とか続きますが、世界戦ですらテレビで放映されないことがある今日では考えられません。
世界戦があった翌日の学校の教室で男の子を中心にその話題で持ちきりだった時代は、今や遥かに遠い昔です。山中慎介や井上尚弥を知っている子供や主婦がどれだけいるでしょうか?
もちろん、観戦スポーツが相撲と野球、ボクシングしかなかった時代と同じように語るのは不公平です。
事実上の国技・野球にしても60年代の長嶋茂雄と、現在のイチローや大谷翔平の存在では前者の方が比べようもなく巨大であったことは仕方がありません。一元的な価値観で測れる幸せな時代は、とっくの昔に終わっているのですから。
しかし、プロ野球がその出発点、原点である「アメリカ野球に追いつく」という素晴らしい理想に限りなく近づいている一方で、プロボクシングの世界は世界的な趨勢で日本だけの問題ではないとはいえ、階級と王者の粗製濫造によって自らの価値を貶めてしまっています。
日本人がメジャーリーグやオリンピックで大きなタイトルを獲れば号外、ニュース速報ものですが、ボクシング界では何を成し遂げたら号外が出るのか全く見えてきません。
錦織圭が4大大会で優勝したらもちろんですが、陸上100mで9秒台の日本記録が出てもニュース速報が流れるでしょう。ボクシングで世界王者が誕生してニュース速報のテロップが走るなんて、まず考えられないですね、世界王者なのに。
ボクシングのことをよく知らない人でも、スポーツファンなら皮膚感覚で「ボクシングの世界王者は他のスポーツの『世界王者』と同義語でない」という真実がわかっているのかもしれません。
多くのスポーツファンは「世界」と名のつくスポーツは世界で戦うものだと思い込んでいますが、ボクシングの世界王者はそれに全く当てはまらないということも、大きな違和感を感じられているはずです。
この10年ほどの短い期間で長谷川穂積、内山高志、山中と二桁防衛を重ねる「世界王者」が乱造されましたが、3人合わせると40近い世界戦は一つの例外もなく国内で実施されました。
ボクシングの世界王者がドメスティックに傾く最大の理由が経済面にあることは、前回お話ししました。
世界の軽量級ボクシングは日本がメッカです。ほんの一部のヒスパニックの人気選手や、空前のブームを迎えている英国のスター選手を除けば、世界中の軽量級ボクサーにとって最も稼げる場所は日本なんです。
もちろん、ヒスパニックの人気選手が待ち構えるアメリカや、熱狂的なサポーターがひしめく英国の敵地リングに、蛮勇の剣を振り回して乗り込むのはカッコイイです。
しかし、報酬を含めて条件は劣悪です。超ハイリスクなのに超ローリターン。ファン目線では栄光こそがリターンだ!と無責任に叫ぶこともできますが、ジムの経営者目線では大切に育てた選手にそんな危険な橋を渡らせるわけには絶対にいきません。
ビッグイフですが、ボクシングがフライ、バンタム、フェザー、ライト、ウエルター、ミドル、ライトヘビー、ヘビーの8階級しかなく、ガン細胞のように増殖する承認団体ではなく、しっかりとしたたった一つの統括団体が存在していれば、話は単純です。
世界王者になるには8人のチャンピオンの誰かを倒す以外に方法がないのですから。
47kgがベスト体重のボクサーなんてほとんどいません、ミニマム級があるから落とすんです。
危険な相手がフェザー級王者に君臨していれば、スーパーバンタム級で世界戦を模索するのは当然です。
ライト級が人気選手がひしめいて世界戦をやる経済力がないなら、スーパーフェザーで可能性を見つけるしかありません。
本物の世界王者になりたくないボクサーなんて一人もいません、WBAやらWBCやらIBFやらWBOやらいろんなのがあるから、とりあえずチャンスがあるものに飛びつくんです。
ボクシングの世界王者の権威が失墜した最大の原因は、構造的なものです。8階級しかなければ「日本人世界王者は過去最多の12人」なんて意味不明のバーゲンセールみたいなことは起きません。
近い将来「日本人世界王者が15人、20人」という時代が訪れても驚きはありませんし、向こう10年でまた二桁防衛に成功して具志堅の記録に迫るボクサーが何人も現れても不思議ではない環境ですから、世界王者のステイタスが今以上に失墜することはあっても、見直されることはないでしょう。
軽量級でアメリカ進出するのはナンセンスと書きました。しかし、それは経済面で圧倒的なアドバンテージを持つ現代の軽量級日本人ボクサーに限ったことです。
世界王者でも大卒サラリーマンの半年分の給料で高額の部類に入る報酬しかないアジアの軽量級にとっては、世界戦ともなれば1万ドル以上のファイトマネーが期待出来るアメリカのリングはやはり夢の舞台です。
ドルがまだ強かった時代、日本人にとってもアメリカのリングはそれなりの魅力がありましたし、競札、興行の駆け引きの果てにアメリカで世界戦のリングに立った日本人ファイターも少なくありません。
日本の戦後も含めてアジアはアメリカの植民地、占領下においてこのスポーツが育まれてきました。アメリカのリングで世界王者を倒すことの意味は、下剋上の陶酔を耽溺できるこれ以上ない快感でもありました。
最初にアメリカのリングにクサビを打ち込んだのはフィリピンのパンチョ・ビラ。王者のジミー・ワイルドはフライ級史上最強のパンチャーとも評されてますが、現役王者なのになぜか2年以上も試合せずに故郷ウェールズで隠遁していたのですから、まあのどかな時代です。
今なら名誉王者になって暫定、休養などいろんな王者が乱立してるでしょう。ビラは、これも考えられない強打者でスパーリングパートナーが逃げ出し、ヘビー級選手と普通にスパーしてたというのですから嘘みたいな話です。1923年ニューヨークのポロスタジアムで行われた決戦はビラの7回KO勝ち。
フィリピン人が続きます。1940年ロスアンゼルスのギルモアスタジアムであのヘンリー・アームストロングの4階級制覇を阻んだのはミドル級王者セフェリノ・ガルシア。この時、4階級制覇に成功していたら、シュガー・レイ・ロビンソンは不動のPFPキングではなかったかもしれません。
その後も、多くの同胞の屍を乗り越えてフラッシュ・エロルデや、ローランド・パスクワらが外弁慶のフィリピン人の系譜を紡いでいきます。悲惨なまでに貧しい国を捨て、故郷から脱出するしか豊かになる方法がない彼らが命がけで走り続けた地獄の一本道の終着駅にフィリピン人のマニー・パッキャオが辿り着くのは、ある意味必然だったのかもしれません。故郷を振り返る余裕や感傷のある日本人には、彼らが見た殺伐とした荒野を見ることは永遠にないのでしょうし、その必要もありません。
それでも故郷に軸足を置きながらアメリカで快挙を達成する日本人も現れました。1970年ビセンテ・サルディバルをティファナで撃破してフェザー級王者となった柴田国明は、その後何人ものボクサーがその名をミドルネームにつけるほどのインパクトをかの地に残しました。
1968年にフェザー級王者ラウル・ロハスをロサンゼルスで倒した西城正三は時代を代表するスポーツ選手となり、彼を表したシンデレラボーイは流行語にもなったほどです。
1980年にはデトロイトから衝撃的な吉報が届きます。上原康恒がサムエル・セラノをKOしてジュニアライト級王者に。
1981年のロチェスターでは三原正がロッキー・フラットを接戦の攻略、ジュニアミドル級のタイトルをもぎ取ります。
92年にはアメリカではありませんが、メキシコシチーの闘牛場で平仲明信がエドウィン・ロサリオに暴風雨のように襲いかかりジュニアウエルター級のタイトルをKO奪取。
こうして見ると、アメリカでの金星はフェザー以上の階級で日本国内に試合を引っ張るのが難しいという背景があったのかもしれません。
今後もこの単発タイプの海外での金星は上がるでしょう。
ただ、軽量級でアメリカに受け入れられて、ベガスの大会場で堂々のメインを張るのは日本人では非常に難しい、まず不可能と断言して差し支えありません。
その意味ではミドル級の村田諒太には大きな可能性があります。亀海善寛も今のステージから最短で2連勝したらビッグネームとの世界戦が大会場のメインイベントで用意されても不思議ではありません。
ただ、軽量級と国内の試合にしがみついて防衛回数を伸ばすことだけに注力する選手のニーズはアメリカにはヒトカケラもありません。
これは嫌味でもなんでもなく、軽量級で「ベガス」と口にすることのナンセンスさへの警句です。
軽量級なら日本でビッグファイトが出来るはずです。どんなに才能のあるボクサーでも、世界10傑の実力があるかどうか極めて怪しい相手と防衛戦を重ねていてはその心も刀も錆びつきます。
「怪しい相手といたずらに防衛戦を重ねることが最も効率的に金が稼げる」という図式が出来上がっている現状では考えられないことかもしれませんが、国内でビッグファイトを盛り上げる土壌を作ることです。怪しい相手と5回防衛するくらいの報酬が稼げる場を創造することです。
怪しい相手と世界戦が出来る環境が、ボクシングの世界王者の価値を貶めている元凶です。
ボクシングの世界は統括団体がない以上、本当の世界王者は決まりません。最強と言っても「推定最強」でしかありません。
一般のスポーツファンは白黒はっきりつくからスポーツが好きなんです。
ベスト4止まりで世界王者を決めて、準決勝も決勝も永遠に行われないどころか、それぞれの団体が恣意的に決めた世界ランカー、つまり王者だけじゃなく世界1位、2位も複数いるという冗談みたいな世界で防衛戦を繰り返す茶番は通用しません。
ボクシングは原始的なスポーツゆえに、一般のスポーツファンにも潜在的な関心はあります。
亀田騒動はボクシング界の健全な発展とは遠い野次馬が群がるようなものでしたが、その証拠です。
ボクシングをよく知らないスポーツファンでも納得出来る、興味がそそられるカードをビッグファイトとして提供していくしか、ボクシングの地位回復の手段はありません。
そんなカードがあるのか?いくらでもあります。ローマン・ゴンザレスは井上尚弥だけじゃなく、山中も井岡も絡めるでしょう。
これまででも辰吉丈一郎と鬼塚勝也、長谷川穂積と西岡利晃らがこぶしを交えていたら、日本ボクシングの風景は違ったものになっていたでしょう。残念ながらジムのエース同士はぶつけないという暗黙のルールがこの国には存在します。
ボクシングに否定的な環境の英国がどうしてあそこまで成功しているのか。
ボクシングの試合でどうしてエド・シーラン並みにウエンブリーの大スタジアムをフルハウス出来るのか。同国のライバル対決を積極的に進めたからです。日本はそれを「星の潰し合いで互いに損をする」と嫌いますが、大間違いです。
より多くのファンを引きつける、より強烈な輝きを放つ星が新たに生まれるのですから。
日本のファンは50:50の日本人同士の世界戦は諦めてしまって、階級が近くてもスター選手の激突を求めません。
ジムが大切に育てた選手を劣悪な条件のベガスで戦わせるのは無意味です。
では、高い注目度が集まる(つまりそれが報酬にも反映される)他のジムのスター選手との激突を避ける理由は何なのでしょうか。
ボクシングの1敗は野球やサッカーの1敗とは重さの次元が違います。野球で不本意なシーズンを送った投手が翌年復活して15勝あげたら、数字通りに実力が評価されますが、ボクサーの評価はたった1度の敗北が大きくのしかかります。
フォアマンがアリに喫した1敗、パッキャオがメイウエザーに封じられた1敗。あの敗北が勝利なら全く違うキャリアになります。
逆に言うともう何試合勝っても取り返せない1敗なのです。それがボクシングです。もしそこを怖がるとしたら、その人はこのスポーツに携わる権利はありません。
60年代、ファイティング原田の名前は長嶋茂雄を凌駕する重さを持っていました。巨人大鵬卵焼きの時代のテレビ視聴率で原田は巨人戦をはるかに上回る数字を叩き出していたのですから、それも当然でした。
この傾向は具志堅用高の70年代まで何とか続きますが、世界戦ですらテレビで放映されないことがある今日では考えられません。
世界戦があった翌日の学校の教室で男の子を中心にその話題で持ちきりだった時代は、今や遥かに遠い昔です。山中慎介や井上尚弥を知っている子供や主婦がどれだけいるでしょうか?
もちろん、観戦スポーツが相撲と野球、ボクシングしかなかった時代と同じように語るのは不公平です。
事実上の国技・野球にしても60年代の長嶋茂雄と、現在のイチローや大谷翔平の存在では前者の方が比べようもなく巨大であったことは仕方がありません。一元的な価値観で測れる幸せな時代は、とっくの昔に終わっているのですから。
しかし、プロ野球がその出発点、原点である「アメリカ野球に追いつく」という素晴らしい理想に限りなく近づいている一方で、プロボクシングの世界は世界的な趨勢で日本だけの問題ではないとはいえ、階級と王者の粗製濫造によって自らの価値を貶めてしまっています。
日本人がメジャーリーグやオリンピックで大きなタイトルを獲れば号外、ニュース速報ものですが、ボクシング界では何を成し遂げたら号外が出るのか全く見えてきません。
錦織圭が4大大会で優勝したらもちろんですが、陸上100mで9秒台の日本記録が出てもニュース速報が流れるでしょう。ボクシングで世界王者が誕生してニュース速報のテロップが走るなんて、まず考えられないですね、世界王者なのに。
ボクシングのことをよく知らない人でも、スポーツファンなら皮膚感覚で「ボクシングの世界王者は他のスポーツの『世界王者』と同義語でない」という真実がわかっているのかもしれません。
多くのスポーツファンは「世界」と名のつくスポーツは世界で戦うものだと思い込んでいますが、ボクシングの世界王者はそれに全く当てはまらないということも、大きな違和感を感じられているはずです。
この10年ほどの短い期間で長谷川穂積、内山高志、山中と二桁防衛を重ねる「世界王者」が乱造されましたが、3人合わせると40近い世界戦は一つの例外もなく国内で実施されました。
ボクシングの世界王者がドメスティックに傾く最大の理由が経済面にあることは、前回お話ししました。
世界の軽量級ボクシングは日本がメッカです。ほんの一部のヒスパニックの人気選手や、空前のブームを迎えている英国のスター選手を除けば、世界中の軽量級ボクサーにとって最も稼げる場所は日本なんです。
もちろん、ヒスパニックの人気選手が待ち構えるアメリカや、熱狂的なサポーターがひしめく英国の敵地リングに、蛮勇の剣を振り回して乗り込むのはカッコイイです。
しかし、報酬を含めて条件は劣悪です。超ハイリスクなのに超ローリターン。ファン目線では栄光こそがリターンだ!と無責任に叫ぶこともできますが、ジムの経営者目線では大切に育てた選手にそんな危険な橋を渡らせるわけには絶対にいきません。
ビッグイフですが、ボクシングがフライ、バンタム、フェザー、ライト、ウエルター、ミドル、ライトヘビー、ヘビーの8階級しかなく、ガン細胞のように増殖する承認団体ではなく、しっかりとしたたった一つの統括団体が存在していれば、話は単純です。
世界王者になるには8人のチャンピオンの誰かを倒す以外に方法がないのですから。
47kgがベスト体重のボクサーなんてほとんどいません、ミニマム級があるから落とすんです。
危険な相手がフェザー級王者に君臨していれば、スーパーバンタム級で世界戦を模索するのは当然です。
ライト級が人気選手がひしめいて世界戦をやる経済力がないなら、スーパーフェザーで可能性を見つけるしかありません。
本物の世界王者になりたくないボクサーなんて一人もいません、WBAやらWBCやらIBFやらWBOやらいろんなのがあるから、とりあえずチャンスがあるものに飛びつくんです。
ボクシングの世界王者の権威が失墜した最大の原因は、構造的なものです。8階級しかなければ「日本人世界王者は過去最多の12人」なんて意味不明のバーゲンセールみたいなことは起きません。
近い将来「日本人世界王者が15人、20人」という時代が訪れても驚きはありませんし、向こう10年でまた二桁防衛に成功して具志堅の記録に迫るボクサーが何人も現れても不思議ではない環境ですから、世界王者のステイタスが今以上に失墜することはあっても、見直されることはないでしょう。
軽量級でアメリカ進出するのはナンセンスと書きました。しかし、それは経済面で圧倒的なアドバンテージを持つ現代の軽量級日本人ボクサーに限ったことです。
世界王者でも大卒サラリーマンの半年分の給料で高額の部類に入る報酬しかないアジアの軽量級にとっては、世界戦ともなれば1万ドル以上のファイトマネーが期待出来るアメリカのリングはやはり夢の舞台です。
ドルがまだ強かった時代、日本人にとってもアメリカのリングはそれなりの魅力がありましたし、競札、興行の駆け引きの果てにアメリカで世界戦のリングに立った日本人ファイターも少なくありません。
日本の戦後も含めてアジアはアメリカの植民地、占領下においてこのスポーツが育まれてきました。アメリカのリングで世界王者を倒すことの意味は、下剋上の陶酔を耽溺できるこれ以上ない快感でもありました。
最初にアメリカのリングにクサビを打ち込んだのはフィリピンのパンチョ・ビラ。王者のジミー・ワイルドはフライ級史上最強のパンチャーとも評されてますが、現役王者なのになぜか2年以上も試合せずに故郷ウェールズで隠遁していたのですから、まあのどかな時代です。
今なら名誉王者になって暫定、休養などいろんな王者が乱立してるでしょう。ビラは、これも考えられない強打者でスパーリングパートナーが逃げ出し、ヘビー級選手と普通にスパーしてたというのですから嘘みたいな話です。1923年ニューヨークのポロスタジアムで行われた決戦はビラの7回KO勝ち。
フィリピン人が続きます。1940年ロスアンゼルスのギルモアスタジアムであのヘンリー・アームストロングの4階級制覇を阻んだのはミドル級王者セフェリノ・ガルシア。この時、4階級制覇に成功していたら、シュガー・レイ・ロビンソンは不動のPFPキングではなかったかもしれません。
その後も、多くの同胞の屍を乗り越えてフラッシュ・エロルデや、ローランド・パスクワらが外弁慶のフィリピン人の系譜を紡いでいきます。悲惨なまでに貧しい国を捨て、故郷から脱出するしか豊かになる方法がない彼らが命がけで走り続けた地獄の一本道の終着駅にフィリピン人のマニー・パッキャオが辿り着くのは、ある意味必然だったのかもしれません。故郷を振り返る余裕や感傷のある日本人には、彼らが見た殺伐とした荒野を見ることは永遠にないのでしょうし、その必要もありません。
それでも故郷に軸足を置きながらアメリカで快挙を達成する日本人も現れました。1970年ビセンテ・サルディバルをティファナで撃破してフェザー級王者となった柴田国明は、その後何人ものボクサーがその名をミドルネームにつけるほどのインパクトをかの地に残しました。
1968年にフェザー級王者ラウル・ロハスをロサンゼルスで倒した西城正三は時代を代表するスポーツ選手となり、彼を表したシンデレラボーイは流行語にもなったほどです。
1980年にはデトロイトから衝撃的な吉報が届きます。上原康恒がサムエル・セラノをKOしてジュニアライト級王者に。
1981年のロチェスターでは三原正がロッキー・フラットを接戦の攻略、ジュニアミドル級のタイトルをもぎ取ります。
92年にはアメリカではありませんが、メキシコシチーの闘牛場で平仲明信がエドウィン・ロサリオに暴風雨のように襲いかかりジュニアウエルター級のタイトルをKO奪取。
こうして見ると、アメリカでの金星はフェザー以上の階級で日本国内に試合を引っ張るのが難しいという背景があったのかもしれません。
今後もこの単発タイプの海外での金星は上がるでしょう。
ただ、軽量級でアメリカに受け入れられて、ベガスの大会場で堂々のメインを張るのは日本人では非常に難しい、まず不可能と断言して差し支えありません。
その意味ではミドル級の村田諒太には大きな可能性があります。亀海善寛も今のステージから最短で2連勝したらビッグネームとの世界戦が大会場のメインイベントで用意されても不思議ではありません。
ただ、軽量級と国内の試合にしがみついて防衛回数を伸ばすことだけに注力する選手のニーズはアメリカにはヒトカケラもありません。
これは嫌味でもなんでもなく、軽量級で「ベガス」と口にすることのナンセンスさへの警句です。
軽量級なら日本でビッグファイトが出来るはずです。どんなに才能のあるボクサーでも、世界10傑の実力があるかどうか極めて怪しい相手と防衛戦を重ねていてはその心も刀も錆びつきます。
「怪しい相手といたずらに防衛戦を重ねることが最も効率的に金が稼げる」という図式が出来上がっている現状では考えられないことかもしれませんが、国内でビッグファイトを盛り上げる土壌を作ることです。怪しい相手と5回防衛するくらいの報酬が稼げる場を創造することです。
怪しい相手と世界戦が出来る環境が、ボクシングの世界王者の価値を貶めている元凶です。
ボクシングの世界は統括団体がない以上、本当の世界王者は決まりません。最強と言っても「推定最強」でしかありません。
一般のスポーツファンは白黒はっきりつくからスポーツが好きなんです。
ベスト4止まりで世界王者を決めて、準決勝も決勝も永遠に行われないどころか、それぞれの団体が恣意的に決めた世界ランカー、つまり王者だけじゃなく世界1位、2位も複数いるという冗談みたいな世界で防衛戦を繰り返す茶番は通用しません。
ボクシングは原始的なスポーツゆえに、一般のスポーツファンにも潜在的な関心はあります。
亀田騒動はボクシング界の健全な発展とは遠い野次馬が群がるようなものでしたが、その証拠です。
ボクシングをよく知らないスポーツファンでも納得出来る、興味がそそられるカードをビッグファイトとして提供していくしか、ボクシングの地位回復の手段はありません。
そんなカードがあるのか?いくらでもあります。ローマン・ゴンザレスは井上尚弥だけじゃなく、山中も井岡も絡めるでしょう。
これまででも辰吉丈一郎と鬼塚勝也、長谷川穂積と西岡利晃らがこぶしを交えていたら、日本ボクシングの風景は違ったものになっていたでしょう。残念ながらジムのエース同士はぶつけないという暗黙のルールがこの国には存在します。
ボクシングに否定的な環境の英国がどうしてあそこまで成功しているのか。
ボクシングの試合でどうしてエド・シーラン並みにウエンブリーの大スタジアムをフルハウス出来るのか。同国のライバル対決を積極的に進めたからです。日本はそれを「星の潰し合いで互いに損をする」と嫌いますが、大間違いです。
より多くのファンを引きつける、より強烈な輝きを放つ星が新たに生まれるのですから。
日本のファンは50:50の日本人同士の世界戦は諦めてしまって、階級が近くてもスター選手の激突を求めません。
ジムが大切に育てた選手を劣悪な条件のベガスで戦わせるのは無意味です。
では、高い注目度が集まる(つまりそれが報酬にも反映される)他のジムのスター選手との激突を避ける理由は何なのでしょうか。
ボクシングの1敗は野球やサッカーの1敗とは重さの次元が違います。野球で不本意なシーズンを送った投手が翌年復活して15勝あげたら、数字通りに実力が評価されますが、ボクサーの評価はたった1度の敗北が大きくのしかかります。
フォアマンがアリに喫した1敗、パッキャオがメイウエザーに封じられた1敗。あの敗北が勝利なら全く違うキャリアになります。
逆に言うともう何試合勝っても取り返せない1敗なのです。それがボクシングです。もしそこを怖がるとしたら、その人はこのスポーツに携わる権利はありません。