Breez is Nice!

ボクシングの世界王者のステイタスは時代とともに低下、今では数だけなら過去最高の王者を抱えながら、その名前は一般の人にはほとんど知られていないのが現状です。

60年代、ファイティング原田の名前は長嶋茂雄を凌駕する重さを持っていました。巨人大鵬卵焼きの時代のテレビ視聴率で原田は巨人戦をはるかに上回る数字を叩き出していたのですから、それも当然でした。

この傾向は具志堅用高の70年代まで何とか続きますが、世界戦ですらテレビで放映されないことがある今日では考えられません。

世界戦があった翌日の学校の教室で男の子を中心にその話題で持ちきりだった時代は、今や遥かに遠い昔です。山中慎介や井上尚弥を知っている子供や主婦がどれだけいるでしょうか?

もちろん、観戦スポーツが相撲と野球、ボクシングしかなかった時代と同じように語るのは不公平です。

事実上の国技・野球にしても60年代の長嶋茂雄と、現在のイチローや大谷翔平の存在では前者の方が比べようもなく巨大であったことは仕方がありません。一元的な価値観で測れる幸せな時代は、とっくの昔に終わっているのですから。

しかし、プロ野球がその出発点、原点である「アメリカ野球に追いつく」という素晴らしい理想に限りなく近づいている一方で、プロボクシングの世界は世界的な趨勢で日本だけの問題ではないとはいえ、階級と王者の粗製濫造によって自らの価値を貶めてしまっています。

日本人がメジャーリーグやオリンピックで大きなタイトルを獲れば号外、ニュース速報ものですが、ボクシング界では何を成し遂げたら号外が出るのか全く見えてきません。

錦織圭が4大大会で優勝したらもちろんですが、陸上100mで9秒台の日本記録が出てもニュース速報が流れるでしょう。ボクシングで世界王者が誕生してニュース速報のテロップが走るなんて、まず考えられないですね、世界王者なのに。

ボクシングのことをよく知らない人でも、スポーツファンなら皮膚感覚で「ボクシングの世界王者は他のスポーツの『世界王者』と同義語でない」という真実がわかっているのかもしれません。

多くのスポーツファンは「世界」と名のつくスポーツは世界で戦うものだと思い込んでいますが、ボクシングの世界王者はそれに全く当てはまらないということも、大きな違和感を感じられているはずです。

この10年ほどの短い期間で長谷川穂積、内山高志、山中と二桁防衛を重ねる「世界王者」が乱造されましたが、3人合わせると40近い世界戦は一つの例外もなく国内で実施されました。

ボクシングの世界王者がドメスティックに傾く最大の理由が経済面にあることは、前回お話ししました。

世界の軽量級ボクシングは日本がメッカです。ほんの一部のヒスパニックの人気選手や、空前のブームを迎えている英国のスター選手を除けば、世界中の軽量級ボクサーにとって最も稼げる場所は日本なんです。

もちろん、ヒスパニックの人気選手が待ち構えるアメリカや、熱狂的なサポーターがひしめく英国の敵地リングに、蛮勇の剣を振り回して乗り込むのはカッコイイです。

しかし、報酬を含めて条件は劣悪です。超ハイリスクなのに超ローリターン。ファン目線では栄光こそがリターンだ!と無責任に叫ぶこともできますが、ジムの経営者目線では大切に育てた選手にそんな危険な橋を渡らせるわけには絶対にいきません。

ビッグイフですが、ボクシングがフライ、バンタム、フェザー、ライト、ウエルター、ミドル、ライトヘビー、ヘビーの8階級しかなく、ガン細胞のように増殖する承認団体ではなく、しっかりとしたたった一つの統括団体が存在していれば、話は単純です。

世界王者になるには8人のチャンピオンの誰かを倒す以外に方法がないのですから。

47kgがベスト体重のボクサーなんてほとんどいません、ミニマム級があるから落とすんです。

危険な相手がフェザー級王者に君臨していれば、スーパーバンタム級で世界戦を模索するのは当然です。

ライト級が人気選手がひしめいて世界戦をやる経済力がないなら、スーパーフェザーで可能性を見つけるしかありません。

本物の世界王者になりたくないボクサーなんて一人もいません、WBAやらWBCやらIBFやらWBOやらいろんなのがあるから、とりあえずチャンスがあるものに飛びつくんです。

ボクシングの世界王者の権威が失墜した最大の原因は、構造的なものです。8階級しかなければ「日本人世界王者は過去最多の12人」なんて意味不明のバーゲンセールみたいなことは起きません。

近い将来「日本人世界王者が15人、20人」という時代が訪れても驚きはありませんし、向こう10年でまた二桁防衛に成功して具志堅の記録に迫るボクサーが何人も現れても不思議ではない環境ですから、世界王者のステイタスが今以上に失墜することはあっても、見直されることはないでしょう。

軽量級でアメリカ進出するのはナンセンスと書きました。しかし、それは経済面で圧倒的なアドバンテージを持つ現代の軽量級日本人ボクサーに限ったことです。

世界王者でも大卒サラリーマンの半年分の給料で高額の部類に入る報酬しかないアジアの軽量級にとっては、世界戦ともなれば1万ドル以上のファイトマネーが期待出来るアメリカのリングはやはり夢の舞台です。

ドルがまだ強かった時代、日本人にとってもアメリカのリングはそれなりの魅力がありましたし、競札、興行の駆け引きの果てにアメリカで世界戦のリングに立った日本人ファイターも少なくありません。

日本の戦後も含めてアジアはアメリカの植民地、占領下においてこのスポーツが育まれてきました。アメリカのリングで世界王者を倒すことの意味は、下剋上の陶酔を耽溺できるこれ以上ない快感でもありました。

最初にアメリカのリングにクサビを打ち込んだのはフィリピンのパンチョ・ビラ。王者のジミー・ワイルドはフライ級史上最強のパンチャーとも評されてますが、現役王者なのになぜか2年以上も試合せずに故郷ウェールズで隠遁していたのですから、まあのどかな時代です。

今なら名誉王者になって暫定、休養などいろんな王者が乱立してるでしょう。ビラは、これも考えられない強打者でスパーリングパートナーが逃げ出し、ヘビー級選手と普通にスパーしてたというのですから嘘みたいな話です。1923年ニューヨークのポロスタジアムで行われた決戦はビラの7回KO勝ち。

フィリピン人が続きます。1940年ロスアンゼルスのギルモアスタジアムであのヘンリー・アームストロングの4階級制覇を阻んだのはミドル級王者セフェリノ・ガルシア。この時、4階級制覇に成功していたら、シュガー・レイ・ロビンソンは不動のPFPキングではなかったかもしれません。



その後も、多くの同胞の屍を乗り越えてフラッシュ・エロルデや、ローランド・パスクワらが外弁慶のフィリピン人の系譜を紡いでいきます。悲惨なまでに貧しい国を捨て、故郷から脱出するしか豊かになる方法がない彼らが命がけで走り続けた地獄の一本道の終着駅にフィリピン人のマニー・パッキャオが辿り着くのは、ある意味必然だったのかもしれません。故郷を振り返る余裕や感傷のある日本人には、彼らが見た殺伐とした荒野を見ることは永遠にないのでしょうし、その必要もありません。

それでも故郷に軸足を置きながらアメリカで快挙を達成する日本人も現れました。1970年ビセンテ・サルディバルをティファナで撃破してフェザー級王者となった柴田国明は、その後何人ものボクサーがその名をミドルネームにつけるほどのインパクトをかの地に残しました。

1968年にフェザー級王者ラウル・ロハスをロサンゼルスで倒した西城正三は時代を代表するスポーツ選手となり、彼を表したシンデレラボーイは流行語にもなったほどです。

1980年にはデトロイトから衝撃的な吉報が届きます。上原康恒がサムエル・セラノをKOしてジュニアライト級王者に。

1981年のロチェスターでは三原正がロッキー・フラットを接戦の攻略、ジュニアミドル級のタイトルをもぎ取ります。

92年にはアメリカではありませんが、メキシコシチーの闘牛場で平仲明信がエドウィン・ロサリオに暴風雨のように襲いかかりジュニアウエルター級のタイトルをKO奪取。

こうして見ると、アメリカでの金星はフェザー以上の階級で日本国内に試合を引っ張るのが難しいという背景があったのかもしれません。

今後もこの単発タイプの海外での金星は上がるでしょう。

ただ、軽量級でアメリカに受け入れられて、ベガスの大会場で堂々のメインを張るのは日本人では非常に難しい、まず不可能と断言して差し支えありません。

その意味ではミドル級の村田諒太には大きな可能性があります。亀海善寛も今のステージから最短で2連勝したらビッグネームとの世界戦が大会場のメインイベントで用意されても不思議ではありません。

ただ、軽量級と国内の試合にしがみついて防衛回数を伸ばすことだけに注力する選手のニーズはアメリカにはヒトカケラもありません。

これは嫌味でもなんでもなく、軽量級で「ベガス」と口にすることのナンセンスさへの警句です。

軽量級なら日本でビッグファイトが出来るはずです。どんなに才能のあるボクサーでも、世界10傑の実力があるかどうか極めて怪しい相手と防衛戦を重ねていてはその心も刀も錆びつきます。

「怪しい相手といたずらに防衛戦を重ねることが最も効率的に金が稼げる」という図式が出来上がっている現状では考えられないことかもしれませんが、国内でビッグファイトを盛り上げる土壌を作ることです。怪しい相手と5回防衛するくらいの報酬が稼げる場を創造することです。

怪しい相手と世界戦が出来る環境が、ボクシングの世界王者の価値を貶めている元凶です。

ボクシングの世界は統括団体がない以上、本当の世界王者は決まりません。最強と言っても「推定最強」でしかありません。

一般のスポーツファンは白黒はっきりつくからスポーツが好きなんです。

ベスト4止まりで世界王者を決めて、準決勝も決勝も永遠に行われないどころか、それぞれの団体が恣意的に決めた世界ランカー、つまり王者だけじゃなく世界1位、2位も複数いるという冗談みたいな世界で防衛戦を繰り返す茶番は通用しません。

ボクシングは原始的なスポーツゆえに、一般のスポーツファンにも潜在的な関心はあります。

亀田騒動はボクシング界の健全な発展とは遠い野次馬が群がるようなものでしたが、その証拠です。

ボクシングをよく知らないスポーツファンでも納得出来る、興味がそそられるカードをビッグファイトとして提供していくしか、ボクシングの地位回復の手段はありません。

そんなカードがあるのか?いくらでもあります。ローマン・ゴンザレスは井上尚弥だけじゃなく、山中も井岡も絡めるでしょう。

これまででも辰吉丈一郎と鬼塚勝也、長谷川穂積と西岡利晃らがこぶしを交えていたら、日本ボクシングの風景は違ったものになっていたでしょう。残念ながらジムのエース同士はぶつけないという暗黙のルールがこの国には存在します。

ボクシングに否定的な環境の英国がどうしてあそこまで成功しているのか。

ボクシングの試合でどうしてエド・シーラン並みにウエンブリーの大スタジアムをフルハウス出来るのか。同国のライバル対決を積極的に進めたからです。日本はそれを「星の潰し合いで互いに損をする」と嫌いますが、大間違いです。

より多くのファンを引きつける、より強烈な輝きを放つ星が新たに生まれるのですから。

日本のファンは50:50の日本人同士の世界戦は諦めてしまって、階級が近くてもスター選手の激突を求めません。

ジムが大切に育てた選手を劣悪な条件のベガスで戦わせるのは無意味です。

では、高い注目度が集まる(つまりそれが報酬にも反映される)他のジムのスター選手との激突を避ける理由は何なのでしょうか。

ボクシングの1敗は野球やサッカーの1敗とは重さの次元が違います。野球で不本意なシーズンを送った投手が翌年復活して15勝あげたら、数字通りに実力が評価されますが、ボクサーの評価はたった1度の敗北が大きくのしかかります。

フォアマンがアリに喫した1敗、パッキャオがメイウエザーに封じられた1敗。あの敗北が勝利なら全く違うキャリアになります。

逆に言うともう何試合勝っても取り返せない1敗なのです。それがボクシングです。もしそこを怖がるとしたら、その人はこのスポーツに携わる権利はありません。

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山中慎介の強打はこの小さな島に閉じ込めておくのはもったいないですが、海外進出は現実的ではありません。


【リング誌の2016年年間PFPで山中は9位、井上も11位】

今回の対戦相手が世界ランカーにふさわしい実力の持ち主かどうかは別にして、山中がこの階級で最強のパンチャーであることに疑う余地はありません。山中もファンもビッグネームとの大試合をベガスでと熱望していますが、実現の道は険しいと言わざるをえません。21世紀に入り、一つの階級に世界王者が4人いるのが当たり前、「ダイアモンド」「スーパー」「暫定」「休養」などいろんな冠があって、ボクシングの世界は誰が一番強いのかという格闘技で一番大切なことが誰にもわからない時代が深まっています。

どの階級もベスト4、下手したらベスト8、16レベルで王者が決まり、決勝戦が行われることは永遠にないという魔宮に迷い込んでしまいました。ほとんどの海外メディアがバンタム級最強は山中と認めてくれていますが、それはリング上で決着をつけた文句無しの最強ではなく、専門家が脳内で決めた「推定最強」です。

本物の強豪と拳を交えたいという山中の気持ちに偽りはないでしょう。ではなぜ、それが実現しないのか。

全てはカネです。

山中選手のバンタム級は異論を挟む余地のないマイナー階級です。「ラスベガスがボクシングの本場」というのは、「野球は米国」「サッカーは欧州」という等式とは全く違うものです。正確には「ウエルター級を核にした人気階級と、一部の人気選手にとってはラスベガスが最も大きな報酬を期待できる場所」なだけであって、軽量級の日本人選手にとってはラスベガスは本場でもなんでもないのです。

かつて長谷川選手は「条件が整えばいつでもベガスで戦う」と語っていましたが、長谷川選手を破ったフェルナンド・モンティエルですらベガスでの存在感は限りなく軽く、ペドロ・アルカサールを鮮やかにノックアウトして2階級制覇した時の報酬はわずか1万5000ドルに過ぎませんでした。その日のMGMでの同じ興行でメインイベントを戦ったマルコ・アントニオ・バレラとエリック・モラレスが100万ドルを軽く超えていたことを考えると残酷なまでの格差です。同じメキシコ人でもこれほどまでに違うのです。

アメリカで山中と同じ数十万ドルの報酬を手に出来る軽量級選手はほんの一握りです。ベガスでほとんど知名度のない山中とその対立王者が統一戦を戦うことはまず考えられません。需要が全く無いのですから。日本で戦う方がはるかに報酬がいいのに、ベガスでやる意味は全くありません。ここが野球やサッカーと根本的に違います。

リング誌のPFPランキングは①ロマゴン②ウォード③コバレフ④ゴロフキン⑤クロフォード⑥ロマチェンコ⑦リゴンドー⑧カネロ⑨山中⑩井上の順ですが、直近のファイトマネー順に並べ替えると①カネロ1000万ドル(PPVなどの歩合を除く)②ウォード500万ドル③ゴロフキン500万ドル④コバレフ200万ドル⑤クロフォード130万ドル⑥ロマチェンコ100万ドル⑦リゴンドー45万ドル⑧ロマゴン40万ドル、山中、井上はリゴンドークラスだと思われますから、あろうことかPFPキングのロマゴンが最下位なんです。井上vsロマゴン、夢の対決の舞台がラスベガスとなると、二人の報酬は夢じゃなくなりますね、間違いなく。ちなみにロマゴンに善戦したクアドラスも25万ドルを手にしましたが、これがキャリアで飛び抜けて最高。

もちろん、ウエルターやミドル級になると話は変わります。亀海善寛がアメリカで戦う意味はあるのです。タレント揃いのウエルター級ですから。村田諒太も世界戦なら海外でやっても最低数十万ドルの報酬が約束されるでしょう。それがミドル級です。軽量級の日本人選手が海外で世界挑戦するとなって10万ドルの報酬はありえない数字です。

長谷川選手も内山選手も、経済原理に則って、長期防衛することで恐らく最も効率的に最も多くの報酬を積み重ねたはずです。冒険的な挑戦をしていたら、たとえ成功したとしても、次々とハードルを上げて来るアメリカのマッチメイクを考慮するとその治世は短く、国内長期防衛路線と同等の経済的な成功を手に出来ることはまずなかったでしょう。それどころか5分の一以下の生涯収入でそのキャリアを閉じていた可能性が高いのです。

日本人軽量級ボクサーにとってベガスはリスクだけがバカでかくて、リターンがほとんど期待出来ない、なんの魅力もない砂漠でしかありません。

マニー・パッキャオを見て勘違いしてはいけません。彼はあのバレラを粉砕して100万ドルファイターの仲間入り、その後も信じられない怒涛の快進撃で目の前に突き付けられた巨大なハードルを飛び越え続け、ついにはデラホーヤまで切り刻んで、1000万ドルを大きく超えるビリオンファイターとなり、スーパーウエルター級まで征服したのです。

パッキャオと同じように、マイナー階級にとどまることを拒絶し、ビッグネームを求めて人気階級への一本道を突き進む覚悟があるなら、話は変わってきますが、そうでないならベガスなんて遠い国の砂漠の街でしかありません。

井上は現実的なことを言っていますね。ロマゴンとの一戦について「そこから海外で足掛かりができるのならいいが、そうでないなら日本でやった方が喜んでくれるファンも多い」。西岡利晃は諦めずに努力を続けて世界王者になった立派なボクサーですが、ベガスでのラファエル・マルケス戦はやるべきではなかったと思います。ドネア戦にしても日本でやった方がメディアも大きく取り上げ、ファンも盛り上がったことは間違いありません。

そう、アメリカではドネアですらモンティエル戦でやっとこさのHBOのTVデビュー、リゴンドー戦も小さなミュージックホールが舞台でした。

ドネアほどの実績があっても「TVの番組予算で振り分けられる報酬ではなく、ファンがPPVで支払う現金がファイトマネーマネーに換算される人気スター選手になってビッグマネーを稼ぎたい」という夢は一度も果たせていないのが現実で、その日が訪れることは永遠にないでしょう。

ウォータースにねじ伏せられたとき、ドネアは強靭なジャマイカ人に確かに屈しました。しかし、スーパーバンタム級に再び落ちることを決め、人気階級へ続く一本道から引き返した、そのときこそが、彼の大きな夢が粉々に砕け散った瞬間でした。

パッキャオは例外中の例外なんです。ドネアの業績ですら高嶺に見えるようでは、ベガスが本場なんて妄言でしかありません。

もちろん、その妄言を約束の言葉に変えてくれる奇跡の日本人が現れることを心の奥底で願ってはいますが。

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ボクサーは嘘をつく。

リング誌に「Best I’ve faced(過去最強の相手)」というコーナーがあり、主に引退した選手が自身のキャリアを振り返り、パンチ力やスピード、ボクシング技術など10項目に渡って最強の対戦相手を挙げています。数々の強敵と激戦を繰り広げたシュガー・レイ・レナードが難なく圧勝したフロイド・メイウエザー(マネーのお父さんですね)を「ショルダーブロックを完成させていた」と絶賛、最高の防御技術を持った選手に挙げるなど、意外な告白もあります。


     【リング誌:I’ve faced】

ここではレナードは嘘はついていないと思いますが、嘘をつくボクサーも結構目につきます。サーマンvsガルシアで争われる無敗のウエルター級王者統一戦の元祖、ドン・カリーはミルトン・マクローリーを粉砕したその試合のリング上で「(マクローリー自慢の)ジャブは予想以上に遅かったから簡単にカウンターを返すことが出来た」と豪語していましたが、最近掲載されたこのコーナーでは「マクローリーのジャブが速さ、強さとも最高だった」と語り、総合的に見ても(BEST OVERALL)マクローリーが最強だったと最上級の評価を与えています。恐らく、後者が真実でしょう。試合後は普通の精神状態ではないでしょうし、勝利に酔ったボクサーは観客やインタビュアーが喜ぶ言葉を選びがちです。

カリーのキャリアではマイク・マッカラムの強さが際立っていたように思えますが、マッカラムをナンバーワンと評価しているのは、BEST PUNCHERの1項目だけです。「あのパンチが飛んでくるのは予想できなかった」と認めてはいますが。

ファン・マヌエル・マルケスのケースはまた別の動機からついた嘘でしょう。マルケスと言えばパッキャオと4戦に及ぶ激闘を繰り広げたレジェンド。彼は「パッキャオは過大評価、強くない」と常々ライバルを腐して来ました。しかし、第4戦で劇的なKO勝利を収めた後からニュアンスが変わってきます。それまでは「メイウェザーが一番」と断言していたのに、このコーナーでは10項目中でなんと7項目でパッキャオを上げ、総合力でもパッキャオが最強だと認めているのです。

そして、大差判定で敗れたメイウエザーとの1戦については「いきなり2階級も上げた上に、メイウエザーは契約体重をオーバーしてリングに上がってきた。コンディションは最悪だったし、体重は不公平だし、まともな状況ではなかった」として、メイウエザーにはただの1項目も与えていません。確かに、腹回りに贅肉が残ったあの試合のマルケスはパッキャオと戦ったときの肉体美とはかなり差があったとは思いますが。・・・。

激戦・接戦続きで勝ち星がない宿命のライバルを素直に称賛できないというマルケスのちょっとひねくれた心理も何となく理解できるような気もします。

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いよいよ日本時間の週末に決戦が迫りました。

サーマンとガルシアの戦力比較を海外のビッグマッチ風に20項目でやってみました。左からPacman(パッキャオ)、Money(メイウェザー)、One Time(サーマン)、Swift(ガルシア)、The Special One(ケリー・パブリック、King Khan(アミール・カーン)です。パッキャオとメイウエザーは2015年の対決直前のリング誌のスコアです。他の4人は私の拙い採点です。青は満点、赤は致命的な欠点です。


   HEAD to HEAD ウエルター級戦力比較

注目のサーマン、ガルシアで差が出るのは4.利き手のパワーパンチ(サーマンに軍配)、6.フック(ガルシア)、8.ボディパンチ(サーマン)、10.身体能力(サーマン)、13.調整能力(サーマン)、14.大舞台の経験(ガルシア)、15.アゴの強さと打たれ強さ(ガルシア)、19.対戦相手の質(ガルシア)、20.セコンド(サーマン)と見ました。合計100点満点で20の各項目は5点満点ずつですが、現実の試合ではジャブの差し合いが非常に重要なポイントになったり、打たれ強さが勝敗を分けることも多々ありますし、何より両者のスタイルの相性というものはゴングが鳴って拳を交わせば早い段階でわかるとはいえ、試合前には非常に見えにくいものです。

さて、この両者は打ち合い上等のスタイルで、28歳の若さ、つまりこれからレガシーを重ねてPFPのトップを目指す、将来の殿堂入りを目指す過程にある、という共通点があります。キャリアに輝く勝利を鮮烈に飾りたいという欲望は非常に強く、激戦になる可能性が高いと思います。二人ともに危険な勇気の橋を渡る理由があるのです。

先にビッグパンチを当てた方が主導権を握るのは当然ですが、そのパンチの有力候補は見にくい角度から飛んでくるガルシアのフックです。一方で、大きなパンチが当たらない展開の中で、体格とパワーで上回るサーマンがボディブローを有効に使ってガルシアを消耗させれば試合は終盤で一方的になるかもしれません。私の予想は、序盤から打撃戦に突入、決定打がないままの展開でサーマンの体力とボディ攻撃がガルシアを終盤に失速させて中差判定勝ち。

ファンの理想としてはレナード対ハーンズのような一進一退の攻防から最後はKO決着ですが。いずれにせよ、予想は難しい、面白い。昨日WOWOWで放映されたフランプトン対サンタクルス(実際の試合は1月28日)なんて、ほぼ全ての専門家が「リマッチでより相手に適応できるのはフランプトン」と、中にはKO予想するメディアもありましたが、現実は第1戦同様の大接戦でした…と外れた時の予防線をしっかり張って、史上3度目のウエルター級統一戦の予想を終わります。

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人間の遺伝子は人種間でほとんど差はない。

そんな科学的事実を知ってもウサイン・ボルトの走りを目の当たりにしてから日本人スプリンターの才能と比べてもほとんど差がないと言い切れる人はいないでしょう。ただ、アフリカの黒人が長距離が速い、ジャマイカや北米の黒人は短距離が速いという帰結には、一つの説得力のある仮説が存在します。遺伝子的にはほとんど変わりがなくても、訓練・選別によってより優れた個体を作ることができるというのです。

まず、エチオピアやケニアの優れた長距離ランナーは例外なく高地で生活し、通学や労働のために1日に何十キロも走ったり歩いたりする有酸素運動を何世代も繰り返してきています。そういう「訓練」を幼い時から毎日休むことなく続けているのです。そして北米の黒人スプリンターは悲しく愚かな歴史の被害者である奴隷の子孫たちです。彼らはアフリカ大陸から強制的に連れ出され、過酷な航海に耐えられる強靭な個体だけがアメリカやジャマイカの港までたどり着くのです。特にジャマイカは奴隷船の終着駅、最も長く最も過酷な航海に耐える肉体がなければ生きて船を降りることはできません。そして蒙昧な奴隷商人は高額で奴隷を取引するために、より強靭な肉体を持つ奴隷の男女を結婚させます。

NHKのBSドキュメンタリー「マイケル・ジョンソン アフリカのルーツをたどる旅」を観た方も多いでしょう。「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?」「黒人はなぜ足が速いのか」などこの問題にアプローチした書籍を読んだ人もいるでしょう。あくまで仮説で、残酷な歴史をほじくり返すことになるため、非常に扱いにくい素材です。

確かに遺伝子的には大きな違いがないから、奴隷船で命がけの航海の果てに生き残った黒人には強靭なパワーはあっても高地で日常的に有酸素運動を行う習慣はないから長距離には向きません。また、高地で有酸素運動を毎日繰り返しているアフリカ人もその生活習慣から非常にスマートな体型になるので瞬発力のパワーは劣ります。実際に、生活環境が向上した現在、米国黒人のスポーツシーンでの存在感はかつてのものではありませんし、同じことが都市部に移住した高地民族にとっても言えます。

しかし、彼らが遺伝子レベルではないものの、個体差のレベルで日本人よりも優れているとは確かに言えるでしょう。

それでも、それだけが原因でしょうか?日本人はどんなに頑張っても100m10秒や、マラソン2時間5分を切ることは不可能なのでしょうか?瀬古や宗兄弟らが世界と互角以上に戦えたのは、ケニア、エチオピアのランナーが本格的にマラソンに取り組んでいなかった時代の恩恵を受けていただけなのでしょうか?きっと、そうではありません。

いつの時代にも「ボルト」というイクスキューズは存在してきました。

カール・ルイスが83年の第1回世界陸上で衝撃的な世界デビューを果たした時、その100メートルの優勝タイムは10秒03でしたが、当時練習を積めばルイスにも勝てるなんて考える日本人指導者は一人もいませんでした。しかし、1999年、伊東浩司は10秒00の日本記録を叩き出します。単純な比較ですが、もし伊東が第1回世界陸上に出場していたらルイスをかわして優勝していたことになるのです。日本人が不得手と考えられている短距離ですら16年後には、実は世界に追い付き、追い抜いていたのです。それなのに1999年から18年間、日本の100mの時計もマラソン同様止まったままです。世界は時代とともに進化しているのに、日本は21世紀に入って成長がピタリと止まってしまっているのです。一体、何が原因なのでしょうか?

個体差レベルでの差はおそらく存在しますが、おそらくそれが20年近くもマラソンと100mの時計が止まったままの最大の原因ではないでしょう。

その答えは世界と戦う、世界で勝つんだという意識の違いだと思います。

マラソンが強かった時代の選手に肩入れしてるように書いてきましたが、彼らもやはり「日本人ではスピードが要求されるトラック競技で世界一になるのは難しい」というイクスキューズからマラソンを選んでいたのです。それが21世紀になるとポール・テルガド、ハイレ・ゲブラシラシエというトラック競技のトップ中のトップがマラソン転向、次々と世界記録を樹立して行ったのですから、その衝撃、絶望感は半端なものではなかったでしょう。せっかく彼らが走るトラックから逃げたのに、そのトラックで常勝のエリートが追いかけてきて、マラソンに侵略の手を伸ばしてきたのですから。

さらに、日本の陸上界の内部からも酷く悪性の膿が沸いてきます。「日本人1位」というアスリートが絶対に考えてはいけないはずの悪魔のフレーズです。どんなアスリートでもやることは一緒、絶対に守らなければいけない共通のルールがあります。「1秒でも速く、一つでも上の順位を目指して走ること」。これは同じ大会にチーターが出てたって同じです。その気持ちを放棄してしまうなら、その時点でもはやアスリート、競技者ではありません。瀬古や宗兄弟はマラソンに可能性を見出し、そこでアスリートを続ける道を選びました。彼らは世界一になるという渇望の炎に全身を焦がしていました。もちろん同じ日本人に負けたくないという気持ちはあったでしょうが、絶対に世界一になる、そのことこそが目標でした。

勝てないんだから、日本代表の選考基準を「日本人1位」にするしかない。選考会で優勝しなけりゃ代表に選ばれないなんて言い出したら、五輪マラソンに日本人が走らないのが当たり前になってしまう。五輪はケニアとエチオピアの選手が何十人も出場できない、最大で3人ずつしか出ることができないから彼らが綺麗に6位までに入っても8位入賞にはあと2枠残されている。優勝争いに敗れたランナーを後方待機戦法で粘り強く一人ずつ抜いていけば8位入賞の可能性もあるし、ケニアやエチオピアの選手がアクシデントで離脱する可能性もある…なに、それっ?て感じです。スタート時点でどんどん離れる先頭集団を眺めながら優勝争いを放棄した8位入賞にどれほどの意味があるのでしょうか。優勝争いから脱落して、姑息な後方待機の日本人に抜かれた勇気あるランナーは負けたと思うでしょうか。それとも、ああ素晴らしい作戦だと潔く負けを認めるでしょうか。

選手には何の罪もないことですが、これだけマラソン人気が高い国です。ロス五輪は日本時間で早朝スタートにもかかわらず50%以上の視聴率を記録しました。シドニーの女子マラソンもやはり50%以上の視聴率を叩き出しました。日本人マラソンランナーが世界をねじ伏せる瞬間をみんなが見たいんです。東京五輪まで、残された時間は少ないかもしれませんが、アスリートらしい勇気あふれる走りを見せて下さい。

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