PFPを決める7つ目の基準は「(いつの)誰に勝ったのか」です。

無敗時代のマイク・タイソンやウンベルト・ゴンサレスに勝ったバスター・ダグラスやローランド・パスクワは確かに難攻不落に思えた怪物を沈めましたが、次戦でKO負けを喫するなど不安定なキャリアからPFPの議論に乗ることはありません。

誰が考えても強い相手に勝って、なおかつその金星がフロックでなかったことを次戦以降で証明していかなければならないのです。

「誰が考えても強い相手」というのは結構難しい定義ですが、まず承認団体が一つしかなかった時代、階級も少なかった時代の正真正銘の世界王者は目安の一つです。

いわゆる1団体時代の世界王者に勝利してベルトを奪った日本人は白井義男(1952年フライ級)、ファイティング原田(1962年フライ級/1965年バンタム級)、海老原博幸(1963年フライ級)、沼田義明(1967年ジュニアライト級)、小林弘(1967年ジュニアライト級)、藤猛(1967年ジュニアウエルター級)の6人だけ、最後の完全統一王者(Undisputed Champion)はジュニアミドル級の輪島功一(1971年/1975年)で、日本では43年近くもUndisputed Championが産まれていません。

WBAからWBCが完全分離した1968年以降は、「1団体王者」は誕生することが出来ない構造になってしまったわけですから〝ポスト1968〟のボクサーを「一つの階級に何人もの王者がひしめく時代に粗製乱造された量産型王者の一人に過ぎない」と断じてしまうのは不公平です。

そうはいっても1団体時代、8階級時代の世界王者の価値が現在とは雲泥の差であることは否定しがたい事実です。また、時代背景とはいえ世界王者の注目度も、比較してしまうと今の王者たちがかわいそうになるくらいの大きな差がありました。


【ファイティング原田〜1団体時代に二階級制覇しただけでもとんでもない偉業なのですが…1965年5月18日愛知県体育館、そんな偉業ですら霞んでしまうほど大きな仕事をやってのけました】

「誰が考えても強い相手」を決める指標として「1団体時代」は明白でわかりやすいのですが、不公平です。時代を超えた指標としては「 International Boxing Hall of Fame:国際ボクシング名誉の殿堂」入りしたボクサーが最もわかりやすいモノサシになります。

殿堂は米国に偏ったボクシング記者の投票によって決まる恣意的なものなので「サラゴサ現象」(ダニエル・サラゴサやアーツロ・ガッティのような日本人からは到底納得できないボクサーも殿堂入りしてしまう)も、時には起きてしまいますが、多くの場合は納得できるボクサーが選ばれています。

そして殿堂入りした文字どおり〝神〟に勝って世界王者になった日本人は原田(エデル・ジョフレ)、沼田(フラッシュ・エロルデ)、柴田国明(ビセンテ・サルディバル)、井岡弘樹(柳明佑)、平仲明信(エドウィン・ロサリオ)、この5人だけです。

原田は1団体時代にフライ(初防衛戦に失敗)、バンタム(4度防衛)で二階級制覇した上で、リング誌がアリを差し置いて1960年代PFP1位にランクしたジョフレを下しました。

もちろん、原田自身も殿堂入り(それも事実上の一発殿堂=資格発生即殿堂入り)選手。最も名誉のあるモダン部門の殿堂入りは、日本人では今なお原田1人だけです。

前述のように殿堂には納得できない部分もありますが、ボクシングの世界で最も権威がある規格と言って差し支えないでしょう。そのHPで原田は「10階級しかなかった時代に、史上初のフライ、バンタムの二階級制覇を達成」「フェザー級のジョニー・ファメション戦は地元オーストラリアのファンが原田の勝ちだと言うほどの酷い地元判定で3階級制覇を不当に阻まれた」「間違いなく日本史上最高のボクサー」と紹介されています。

殿堂の意見をなぞるのは気持ちのいいものではありませんが、原田が日本歴代PFP1位であることには誰も異論を挟めないのではないでしょうか。


【エデル・ジョフレ。この男に勝ったことが原田の評価を決定的にしました。原田に負けた後、サーカスで異種格闘技戦を見せて南米を巡ってブランクを作りましたが、その後復帰、世界フェザー級王者になります。そんな空白を経て王者返り咲きなんてどれほど強いんでしょうか。そのジョフレが生涯負けたのは、ヘビー級のキックボクサーとも戦ったサーカスの異種格闘技戦を含めても原田に喫した2敗だけだったのです。】

では2位以下は?

個人的には白井を2位に推します。8階級時代に1団体王者になった価値は、10階級時代の原田以上です。白井が王座を失ってから8年間も世界王者が誕生しなかったことからも、当時の世界がどれほどレベルが高かったのかを見せつけてくれています。そのタイトルを4度も防衛しているのです。

3位はサルディバルを撃破した柴田です。1団体時代が終焉を迎えた直後と言っていい1970年に当時のPFPで5位にランクされていた超強豪サルディバルからタイトルを奪った白星は、原田のジョフレ戦に次ぐ日本の偉大な勝利です。しかも階級難易度が高いフェザー級ですからポイント高いですね。

4位は沼田。1団体時代に殿堂選手を破って世界王者になっているのですから、合わせ技一本です。別の機会に日本人PFPを考えたら、沼田のランキングは10傑は間違いなしですが、結構上下しそうです。

5位はガッツ石松。ライト級という堂々の難関階級で5度も防衛しとことは特筆ものです。あのケン・ブキャナンに勝った3度目の防衛戦は英国、アメリカにも大きな衝撃を与えました。引退、芸能界入りしてからのキャラから過小評価されがちですが、歴代PFPの俎上に乗せないわけにはいかないタレントです。

6位は渡辺二郎。事実上の統一王者で、底を見せないままリングを去りました。具志堅用高、長谷川穂積、内山高志、山中慎介、井岡一翔が世界戦で10勝以上を積み重ねていますが、彼らと比較しても渡辺の12連勝の価値の方が上でしょう。

7位は海老原博幸。10階級1団体時代に2度も世界王者になりましたが、いずれも初防衛戦で失敗。とはいえポーン・キングピッチを初回で葬ったカミソリパンチは今見ても、ものすごい切れ味です。

8位は永遠のチャンピオン、大場政夫。タイトルを獲得した1970年は2団体時代とはいえ、分裂直後、強い挑戦者を相手に熱狂的な試合を繰り広げました。ボクシング人気に陰りが見えた時代に咲いた逆転の大輪でした。

9位は藤猛。1団体時代とはいえ人気階級に挟まれた日陰のジュニアウエルター級でしたが、2度防衛。劣勢をひっくり返す一発の魅力は日本史上最強でしょう。ボクシングへのモチベーションが無くなる中でも、興業の都合からリングを去ることができず、最後は惨めな敗北を喫してしまったのは残念でした。

10位は川島郭志。ジュニアバンタム級で6度防衛というのは今では平凡な数字かもしれませんが、内容が安定していました。別の機会にPFPを考えたらランク外になってるかもしれません。

具志堅用高も長谷川穂積も井上尚弥もランク外のとんでもないPFPですが、心外な方も多いでしょうけど、笑って受け止めて下さい。

以上、独断と偏見のPFP10傑でした。